第4話 教会
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時刻はまだ午後10時過ぎだがそろそろ寝ることにする。
やはり、文明に毒されているということだろうか。いつもであれば夜はこれからと、ネットやテレビを見たりする時間だが、通信媒体や放送機器もないと何もすることがない。ただ漫然とするしかないのだ。仙人のような生活に順応するには日にちが足りないということか。
今日、出会った人間は誰もかれもが、まともとは思えない。祭典参加者はみんな昴以上に奇抜な連中ばかりで、百瀬氏や山荘の従業員もどこか異邦人のような気がする。これまで俺が出会ってきた人間とはどこか根本が違うのだ。その違和感はわかるのだが、それがどこから来るのかがよくわからない。こういうところが小説家になり切れない自分を如実に表していると思う。表現する術をしらないのだ。
さらにあの脅迫状ともいえる手紙は何なのだろう。単なる人数減らしが目的であれば問題は無いのだろうが、まさか本当に殺人までも犯してしまおうというのだろうか、祭典参加者を考えると不気味に感じてしまう。
窓越しに外を見ると与那が言ったとおり、雨は少しずつ小降りになってきた。この分だと明日は晴れそうだ。ベッドに入り、ふかふかの羽毛布団にくるまれていると、いつの間にか寝てしまった。
ふと目覚める。はて何だろうとぼんやりしていると、何か叫び声を聞いたような気がする。最初は夢でも見たのかとそのままでいると、さらに悲鳴が聞こえるではないか。それも続けざまに。
これは助けを求める声だ。飛び起きて時間を確認すると午前3時半だ。こんな時間に一体何が起こったのだろうか。
寝巻代わりのジャージのまま廊下に出ると、すでに数人が声がする方向に行こうとしている。俺も急いでその列に加わる。
女性陣は着替えがあるのかそこにはおらず、走っているのは男性のみだ。すぐ前を走っているのは横井教授のようだ。何故かピンク色のパジャマを着ている。着慣れた寝巻でないと寝られないたちなのだろうか。
横井に声をかける。「叫び声が聞こえましたよね」
横井は振り返り、「ああ、どうやら1階。それもあれは教会の方じゃないか」
教会は鍵がかかって入れないはずだ。となるとその前の図書室かもしれない。
必死で走るが、むしろ横井の方が早い。20代でありながら40歳の物理学者に負けていいのだろうかとも思うが、運動音痴は生まれつきなのだ。運動会などでは活躍したためしがない。チーム戦だと、こいつさえいなければといった、冷たい視線を浴び続けた忌まわしい過去がよみがえる。
横井の前には松井がいるだけで、それ以外の人間はいない。そう言えば梅沢はどうしたのだろうかと思う。ひょっとして彼の悲鳴だったのかもしれない。とにかく声がした方に急ぐ。
階段を転ばない限界スピードで駆け下りて、そのまま図書室の方に急ぐ。
図書室に入るがそこには何もなかった。声がした場所は図書室ではなかったのだ。そうなると教会なのか、しかしあそこは入れないはずではないのか。そう思いながらさらに奥に急ぐ。
教会前にはジャージ姿の梅沢がいた。さすがはスポーツマンである。足も速いのだろう。とっくに現場に到着していたということか。
松井が梅沢に話しかける。「声は教会の中からですか?」
「どうやらそうらしい。ただ、鍵がかかっていて開かないんだ」
「誰がいるんですか?」
「いや、それもよくわからない」
そこに血相変えた江刺宗と出洞、遅れて医師の吉屋が走ってくる。
「出洞さん、鍵がかかっていて開かないんだ」
梅沢の声に出洞がさらに青ざめる。「鍵は百瀬さんが持っているはずですよ。いや、しかしそんな馬鹿な。江刺宗、鍵を取りに行ってくれ」
江刺宗が素早く走り去る。彼は百瀬氏の部屋まで取りに行くのだろうか。俺は気づく。「じゃあ中にいるのは百瀬さんですか?」
横井が同意する。「そうだな。鍵を持っているのが百瀬さんだとするとそうなる」
「鍵がかかっているんですよね」
「ああ、俺がいくら開けようとしても開かない。やってみるか?」
力自慢の梅沢が言うので間違いは無いと思うが、俺は一応、確認の意味もあって、両扉にある長い金属製の取手を引っ張ってみる。やはりびくともしない。
「開かないですね」
扉の鍵穴を見ると昔からよくある人型、円と台形から成る形である。
その頃になって、ようやく中村と与那、留津ら女性陣が揃ってくる。確認するとやはり百瀬氏がいない。ちなみに余計な話だが中村はスウェットの上下だった。
江刺宗が戻ってくる。「鍵がありません」
与那が青ざめる。それは中にいる人物が特定されたからだろう。
「仕方ない。出洞さん扉を壊してください」
出洞が力任せに扉を開けようとする。しかし、取手を引きちぎりそうになり、いったん止める。
「工具を取ってきます」そう言うと走っていく。
中村が俺に話しかける。「百瀬さんが中にいるのか?」
「ええ、おそらくそうだと思います」
「叫び声も聞こえたぞ」
「ええ、聞こえました。何回か声がしましたよね」
「うちが覚えている限り、3回ぐらいかな」
「そうですね。私もそのぐらいだと思います」横井が言う。
「どんな叫びでした?」
「助けてくれだったと思う、もしくはそれに近い言葉だったと」
「助けてくれ、誰か、殺されるだよ」梅沢が補足する。
いったい教会の中で何が起こったのだろうか、その後、中から物音は聞こえてこない。その静けさが反って不気味に感じる。
出洞が斧を持って戻って来る。それほど大きなものでは無いが、扉を壊すのには十分だろう。
出洞が鍵穴目がけて斧を振り落とす。木が軋む音と共に鍵穴が壊れてくる。数回、振り下ろすとついに崩壊し、開けることが出来た。
軋む音と共に重い扉が開かれる。
何か生臭い匂いがして中を見る。
与那が悲鳴に近い叫び声を上げながら、教会の祭壇まで走っていく。
教会は明かりが無いため薄暗い。さらにこの雨で室内を照らすのは外の街灯のみである。薄明りの祭壇。それは思ったよりもしっかりと作られており、奥の壁には十字架に吊るされたキリスト像が見える。その像はすべてを見越すかのように存在していた。祭壇周辺は舞台のように幾分高い台になっており、祭壇を背に仰向けに倒れているのは、やはり百瀬氏だった。
驚くことに祭壇には夥しい血が流れ出している。そしてそれはそこに横たわる人物から流れ出している。
「百瀬さん!」与那が百瀬氏を抱きかかえるようにするが、百瀬は自ら動こうとはしない。後に続いた吉屋が百瀬氏を診る。
横井が質問する。「息はありますか?」
医師である吉屋が首を振り、さらに脈を確認する。「心臓も止まっている」
中村も百瀬氏の遺体を確認する。「確かに呼吸も鼓動もない。心臓マッサージは出来ますか?」中村が梅沢に聞く。
「ああ、やってみよう」水泳選手だとそういった訓練もやるのだろう、躊躇なく梅沢が心臓マッサージを始める。
「救急車を手配します」出洞と江刺宗があわただしく出て行く。
吉屋はAEDを持ってくるという。
周囲を見回す。入口から入った人間はすべて中にいて、それ以外の人物が教会内に残っていることはない。もちろん中から出て行くような人物はいなかった。そしてこの教会の入り口は先程みんなが入った一つしかない。
教会に窓はあるが、それは開閉式ではなく、ステンドグラスのはめ込み式である。中村はスマホをライト代わりにしながら、その窓を触って確かめている。彼女が俺のそばに来て話す。「昴、このランセット窓は開かない」
窓は細く上部がとがった刃上になっている。それをランセット窓というのか、ステンドグラスで彩色されており、それが等間隔に設置されている。その窓が壊れているようなこともない。
教会は本格的なものに見える。祭壇に向かって手前両側には備え付けの木製の椅子が並んでいる。子供の頃に教会に行ったことがあるが、それと同じ作りだ。神父さんが薄いパンのようなものをくれたことを思い出す。祭壇もテーブルではなく、木でできた教壇状のしっかりしたものである。さらに奥にあるキリスト像は教会にあるものと変わらない。
ここで重要なことは、ここは完全な密室となっているのだ。つまりこれで考えられるのは自殺しかないはずだ。それなのになぜ、悲鳴をあげ、血まみれとなっているのだろうか。
出洞たちが戻ってくる。
「与那さん大変です。電話が使えません」
「何?どういうこと?」
「よくはわかりませんが、電話が不通になっています。断線が起きているかもしれません」
「なんてことなの。とにかく出洞は電話を使えるようにして。江刺宗、車で町まで行ってくれる?救急車は間に合わないかもしれないけど、警察を呼ばないとならないから」
「わかりました」出洞たちが走っていく。
そして先ほどから教会内をうろうろしていた中村がありえないことを言う。
「おかしいな。凶器がない」
そこにいた全員が顔を見合わせる。中村が教会内を探索していたのはわかっていたが、凶器を探していたのか、それにしても凶器が無いとはどういうことだ。
梅沢は首を振り、マッサージをあきらめる。「無理だな」
吉屋がAEDを持って戻って来ていた。ただ、状況を見てあきらめる。そして注意深く百瀬の状況を確認している。
吉屋に聞いてみる。「傷の状態は?」
「ざっと見たところ腹部に2、3か所、背中に一か所、全身に刺し傷があるようです」
俺も百瀬氏の傷を確認するべく、遺体を見る。
高級そうなガウンを羽織って、おそらくシルクの寝巻を着ている。おそらくというのはシルクを知らないからだ。そんなもの着たこともないし見たこともない。ただ、艶やかに光っており高級そうに見える。そしてそれは血まみれだ。今や赤黒く変色しつつある。
一体どうすれば凶器もなく、そういった傷を残せるのだろう、もしくはどこに凶器を隠すことができるのだろうか。
俺は吉屋に確認する。「刺し傷なんですか?」
「ええ、この大きさの傷だと、ナイフも大型のものだと思いますよ」
そして、全員で教会内をくまなく探してみる。スマホライトや山荘にある懐中電灯を使って念入りに探索する。
血だまりは祭壇を中心に一部は舞台から床まで流れ出しているほどだ。これは相当な出血量になる。ただ、その場所以外には血痕もなく、凶器はこの場所にあるはずなのだが見当たらない。ここになくてはならないのだ。なぜなら自殺しかありえないのだから。
俺は質問する。「与那さん鍵は本当に一つしかないのですか?」
「ありません。それは百瀬が自分で管理していました。それにこれまで教会に入ることもあまりなかったですから」
「今、鍵はどこにあるんですか?」
与那が百瀬氏のガウンを探る。
「ありました」ポケットから鍵を出す。普通のボウ鍵とでも言うのだろうか、棒の先に切れ込みがある鍵である。
さきほどから気になっていた言葉がある。そしてそれを中村が先に言い放つ。
「密・室・殺・人」
横井教授が首を振りながら「そんなこと、あるわけがない。どこかに入り口がある」
「先ほどからそれを確認してみたんですが、この教会にはそういった隠し扉のようなものはないですよ。構造上も難しいかと」中村が言う。その話にむきになって横井は室内を探しまくる。
教会内は白壁で出来ており、構造自体は単純だ。確かに見た限りはそういった仕掛けはないように見える。
俺も壁や祭壇近くに隠し扉のようなものがないか探してみる。
キリスト像は1mぐらいの大きさで十字架に吊るされている。全面を覆った壁に設置されており、そこには少しの隙間もない。祭壇が載っている舞台も木でできており、探ってみても仕掛けなどは見当たらない。
そこにいる全員が触ったり叩いたりしながら、隠し扉や凶器を探し回っている。どこかに扉があるはずなのだ。
俺は与那に質問する。「教会の下まで地下室が繋がっているようなことはないですよね」
「地下室は本館までとなっています。それ以降に地下に続くようなものはありません」与那は言い切る。
推理小説の定番、密室殺人。俺も書こうとしたことはあるが、今や数多くの作家があらゆる作品を作り出し、もはやネタは切れているはずだ。どれもが過去の焼き直しであり、基本も出来上がっている。今さら新機軸の種明かしもない。そう考えると、今回は自殺の可能性が最も高いのだ。ただ凶器が無いとなると、それはとたんに難しくなる。古くは消えた凶器ということで、氷を使ったトリックやら、凶器がギミックを使って、室外に出て行くようなものは読んだこともある。ただ、ここにはそういったことが出来そうな穴や隙間もない。外部へ出て行く空間がまったく無いのだ。強いてあげれば鍵穴ぐらいだ。
中村がそばに来て話す。「昴、どうかな、何か気付いたか?」
「それはミステリー作家として意見を求めているのですか?」
「それ以外ないだろ、これは君の領分だ」
昴皇子ならそうだろうが、長谷川真治は違うのだといいたいが、そうもいかない。遺体の前ではあまりに不謹慎なので小声で話す。
「今回の場合、考えられるのは自殺というケースです。ただ、背中も刺されているし、不思議なのは凶器がないことです」
「ああ、そうだな。そう考えると合鍵は本当に無かったのかということだ」
「合鍵があればすべてが覆りますね。ただ、それをやれた人間がいたんでしょうか?」
中村が不思議そうな顔をする。「どういうことだ?」
「叫び声が聞こえてから、現場に来るまでに教会から出て行く人間はいなかったと思うんです。だって最初に梅沢さんが来るまでにそれほど時間は経っていなかった。教会までの本館の通路は一本道です。犯人がいればすれ違ったはずですよね」
「確かに教会から本館に抜ける場合、図書室を通るしかないか。だったら途中の厨房はどうだ?そこに一時的に身を隠すことはできるよな」
なるほど、厨房側に身を潜めていればやり過ごすことはできる。
「となると、犯人は今も厨房にいることになりますよ。以降も人の出入りはありましたから」
「見てみるか?」
「そうですね」
中村が与那に声をかける。「与那さんもし仮に犯人がいるとすれば、厨房に身を隠しているのかもしれません。確認させてもらってもいいですか?」
「厨房ですか、それは無いと思いますよ。厨房にも鍵を掛けていますから」そういって少し考えてから「まあ、確かめてみますか」という。
そこにいる人間たちで厨房に行くことにする。ここでふと気づくと参加者の中にヘブンがいない。まあ、彼女はこういった修羅場はご免こうむりたいというところかもしれない。最初から拒否しているのだろうか。
途中の図書室も念入りに探りながら、レストランの奥にある厨房前に来る。ノブがついている開閉式のステンレス製のドアがある。
「ここからが厨房になります」与那がドアを開けようとするが、鍵がかかっているようで開かない。「やはり鍵がかかっていますね」
俺は確認の意味で、「確認させてください」といってドアを開けようとするが、やはりびくともしない。
与那は持ってきた鍵で扉を開け、ドア横のスイッチで灯りを点ける。
厨房はよくあるレストランのそれと同じで、ステンレス製の広々とした調理用テーブルが数台設置してあった。そこにいた全員で周辺をくまなく探してみる。梅沢などは冷蔵庫も開けて中を見ていた。
結局、厨房に人はいなかった。
そこから外に向けて扉がある。搬入用の出入り口なのだろう。
「与那さんその搬入口も確認していいですか?」
「どうぞ」
搬入口はアルミ製で摺りガラスの窓がある。扉のノブを回すが鍵がかかっている。与那が補足する。
「外部から侵入者の有無は、防犯カメラでも確認してみます。ただ、開けられた場合は警報が鳴るようにはなっています」
先ほど聞いたセキュリティスシテムの話だ。
「ここには地下室もあるんですよね」
「そうです。そこも見てみますか」明日の予定だったが、今日見ることにする。
厨房隅に先ほどの入り口と同じような、ステンレス製のドアがあった。そこにも鍵がかかっており、与那が鍵を開けて中に入る。電灯を点けると、そこから地下に向かって階段が続いている。
与那を先頭に階段を降りていく。なるほど、地下は昔のホテル時代から改修していないようで、階段も石を積み上げた石段になっている。10mほど下ると地下室が広がっていた。与那が説明する。
「ここは主に食料の貯蔵用に使用されています。地下のため温度は一定で食べ物が腐ることもないようです。さらにワインセラーも置いてあります」
地下室は昔ながらの作りで壁はレンガで出来ている。確かに空調が効いているのかと思うほど涼しく感じる。そこには木でできた棚が設置されており、野菜や穀物、チーズなどの食材が置いてある。さらにワインボトルが専用のボトル受けに並んで置いてあった。
「その奥に山荘の電気や防犯を管理する施設があります。地下室の約半分はそういった作りになっています」
金網で囲まれた部屋があり、そこだけは近代的な構造物になっている。その中に蓄電システムや電気関連機器が設置されているようだ。金網越しに中からLEDの光が見える。
「一応、その施設の中も確認してみましょう」こちらが言うまでもなく与那がそのフェンスの扉を鍵を使って案内してくれる。
中はどこかのコンピュータルームのような、この屋敷には似つかわしくない最新の電気機器が並んでいる。表示灯が細かく点灯、点滅を繰り返している。
さすがに横井教授はこういった機器への知見があるようで、「ほう、最新の機器をそろえているようですね。うちの大学にも欲しいぐらいだ」と感心しきりだ。
全員でその中も確認するが、やはり人が隠れているようなことはなかった。
「これでよろしいでしょうか?」与那が念を押すように言う。
これ以上の探索は不要として、地上に戻る。
それからは与那と従業員は教会現場の保全にあたる。俺たちは部屋に戻る気も失せ、ロビーで思い思いに待機する。
するとそこに、先ほど車で救助を求めに向かった江刺宗が血相を変えて戻って来た。これ以上、何が起こったというのだろうか。
「皆さん大変です。林道でがけ崩れが起きています」
「がけ崩れ?」ほぼ全員が同じセリフを放つ。
「道が塞がっていて通行できません」
「ひどいのか?」
「はい、大量の土砂が道を覆いつくしています。おそらく通行するためには重機が必要だと思います。とても行ける状況じゃないです」
「俺たちはどうなるんだ?」梅沢が掴みかからんばかりに話す。
「しばらくはこのままでお待ちいただくしかないです」
「いや、それは困る。いったいいつになったら出られるのかということだよ」
梅沢でなくとも、この殺人事件が起きた現場にいつまでも足止めされるのは気分が悪い。
「はい、土砂崩れの影響で電話線も切れたのだと思います。まずは電話会社が通信の不具合に気付くと思います。さらに週一回は契約業者から荷物が配送されますので、遅くともその際には気づくと思います」
「それはいつになる?」
「明後日には便が来る予定です。ですから最悪それ以降の復旧作業となります。多分都合1週間では何とかなると思います」
「1週間」
元々5日間はここにいるつもりだったのが、2日間増えるということか、まあ、俺はそんなに困らない。
「与那に報告に行ってきます」そういうと江刺宗は教会の方に走っていく。
来るだろうと思っていたが、案の定、中村が俺のそばに来て、何か嬉しそうに言う。「昴、クローズドサークルが追加だ」
「わかってます」
「どういうことなんだろうな」中村は笑みを含んで言う。
クローズドサークルとは、古くからミステリーで取り上げられるテーマである。アガサクリスティのオリエント急行や、そして誰もいなくなったなどもそういった小説である。閉鎖、隔絶された世界で起きる連続殺人事件、作家はそういったテーマが大好きなのだ。そういえば昴の小説にもそういう話があったと思う。
「これはまさに昴に解いてほしいということじゃないのか?」
「いや、だって解くような話じゃないですよ」
「ふーん、そうかな」そういって中村はロビーをうろうろしだした。
実は俺にはここに来た時から、そういった漠然とした不安のようなものを感じていた。作られた閉鎖環境、そういった世界があるとなると、ミステリー作家であればクローズドサークルを考えてしまうのだ。しかし、それは小説の中での話だ。実際にはそういったことは起きないし、連続殺人などといったものはさらに起きないはずだ。
2
時刻はすでに朝の5時を回っている。
予想通り雨は上がり、久々に朝日が昇ろうとしている。
祭典参加者たちは眠ることもせずにロビーにたむろしている。単純に眠る気にならないといったところだろうか、みんな生欠伸を繰り返している。
そんな中、中村だけは相変わらず忙しそうに、山荘内をうろうろしている。落ち着きがないというのか、本当に幼稚園児を大人にしたような人なのかもしれないが、精力的に動き回っている。さらに与那と話をして警報を切ってもらい、傘を差しながら外に出て何やら延々と確認を続けていた。
教会の片づけが終わって、与那と従業員たちがロビーに顔を出す。
疲労感漂う顔で松井が与那に声をかける。「どんな状況ですか?」
「はい、遺体をあのままというわけにはいかないので、地下室に保管場所を設けました。吉屋先生に簡単に検死をしていただき、それと現場写真は撮りました。また、現場には手を加えず、そのままとしております。これからの警察の捜査の支障とならないように、皆様も現場保全に、ご協力をお願いいたします」
一同はうなずいて同意する。
ここで与那が俺たちに何か話をしようとしてやめる。そして女性従業員の留津に向かって「鳳様を呼んできてください。お客様全員に話をしたいことがあります」そして与那は留津に鍵を渡す。「返事が無ければ開けて起こしてください」
「わかりました」留津は2階に向かう。
「私のほうから皆様に提案させていただきたいことがございます。お疲れのところ申し訳ありませんが、もう少しお時間をいただきます」
与那が何を言うのか、そしてお願いとは何なのか、思いを巡らすも寝不足の鈍い頭では何も浮かばない。
そこに陽の光が差し込んでくる。
ロビーの窓から外を見ると、山脈の向こうに朝焼けが見える。 山荘前にある湖に朝日が映えて、まるで風景絵画を見るような美しい光景が広がる。むごたらしい殺害現場とは無縁の景色だ。
ところが、そんな光景を覆すように、血相を変えて留津が駆け込んでくる。「与那さん、大変です。来てください」
留津と一緒に与那が2階に駆け上がる。当然、その場にいた全員が続いていく。俺は急いでいるのだが鈍足が災いし、やはり最後になっている。なんと中村は俺の数倍は早い。梅沢といい勝負だ。階段も3段抜かしぐらいの速度で駆け上がっていく。
ゼイゼイいいながら2階まで来る。階段脇の1号室、鳳ヘブンの部屋の扉が開いている。遅れてそこまで来ると、皆が中を見て唖然としている。まさかヘブンの身に何かあったのか、後ろから部屋の中を覗き込む。
ヘブンが茫然と立ち尽くしている。どうでもいいことだが、ヘブンは真っ赤なスウェット姿だった。
そして驚くことに、ヘブンの足元にナイフが落ちているではないか。そしてそれは見事に血まみれだった。
「私は知らない」ヘブンが吐くように言う。
ナイフはサバイバルナイフとでも言うのだろうか、刃渡り30㎝はある頑丈そうな品物だ。それが血まみれになって床に無造作に落ちている。
与那がそこにいる全員を制するように言う。「皆様、ナイフに触らないようお願いします。留津、どういうこと?」
留津は青ざめているが慎重に話す。「鳳様を起こしに来たのですが、お返事がないので、鍵を使って入りました。するとこれを発見したのです」
「だから、私は知らないって。こんなもの、いったい何なの」
「ああ、鳳様、実は百瀬が何者かに殺されたのです。教会で刺されたようでした」
与那の話でヘブンはナイフの正体を知ったようだ。あまりの話に言葉もなく目をむいている。
「すみませんがこちらの現場もこのままとします。鳳様、申し訳ありませんが部屋を移ってください。ここは閉鎖します。留津さん鳳様のお手伝いをして荷物を6号室に運んでください」
留津がヘブンを気遣いながら、荷物について話をしている。
しかし、どうしてナイフがここにあるのだろう。ヘブンがここまで持ってきたのだろうか、そうなると彼女が犯人なのか、しかしその姿を現場で誰も見ていない。いったい、どういうことだ。
やはり中村が俺のそばに来て、「昴、どういうことだ」という。中村は何故か半笑いである。
「訳が分かりませんよ」
「そうか、昴でもわからないか」楽しむように言う。
与那が気を取り直すようにして「すみません。皆様は予定通り、これからロビーにお集まりください」
そして留津に言う。「鳳様を6号室に案内してください」そしてヘブンに向かって「申し訳ありませんが、鳳様も準備が整いましたら、ロビーまでおいでください」と諭すように言う。
ヘブンはまだ落ち着かない様子だが、渋々、その言葉に従うようだ。留津と荷物を整理しながら、準備を始め出す。
祭典参加メンバーは名残惜しそうにしながら、再びロビーに向かう。
俺は中村に言われるまでもなく、考えをめぐらす。
いったい、何をどうすればこんなことが出来るのだろう。恐らくあのナイフが凶器のはずだ。それが何故ヘブンの部屋にあるのか。そしてその意味は何なのか。ヘブンが犯人とでも言うのだろうか、間抜けにもナイフをそのままにして、いやいや、普通そんなことするか。
ヘブンが犯人でないとすると、真犯人はどうやってナイフをこの部屋に置いたのだろう。鍵は掛かっていたようだし、ヘブンに気づかれずにナイフを置くことなどできるのだろうか。
脅迫状は現実のものとなった。シェパードなる人物がこの中にいることになる。それはいったい誰なのか。
ロビーに戻った全員が同じように、この謎を考えているようだ。誰も口を開かずに考えに耽っている。
しばらくして、与那とその後ろからヘブンが階段を降りてくる。そしてヘブンは何も言わずに憮然とロビーのソファーに座る。
与那が全員の前に立ち、話を始める。
「この度は大変なこととなり、ご迷惑をおかけしております。誠に申し訳ありません」
そう言われても参加者には対処できない話だと思う。他のメンバーも無言で話を聞いている。
「このような事態になりましたが、私から提案があります」与那がその場の全員を見渡して言う。
「今回の祭典を継続してはもらえないでしょうか?」
その言葉にまず松井が質問する。「それはこのまま祭典を続けるということですか?」
「そうです」
「そんなことが出来るのですか?事件が起こったことは仕方が無いとしても、百瀬氏だけがこの祭典を計画していたのではないんですか?進行役無しに進められますか?」
「確かに計画は百瀬によるものですが、スケジュール表についてはもう出来上がっております。そしてその進行は私に委ねられてもいます。私が知る限り、進行するための障害はありません」
「スケジュール表があるんですか?」
「ございます」
ここで与那が言葉を選ぶ。
「そして脅迫状の通り、死者が出ました。つまりシェパードと名乗る犯人が存在するということになります」
確かにその通りだ。シェパードはこの中にいる。
「百瀬が申したようにその犯人を突き止めていただきたい。そうしてそれが出来た方に財産を贈与いたします」
松井が話す。「確認です。犯人を見つければ財産を受け取れるということですね」
「はい、そのとおりです」
横井が言う。「警察はあと1週間は来れないだろうから、その間に我々が犯人探しをしようというんだね。シェパードが誰なのかを見つけろと言うことだ」
与那がうなずく。「まさにおっしゃるとおりです。そしてそれを成しえた方に財産を贈与することになります」
クローズドサークルとなった山荘にこのまま滞在することは必至である。つまりはやるやらないに限らず、ここから脱出することはできないのである。それに祭典参加者の目的は一つだ。莫大な財産が欲しいのである。おそらく全員が今の提案を快く思っているはずだ。
「百瀬が申したように、今後の祭典には不参加という選択をされても構いません。殺される可能性があるのに続けられないということです。その場合は財産贈与を放棄し、山荘に滞在はするが犯人探しは行わないということになります。その場合でも当初の予定通り、皆様への奉仕は変わらずさせていただきます」
梅沢が多分、ここにいる全員と同じ考えを言う。
「やりますよ。やらないという選択肢はない。そのためにここに来たんだからね。主催者側が祭典を継続するのであれば、こちらとしては歓迎するしかない」
「承知しました。梅沢様は継続参加ということで進めます」
松井も話す。「与那さんおそらくここにいる人間はほとんどが参加継続だと思うよ。むしろリタイヤする人間を募った方が早い」
「なるほど、おっしゃるとおりですね。ではここで辞める方はおられますか?」
その言葉に反応は無かった。やはりそういう人間はここにはいないのだ。
個人的には殺人者がいるかもしれない状況での犯人探しという気味の悪い展開は気になる。リタイヤできるものならしたいのだが、昴皇子との約束もある。それにどちらにしろ、このまま山荘に留まるしかないのであれば、犯人探しをするのが妥当な所だろう。ましてやミステリー作家としての面目もある。
「それでは全員の祭典参加の継続意思を確認したということで進めさせていただきます」
いよいよ謎解きの開始となるわけだ。昴皇子ならどうするんだろう、まずは現場の再確認が優先だろう、さらには従業員も含めた関係者への聞き込みだろうか。
「それでは皆様への基本的ルールを再確認いたします。この屋敷内外へのアクセスは自由とします。行きたい場所があればどうぞご自由にご覧ください」
「従業員に話を聞くのも構いませんか?」
俺の質問に与那は少し考えて「構いませんよ。ただ、厨房は料理の仕度で忙しいかもしれません。屋別シェフが拒否する場合は遠慮してください」
「わかりました」
「それでは皆様、朝食は8時の予定となります。時間になりましたら、レストランまでおいでください。それまでは自由行動とします」
時間を確認する。まだ、7時前で朝食までは時間がある。まずは現場を再確認することにする。
3
レストランを通り、図書室を抜けていく。さらに教会へ行くための短い渡り廊下を通過する。やはりここまでに抜け道などは無く、一本道だ。
それなりに各部屋を注意深く見てみたが、どこかの部屋に通じるような隠し扉のようなものは無い。
となると考えられるのは窓から外に出ることだが、ロビーに窓は無い。さらにレストランにはあることはあるが、鍵を開けたままになるはずで、クレセント錠が開いていたようなこともなかった。もし仮に協力者がいて、犯人が外に出た後に窓を閉めるようなことをしたとしても、昨夜は雨が降っていた。雨にぬれずに再び山荘内に戻ることはできないだろう。また、当然、濡れネズミになったような者もいなかった。
図書室の窓は本棚の高さよりも上にあり、脚立が必要となる。そしてその窓もしっかりと閉まっていた。
まあ、後から窓付近の地面に足跡がないかは確認する必要はあるだろう。
「窓の外に足跡は無かったぞ」
突然、後ろから声がかかり、俺は思わず、少女のような悲鳴を上げる。
「昴は臆病だな」後ろに中村がいた。
「急に声を掛けないでください」俺はゼイゼイ言いながら文句を言う。しかし、この人は俺が考えていることがわかるのだろうか、ともかく窓の外に足跡は無かったのか。
「まあ、図書室の窓は高い位置にあるから登れないだろうな。レストラン側にも足跡は全くなかったよ」
「そうですか」
「どこかに抜ける隠し扉もない。窓から外に出た形跡もない。可能性があるとすれば、警報システムを無効化し外部から入った、我々が知らない人物が殺人を犯し、さらに窓から外に飛ぶようなことをして逃げる。そして内部の協力者が、クレセント錠をかけるということしかないかな」
「ですね。つまりはほぼ不可能ということです」
「壁伝いにスパイダーマンのように移動するという方法もあるが、濡れるだろうしな」
そもそもスパイダーマンってありえないでしょ。吸盤みたいなものを付けて、移動するのか。それにしても中村は伊達にうろうろしていたわけではなかったのか、落ち着きのない幼稚園児という表現は撤回したほうがいいのかもしれない。
「昴、どうかな。私に協力しないか?」
「協力?」
「ああ、少し頼みたいこともある。協力して事件を解決し、受け取る財産は山分けということでどうかな」
山分けって、それは昴に聞かないとまずいんだが。すでに昴と半分になった財産がさらに4分の一になるわけか。悩んでいると、「山分けの件は後でもいいぞ、ちょっと協力してくれ」と言う。
「はい、わかりました」思わず答えてしまった。やはりこちらの考えがわかるのだろうか、この人は相変わらず鋭いところがある。
二人で教会に向かう。
無残にも鍵穴が破壊された扉から、そのまま中に入る。
昨晩は明かりもなく薄暗かったが、今朝は晴天で室内にも陽の光が入っている。教会内が隅々まで見渡せる状態になっている。
やはり、殺害現場に入るのは気分が悪い。ましてや現場は保全されているため、血痕などがそのまま残されている。防臭剤が置かれているが、血の匂いは残っている。
ふたたび注意深く、室内を見る。
やはり、ステンドグラスが入った窓は嵌め殺しとなっており、ここから外には出られない。窓を押してみるが、びくともしない。
「ここは完全な密室だよ」あっさりと中村が言う。
確かにその通りだ。むしろ不自然なほどの密室ではある。火事があったらどうやって逃げるのだろう。
「昴、今の渡り廊下は後から作られたんだよな」
「そう言ってましたね。外部からの進入を防ぐ目的だと言っていました」
「教会を使わないのであれば、教会ごと無くしたほうがいい気がするな。本館側の扉も無くせばいいのだし」
「確かに避難経路も全く無いし、危険ですよね。使われていないという話でしたから、それでもいいのかもしれませんが」
「そうだね。ただ、この状態を見ると果たしてそうだったのかな」
「どういうことですか?」
「教会は掃除されているし、なんだか使われていたようにも見えないか。それと使わないのに通路を増設する必要があるだろうか」
「つまりここで信仰していたと言うんですか?」
「ここは本当の教会みたいだろ。そこのキリスト像だってレプリカじゃない。本格的なものだよ」
確かにそうなのだ。最初に見たときも、ここが単なる結婚式用に作られた教会だとは思えなかった。教会そのものに見えたのだ。
祭壇は黒ずんで大量の血痕が残っている。
「あと気付くことはないか?」
俺は周囲を見渡す。血痕の他に何かあるのだろうか。注意深く祭壇周辺を見渡す。何も気づかない。
「何かありますか?」
中村は腕を組んで何やら不敵に笑っている。美人であるが故にどこか不気味だ。
するとようやく祭壇に何かがあるのを見つける。汚れのように見えるのだが、文字のようにも見える。近づいてそれを確認する。
はたしてそれは数字だった。『4』とある。4~5㎝の大きさでこれは血で書かれたのかもしれない。
「ようやく気が付いたか」
「まさかダイイングメッセージですか?」
「可能性はあるだろうね。他にはどうだ?」
俺はさらに注意深く見る。すると4の近くに文字もあった。
それは『え』に見える。ただ、死ぬ間際に必死で書いたのか崩れ気味だ。
「え、ですか?」
「おそらくな」
祭壇には血で書かれたダイイングメッセージがあったのだ。百瀬氏は死ぬ間際に、何かを伝えようとして必死で書いたものかもしれない。
しかしこのミステリー満載の展開は何なのだろうか、作家としての力量を計るとでもいうのだろうか。しかし、おれは昴皇子ではない。推理小説を読んで犯人やトリックに気が付くような経験はまずない。種明かしを読んでも何のこと?などと思うことも頻繁にある。
中村と共にしばらく辺りを調べるが、結局それ以上の発見は無かった。
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