第4話 積み上げた努力とささやかな願い

 ――コンコンコンッ


「開いてますよ」

「失礼する」


 週明けの月曜日の放課後。

 灯織会長が再び『恋愛青春部』の部室を訪ねてきた。

 後ろ手で扉を閉めると、凛とした雰囲気は霧散し、見慣れつつある柔らかい微笑みを見せる。


「お疲れ様です。その様子だと、結果は聞かなくても良さそうですね」

「あぁ。この前購入した洋服を身に付けていったんだが、私が思ったより好評でね。ものすごく褒めてくれたんだ」


 パイプ椅子を引き、俺の前に腰を下ろすと、心底嬉しそうに語る。


「『ジャケットみたいにメンズ系統の服装もいいけど、その服装も冬華によく似合っていて可愛いな』だってさ。ふふっ……全く、急にそんな事言われても困ってしまうじゃないか……んふふっ」


 その日を思い出しているのか、口元に手を添えて笑みを噛み殺していた。――多少は漏れてしまっているが。

 幸せオーラが全開で溢れ出ており、油断しているとその濁流に飲み込まれそうだ。


「本当に嬉しそうですね?」

「嬉しいに決まっているさ。意中の相手に褒められて、喜ばない女性は居ないぞ?」

「なんか、会長の幸せオーラを間近で浴びてると、俺も不思議と幸せな気分になりますよ」

「なにっ!?そ、そんなオーラを発していたのか!?」

「無自覚……だったんですか?」


 俺の言葉にギョッとして、ムニムニと自分の頬を弄る。生徒の憧れの的になるほどかっこいい生徒会長だが、恋愛事になると途端に微笑ましい行動をたくさん見せる。


「それで……だ。サポートというのは、この一回きりだろうか」

「いえ、会長が『もう必要ない』と仰るまでは支えていくつもりですよ?」

「それを聞いて安心したよ。今回の件で、ようやく歩き出せたんだ。しばらくの間お願いしたい」

「もちろんです。……ですが、ようやく歩き出せた?」


 妙な言い回しだった。一歩前進じゃなくて歩き出せた?


「私一度振られているんだ」

「っ!?振られ…………え?」

「驚いたかい?私もつくづく諦めの悪い女だ」


 呆れたように首を振ってみせる。


「いつの話ですか?それ」

「中学三年生の卒業式の日だよ。思い切って気持ちを伝えたがダメだった……いや、それ以前に『異性として見て貰えていなかった』の方が正しいかな」


 灯織会長が、中学校を卒業したときには、相手は既に社会人か。

 相手から見れば、妹みたいな存在だったのかもしれない。


「振られてしまったのに……いまでも想い続けているんですね」

「あぁ。十年以上も片思いをしているんだ。いまさら、この気持ちが偽りであるとは思わない」

「十年……」

「……引いたかい?」

「そんなわけないじゃないですか。むしろ尊敬していますよ」


 俺の言葉を聞いて、灯織会長は静かに微笑んだ。


「むしろ、今思えば、振ってくれて良かったのかも知れない」

「え……?応えてもらった方が嬉しくないですか?」

「今の私があるのは、和彦君が振ってくれたからだと思っている。あのときの私は彼の隣に立つには幼すぎた」


 つまり、明石さんの隣に立つ為に自分を磨いてきた結果、勉強と部活で好成績を納め、星ノ宮学院の頂に立つに相応しいビジュアルを獲得したわけだ。

 星ノ宮学院を背負うにしては、あまりにもささやかすぎる願い。

 ささやかな願いに対して、誰も想像が出来ないほどの努力を積み上げてきたはずだ。


 けど、恋を成就させるためには、必要なことだったのだろう。

 灯織会長に対する尊敬の念が、より一層強くなっていくのを感じる。


「さてと、君の時間を浪費するのは私の本望では無い」


 スっと俺の前に右手を差し出す。


「続き……お願いしてもいいかな」

「はい。失礼します」


 灯織会長の手に自分の手を重ねる。

 ノイズが走り、脳内に灯織冬華の未来の欠片が映し出される。



 ―――――



 デスクの上には、数学のワークとノートが開かれていた。

 トスットスットスッと、ノートをシャーペンでつつきながら、一つの問題に対して長考している。

 が、おもむろにペンを置いて手元にあった携帯を手に取る。ロックを解除し、LIMEのトーク画面を開くと、前日の夜に送ったメッセージが未読の状態で残っていた。

 ソッと携帯を閉じ、再びペンを持つ。


 ここで、プツリと映像が途切れた。



 ―――――



「おかえり。どうかな」


 会長の質問に答えず、じっくりと今見た映像を咀嚼する。


 今は五月で、もうそろそろ中間テストだ。灯織会長も勉強はするだろう。

 けど、見た映像は恋愛と全く関係ない。

 ただ……灯織会長は勉強に集中出来ていない?

 そういえば、未読のメッセージが気になっている素振りを見せていたな。


 でも、灯織会長なら難なくトップの成績に……いや、果たしてそうだろうか?

 今回見た映像は、もしかしたら、トップから転落する事が示唆されている?


 それだけなら、恋愛になんの影響も……いや、待て。灯織会長の立場を考えろ。恋愛成就を夢見て、今日まで努力を重ねてきたんだ。

 もし納得のいく結果じゃなかった場合、恋愛にうつつを抜かして努力を怠った自分を責める気がする。

 となると、前向きに恋愛に望めなくなって――――


「久遠君?」

「っ!!な、なんでしょう!」

「いや、ずいぶん難しい顔をしていたから。あまり、良い結果ではなかったかな」


 気づけば、灯織会長は、どこか不安げな表情をしていた。

 俺は一度深呼吸をして、灯織会長と向き直る。


「会長。普段、どれくらいの頻度でLIMEのやり取りをしていますか?」

「え?そうだな……。二日に一度くらいだが」

「なら、テストが終わるまで連絡……絶ってみましょう」

「……え?」


 表情に僅かな絶望の色が混ざる。

 好きな人と連絡が取れなくなる。それも、自分の意思じゃなく、他人の指示で。


「それは……絶対か?」

「強制はしませんし、出来ませんよ。会長の意思を尊重します」

「…………………………わかった。テストが終わるまで……だな」


 長い長い葛藤の末、俺の提案を受け入れてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る