第5話 調査

 8時になり朝食を取る。

 はたして朝食はどういう趣向かと思ったら、普通の食事だった。夕食のように個別のメニューではなく、パンとオムレツ、サラダが付く普通のホテルで出てくるものと同じだった。普段朝食はこれと言って取っていないため、朝から健康的な生活が送れて助かる。ただ寝不足だが。

 祭典参加メンバーはヘブン以外は食事を取っている。やはりヘブンは食欲がないのか不在だ。まあ、あんな物が部屋にあったのだから、そうなるのもわからないでもない。それともやはり彼女が関係していたのだろうか、それ以外のメンバーはそれぞれが黙々と食事を取っている。会話はほとんどない。

 朝食後のコーヒーを飲んでいると、中村がそばに来て、「昴、飯が済んだら出かけるぞ」と声をかけて去っていった。

 はて、いったいどこにでかけるというのだろうか。

 それにしても彼女の目的は何なのだろう。単に俺を謎解きのパートナーとして利用しようとしているだけなのだろうか。祭典メンバーは基本的に欲深い連中が集まっている。財産目当てなのだから当然で、よって分け前が減るようなことをするはずがない。俺は微妙な立ち位置なのだが、中村は金目当てで来ているはずだ。となると考えられるのは、俺に好意を持っている、と普通は考えるだろうが、これはありえないのだ。何せ彼女いない歴が年齢で、これまでも振られた経験しかない。とにかく絶対に自信を持って持てないと言いきれる。となると、いずれは自分だけの財産となる確信があるということなのかもしれない。ひょっとして彼女がシェパードで、いずれ俺は殺されてしまうのか。


 食事を終えてロビーに顔を出す。

 中村はソファーに座って、なにやらメモのようなものを書いている。

「お待たせしました」

 彼女は手紙を差し出す。例の脅迫状のようだ。

 手紙は昨日、百瀬氏が見せたものと同じだった。

「消印も東京中央郵便局ですね」

「そういうことだな。今回の参加者は全員が都内在住だ。東京から出せばある程度、届く日時も決まるとの目論見だろうな」

「前日に届いたんですよね」

「実はうちの場合はよくわかっていないんだ。前日に帰宅した時に郵便受けにあったというわけだよ」彼女はすっくと立ちあがると「行こう」そう言って歩き出す。

 中村の後ろをひょこひょこと付いていく。山荘の入り口を出て裏手に回る。はて、どこに行くのだろう。

 すると駐車場に出る。

「中村さん車があるんですか?」彼女は一緒に電車で来たはずだが。

「与那さんに話をして借りたんだ。あれかな」

 そう言って指さす方向にはシルバーの軽トラがあった。

「山荘の車ですか」

「そう」そう言うと俺にキーを渡す。

「え、何です?」

「運転頼む」

「俺、運転は無理ですよ」

「何、免許が無いのか?」

「いえ、ありますけど身分証明書代わりのペーパードライバーです」

「なら大丈夫だろ、法律上の問題は無い」

「かれこれ10年近く運転していませんよ」

「昴、ここは陸の孤島だ。轢いたとしても狸か猪ぐらいだから、人身事故にはならない」

「え、でも自損事故になるかもしれませんよ」

「そうなったらそうなっただ。ぐずぐず言ってないで行くぞ」

 まじか、ほんとに運転するのは久しぶりだ。

 ここではっとする。思わず口走ってしまったが、昴はどうだったのだろうか、彼の履歴を反芻する。確か車についての記載はなかったように思うが、はっきりしない。あいつは車を持っていたのだろうか、しまった、大事なことを失念していた。

 運転席に座り、受け取った車のキーを見る。何かキーホルダみたいな形で車に差し込むようなものがない。

「あれ、これ車のキーですか?」

 中村は訝しげな顔をして、「昴は最近の車を知らないのか、動かすためにキーは必要ない。車をロックするときにだけ使う。ブレーキを踏んでエンジンを掛けるだけだよ。そこにエンジンボタンがあるだろ」

 パネルを見ると丸いボタンにエンジンとある。最近はそう言うことになってるのか、ちっとも知らなかった。ブレーキを踏みながらエンジンボタンを押す。確かにエンジンがかかる。正直驚いたのだが、迂闊に話をするとボロがでるので、この件には触れないようにする。

「中村さんは免許持ってないんですか?」

「そう。その必要性が無くてね」

 なるほど、芸術家には運転免許は要らないものなのか、まあ、彼女ぐらい美形だと誰かが助けてくれるのかもしれない。美人は得だ。

「昴は車を持ってなかったか?」

 いや、まずい質問が出たぞ、実際、昴皇子がどうだったのかがよくわからないのだ。奴のファンじゃないし、そういった記事も読んだことが無かった。仕方無いのでごまかす。

「持ってたような無い様な」

「はあ、どういうことだ」

 笑顔でごまかす。「まあ、いいじゃないですか、それよりどこに行くんですか?」

「ああ、まずは身近な奴を疑えということで、がけ崩れの現場を確認しようと思う」

「がけ崩れですか?」

「そうだ。山荘の連中が話している裏を取りたい」

 なるほど確かにそれが真実だという確証はない。俺たちを閉じ込める口実かもしれないということか。

「わかりました」

 そういって車を恐る恐る発進させる。オートマなのだが、とにかく不安である。

 とろとろ走っていると案の定、「子供のゴーカートじゃないんだから、もっとアクセルを踏み込め」容赦ない中村の叱咤が飛ぶ。

 ああ、これではまるで教習車じゃないか、忌まわしい教習所の過去を思い出す。あの教官の冷たい視線と皮肉満載のお言葉を、もう少し練習しましょうね。延長料金をぼった来る気か、俺は金が無いんだよ。

「昴、どうした?顔が蒼いぞ」

「大丈夫です」

 しばらく走るとそれなりに慣れてきた。天気はいいし、確かに対向車も無い。あるわけないのだが。まさにペーパードライバー向きの道路である。幸い狸や猪も出てこない。

「中村さん前から聞いてみたかったんですが、俺と組む理由は何ですか?他に候補者はいるでしょ」

「他にいないから昴になったんだろ、一択だよ、一択。今回のメンバーで誰かと組もうとするやつが他にいるとは思えない」

「ああ、それはそうですけど、中村さんなら一人でも何とかなるでしょ」

「まあな。推理するならそうだけど、車を運転できる人間が必要だからな。だから一択なんだよ」

 なるほどそういうことか、俺を運転手代わりに使ってるという訳か。それだけで山分けでいいのが不思議だが。

 軽トラは快調に走る。昨日来た道も天気がいいと走りやすい。森の中をすいすい進んでいくと、木々の間から木漏れ日が差し込んで、清々しい気持ちになる。

 そして林道は山間部に入って行く。

 少し走ると現場はすぐに分かった。

 崖が大きく崩れており、大量の土砂が道路上に流れ込んでいる。道は完全に塞がれていた。

 俺たちは車から降りて、現場付近を探索する。

「これはひどいですね」

 数メートルに渡って高さ5m以上もの土砂が道を遮っている。向こう側は全く見えない。

「これだとさらに崩れそうだな。迂闊に乗り越えることもできない」

 山肌を見ると崖はいつ崩れるかもわからない。確かに土砂も重機で退かすしかないレベルであるのがわかる。

「山荘側の陰謀ではなかったですね」

「そういうことかな」中村は何か含みのある言い方である。

「何か気になる点でもありますか?」

「いや」

 そう言いながらも周辺をうろうろと歩き回っている。何を探しているのだろうか。

 俺は山とは反対側の川の方を見る。ここにガードレールは無い。断崖絶壁、川底までは数十メートルはありそうで、落ちたら間違いなく死ぬ高さである。道幅は狭いし、よく出洞は運転してきたなと思う。

 そしてはっとする。今、軽トラは町の方向を向いているのだ。山荘に戻るためには方向転換しないとならないではないか。いやいや、ペーパードライバーだぞ。こんな狭い道で方向転換なんかできるのか、背中にじとーと汗が滲んでくる。歩いて帰れないかな。

 ふと、周囲を見ると中村がいない。あれ、どこに消えたのかなと探してみると、なんと彼女は崩れた土砂の上にいた。

「な、中村さん危ないですよ」

 中村は俺の方に顔を出す。

「大丈夫だろ、これ以上崩れない気がする」

 いやいや、そんな馬鹿な、さっきは全く違うことを言っていたぞ。それに雨で地盤が緩んでがけ崩れになったんじゃないのか。

 こちらの心配を無視して、中村はしばらく現場を確認したのち、もう十分見たのか、俺に戻るように指示を出す。「戻ろうか」

 この幼稚園児にはほとほと恐れ入る。

 そしてこれからが大変だった。狭い道を戻るために数回、いや数十回は切り返しながら車を反対側に向けようとする。

「昴はもう一回教習所に行ったほうがいいな」

 助手席の中村があきれた顔で言う。

 汗びっしょりでゼイゼイ言いながら、返事も出来ない。何せ、反対側は絵に書いたような断崖絶壁である。さらにそこにはガードレールどころか柵もないのである。

 30分は裕に掛かって、ようやく方向転換が終了し、山荘に戻る道を進みだす。しばらく走ってようやく呼吸が整って話が出来る。

「随分、注意深く調べていましたね」

「いや、あまりに出来過ぎた話だからね。確認の意味もあって調べただけだ」

「単なるがけ崩れだったんですよね」

「そうだな。がけ崩れと電話線も切断されていたよ」

「じゃあ、やはり自然災害ということですね」

 中村はうなずいたように見えた。

「昴、戻ったら鳳ヘブンにインタビューしてみよう」

「ヘブンですか、彼女応じてくれるかな」

「駄目なのか?」

「どうですかね。話が出来ますかね」

「芸能人だろ、それなりに客商売もできなきゃまずいだろ」

「俺も良くは知らないですけど、変わってる人みたいですよ。よくネットや週刊誌に悪いうわさを流されてます」

「でも人気はあるんだろ」

「熱狂的なファンが数多くいますよ。カリスマ性を持ってるようです」

「ほー、それはすごいな」

「才能もあって曲も自分で作ったりしてます。少し前の主演映画の主題歌は自作曲でした」

「ヒットしたのか?」

「ええ、ネットの再生回数も多かったし、配信ダウンロード数も記録的だったみたいです」

「そうなのか、うちはそういった芸能情報には疎いんだ」

「芸術家ですものね。自分の世界に没頭するんですか?」

「まあそうだな」

「なるほど」

 やはり今回の祭典に参加できるような人間はそれなりにすごい人たちなのだ。俺とは違う。とにかくまったく集中力が続かないし、原稿を書いても数ページ書くのに何日もかかることはざらにある。ネットに小説を上げてる連中は、どうやったらあんな速度で書けるのだろうかと感心するぐらいだ。本物の昴もそうだ。書くスピードは信じられないほど早い。

 中村は助手席で大あくびをする。「さすがに眠くなってきたな」言うが早いが寝息が聞こえる。

 俺の運転で眠れるとはやはり只者ではない。こっちは余計に緊張して眠気どころではなくなる。


 なんとか駐車場まで戻って来れた。自分で自分をほめてあげたい。

「中村さん着きましたよ」

 数回、起こすとよだれを拭きながら美女が目覚める。

「着いたか」

 中村はさっさと降りて山荘に戻ろうとする。俺は軽トラのドアをロックする方法がわからず、おたおたしながらようやくロックする。

 遅れて戻ってくると、すでに中村は庭園にいて、庭師となにやら話をしている。はて、彼女はすでに知り合いなのだろうか。二人に近づく。

 庭園はこれだけでお客を呼べるのではないかと思えるほどの広さである。イングリッシュガーデンとでもいうのだろうか、今は薔薇の季節でもあり、全面に様々な色の薔薇が咲き乱れている。

 庭師の男は、白髪頭を短く刈上げた昔の侠客を思わせるような人物で、おれが会釈したのを無視して中村と話を続けている。

「伊作(いさく)さんはいつからこちらで働いているんですか?」

「百瀬さんがこっちに越してきてからだよ。求人募集で働かせてもらってる」

「それまではどちらで?」

「この近くで庭師をやっていた」

「この庭園を管理されてるんですよね。薔薇がきれいですね。お手入れも大変なんじゃないですか?」

「それほどでもないよ。薔薇は強い植物でね。手を掛けなくてもちゃんと咲いてくれる。胡蝶蘭なんかは手がかかるんだけどね」

 庭園は広々としていて、これを一人で管理するのは大変そうに思える。

「伊作さんは昨晩はどこにおられたんですか?」

「俺は山荘の外に住んでいるんだ。教会の対面に温室があるのがわかるかい」

 教会の反対側に確かにガラス張りの温室があるのがわかる。よく見るとその先に小屋も見える。

「温室の脇にログハウスを建てて住まわしてもらってる。普段はそこで寝泊まりしてるんだ」

「住み込みですよね」

「ああ、ここに通いの使用人はいないよ」

「昨晩の騒ぎはご存じでしたか?」

「いや、今朝になって聞いたよ。一体どういうことなのかね」

「見当もつきませんか?」

「ああ、百瀬さんを殺そうとするやつがいるとは思えないよ。もうリタイヤしている人間だろ、いまさら何だってんだろうね」

「そうですね」

 中村はここで俺に初めて気が付いたように振り返って「昴もいたのか」そういうと伊作に俺を紹介する。

「こちらは作家の昴皇子さんです」

「昴です」ここで初めて伊作が会釈する。

「昴から聞きたいことはあるか?」

「百瀬さんが襲われた時間は夜中の3時半ごろなんですが、何か気になる物音などは聞かれてませんか?」

「さっきも言ったが、その時間は寝ていたよ。気になるようなこともなかった」

「そうですか。百瀬さんは従業員との関係も良好だったんですよね」

 伊作は当たり前のことを聞くなといった顔でうなずく。

「それと普段、教会は使用していなかったんですか?」

「定期的に掃除はしていたようだが、使ってなかったよ」

 伊作は庭仕事に戻りたそうにしている。これ以上、聞きたいことも無いので、伊作に挨拶をしてインタビューは終了する。

 中村はさっさと戻っていく。俺は後を付いて歩く。なんだか、完全に彼女の使用人になったかのようだ。

「何か有意義な話を聞けましたか?」

「庭園の話は聞けたよ。庭師も国家資格があるそうだ。一人で作業するのは大変かと思ったけど、そうでもないらしい」

「そうなんですか、けっこう庭園は広いですよね」

「他の従業員も手伝ってくれるそうだよ。それと天気の話も聞いた。伊作氏が天気予報をしてるそうだ」

「彼がやってるんですか」

「周辺の様子から判断するらしい。山に雲がかかると雨だとか、夕焼け空の色具合だとかね。概ね翌日の天気は当てられるそうだよ」

「へーすごいな」

「週間予報は正確には無理らしいがね。大体は当たるみたいだ。ここで生活するにはそれで充分らしい」

「これからの天気はどうなるんですかね」

「晴れが続くみたいだ。もう梅雨開けなのかな」

 となるといよいよ夏がやってくるのか。ここは高原のせいか暑さもそこまでではないのだろうが、東京のアパートは猛暑になるだろう、古い壊れそうなエアコンのためほとんど冷えない。大家に買い替えを頼むと家賃の値上げを要求されそうで、未だに我慢している。それを考えると増々憂鬱になる。

「昴は伊作の話を鵜呑みにするのか?」

「え、何のことです」

「伊作のログハウスと教会の位置関係だよ」

 位置関係?俺は再びログハウスの方向を見る。

「何かありますか?」

「うちらがいた2階と比べても教会からは近いだろ。叫び声が聞こえなかったとは思えない」

「そうですかね。でも山荘内とログハウスだと聞こえ方が違うのかもしれませんよ」

「そうかな。距離的にはより近い気がするけどな」

 確かにそうかもしれない。伊作氏は熟睡していたのかもしれないが、あの叫び声が聞こえたら駆け付けるだろう。それとも聞こえていても駆けつけなかったのか。

「ちょっとログハウスに行ってみるか」

 中村は俺の返答を待たずに歩き出す。仕方なくついていく。

 庭園を抜けて山荘を横に見ながら、歩いて行く。

 天気の良い高原は気持ちがいい。たしかにここは絶景だ。山は青々として空はどこまでも高く。今や雲一つない。山荘の黒と背景に見える湖のコントラストも絵画のようだ。

 教会を横に見ながら温室脇を通る。ここは新たに作られたようでまだ真新しい。生地の木枠とガラス張りで作られており、清潔そのものである。中には色々な花や樹木が鉢に植えられている。

「これだけの植物だと手入れも大変だと思うんだがな」中村が感心している。

「山荘の人間に見せるために作ってるんですよね」

「そうだな。まあ主に主人向けなんだろうな」なるほど百瀬氏のためだというのか、今は無き主人のために花々は咲き誇っている。

 ログハウスが見える。確かに一人だと十分な大きさだ。丸太を積んで作られている普通のログハウスだ。

 中村はそこから教会を見ている。「50mはあるか、聞こえなかったというのもうなずけなくもない」

「そうですね。微妙ですね」

「じゃあ、次は鳳ヘブンにインタビューするか。昴の腕の見せ所だな」

「俺の担当ですか?」

「若い女性には若い男の子だろ」

 どう考えても俺には荷が重い気がする。


 山荘に戻ると中村は一気に2階に上がり、ヘブンのいる6号室まで行く。そしてドアをノックする。

 中から声が聞こえる。「誰?」

「中村と昴です。もしよろしければ話を聞かせてください」

「特に話したいこともないよ」

「いや、そう言わずに、こちらから提供できる情報もありますよ」

 結局、中村がすべて仕切っているではないか、俺はいつもの金魚のふん状態で後ろに控えているだけだ。

 扉が開いてヘブンが顔を出す。「情報?」

「はい、がけ崩れとか、従業員へのインタビューとか」

 ヘブンは少し考えてから、「ちょっとだけだよ」と言う。

「はい、大丈夫です」そう言うと中村はどんどん中に入って行く。俺も恐る恐る部屋に入る。

 6号室も部屋の作り自体は同じだ。ただ、壁に掛かっている絵画は違う。やはり何かの宗教画のようだ。

 ヘブンはベッドに腰かける。「で、何?」

 中村は目で俺に合図する。俺の番とでもいうのだろうか。

「昨晩の事を教えてください」

 ヘブンの表情がいきなり硬くなる。「私は何も知らない」

 中村が割って入るように会話に加わる。

「うちらは貴方が何かしたとは思ってないの。状況が知りたいだけなんだ」ヘブンはぶすっとしてそのまま口ごもる。「貴方は教会に来なかったよね。どうしてかな。怖かったの?」

 ヘブンは答えない。何か言いたくないことでもあるのだろうか。中村が話を続ける。

「それとも聞こえなかった?」

 いや、そんなことはないだろう、あの叫び声だと彼女は最も近い1号室にいたのだから聞こえたはずだ。

「寝てたんでしょ」

 ヘブンがあっと言う顔になる。「どうして?」

「なんとなくだけど、朝食も遅刻してたし、仕事でも似たようなことがあったって聞いたよ」

 ヘブンは少し考えているようだ。中村は急いたりせずにじっと答えを待つ。

「そうよ。だから騒ぎに気付かなかった」

「やっぱりそうか。睡眠薬を使ってるのかな?」

 再びヘブンが驚く。「はあ、そんなわけない」

「いつもはマネージャーがあなたを起こすのよね」ヘブンは返事をしない。「ひょっとして不眠症なのかな」

「何言ってるの!」

 言葉とは裏腹にヘブンは答えに苦慮している。すると中村は何かプラスチック製のゴミを出してくる。

「これが1号室のゴミ箱にあったよ」

 ヘブンが驚く。確かに薬のパッケージのように見える。それよりも中村はいつの間にゴミ箱を漁っていたのか、そっちに驚く。

 ヘブンは観念したようだ。「まったく用意周到ね。そう、不眠症。それで睡眠薬は手放せない」

 初めて聞く話だ。ヘブンは不眠症を患っていたのか。

「じゃあ、ナイフを部屋に入れられても気付かないってことね」

「私は何も知らない」

 中村は少し熟考する。「睡眠薬の話はみんな知ってる話なの?」

「事務所の一部の人間は知ってる話だけど、どうかな。あまり表には出ていないと思う。アイドルが不眠症っていい話じゃないから」

「昴も知らなかったのね」

「知りませんでした」知ってるわけがない。

「ただ、それを知ってれば、ナイフを部屋に置いて鳳さんに疑いの目を向けさせることは出来るって訳ね」

 つまり犯人はそれを知っていたということか。

「それで貴方が手に入れた情報ってどんなことなの?」ヘブンは交換条件を聞こうとする。

「ああ、そうね」中村はそう言って、がけ崩れの話と教会のダイイングメッセージ、さらに庭師の話をする。

「私も気づいたけど、4って何なの?」やはりヘブンも気が付いていたのか。

「それはよくわからないな。果たしてそれが単なる落書きか、ダイイングメッセージなのかどうなのか」

「『え』って言うのは絵のことだよね」

「どうなのかな。文字も乱れてたからね」

「でも『え』はそれ以外に見えるものはないでしょ」

 中村は軽くうなずく。

 するとヘブンは物思いに耽る。彼女の優秀な頭脳が何かを導き出そうとしているのだろうか。中村が聞く。

「うちら以外にも鳳さんに話を聞きに来た人はいたでしょ?」

「いたけど、全員門前払いだよ。貴方みたいに交換条件を出してきた人はいなかったからね」

 まあ、そうだろう、誰もが少しでも情報は握っておきたいだろうから、そういう意味では中村は太っ腹だ。

「それと中村さんは芸術家だよね」

「そうだけど」

「この絵って何かな」ヘブンが壁に飾ってある絵を指さす。確かに気になっていることだ。「昔の絵なのかな?」

「この絵は最近描かれたものだよ。ここにサインがある。中山健司。最近活躍している洋画家ね」

「ああ、聞いたことある」

「今、日本では画家で食っていける人は少ないの。彼は海外でも認められる第一人者」

 知らなかった。知っていたのなら早く教えてほしかった。俺も質問する。

「ということは、この絵は百瀬氏が発注したということですね」

「おそらくそうだね」

「ダイイングメッセージの『え』ってこれじゃないんですかね」

「さあ、どうなんだろうね」

「この絵は何を描いているんですか?」

「ルネサンス時代の宗教画に近い雰囲気だよね。そういった要望があったと思う」

「宗教画」

 となると、百瀬氏が何故、こういった絵を依頼したのかということが気になる。何か特別な意味があるのだろうか。

「鳳さんは1週間も仕事をしなくて大丈夫なの?」俺が聞きたかったことを中村が質問する。

「最近は事務所も割と要望を聞いてくれるようになったんだ。ただ、1週間だと問題があるかな。今頃はマネージャーも連絡が取れなくなって大慌てかも」ヘブンがいつもの小悪魔的な表情を見せる。

「ここに来ることは言ってるのよね」

「まあね。ちょっと揉めたのもあるから、事務所が気付いて、がけ崩れの対応は意外と早くなるかもしれない」

「そうなれば助かる」

「まあ、大差ない気はするけど」

 確かにあのがけ崩れだと、どこが対処しても時間はかかりそうだ。ヘブンの事務所は大慌てになるだろうけど。


 ヘブンとの情報交換も終わり、俺たちは昼食を取ろうとレストランに向かう。

「昴はヘブンと何かあったのか?」中村が唐突に話し出す。

「え、どういう意味です?」

「いや、なんとなくヘブンが昴を警戒している気がしたんでね。初対面じゃないだろ?」

 再びぎょっとする質問だ。気にしなかったが、昴とヘブンは面識があったのかもしれない。これからの日本を変える50人のパーティに出席していたのだろうか、名簿は見たが、誰が出席したのかまではうろ覚えだし、そこで何があったのかまではわからない。いや、しかしあの昴だ。ヘブンと何らかの交流があったのかもしれない。もし中村がそう感じたのならそうなのだろう。気を付けないとならない。

「ええ、まあ少しは」とごまかす。

「大方、ナンパでもしたんだろう、式典のどさくさに紛れて」

 俺は冷や汗が出そうになる。恐らく昴ならやりかねないが、はっきり言うと、それはそれで後々問題を孕むことになる。

「昼ごはんはどんな感じですかね」とごまかす。

「お昼か、さあな。夕食みたいに選択制なのかな」

 食欲が幼稚園児で助かった。ご飯の話に食いついてきた。

 しかし、同じように食事については気になっていた。すべてが選択であるとの話だった。朝食は全員同じものだったが、お昼はどうなっているのだろうか。


 レストランに行くと、すでに参加メンバーは勢ぞろいだった。

 俺と中村が入室すると、なんとなく視線を向けられる。それはこいつらどこまで謎を解明したのだろうかといった意味なのか、はたまた、いつのまに出来ちゃったんだよ、といったものなのかはわからない。俺としては、ただおちょくられているだけなんです、と言って回りたい気分ではある。

 入口付近にいた江刺宗が声を掛けてくる。

「昼食は2品からお選びいただく形となります。本日はパスタかピラフになります」

 なるほど、お昼はそれだけの選択なのか。「パスタでお願いします」

「うちはピラフの大盛にする」

 江刺宗がかしこまりましたと応対する。何も言わずに大盛に対応している。なんだ大盛もできるのか。

 座席は昨日と同じでテーブルに各自が座る形式だ。俺たちは昨晩と同じ席に着く。なるほど、見ると全員が同じ配置になっている。まあ、人間の行動力学的にはそういったものなのだろう。あえて違う席に付く意味もない。ただ、夕食については座席によってメニューが変わるという話だったから、どの席を選ぶのかはわからないだろう。

 隣の横井教授が話しかけてくる。「昴さんどうだい、犯人は見えてきたかい?」

 なるほど、探りを入れてきたのか「いえ、まだ、皆目わかりません」

「そうなのか、なんとなく見えて来た人もいるようだよ」

「そうなんですか?」素直に驚く。

「私も一通り、従業員にインタビューをしてみたんだがね。他の参加者も同じようにしていたらしい」

「そうですか。祭典参加者へのインタビューも終わってるんですか?」

「もちろんだよ。誰がどう関係しているかはすべての人間を当たるしかないだろ。ああ、昴さんと中村さんとは話をしてないな。ところで君たちはどこにいたの?」

「ああ、実はがけ崩れの現場を確認してたんですよ。本当に起きたのかどうかの確認です」

「なるほど、それは重要だね。で、どうだった?」

「本当に起きてましたよ。それも思ったよりも大きながけ崩れで、通行するためには重機がないと無理だと思いました」

「そうか、となると本当に1週間で通れるようになるのかな」

「そうですね。難しいかもしれません」

 その頃になってようやくヘブンが顔を出した。結局、彼女は寝てなくても遅いようだ。こうなると遅刻癖があるのか、だらしないのかはわからないが、とにかくわがまま娘であることは間違いがない。事務所も大変だろうな、などと余計な心配をする。

 昼食が出てきて早速食事をする。やはりうまい。ここのシェフは超一流だ。元々美味しいものを食べてこなかったから余計なのかもしれないが、味に感動を覚えるほどだ。

「昴、午後はそれぞれ単独行動としよう」ピラフを頬張りながら中村が言う。

「いいですよ。俺は何をすればいいですか?」

「昴は従業員にインタビューしてくれ。うちは調べ物をする」

「調べものって何をですか?」

「うん、まあ、ちょっとな」何か含みのある言い方である。あえて突っ込まないことにする。

「聞くのは従業員だけでいいんですか?」

「いいよ」

「参加者への聞き込みは要りませんか?」

「いらない。だって昨晩の行動は確認済だし、ここにいる連中は自分たちの話なんかまともにしないだろ」

 確かにそのとおりだ。犯人はこの中にいるんだろうし、みんな一癖も二癖もある人間たちだ。本音や裏の顔を話すとは思えない。「わかりました」

「それにしてもここの料理はおいしいな。どういう調理をしているのか」美女は一心不乱に料理と格闘している。


 昼食を終え、中村との打ち合わせ通り、単独で従業員への聞き取りを開始する。

 昼食の仕事で大忙しなので、調理関係者は後回しとし、ここはまず執事の与那から聞くべきだと判断する。ちょうど部屋にいるそうなので3階に向かう。与那は長年、百瀬の秘書をしていた人物と聞く。百瀬氏との関係や山荘に来た経緯も聞いてみようと思う。

 与那の部屋をノック、中からどうぞと声が聞こえる。

「すみません。昴です。お話を聞かせてください」

 部屋の作りは客間と同じだが、壁に絵画は無い。与那は椅子に座ってくつろいでいた。黒縁眼鏡を掛け、髪はひっつめ―ポニーテールではない―耳より下に結び目があるひっつめだ。眼光は鋭く、いかにも敏腕秘書といった印象だ。

「こんな状況で申し訳ないんですが、何点か質問してよろしいですか?」

 与那はふっと笑い「昴さんは不思議な方ですね。何人かの方が私に質問に見えましたけど、そういった心遣いをされた方は貴方が初めてです」

「え、そうなんですか」

「今回の事件解決は百瀬の希望です。彼を殺した犯人を見つけるためにも協力は惜しみませんよ」そういって笑みを浮かべる。しかし目の奥は決して笑っていない。

「ありがとうございます。ではまず与那さんの経歴から教えてください」

「経歴ですか。私は大学を卒業後、新卒で百瀬の会社に入社しました。当初は総務関連の仕事をしていたんですが、3年後に百瀬の専属秘書になりました」

「秘書はどのくらい勤められたのでしょうか?」

「それを言うと歳もばれますね」与那が笑顔を見せる。確かにそうなるか。「20年ぐらいになります」

 となると現在40代前半になる。外見はもっと若く見えるが物腰はもっと年上にも見える。それぐらい風格があるというべきか。

「百瀬さんの秘書は何名ぐらい居られたんですか?」

「いえ、私一人です。百瀬にはそれで充分だったようです。元々秘書など必要ないぐらい優秀な方で私はなんといいますか、話し相手といった仕事だったのかもしれません」

「話相手ですか?」

「百瀬が考えている内容を私が意見する。まあ素人考えですが百瀬はそういったことをよくしていました。自身の考えが間違っていないかどうかの確認用でしょうか。素人目線の意見を大事にする方でもありました」

「百瀬さんは技術屋ですよね」

「そうです。理系です」

「与那さんもそう言った分野は得意なのでしょうか?」

「いえ、私は文系ですし、とても百瀬のレベルには到達できません。ですから一般人としての価値観を確認するといった事になります。こういった製品があったらどう思うだとか、何に期待するとか、そういった話です」

「なるほどそういったことも必要ですね。それと秘書業務についてですが、百瀬氏ともなるとスケジュール管理も大変なのでしょうね」

「それがそうでもないんです。彼は彼なりに進め方を考えていました。不必要な面会や会議は極力断っていたし、非常に合理的に物事を進めて、スケジュールも簡潔なものにしていました」

 なるほど、無駄を省けば時間は作れるといったことなのか、百瀬氏の本にもそういった記述があった。

「それで与那さんが山荘に来られた経緯ですが、百瀬氏が引退されて、行動を共にされたということでいいんですか?」

「そうなりますね。これまでの経緯もありますし、百瀬との腐れ縁ですか、彼から請われれば選択肢は限られます」

「でも与那さんであれば、どこへ行っても仕事が出来そうですし、ここだと役不足じゃないんですか?」

「そう言っていただけるとうれしいですが、私はそこまでの人間ではないんですよ」とてもそんな風には見えないのだが。

「今回、期せずしてこういった事態になりましたが、これからどうされるんですか?」

「そうですね。整理が済んだら何か仕事を探すしかありません。ただ年齢もありますから、いい仕事に付けるかどうか」

「いえ、これまでの職歴で十分でしょ。何せ百瀬氏の専属秘書ですから」

 それには答えず笑みを見せる。強かな大人の女性だ。俺なんかじゃ相手にならない。

「こちらに来てからの百瀬氏はどんな様子でしたか?」

「百瀬は終活に入ったのですから、それは落ち着いた感じでしたよ。身の回りの整理と旧友と旧交を温める日々でしたね」

「具体的に何かをなさってはいなかったんですか?」

「そうです。それでも仕事上の残務というか、現場からの問い合わせがけっこうあって、その支援をしていましたかね。やはり百瀬ほど力量のある後継者はいないものですから、何かと判断に迷う部分も多いようです」

「なるほど」

 ここで核心を突く質問をしてみる。

「百瀬氏を殺そうという人物に心当たりはないですよね」

「難しい質問ですね」与那は少し考えてから「仕事上で恨みに思う人間がいなかったわけではないです。競争社会ですから、ただ、もうリタイヤされているわけですし、そこであえて殺人まで犯すような人物はいないと思います。ですから今回の殺人はやはり財産が目的かと思います」

「つまり祭典参加者の仕業ということですね」

 与那はうなずく。

「なるほど。では昨晩の与那さんの行動についてです。ああ、確認の意味です」

「大丈夫です。すべての情報を得て、犯人を見つけていただきたいですから。遠慮なく聞いてください。昨晩は片づけを終えてから、12時頃に就寝しました。そして事件が起きるまでは部屋にいました」

「そして3時半になって悲鳴を聞いた」

「そうです。距離的にも離れていますから、現場に駆け付けるのに遅れてしまいました」

「たしか制服で来られましたよね」

「そうです。寝巻では失礼と思い、着替えてから行きました」

「駆けつけられた時に、何か気になるようなことは無かったですか?」

「といいますと?」

「誰かとすれ違ったり、どなたかを見かけたようなことは無かったですか?」

「すれ違うようなことは無かったです。従業員は各々が部屋から飛び出していったように思います。何か特段、気になるようなことは無かったです。ただ申し訳ありませんが気が動転していたことも事実です」

「そうですか?山荘の構造上、入り口と厨房以外に外部から侵入できるような入り口は無いんですよね」

「そのとおりです」

「防犯カメラの確認はなさったんですよね」

「ええ、行いました。何も映っていませんでした。参加者の方が確認することもできます。ああ、すでに中村様は確認されていましたよ」

 なんと中村はそこまでやっていたのか。ヘブンの睡眠薬と言い、実に抜かりが無い。

 与那は淡々と質問に答えていく。これまでも何人かのインタビューに答えてきたこともあるのだろうが、その受け答えの的確さに感心してしまう。質問したかったことを直接聞いてみる。

「実は気になることがあります」

「何でしょうか?」

「客間に飾ってある絵の事です。あれは何を表しているんでしょう?」

「中山健司画伯の絵ですね」

「そうです」

「あの絵は百瀬が直接画伯に依頼したものなんです。私は事務処理だけを行いました。ですので内容についてはよくわかっておりません。昴さんもお気づきとは思いますが、ルネサンス調の絵画になっていますよね」

「客間のすべてに絵が飾ってあるわけですよね。つまりは10枚ですか?」

「そうです。中山画伯との手続きについては私がおこないました。ただその仕事の内容は納期と搬入手配、支払いなどに限られます」

「期間はどのくらいかかったのですか?」

「約1年です。画伯は仕上げるのが早い方だと聞いております」

「そうですか、じゃあ絵の内容については、百瀬氏と画伯しかわからないんですね」

「そうなります。私を含め従業員は何も知りません」

 なるほど、やはり内容はわからないということか。

 与那が笑顔で話す。「ただ、絵についてはこの山荘にぴったりだと思いませんか?」

「ああ、そうですね」

「ここはどこか欧州の山岳地方を思わせる場所です。ああいったルネサンス調の絵画はとてもマッチしていると思います。私も出来上がった絵を見て感動いたしました」

「はい、絵についてよくわかりませんが、こちらの山荘には似合っていると思います」

 さていよいよ核心を突く質問をする。

「教会の現場で気になるものを見つけました」

 与那は不思議そうな顔をする。「何でしょうか?」

 スマホで撮った画像を見せる。「祭壇の現場近くにこの数字と文字が書いてあったんです」

「これですか、はて何でしょうか?」

「何か心当たりはありませんか?」

 与那は初めて見たのか、しばらく画像を見ながら考えに耽る。

「数字の4ですかね。文字はえかな」

「何か気付くようなことはないですか?」

「これが祭壇に書かれていたのですね」与那は再び考える。「この字体は百瀬のものに似ていますね」

「そうなんですか?」

「はっきりとは言えませんが、百瀬は4を書くときに閉じた形で書きます。人によっては4の上側を開けて書く人もいますよね。百瀬の書いたものに似ている気がします」

「『え』という文字も百瀬氏の字体でしょうか?」

「そうですね。乱れていますが、そうだと思います」

「となるとダイイングメッセージのようなものなのですかね?」

「可能性はあります。このような落書きが前からあれば気が付いたでしょう。血で書かれているようですし、メッセージだと思います」

 なるほどこれは重要な情報かもしれない。

「事件前には本当に無かったんですか?」

「無かったと思います。教会にはめったに入りませんが、この大きさの落書きがあれば気付くと思います」

「ところであの教会は何故、残したんですか?改装するときに無くしても良かったと思いますが」

「そうですね。あえて残す理由は無かったかもしれません。そういう意味では逆に壊すことでもなかったということですかね」

「そうですか」

「山荘全体の印象として、教会があったほうが美観的によかったのかもしれませんよ。そういったことを決定したのは百瀬です。我々はそれに従っただけです」

 与那は何を聞いてもたじろぐこともなく、立て板に水のように答えていく。


 次に医師の吉屋へ聞き取りをおこなう。

 扉をノックすると、室内からどうぞと声がする。

 ここは医務室となっていた。病院のような機器もあり、検査だけでなく治療も出来るようだ。

 吉屋は机に向かって何か書き物をしていた。

「こんな時に申し訳ありません。少しお話を聞かせてください」

「大丈夫ですよ」そう言うと何かの資料を見ながら話しだす。「まず私から百瀬の死因について話をしましょう。ここに来た方全員に話をしている事項です」

「はい、お願いします」

「死因は出血多量です。腹部に3か所、背中に一か所の例のサバイバルナイフによる刺し傷がありました。傷口がナイフと一致しています」

 やはりそういうことかとうなずく。

「おそらく背中が最初でその後、腹部を刺されたと思われます」

「つまりは後ろから襲われたんですね」

「そうだと思います」

「腹部の損傷が激しくて、内臓まで達していました」

「そうですか」

 しかしなぜ教会にいたのだろうか、そこは気になる。そして後ろから襲われたということか、実に無防備に襲われたことになる。気を取り直して質問を続ける。

「死因についてはよくわかりました。それではまず吉屋さんと百瀬さんの馴れ初めについて、話を聞かせてもらいたいのですが」

 吉屋は少し遠い目をする。「百瀬さんとはもう30年来の付き合いになります。元々私はクレノロジーの産業医でした」

「産業医ですか」

「そうです。会社には法律上そういった医師を勤務させる義務があります。クレノロジーは大企業ですから当然必要でした。私は産業医だけではなく、百瀬専属の医師としての仕事もしていました」

「なるほど」

「彼に何かあっては、それこそ会社存続の危機となります。それなりに重要な役目となります」

「ということは、百瀬さんにはどこか持病のようなものがあったのですか?」

「いえ、ほとんど問題はなかったです。用心のためといったほうがいいかな」

「健康上の問題はなかったということですね」

「そうです。私よりも問題は無かったですよ」

 医師よりも健康だったというわけか、昨晩見たときも確かに矍鑠(かくしゃく)としていた。

「それで百瀬氏がリタイヤした時に、吉屋さんもこちらに来られたんですよね」

「そうです。私は百瀬さんとは歳も近くてね。通常であればリタイヤする年代です。こちらで働いてほしいと言われれば、それは嬉しい提案です」

 なるほど、この辺は与那も同じことを言っていた。百瀬の人望のなせる業といったところだろうか。

「山荘に来られた方では、吉屋さんと与那さんは以前からの知り合いと聞きました。残りの方は現地採用ですか?」

「ああ、そういう意味では、シェフの屋別は昔からの知り合いですよ。百瀬さんが贔屓にしていたレストランのシェフで、山荘に来る際に引き抜いた形になります」

「なるほど、そういえば料理が素晴らしいです。私はあまり詳しくはないのですが、さぞや名のある方だったんでしょうね」

「そうですね。それなりに有名なシェフでしたよ」

「屋別さんも百瀬さんの依頼を受けたということですね」

「そうなります。ただ、彼は若いからいずれは東京に戻るつもりだと思いますよ。今回、百瀬さんがこんなことになりましたからね。それが早まります」

「大変、お答えづらい質問になります。百瀬氏を恨んでいたような人物に心当たりはありませんか?」

「企業家ですから、それなりに恨みは買うでしょうが、果たして殺人まで犯すようなこととなると」吉屋はしばらく考え込む。「私の知る限りはいませんね」

 吉屋も同じ意見だ。やはりシェパードは祭典参加者の中にいるのだろう。

「この画像を見ていただけますか」例の祭壇のメッセージを見せる。「これが祭壇に書かれていました」

 吉屋が興味深そうにそれを見る。

「数字の4ですかね。それとも矢印ですかね」

 なるほど、4については数字以外の可能性もあるのか。確かに矢印なのかもしれない。すると祭壇から十字架像に向かってということなのか。数字の向きはそうなっている。

「あとえとも書いてあります。これについては何か気付きませんか?」

 吉屋は少し考えて答える。「いえ、特には」

「あと、これは関係ないかもしれませんが、客間に飾ってある絵についてです。あの絵を依頼した経緯をご存じないですか?」

「私はよくわかりません。依頼自体は百瀬さんが行ったようですよ。契約などは与那がわかっていると思いますよ」

「絵の内容について何か聞いてはいませんか?」

「宗教画ですよね。おそらく百瀬さんの趣味だとは思います。昔から絵画に造詣が深かったようです。ただ、私はよくわかっていません。お互いプライベートには無関心でしたから」

「そうですか」

 吉屋との面談はこれで終了となった。


 続いて厨房に向かう。先ほどの搬入口の件もあるので、その内容も含めて確認をしようと思う。

 厨房では従業員の昼食も終わり、すでに夕食の準備に取り掛かっているようだ。そこにはお誂え向きにシェフの屋別、江刺宗、留津がいた。まずはシェフの屋別に話を聞く。夕食の準備であまり時間が取れないということだったが、10分間の約束で面談を始める。

 屋別は山荘のお抱えシェフには惜しい人材と聞いている。見た目も腕利きの料理人の雰囲気である。そういえばテレビで見たような気もする。年齢は50歳ということだが、見た目は30代でも通用しそうなほど若々しい。料理人が着る白い衣装と帽子をかぶっており、清潔感が漂う。

「お忙しいのにすいません。なるべく早く切り上げます」

 屋別は黙ってうなずく。顔からは少し不満が伺える。

「厨房の搬入口についてです。鍵はどうなっていますか?」

「普段は鍵をかけている。だから昨晩も鍵は掛かっていたよ。週一で食料が搬入される時にだけ鍵を開ける形にしている」

「鍵の管理はどうされていますか?」

「俺に一任されてるんで持ってるよ」そういってキーホルダを見せる。そこには部屋の鍵もあるのだろうか、数個鍵がついていた。

「それ以外に鍵はないということでしょうか?」

「後は与那さんがスペアキーを持ってる」

「そうですか。じゃあ昨晩から鍵はかかったままですね」

「そういうことになる」

「屋別さんはどういった経緯でこちらに来られたんですか?」

「俺は百瀬さんから誘われてね。こういった環境に憧れもあった」

「自然豊かな環境ですね」

「そう。じっくりと料理の研究もしてみたかったし、都内で仕事に追われていると余裕もなくなるしね。この辺だといい材料も手に入るんだよ。料理人にとっては、そういった新しい食材に挑戦するのも楽しいものだからね」

「都内の仕事を辞めて来られたんですよね」

「まあね。店では雇われシェフだったんで、辞める分には問題なかったんだよ。それでもそれなりに引き止められたけどね」

「それよりもこちらでの生活を優先されたということですね」

「まあ、そういうことになるね」

 おそらく給料も変わらないか多いぐらいなのだろう。あえて聞くことは止める。

「百瀬さんとはどういったいきさつで知り合われたんですか?」

「百瀬さんがうちの店を贔屓にしていたんだよ。彼は独身だろ、毎日のように来てくれていたよ。会社の接待でも使ってもらっていた。そういった縁だね」

「なるほど。いつごろからですか?」

「知り合ったのはもう15年ぐらい前かな。ちょうど俺が店を任されたころになる。百瀬さんの会社も近くてね」

「赤坂ですか」

「そう」

「百瀬さんがこういうことになって、屋別さんはこれからどうされるんですか?」

「俺は料理しか能がないからね。また、どこかの雇われシェフでもやるしかないね」

 屋別にもダイイングメッセージについて聞いてみる。

「これが祭壇に書かれていたんですが、何か覚えがありますか?」

 屋別はスマホの画面をみる。

「いや、何かな。わからない」

「そうですか。数字と文字みたいなんですが」

「4と『え』なのかな。祭壇にあったのか?」

「そうです。普段、教会には入られないんですよね」

「そうだね。教会を残した理由を知りたいぐらいだよ」

 屋別はとにかく仕事に戻りたそうにしており、俺もそれほど押しが強くないのでここまでとなった。

 厨房を手伝っていた若手2名については、話を聞くも手掛かりになるような新たな情報は得られなかった。


 聞き込みを終えたので報告のために中村を探す。ところが彼女が見つからない。いったいどこにいるのか、部屋にはいないし、外にもいない。山荘内をあれこれ探すと、なんと図書室で見つけた。

 図書棚は高さが3m近くあるので、上の本を取り出すには脚立がいる。なんと中村は脚立に乗ったまま、本を読んでいた。

「中村さん大丈夫ですか?」

「大丈夫って何が」

「そんな脚立の上で読んで、怖くないですか?」

「別になんともないぞ。うちはバランス感覚がいいんだ。なんならここで逆立ちでもしようか」

「いえ、けっこうです」彼女ならほんとにやりかねない。「それで関係者から話を聞いてきました」

「そうか」脚立から飛び降りる。わお、こっちのほうが冷や汗が出る。

 俺は聞き込んだ情報をあらかた話す。中村はそれを反芻するかのように考えたのち、「で、昴はどう思う?」と聞く。

「どうって?」

「犯人はわかったのか?」

「何でですか、何もわかりませんよ」

「だって昴皇子だろ、トリックも含め簡単にわかりそうなもんだろ」

「無理ですよ」だって昴じゃないし。

「まったく、君は本当に昴皇子なのか?」

 いきなりドキッとするようなことを平気で言う。多分、無意識に話をしているのだろうが、この人は急所を突いてくる。

「ミステリーは序盤で犯人はわからないものなんです。諸々の情報が出てきてようやく大団円になるんですよ」と作家としての正論を吐く。

「そうそう、うちは前から思ってたんだけどな。小説を読むと、あれだけの名探偵でありながら、なんで最後まで犯人がわからないんだろうな。そのくせ序盤から、何か気付いたような思わせぶりなことを言ったりするだろ」

「はあ、だって小説ですよ。第一章で犯人がわかったんじゃ数ページで話が終わっちゃうでしょ」

「まあうちに言わせると、本当の名探偵ではないということだ。名探偵なら第一章で犯人を突き止めて犯行を未然に防ぐはずだな」

 言ってることは間違ってはいないが、それでは小説が成り立たない。すべての推理小説が数ページのパンフレットみたいになる。

「じゃあ中村さんは何か気付いたんですか?」

「さあ、どうかな。昴が言うところの大団円まで取っとくかな」

「ほら、やっぱりそうなりますよね」

「それと今回の事件は、犯人逮捕で終了と簡単にはいかないよ」

 あらら、自分も思わせぶりなことを言ってるぞ。「どういう意味ですか?」

「まあな。ああ、そんなことよりここの図書室はすごいぞ。何でもわかる」

「何でも?」

「ここには雑誌の類もあるってことだよ」

「そうなんですか?」

「まあ、さすがに昴が期待するような、エロ雑誌やゴシップ系の週刊誌はないがね。でも学術や科学系なら雑誌もある。祭典参加者のインタビュー記事や業績についての記事もあったよ」

「そうですか」エロはないのか、少し残念かも。ああ、いかん中村に感づかれる。

「つまりネット環境が無くても、ある程度のことはわかるってことだよ」

「へーそれで何がわかったんですか?」

「いや、まだそこまでは」中村は煮え切らない態度を取る。はあ、なんだ何もわかっていないんじゃないか。

「それこそ第5章でネタはばらせないだろう」とさらに言い訳めいたことを言っている。

「それで俺が調べた従業員の話で、気になった部分はなかったですか?」

「そうだな。特にはなかったかな。それこそ想定の範囲内の事柄しかなかったよ」

「そうなんですか、ああ、厨房の搬入口はどう思います?」

「ああそれは前から気付いていたよ。外部から侵入は可能と思ったが、昨晩は雨だっただろ、濡れずにあそこから入ることはできない。ましてや厨房にはそういった雨水の痕跡も無かった。警報も鳴らさずに、雨にもぬれず、外に足跡も残さずに入ることはまず不可能だ」

「外にも足跡が無かったんですか?」

「無かったな。山荘の周りは一通り確認したが、どこにも足跡は無かった。今はあるぞ。祭典参加者がどんどん見て回ってるからな」

「あ、そういえば防犯カメラも確認したそうですね」

「ああ、そうだった」

「俺に教えてくださいよ」

「何も映ってなかったよ。こんな情報要らないだろ」

 確かにその通りなのだが、この女性は実に的確に事件をなぞっている。ひょっとすると名探偵なのかもしれない。となると俺がワトソンなのか。

「そういえば横井先生も言ってましたが、真相に近づいている人もいるような話でしたよ」

「そうか。まあ、図書室にも何人か来ていたよ。ネットで検索することに近い情報は得ることが出来るからな」

「そうですか」それなら少し検索してみるかな。「中村さんはこれからどうしますか?」

「うちはもう少しここで閲覧してみるよ」

「じゃあ、俺も閲覧してみます」


 そうして二人で同じように本を閲覧していく。

 確かにこの図書室の閲覧システムは図書館と同じようなものだった。いやそれどころか数段優れた機能を持っている。柔軟に検索が出来るようになっているのだ。図書名と作者名による検索はもちろん、読みたい内容を記入すると候補が数点出てくる。さらにその概要解説までもが記載されている。ここには最新作もあるから、まさにネット環境に匹敵する。

 出てきた候補の本を指定すると、図書棚の番号と本がある位置までもが画像として表示される。それで簡単に本を見つけることが出来る。ここまでのシステムは外部委託しているのは間違いない。ここで使うだけとは、もったいない出来栄えである。

 まずは百瀬氏について調べてみる。百瀬光一で検索すると、本人が書いたものや関連書籍が数十点出てきた。自筆のものはそれこそ経営や起業についてのビジネス本が多く、こちらが読みたいものでは無い。しばらく確認していると経済雑誌でインタビューを受けたものが見つかった。百瀬氏がリタイヤ宣言をした直後の取材でもあり、その内容が気になった。読むとその中で引退の理由を述べている。

『一番の理由は年齢ですよ。私ももう70歳を越えましたからね。以前のような鋭さというのかな、物事への素早い対応が出来なくなってきました。それ以外にあえて言うとすれば、疲れたということですか、これからは終活に入ろうと思います』

 インタビューアが百瀬氏の終活について質問している。さらには彼の財産についても突っ込んだ話を聞いている。

『どこかの静かな山荘に籠ろうと思っています。そこで余生を送りながら、世の中へなんらかの貢献も考えています。それなりに私財もありますからね。これをどう有効活用したらよいのか、考えてますよ。私は独り身なんでね。このままだと、国庫に没収されることになりますから、それは勘弁してほしい。今の政治に期待はできない。政治家は自身の保身に走るし、この世界を夢のあるものにしようという気概も頭も無い。その場限りの政策と人気取りばかりを考えている。そういう意味では若いこれからの人材に貢献できるものはないかと考えていますよ。具体的にはこれからです』

 インタビューアは現在の世の中の問題について質問する。

『今や世界的に秩序や倫理観がない。私利私欲に走っている。世界各国がそういう動きをしている。民族紛争、領土問題、人種問題もそうです。この地球という小さな世界でどうしてこんな争いが起きるのか、嘆かわしいと思いますよ。身近な話で言うと近年、日本で起きている事件も悲惨なものばかりです。詐欺行為で御老人からなけなしの金銭を奪ったり、親が子を子が親を理不尽に殺したり、もはやニュース番組も見なくなりました。世界が狂ってきたように思えます』

 こういった記事が数ページにわたって掲載されていた。

 そしてこの後に実際、この山荘を購入し、改修を経て終活をしていくこととなったのだ。さらに有望な若手にこれからの日本を変える50人という企画で支援をおこない、そのさらなる活動が今回の祭典である。

 ここで何か違和感を感じる。はたして今回の祭典メンバーが、百瀬氏が思うこれからの世界を担う人材なのだろうか。確かに優秀ではある。ただ、世の中を変えるような人間なのだろうか、その点が気にかかる。

 ふと気になって辺りを見回すと、中村はどこにもいなくなっていた。まったく神出鬼没な人である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る