第8話 人間関係ボタン④

 それから、数日後。

「お、おはようございます美音さまっ」

 わたしが教室に入ると、玲奈がすかさず、わたしに頭を下げる。

 ほかのクラスメイトも、あわてて立ち上がり、わたしに頭を下げてあいさつをした。

「おはようございます美音さま」「おはようございます美音さま」「おはようございます美音さま」「おはようございます美音さま」「おはようございます美音さま」

 そこには、わたしの悪口で笑っていた諒太くんもふくまれている。

 ああっ! 気持ちいい!

 人間関係ボタンで、わたしの人間関係は変わった。つまり、人生が変わった。

 だれもがわたしの顔色をうかがい、わたしの言葉におびえ、わたしにペコペコする。

 人間関係のどっちが上とか下とか、もう気にしなくていい。

 わたしが上。それ以外が下。なんて楽なんだろう! なんて最高なスクールライフなんだろう!

 しかも、それだけじゃない。

 放課後、わたしが校門に向かうと、彼が出迎えてくれる。

「美音、まってたよ」

 彼の名前はRYUSEI。いま人気急上昇中のアイドル。そして、わたしの恋人!

 ずっと推していたRYUSEI。でも、向こうはわたしのことなんて知らない。

 わたしとRYUSEIの関係は、この先も交わらない無関係のまま――そう思ってた。

 でも、わたしはダメ元で、人間関係ボタンを使ってみたんだ。

 テレビに映っているRYUSEIの顔を見つめて「RYUSEIは、わたしの恋人、わたしと恋愛関係」って言いながらボタンを押してみた。

 そしたら結果は、このとおり。

 ――人間関係ボタンの使い方だけど、使うときは必ず、相手の顔を見ながらボタンを押すこと。逆に言うと、顔を知らない相手には使えないんだ。

 メイはああ言っていたけど、なんと人間関係ボタンは、直接顔を見なくても発動した。

 映像とか画像越しでもオッケーだったのだ。

 まったく。メイったら。そうならそうとちゃんと言えっての。

「さあ美音、帰ろうか」

「うんっ」

 わたしとRYUSEIは腕を組んで下校する。

 ふふっ。ふふふふふっ。ニヤニヤが止まらない。

 RYUSEIくんと腕を組めているのも最高。でもそれ以上に、周りのうらやましそうな視線が最高すぎる。

 いいでしょ? うらやましいでしょ? でも、RYUSEIだけじゃないんだなぁ~。

 だって、わたしは人間関係ボタンを使って、超セレブの親友も手に入れたんだから!

 家に帰ったら、親友の金で遊び放題! 高級スイーツを食べながら、最新のゲーム機で、夜中までずっと遊ぶんだ!

 アイドルの恋人、セレブの親友、なんでも言うことを聞くクラスメイト。

 人間関係ボタン、なんて神アイテムなんだろう。

 わたしの人生、これで一生安泰じゃん!

 RYUSEIくんの腕にほおずりしながら、わたしはそう考えていた。




 でも、一週間後。

「ムカつく!」

 わたしは悪態をつきながら、教室に入った。

「あ、あのっ、おはようございます美音さま」

「うっさい!」

 話しかけようとしてきた玲奈をさえぎり、わたしは席につく。

 ムカつくムカつくムカつく!!!

 ムカつきの原因は、人間関係。

 今朝、学校へ行く前に、わたしはRYUSEIくんからスマホにメッセージをもらっていた。そこにはこう書かれていた。

 

 ――ごめん美音、俺たち別れよう。

 

 え? なんで? 最初はそう思った。でも、すぐに気づく。館長とメイは、人間関係ボタンの効果はずっとつづくなんて言っていないことに。

 そういえば、館長はこうも言っていた。


 ――ごきげんよう美音さん。アイテムを使ってみた感想を、いまから楽しみにしているわ。不確かで移ろいやすい人間関係を、ぜひともコントロールしてほしいわね。


 そうだ。人間関係って、変わっていくものなんだ。

 でも、それでも、ムカつく!

 それはつまり、人間関係ボタンで無理やりくっついただけで、わたしはRYUSEIくんと釣り合う女の子じゃなかったってことだから。

 たしかに、わたしとRYUSEIくんは話が合わなかったけど! 住んでる世界がちがうって、何度も思わされたけど!

 でも、でも! ムカつくムカつくムカつく!

 教室の机を、何度も何度も殴る。

 結局、その後、もう一度人間関係ボタンを使うことで、RYUSEIくんとは再び恋人関係にはなれた。

 でも、しばらく経ったら、またフラれるような気がする。そのときはまた、人間関係ボタンを使うの? 何度も何度もフラれなきゃいけないの?

 そんな無理やりな関係をずっとつづけるの?

 ……ん?

「あっ」

 ここまで考えて、わたしはようやく気づく。

 そうだ、人間関係ボタンは、博物館に返さなきゃいけないんだ!

 後ろを向けば、イラつくわたしを、クラスメイトたちが心配そうに見ている。

 どいつもこいつも、わたしの機嫌をうかがうしもべたち。

 でも、こいつらとの関係も、いつか変わるときが来るの?

 じゃあ、そのとき、わたしは無事なの? だって、わたしはこいつらに、散々ヒドい扱いをしてきたんだ。

 寒気がして、体がゾクッと震える。

 ダメだ、これを博物館に返すのは、ぜったいダメ!

 わたしは、ポケットの中の人間関係ボタンをぎゅっと握りしめた。

「……そうだ」

 そうだ、返したくないなら、返さなきゃいい。

 館長やメイとの関係性を変えて、返す約束なんて破ればいい。少なくとも、それで時間は稼げる。

「……なぁーんだ、楽勝じゃん」 

 まったく。館長のやつ、ミステリアスな雰囲気バンバン出してたくせに、肝心なところで抜けてる。

 人間関係ボタンなんていう神アイテム、あっさり返してもらえるわけないじゃん。自分たちにもアイテムを使われるっていう発想がないの?

「ふふっ」

 よゆうが生まれたわたしの顔に、自然に笑みがこぼれる。

 そのとき、だった。


「ちょっといい?」


 声のした方を見ると、知らない女子が教室にいた。……いや、知らない女子じゃない。

 わたし、こいつを知ってる。たしか……そう、立花たちばなめぐる。この学校の生徒会長。

「押井さんよね? ちょっといい?」

 立花の言い方に、カチンと来た。ちょっといいって、なにそれ? もっとちゃんとお願いしろよ。

 わたしを、だれだと思ってんの?

「押井さん、やっぱりそれ……!」

 ポケットから人間関係ボタンを取り出したわたしを見て、立花は顔をキュッとしかめた。

「わたし、見たのよ。その変なボタンで、みんなを操っているんでしょう? いますぐ止めなさい!」

「やめなさい? はぁ?」

 なに命令してんの? わたしに、おまえごときが。……ムカつく!

「みんな!」

 わたしの声に、玲奈たちクラスメイトが動く。

 立花は体を羽交い締めにされて、あっという間に捕まった。

「あんたも、わたしのしもべにしてあげる」

 そう言って、人間関係ボタンを押そうとしたわたしは、あることに気づく。

 立花は正義感が強くて、わたしとはぜんぜんちがう人間。

 だからRYUSEIくんと同じように、立花も後で、わたしとの関係を変えようするかも。

 つまり、わたしにふたたび刃向かうかも。

 どうする? わたし、立花と関係を築きたくない。

 ……。

 …………。

 ………………そうだ!

 わたしは思いつく。

 無関係だ! 立花と、無関係という関係を築こう!

 こいつと、関わらなければいいんだ!

「あんたは」

 わたしは言う。しっかりと、立花の顔を見ながら。

「わたし、押田美音と、一切関わらない。どうでもいい無関係になる」

 そう言って、わたしは、人間関係ボタンに指をかける。

 立花の、生意気な顔を見つめながら、その、生意気そうな瞳を見つめながら、こいつ目が大きくてムカつくと思いながら、わたしは、人間関係ボタンを――あっ!

 わたしは、

 ヤ、ヤバいっ! まって!

 人間関係ボタンを押しちゃダメだ!

 しかし、もう遅い。

 わたしの指は、人間関係ボタンをすでに押しはじめていたんだ。


 …………そして。


 わたしは、いちばんうしなってはいけない関係を、失うことになった。

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