第9話 大団円
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ロビーには中和作業中の吉屋を除く、山荘の全員が集まっている。
その前に威風堂々と中村が立っている。謎が解けたと言っていたが、本当なのだろうか。
その中村が慇懃に話し出す。
「皆さんお集まりくださり、ありがとうございます」
与那がうなずく。「中村さん、犯人がわかったのですか?」
「はい」そういいながらも中村は申し訳なさそうな顔をする。「実は横井氏が亡くなった時点で、もしやという考えがあったのです。ただ確証が持てなかった。それでここまで引き延ばしてしまいました。ですから梅沢氏の殺人は防げたのです」
「どういうことですか?」俺の質問に中村は答える。
「そうですね。まずは順番に話をさせてください」これにはうなずくしかない。「それではまずは最初の事件からです。与那さん、もし私の話に間違いがあれば指摘してください」
真剣な顔で与那がうなずく。しかしなぜ与那にそれを聞くのだろうか。
「まず百瀬氏の殺害です。あの夜、百瀬氏は与那さんに事前に教会に来るように連絡したのではないですか?」
与那の顔色が変わる。「ああ、はい、そうです。あの夜、百瀬から深夜3時に教会に来るように言われていました」
「それで百瀬氏から今回の祭典についての話を聞いたのですね」
「そうです」
与那はすでに顔面蒼白だ。いったい祭典の何を聞いたと言うのだろうか、疑問がわくが、ひとまずそのまま話を聞く。
「そして百瀬氏がこれから何をするのか聞いた」
与那が静かにうなずく。
中村が全員に向き直って言い放つ。
「百瀬氏の殺害は自殺です」
「自殺?そんな馬鹿な」俺の言葉を手で制して中村は続ける。
「百瀬氏はこの祭典の主旨と、これから自殺することを与那さんに話したはずです」与那はうなずく。「そして与那さんに依頼します。自殺で使ったサバイバルナイフを鳳さんの部屋に投げ入れることと、教会に鍵をかけることです」
「じゃあ、鍵は二つあったのですか?」俺は話が違うと憤る。
「いえ、ひとつです。話を進めますね」中村が睨むようにこっちを見るので、仕方なく沈黙する。
「まず、与那さんの目の前で百瀬氏が自殺します。背中と腹部を何回も刺したはずです」その光景を思い出したのか与那は呻く。「そして百瀬氏は瀕死の状態で、与那さんにナイフと1号室の鍵を渡します。それを受け取った与那さんは教会に鍵を掛けると、一目散に鳳さんの部屋にナイフを投げ込みます。鳳さんが睡眠薬で熟睡しているということはわかっていました。気を使う必要はありません。その段階になって、タイミングを見計らっていた百瀬氏が初めて叫び声をあげたのです。助けてくれ、殺されると」
なんと流血の痛みに耐えたのちに叫び出したというのか。でもおかしな点がある。「でもなぜそんなことをしたんですか?単純に考えて誰かに殺されたふりをするなら、教会に鍵を掛けないほうがいいですよね」この質問に中村は答える。
「それこそが百瀬氏が企んだことです。シェパードなる殺人鬼は存在し、密室状態を作ることでさらに謎を深める。ミステリー好きの百瀬氏ならではの策ともいえるでしょう。さらに鍵が掛かっていない場合、ナイフが部屋にある鳳さんが疑われることになります。それを避ける目的もあったと思います。どうですか、与那さんここまでは間違ってないですか?」
「はい、そのとおりです」
与那は神妙にうなずく。確認を取った中村が続ける。
「そして皆が教会に駆け付ける。鍵がかかっているため、扉を壊すことになります。そして中に入った。その時のことを思い出してください。最初に与那さんが百瀬氏の所に駆け寄りました。我々は状況の不可思議さに、まずは周囲の確認を優先していました。ミステリーによくある展開だったからです。犯人がいないかとか抜け穴が無いかなどです。薄暗い中でもあり、教会に入ったのが初めてだということもありました。与那さんは介抱する振りをして、その隙に素早く百瀬氏の服に鍵を戻します」
そういうことなのか、言われると確かにその点を見過ごしていたかもしれない。
「これが密室のトリックになります」
しばし呆然と話を聞いていたが、確かにそれしかない気がする。そういうことなのか、いや、しかしあの数字は何なのだろうか。
「中村さんじゃあ、祭壇にあった数字は何なんですか?」
中村はまたこいつかと言う顔をする。俺が何か言うたびに、何かどんどんいら立っている様子だ。
「そうですね。ミステリーで言うと、それはホワイダニットにあたります。ですから順番に説明します。まずはフーダニットからです。誰が犯人か、からになります」中村は過去の名探偵に倣ったかのように少し歩きながら一同を見渡す。いやいや急にそんな恰好して、あんたポアロじゃないよ。その行動はどういう意図なんだ。
「最初の犯人は百瀬氏でした。そして続く連続殺人は誰なのか」
ここで芝居がかった中村は一同を見回す。完全に自分に酔っている。ためにためて言う。
「この連続殺人の犯人は百瀬氏です」
思わずえっという声が出てしまう。それは俺だけじゃなく。与那をのぞく全員から出た。
「いや、百瀬氏は亡くなってますよ。どうやったらそんなことが出来るんですか?」
「昴、君もしつこいな。これから順番に話すと言ってるだろ、これからハウダニットだよ」はあ、思わず押し黙るしかない。中村はどうやっても彼女のシナリオ通りに、名探偵ポーズを取りたいのだ。
するとついに眉間に指を当てだす。なんじゃそれは。
「これは祭典開始前からすべて仕組まれていたことなのです。数字も部屋の絵画も殺害方法もね」再び名探偵を模した中村がゆっくりと歩きだす。
「この連続殺人事件は最初からすべてシナリオが出来上がっていました。この祭典の主旨は最初に説明があったように選択と対応です。そういった目論見ですべてが進行していたのです。招待客についてもそうです。ああ、これは最後に話すぞ」何か言いたそうな俺を見て指で制する。どうやってもシナリオ通りに謎解きをしたい意地のようなものを感じる。
「まず最初に、シェパードなる祭典参加者が脅迫状を送り付けます。これが最初の選択になります。この手紙に恐れをなした人間は不参加になります。今となってはそれが賢明な判断とも言えますね。付け加える必要も無いと思いますが、手紙を出したのは百瀬氏です」
昴は賢明な判断をしたということか、こっちは殺されそうになってるのに、あいつが脅迫状のことを俺に知らせなかったのは、そういう意味もあったのか。生き残れば御の字というやつだ。ひどいやつだ。
「次に梅雨時を選んだのには理由があります。実はあの崖崩れは仕組まれたものなのです」
何だってどういうことだ。聞きたそうな顔をした俺を睨むように目で制して中村が続ける。
「あの崖崩れは爆発物、おそらく発破によるものです。百瀬氏があらかじめ爆薬を仕掛け、時限的に爆発させ崖崩れを起こしたのです。さらに同時に電話線の切断も行っています」
なんとあの崖崩れは仕組まれたものだったのか。
「うちは後で現地に行って確認しました。残留物から爆発物によるものだということはわかっていました」あの時すでに気付いていたというのか、いやいや聞いてないよ。わかってたら教えてくれればいいのに。確かにがけ崩れの現場でやたらウロチョロしていたのは気が付いていたけど。ところでいったい中村って何者なんだ。
「よって今回の事件は作られたクローズドサークルになります。ミステリー好きの百瀬氏のシナリオによるものです。そしてこれから起きる連続殺人を無事に遂行させるためのものなのです」
百瀬氏は最初から恐ろしい策略をしていたということか。
「次は松井氏の殺害です。夕食に仕込まれた毒による殺人です。これは予め牛脂に青酸カリを仕込むことで殺害を企てています。ここで重要なのは席順の3という数字と牛脂です。ああ、これも後から説明します」そう言って何か言いだしそうな俺の顔を見る。わかってますよ、黙ってますって。
「ここで殺す相手は誰でもいいのです。祭典参加者であれば誰でも。そうなんです。これから連続する殺人は人を選んでいるわけではない。祭典参加者であればそれだけでいいのです。必要なのは数字と殺害方法です。選択と対応とはこういうことです」
まじか、俺は青くなる。運が悪ければ昴に間違われてそのまま死ぬところだった。
「さらに続いて起きる横井氏の殺害です。これは2号室でしか起こりえない殺人です。では論より証拠、現場に行きましょう」
全員が中村の後に続いて2階まで上がっていく。なぜ2号室なのか疑問が満載だ。ただ何か言うと怒られるので黙ってついていく。
2号室に全員が集まったのを見計らって、再び名探偵よろしく中村がポーズをとる。のっしのっしと狭い部屋を行き来する。どうしてもその恰好はしたいのか。
「まず、この部屋です。最初から何か違和感がありました。それは小麦粉が巻かれているとか、死体があったとか、そういったこと以上のものを感じたのです」
部屋の中には依然として、人型の小麦粉の跡が残っている。
「それが何かということですが」そう言いながら中村はポケットからゴルフボールを出す。はあ、そんなものどこから持ってきたんだ。
「実は私の住んでいるアパートでも同じことが起きました」
そう言うとそのボールを床に落とす。するとボールは真下に落ちた後、徐々に転がりだす。
「床が平らであればこういったことは起きません」そしてボールはベッドの下に転がっていく。思わずボールの行先を追ってベッドの下を見ると、部屋の隅まで転がって止まってしまった。
「この部屋の床は微妙に斜めになっているのです。そしてボールなどは最終的にはこの隅まで転がっていきます」
中村のボロアパートが傾いていることと、この部屋が同じであるということはわかるのだが、殺人とどうつながるのかがわからない。
「出洞さんこの部屋の天井裏を見ることはできますか?」
呆然と見ていた出洞が目覚めたように答える。
「はい、廊下側から天井裏に行けるようになっています」
「じゃあ、行きましょう」
全員が廊下に出る。確かに廊下の天井中心に50㎝四方の引き戸がある。出洞が脚立を持ってそこまで登り、引き戸を開ける。
「ここが天井裏になります。3階との隙間になるので狭い空間ですよ」
「見せてください」中村はそう言って出洞と入れ替わり、天井裏をのぞく。そしてなんとそこから中に入って行くではないか。
出洞が驚く。「え、入るんですか?」
中の方から大丈夫ですと声が聞こえる。まったくおかしな人だ。そしてしばらくして中村が戻ってくる。
蜘蛛の巣と埃まみれになった中村が脚立から降りてくる。
「思った通りでした。天井裏に仕掛けがありました」
「仕掛けですか?」俺が聞く。
「見てみるかい?」
俺はうなずいて天井裏に入っていく。
3階との隙間は50㎝ぐらいだろうか、垂直方向に住宅用の太い大黒柱が数本あり、さらに水平方向に大黒柱を渡すように柱が通っている。その上に天井板が取り付けられている。
そして問題の2号室の天井裏にだけ、機械のような固まりが見える。さらにそこからケーブルが走っている。
「あれは何ですか?」脚立を降りながら質問する。
「天井から球を落とすためのものだよ。そしてその球は鋼球だと思う」
「じゃあ、鉄の球を下に落としたって言うんですか?」
「そういうこと」
「でもどこに落ちるかわからないでしょ」
ここで中村は不敵に笑い、俺を指さす。「そこが味噌だよ」
中村は2号室に戻ると、壁に掛けられた例の絵画を外す。
「この行為は祭典参加者の全員がやったと思います」
確かにダイイングメセージに『え』とあったり、やたら印象深い絵画だった。俺も絵画の裏側を確認しようとして、絵を外した覚えがある。特にあの夜は松井氏が絵画についての謎がわかったような話をしていた。俺の場合はそれが呼び水にもなった。
「昴も、いやおそらく祭典参加者すべてが同じように絵を外したと思う。この絵画の取り付け方から、簡単に外れる仕組みになっているしね。やり方は両側のヒンジから外す。そして絵の裏側を見る。数字があるからね。そして問題は再び付ける時だよ」
そういって絵画を取り付けていく。片方のヒンジを付けた後に、もう一方を引っかけるようにする。
「この鋼球落下装置は、通常は通電しているが、絵画が外れた段階でオフになり、再び掛けられた時にオンになる。そしてその時に鋼球落下装置が起動する」
中村が絵画を掛けた状態でみんなを見る。
「そしてこのように取り付ける行為を行うと、だれもが同じ位置に来ることになる。頭の位置は一定だ」
なるほど確かにそうなるのがわかる。絵画を下から持ってヒンジに掛けるとして、ヒンジに掛かった瞬間に電源が入るように細工されていれば、頭部が来る位置に鋼球が落ちるようにすればいいだけだ。そうであろう天井を見る。確かにこの板の裏辺りに機械があったのだ。でも電源がオンになる仕組みがよくわからない。
そっと手を上げる。中村が睨むようにして「何か?」と言う。
「最初に電気が入っているなら、その時にオンになってるんじゃないんですか?」
「いや、だからオンからオフになった段階で待機状態になるんだよ。再び通電すると動き出すようにプログラムされているんだ」
俺はよくわからないので呆けている。
「出洞さんは意味が分かるよね」中村が出洞に同意を求める。
「はい、よくあるシーケンスです。簡単な機構ですよ。もちろん百瀬なら作れるでしょう」
俺は理系じゃないんだけどな。意味はわからないが、仕方なく納得する。中村は引き続き話を続ける。
「この天井板はシーソーの要領で、真ん中を中心として回転するようになっています。鋼球は回転と同時に下に向かって自重落下します。鋼球と同時に小麦粉も落下してくる。小麦粉は落下の衝撃で袋が破れて死体は粉まみれになります」
なぜ、小麦粉なのかと言う顔をしたところ、再び中村に睨まれる。やはりこの人は俺の考えていることがわかるようだ。中村は絵画の掛かっている壁を指さし、「この壁の裏側を見ればケーブルが走っているはずです。そして落ちた鋼球は先程のゴルフボールと同様に部屋の隅まで転がる。その床には仕掛けがあって鋼球が隠れるようになっているはずです」
俺は中村に怒られないように手を上げる。
「何だ。昴」
「中村さんは事件の時に念入りに調べてましたよね。その時にその仕掛けに気付かなかったんですか?」
中村は申し訳なさそうな顔をする。「申し訳ない。確かにそれは私の落ち度だ。天井板は部屋側から押しても動かないように作られていたんだ。床の隅も触ってみたが、びくともしなかった。それで仕掛けがあるようには思えなかった。部屋全体に傾きがあるような気はしたのだが、そこまでの装置が作れるとも思わなかった。でも今回のスプリンクラーでそれが確信になったというわけだ。百瀬氏ならではの高度なギミックを仕掛けてあるとね」
出洞は確認の意味もあるのか絵画を除けて、その裏の壁板を強引に剥がす。板が外れるとヒンジの裏には配線があり、それが天井裏まで続いているのがわかる。
「中村さんの言う通りです」
さらに江刺宗と出洞がベッドを動かす。二人だと重そうだったので俺と中村も手伝う。
出洞が部屋の隅の板を強引に剥がすと、板には回転する機構が付いており、その床下には血まみれの鋼球が転がっていた。それはまさに板の幅と同サイズだった。この大きさの鋼球が頭に落ちたら、ひとたまりもない。
「これは百瀬氏が元々こういった機器の設計を仕事にしていたからできた話になります。素人にはとても無理です」
「じゃあ、5号室にも同じように仕掛けがあったんですね」
「そう、さっきの天井裏から見えただろ、昴は見なかったのか?」
そうなのか、気が付かなかった。
「4号室から5号室までの配線が天井裏に続いていた。装置にタンクが設置されていたよ。4号室の電気を点けると、5号室のスプリンクラーが起動する仕組みだ。高純度の青酸カリ溶液を浴びせられては悲鳴も上げられなかっただろう。梅沢氏は即死した」
何と無残な殺され方だろうか、そしてそのスイッチを押したのは他ならぬ俺なのだ。
中村が全員を見回して言う。「じゃあ、ロビーに戻りましょうか。次はホワイダニットを説明します」
2
全員がロビーに戻ったことを確認すると、再び中村は名探偵のポーズをとる。はたしていちいちこれがいるのだろうか。
「では、いよいよホワイダニットです」歌舞伎役者が見えを切るかのように全員を見渡す。「まず山荘にいる従業員の皆様は我々に話しをしていないことがあるはずです。それはおそらく百瀬氏から口止めされていたのでしょう。違いますか与那さん?」
与那が観念したかのようにうなずく。「はい、そのとおりです」
「百瀬さんはクリスチャンですね。それも敬虔(けいけん)な」
「そうなんですか?」思わず叫んでしまった。そんなこと聞いてないよ。与那がうなずいている。
「うちは最初に教会に入った時に気が付きました。これは本当の教会として使用されていたのに違いないと。結婚式などで使われているようなものではなく、本来の教会としてです」
「はい、そうです。百瀬は敬虔なクリスチャンです。こちらのホテルを選定したのも教会があったからです。そしてさらに正式な教会として作り直しました」
「百瀬さんは昔からクリスチャンだったのですか?」
「表向きには宗教の話はしておりません。事業上あまりオープンにするようなことでもないとの配慮もありました。ただ、古くからのクリスチャンです」
「それがわかれば見えてきます。百瀬氏は今の世の中を憂いていました。彼のインタビューや書物などからもこの世界のありようを是正したいとの考えが見えていました」そして中村は眉間に指を当てる。テレビでみた名探偵のポーズなのだろう。実に鼻に付くポーズだ。「そうして考え抜いた結果が今回の祭典になります。恐らくこれは相当な時間を掛けて練られたように思います」
与那はうなずいたように見えた。
「これは山荘を立てる前に計画されたことですよね」
「そのようです。ただ、我々にはそういった話は一切ありませんでした。百瀬が一人で建築事務所と打ち合わせをして詳細を煮詰めていました。ですから先ほどの仕掛けなどについても我々は聞いておりません。恐らく建築事務所も目的についてはわかっていなかったはずです。そして仕掛けや計画の内容はすべて百瀬が考えて実行したものです。百瀬にはそういったシステムの設計から施工までも一人で出来る能力があります。それと私が聞いたのは、まさに百瀬がこの計画を決行しようとしたあの夜が初めてでした」
「なるほど、そうですか」
「それと付け加えると、その時点でも何が起きるかは知らされていませんでした。ただ、シナリオ通りに進むだけだということでした」
「確か祭典自体のスケジュールはあったのですね」
「ええ、殺人計画は伏せてありました。祭典参加者にくじ引きで部屋を決めさせることや、食事の内容などのスケジュール表がありました。私もこのような結果になるとは思っていませんでした。ただ」
中村が話を続けようとする与那を手で制する。
「この儀式は旧約聖書のいけにえを曲解したものです」なんだか、とんでもないことを言いだしたぞ。なんだ、旧約聖書って。
「その話は聞いていましたよね」
「はい、これから行うことは『レビ記のいけにえ』を実現させるためだと聞かされました」
「はい、では皆さんの疑問を解決させましょう。唐突に話が出てきたレビ記について説明します」中村は本を出してくる。ひょっとすると聖書か。
「これは聖書です。レビ記は旧約聖書の一つでモーセが語った内容を弟子がまとめたものです。そしてその中に『いけにえ』という表現が出てきます。ここでいういけにえとは神への捧げもののことです。百瀬氏はそれを行うことで世の不正を是正したいと考えたようです」
まじですか、聖書にそんなものがあるのか、そしてそれを実行したというのか、なんとも信じられない気がする。
「うちはまずはこちらに来た時に山荘の名前を聞いて、麗美と言う名前が不思議でした。今まで聞いたことがない言葉です。それで考えるに、これはつまり暗に『レビ』を明示しているということだと気付きました。それを証明するのが山荘の各部屋の絵になります。これらの絵はレビ記の各章に基づいています。レビ記の1章の内容を描いているのが1号室の絵になっているのです」
なるほどこれでわかった。つまり絵画の中で説教している髭面の爺さんはモーセなのか。それにしても中村はそれに最初から気付いていたとは、にわかには信じられない。
「レビ記の中に『いけにえ』は5つ出てきます。そして今回の殺人の番号といけにえの番号が一致しているのです」
これでダイイングメッセージにもあった数字の謎がわかった。レビ記のいけにえ番号に見立てた殺人ということか。中村は聖書を見ながら話す。
「1番目は『オーラー全焼のささげ物』です。付け加えるとこの1番の殺人はまだ起きておりません。そして2番目が『ミンハー穀物のささげ物』です。ここでいう穀物とは小麦粉を言います。2号室で殺された横井さんの死体に小麦粉がかかっていたのはこれを意味しています」
「中村さん1番目はどこに行ったのですか?」俺はたまらず質問する。
とたんに中村はイラついた顔になる。「だから1番目は未実施だと言っているだろ。全焼とはその名の通り焼くことですから、今後どこで発生するかはわかっていません。では話を続けます。3番目は『ゼバハ・シュラーミーム交わりのいけにえ』です。ここでいう生贄とは本来は牛の脂肪をささげることになっているのです。3番の席に座った松井氏が毒殺されたメニューが、牛脂だったのはそれを模しているのです」
変わった料理だと思ったがそういうことだったのか。つまり今回の連続殺人は聖書の見立て殺人ということになる。
「ただ牛脂の料理は、元々屋別氏のレストランでも出されていたとのことで、百瀬氏はそれを利用して毒殺を考えたものと思います。そして4番目が『ハッタート罪のきよめのささげ物』です。これはキリストが十字架に磔されたことを意味します。百瀬氏が祭壇で死んだことでそれを表現したようです。ダイイングメッセージの4はこれを表わしていたのです。
聖書には罪のためのいけにえの血だけが祭壇の土台に注がれるとあります。それは罪の赦しが血によることから、流血量が多い方がいいとされているのです」
4の意味がわかった。あれはこの殺人がレビ記の4番目であることを明示いていたのだ。百瀬氏は祭壇で大量出血して自殺することに躊躇(ちゅうちょ)はなかった。自らが捧げものとなったのか。
「そして5番目が『アーシャーム代償のささげ物』です。これはあやまって罪を犯したことを意味します。今回は4号室のスイッチを昴さんが押すという行為がそれを意味します。スイッチに5という数字がありました。その意味を知らずに誤って罪を犯したということになります」
なんか俺に責任があるみたいで申し訳ない気分になる。中村が与那に聞く。
「与那さん、確認ですが、4号室のスイッチを押す行為は偶然行われたんですよね」
「はい、そうです。それと百瀬からは最初の部屋割り抽選時には4号室は外すようと言われていました」
中村はうなずく。そうなのか、じゃあどうやって俺に押させるように仕向けたのだろうか。もし俺が4号室の確認を言いださなかったら、どうなったのだろうか。
「あの時、俺が4号室を確認したいと言わなければ、どうなったんですか?」
「もし要望が無かった場合は、山荘側から4号室の中を確認させるように提案しろという指示がありました。ですからいずれにしろ誰かがあのスイッチを押すことになったと思います」
「昴、ダイイングメッセージも引っ掛けだったな。4と絵がそれを明示していると思うだろ。ミスリーディングの効果もあった。君もそう考えたんじゃないか?」
確かにそうなのだ。4号室に何かあると思ってしまった。少し狂喜した自分が恥ずかしい。百瀬氏に操られていたのだ。
「もし5号室に梅沢さんがいなかったら、防げた殺人だったのですか?」
「そうかもしれません」与那が答える。
何かとても後味の悪い結果になっている。俺が殺人の引き金を引いたことになる。中村が話す。
「梅沢氏が部屋にいたため、残念な結果を招いたが、毒薬を浴びなくても、散布した部屋に入ったとしたら同じ結果になったかもしれない。高濃度の青酸カリだからね。それに誰かがスイッチを押すことは仕組まれていたことだ。君の行為は故意ではない。仕方が無いことだよ」
中村は話を続ける。
「次に生贄についても百瀬氏は考慮していたと思われます」
鳳ヘブンが厳しい目を中村に向ける。
「生贄は神への捧げものとして、適正でなければならないと考えていたはずです。つまりは人間として上質であり、生贄にふさわしい者を選別したのです」
これはヘブンの話だと祭典参加者には裏の顔があるという。それと関連があるのかもしれない。
「日本を変える50人の企画を百瀬氏は表向きには指示、支援しました。しかし裏では生贄として誰がふさわしいのかを考えていたと思います。上質と言う意味では50人に選ばれるのだから、これ以上ない人間ではあります。さらには祭典参加者の選定試験をネットを通じて行っています。参加者にふさわしいか否かの性格テストです。ここではその欲望の深さを測ったように思います。応募するのですからそれなりに欲がある人間です。それと並行して調査会社を通じて調査を行っていました。この祭典に参加するにふさわしい人物であるということの最終判断のためです。言い換えれば裏の顔を持つ、いけにえにふさわしいか否かです。そしてその選別理由が聖書にあります」
ヘブンの顔がさらに曇る。
「モーセの十戒です。モーセが神から言われた守るべき10個の教えがそれになります。それを破る人物を選定したのです。
まずは百瀬氏です。『汝殺すなかれ』を破っています。今回の首謀者ですからね。連続殺人犯です。次に松井氏は『盗みと姦淫するなかれ』だと思います。まあ大儀としてはキャラクター事業を『偶像崇拝』ととらえているかもしれません。横井氏については『姦淫の罪』で、梅沢氏は『偽証』かもしれません。詳しい内容についてはあえて言いませんが、うちを含めなんらかの罪を犯していると判定しているようです」
昴で言うと盗作について言っているのか。はたして中村は何を犯しているのだろうか。差しさわりのない質問をしてみる。
「百瀬氏はそういった事実を掴んだということですか?」
その質問には与那が答える。「はい、調査会社を通じて身辺調査を行いました。ただその結果については百瀬しか知りません」
百瀬氏の調査は彼が行うだけあって、しっかりとした調査会社だったのだろう、公には明らかでない昴の罪やヘブンの不眠症までも調べ上げたということか。
「これが事件のハウダニットです」
ヘブンがここまでの話を聞いて憤っている。
「そんな狂った理由でみんなが殺されたって言うの!」
「そうです」
「ふざけないでよ。そんなことで殺されていいわけないでしょ」
「確かにその通りだと思います。百瀬氏の考え方はまともではありません。神も容認しないと信じます。元々聖書で言ういけにえは動物を使った捧げものと言う意味です。人間を使うなどといったものではないのです」
ヘブンは唇をかみしめる。たしかにまともな理由ではない。元来、殺人を行うという行為じたいが認められないものなのだ。
与那が話す。「中村様、お見事です。すべての謎を解き明かされました」
なんとついに遺産は中村の総取りか。
「うちはもうこれ以上の殺人を見たくないので、あえてこの段階で話をしました。あと一つ残っているのは全焼のささげもの、番号で言うと1番になります。与那さんこれについては何か思い当たることはありませんか?」
与那は少し考えて、「いえ、これ以上は何も聞いておりません」いつもの慇懃な答え方をする。
「そうですか、まあ、ここにいる皆さんは1と言う数字に気を付けた方が良いということです。残っているのはうちと昴、鳳さんだけですから」
なるほど、1という数字を見つけたら、何か操作せずに逃げた方が良いということだ。
3
そして中村の大団円が終了したのと時を同じくして、何やら山荘周辺が騒がしくなる。
江刺宗が外を見て言う。「ああ、警察が到着したみたいです」
外を見ると赤色灯を点けたパトカーなどの車輛が数台到着したようだ。
「がけ崩れが修復されたのか」
与那が江刺宗に言う。「警察の方をご案内してください。私は3階の書類を取ってきます」
書類とは何なのだろうか。与那はそういうと何故かエレベータに向かっていく。もしかするとエレベータの修理は終わったのか。
動くようになったエレベータが到着し、ドアが開く。しかし、与那からは修理完了の案内はなかったな。
そこで唐突に中村が気付く。「だめ」と叫びながら、エレベータに向かっていく。いったいどうしたというのだろうか。
エレベータの中に入った与那はこちらに向かって笑みを浮かべながら、庫内でボタンを押す。ここで気が付く。ああ、なんということだ。彼女が押すのは1階のボタンだ。
数字の1。
すると噴射音とともに、なにか液体のようなものがエレベータ内に充満したかと思うと、与那の全身が一気に燃え上がる。それは焚火だとかそういった炎ではない。爆発に近い青白い炎だ。それが花火のように燃え盛る。
まさに全焼のいけにえである。
与那は叫び声も出さずに自らの使命を果たすがごとく、笑顔のまま炎に包まれる。
間に合わなかった中村はエレベータの前で膝まずく。俺たちは何もできずにただその光景を見ることしかできない。
与那は百瀬の思い、5つの生贄を完成させたかったのだ。この世界が本当に救われると信じて。これで百瀬氏のたくらみは完遂されたこととなる。
エレベータ内の炎が尽きる。そこには与那だった生贄が残されていた。
4
警察関係者が大挙、山荘内に入ってくる。
総勢20名近くはいるのではないだろうか、それだけの事件だということだ。
先頭に入って来た赤ら顔をした小太りの刑事が、エレベータに残された遺体を見て愕然とする。
「一体、何が起こったんですか?」
恐らく彼が捜査の陣頭指揮をとるのだろう、事態の異常さに驚きながら、いまや山荘を代表している吉屋につめよる。
吉屋が静かに語る。「順番に話をさせてください」
そこから警察による現場の確認と関係者に対する聞き込みが始まる。
事実確認と現場検証は深夜まで続けられたが、警察はあまりの事態に為す術もなく、なかば呆然としていた。はたしてこのような事件が本当に起こったのか、その事実に驚愕しかないようだ。しかし、捜査を続けるも中村が語った内容が真実のようで、それ以上の新たな発見が出てくるようなことは無かった。
とにかくあの中村が名探偵のポーズだけではなく、本物の名探偵だったということだ。幼稚園児のような自然児が実は名探偵だった。
中村の謎解き以降は警察の事情聴取が続いて、彼女と会って話が出来なかった。いったいどうやってあの結論に到達したのか聞いてみたくて仕方がなかった。
そして一夜明けた翌朝。再びとんでもないことが起きる。
なんと山荘の従業員すべて消えていたのだ。
それどころか、百瀬氏と与那の死体も消えてしまっていた。祭典参加者の遺体については地下室にそのまま残されていたが、山荘側の人間については霧のように無くなっていたのだ。
警察はその事実を素直に認めようとはせず、大騒ぎで周囲を捜索する。まさに威信をかけて捜索をおこなったのだが、いくら探しても発見には至らず、残念ながらその行方は露ほども分からずじまいであった。
従業員の誰か、もしくは外部の何者かが共謀して証拠の隠滅を図ったのかもしれなかったのだが、いったい誰がどんな方法を使ったのだろうか。警察関係者が注意深く確保していたはずでもあり、それこそ煙のように無くなっていたことが信じられない。
残った人間に対し、さらなる取り調べが続いたが、謎がわかるはずもなく。ようやく解放されたのは夜になってからであった。
シェフも居なくなったので、食事も取れずにロビーで呆然としていたら、中村がやって来た。彼女も空腹なのか同じように情けない顔をしている。
「よう、昴」そういってにやりと笑う。「ああ、違ったな。長谷川真治君」
ぎょっとする。この人はそのことも知っていたというのか。「ご存じでしたか?」
「もちろんだとも、最初から分かってたんだ」
そう言って笑う。最初からだって?素直に驚く。「そうなんですか?」
「うん」
「どうして?」
ふたたび中村の眉間にしわが寄る。「君はとにかく性急に結論を急ぎ過ぎる傾向があるな。いいか物事には順序がある」
いやいやあなたこそ、自分の筋書き通りに進めたいだけじゃないですかと思うが言わない。
「それにしても与那さんは残念だったな」
「はい、彼女はエレバータの罠に気づいていたのですね」
「どうかな。おそらくだが、最後にエレバータの修理が完了したとだけ話すように言われていたと思う。それで参加者の誰かが1階に降りようとして生贄になるという筋書きだったはずだ。だから彼女はその仕組み自体は知らなかった。うちの謎解きでそれに気づいたんだろう。そして生贄儀式を完了させた」
「じゃあ、中村さんが謎解きをしなければ、俺がそうなったかもしれないんですね」
「そうだな。君は階段も登るのもしんどそうだったからな」
思わずぞっとする。間違いなく俺がそうなっていた。
「あの炎は何ですか?」
「カリウムかな。水と結合するとあんなふうに燃焼する。紫色の炎だよ」
「そういう仕掛けがあったんですね」
俺はあの光景を思い出して切なくなる。
中村が思い出したように話を始める。
「そうだ。昴じゃない真治。今回の事件は百瀬氏がミステリー好きだったのもあるけど、古くからある探偵小説のすべての要素が網羅されていたことに気付いたか?」
「すべてですか?」はて何だろうかと考える。
「まずは脅迫状だ。古典的な探偵小説だとまず最初に出てくる。どこそこに来るな。来れば祟りが起きるとかな」
「ああ、なるほど確かにそうですね」
「それとクローズドサークルだな。陸の孤島で起きる連続殺人事件。舞台が整う。そしていよいよ密室殺人だ」
「はい」なるほど定番のトリックについての言及か。
「密室自体も機械的なものと心理的なものの二種類があった」なるほど、そう言えばそうだ。「さらに見立て殺人だ。旧約聖書を用いた殺人だったな」
「そうですね。ダイイイングメッセージもあるし、確かにそうです」
「後は連続殺人が不連続な点も一種のパターンだな。特定の人間への殺害を意図しない殺人だよ」なるほど、そう来るか。
「あと、ミステリーの要素としては何が残っているかわかるか?」
あとは何だろう。少し考えて、ああ、なるほどと思う。
「入れ替わりですね」
「そうだ。最近のミステリーには必ずと言っていいほどこれがでてくるな」
そのとおりでテレビドラマでも、この人が実はあの人だったとかいう、後付けの話が乱発している。これは読者には明かさないので卑怯な方法とも言えるが、最近はそれが読めてしまうことも多い。パターン化しているのだ。少々食傷気味でもある。
「まあ、昴と長谷川真治がそれにあたると言えばそうだが、実はそれだけではないのだよ」再び名探偵ポーズをとる。
「え、何ですか?」
「真治は遺産をうちがもらったと思ってるだろ」
「はい」
「ところが、うちにはその権利がないんだ」
「え、どういうことですか?」
「うちは中村知里じゃないんだ」
ドラマだとえーと言う声が聞こえそうな展開ではあるが、俺に言葉は無い。それぐらい呆気にとられる。
「うちの素性を明かす。警視庁公安総務課、勧修寺慶(かんじょうじちか)が本名だ」
公安総務課って何だ。それにかんじょうじってあんたは時代劇か。
「実は公安のほうで、百瀬氏周辺の不審な動きに懸念を抱いていた。そこへ来て今回の祭典開催だ。何かが起こりそうだということで、中村知里に成り代わって、うちが潜入捜査をしていた」
潜入捜査って何のこと?「公安って警察ですよね」
「もちろん警視庁公安部だよ。総務課はカルト教団などの宗教団体の動きを監視している部署になる」
「カルトですか?」
「百瀬氏ほどの人間が何かを企むと、そういうカテゴリーになる」
確かに宗教関係とも言えなくもないのか。
「警察って潜入捜査は出来ないんじゃないですか?」
「ほお、よく知ってるな。ただし公安はそうじゃないんだ」
「公安は潜入捜査が出来るんですか?」
「そういうことだ」
「じゃあ本物の中村さんはどうなったんですか?」
「招待状が来た後すぐに、彼女は不慮の事故により亡くなっていた。それを利用してうちが成り済ました。幸い中村さんは表に顔が出ていない人間だったからね。それでもそれなりに近い雰囲気のうちが選抜されたんだ」
本物の中村知里がどのような人物だったのか、ものすごく興味がわく。はたしてここにいるような人間だったのだろうか。
「確認なんですが、本物の中村知里さんがそういった話し方をするんですか?」
「そのとおりだ。人となりも含めて真似をしている。彼女は関西地方の出身だと聞いている」
増々、気になる。こんな人間が実在していたというのか、自分のことをうちと言って、天真爛漫に幼稚園児のような行動を取る人間が。これ以上聞いてもはぐらかされそうなのでやめる。
「ということは公安のほうでも参加者の素性を調べたんですね」
「そういうことだ。昴皇子ってとんでもないやつだな。ああ、そうそう本物の昴が祭典不参加だった本当の理由を知ってるか?」
「理由ですか?いえ知りません」
「盗作疑惑が表に出たんだよ。週刊誌がその情報を掴んだみたいでね。奴はその火消しに大忙しだった。今頃は記者会見でもしてるんじゃないか」
「そうなんですか」
「ああ」
「中村、いえ、かんざんじさんは山荘で、どうやって情報を入手してたんですか?」
「舘山寺?勧修寺ね。衛星電話だよ。本部と連絡する必要があるからね。まあ、山荘に通信設備が無いという時点で十分怪しかったからね。電話は必需品だよ」
なるほど、公安だとそういった電話もあるのか。
「ところで勧修寺さんが俺と組もうと言った理由は何ですか?昴皇子じゃないのがわかっていたのなら、意味がない気がします」
「君は無実だろ。モーセの十戒に該当するような犯罪も犯していない。今回の参加者では君だけがシロだ。殺人事件に巻き込まれるのは惨(むご)いだろ」
「じゃあ俺の保護目的ですか」
「まあね。それとミステリーにはワトソン役が必要だろ」
勧修寺は癖のあるウインクをする。まあ、ワトソン役と言われても返す言葉はない。
「ところで山荘の連中はどこに消えたんですかね。ここだと逃げてもすぐに捕まるんじゃないですか?」
「そうかな」勧修寺は謎めく。
「何かあるんですか?」
「うーん、君はミステリー作家としては色々と致命的だな。気付かなかったのか。山荘の名前もそうだけど、従業員もみんな旧約聖書だっただろ」
何を言っているのか、よくわからない。なんだ旧約聖書って。
「どういうことですか?」
「脅迫状を見てみろ」
そういうと脅迫状を俺に渡す。
麗美山荘に行くな。行けばいけにえの血をもって罪を償うことになる 差出人:祭典参加のシェパード
「これがなんですか?」
「最初から暗示してあるだろ、これは罪のためのいけにえの一文だよ。そしてシェパードとは何だ?」
「犬ですか」
「はあ、学がなさすぎるな。もっと勉強しろ。シェパードとは羊飼いのことだよ。これでわかるか?」
「いえ、まったく」
勧修寺はものすごいあきれ顔をする。そこまでの顔をしなくてもいいだろ。
「モーセの職業は羊飼いだったんだよ。つまり旧約聖書の人物だ。モーセという名前に聞き覚えはないか?」
モーセ、なんだろ俺は何回か繰り返してみる。そうしてはっとする。
「駄洒落ですか、モーセは百瀬」
「駄洒落とか言うな。それどころか、山荘にいた人間すべてが旧約聖書の人物名なんだよ。百瀬はモーセ、与那はヨナ、デボラ、ヨシヤ、従業員全員が聖書と同じ名前なんてあり得るかい」
俺は青くなる。「まさか彼らは旧約聖書の人物だというんですか?」
「さあね。そんなことはありえないか」勧修寺は不敵に笑う。「そうだ、真治。この事件を小説にしたらいいよ。ドキュメンタリーだからな。リアリティにあふれてるだろ、面白いものにならないかな」
勧修寺は知らないだろうが、一作目も実体験だったのだ。そう言う意味では俺はついてるのかもしれない。
「出版されたら読んでみるよ。やっぱり同人誌になるかな」
いえいえ一作目も同人じゃないんですけど。
俺は中村がいなくなっても、そのままロビーで愕然と座り込んでいた。ミステリー作家としては致命的とまで言われたのもある。
すると目の前に誰かが来る。
顔を上げるとヘブンがいた。相変わらずかわいらしさ満載だ。
「昴もどきの真治」
俺はうなずく。ヘブンは初めて笑顔を見せる。
「中村って公安だったんだね。話を聞いたよ。私も真治と同じワトソン役だったんだ」
「勧修寺慶って言う名前だそうです」
「歌舞伎役者みたいな名前だね」
「これからシリーズ化される探偵みたいです」
ヘブンが笑う。
「そうそう、その勧修寺が言ってたんだけど、君がこれを小説化するって聞いたよ」
「ああ、そうですね。出来ればやりたいと思っています」
「それで、私を出すかどうかなんだけど」
そうだ。ヘブンは売れっ子の芸能人だ。出すには問題があるか。
「出していいよ。私は全然気にしない。それに君には悪いことしたからね。これでおあいこだよ」
「ああ、ありがとうございます」
「小説が完成して、運よく出版出来たら送ってよ」
「はい、そんなことになったら必ず送ります」
「じゃあね。マネージャーが来て、かんかんだよ。やになる」
苦笑いで手を振りながら去っていく。
ヘブンの後ろ姿を追いながら、小説を書こうという意欲が少しずつ湧いてきた。ひとりとんでもない美人の読者がついた。
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