第2話 麗美(れび)山荘
1
列車は横殴りの雨の中を走っている。
6月5日梅雨前線活動真っ盛りである。今年は前線の活動が一段と活発らしく、この雨は数日間ずっと降り続いている。
昴からもらった山荘までの切符と彼が作った資料で、これまでのいきさつと彼の身上は理解した。そして指定された列車に乗っている。行きつく先は終着駅になる。
3時間近くの旅となるので、その間に資料を見直してみる。
百瀬氏が昴を選考した理由は、実に奇妙なものだった。
最初はボブス社主催の式典パーティ内で百瀬氏と挨拶をかわし、催しについての簡単な説明を聞くことから始まっている。そこでは興味があるとの回答に留めたが、後日、今度はネットで参加の意思確認が来ている。そこで参加希望と返答したところ、それから数日後、再びアンケート形式での審査が始まったそうだ。
そしてそれは数日間続く。色々な設問に対してマークシート方式で回答をする形式だったそうだ。性格診断などの心理テストに近い内容で、その詳細は覚えていないそうだが、そういったテストが都合10回ぐらい続く。本来であれば途中で投げ出すのだが、何せ報奨金1兆円である。昴であっても欲に目がくらんで回答を続けたらしい。ちなみに欲につられたという表現は俺の考えだ。
それにしても、将来を嘱望されるだけで、その人間に全財産を譲渡するものだろうか、それも縁もゆかりもない、素性も良くわかっていない人物にだ。
確かに百瀬氏は結婚もせず生涯独身を貫いている。親戚筋も無いようで、このまま亡くなった場合、私財は国庫に没収されるしかないことになる。遺言を残して慈善団体などに寄付するという選択肢もあるにはある。しかし百瀬氏はそれを良しとはせずに、これからの日本を背負って立つ人材に、有効利用してもらったほうがいいという思考になったようだ。
ただ気になるのはその対象が昴でいいのか、という点である。俺から見ても昴は胡散臭い男だし、彼には何か裏がありそうでもある。他に最終候補者が何人いるのかはわからないが、受賞者全員の50名ということはないだろう。多くとも20名か、それ以下だと思う。しかし、そういった中に昴が残るものだろうか。
昴皇子の身上書を見る。
本名下野和幸、なんということもない平凡な名前だ。昴皇子、つまりは星の王子様ということか。気障なペンネームだ。俺の本名の長谷川真治の方が潔い気がする。生年月日を見ると俺とは1歳違いで彼が若い。それなのに俺が昴さんで奴が真治とはおかしい気もするが、まあ素直に力関係ではそうなるのだろう。
出身は東京都で誰もが知ってる有名私立中学から高校へエスカレートで進学し、現役で国立大学法学部に入学している。さらに在学中に司法試験にも合格するという離れ業までもこなしている。
本来こういった人材は法曹界に行くべきなのだが、何を血迷ったのかミステリー新人賞に応募する。その処女作が選考委員の満場一致で大賞を受賞するという、さらなる離れ業をこなす。俺などかれこれ10作目で、挙句編集さんから何度も手を入れてもらって、ようやく佳作である。
確かに昴の作品は図抜けていた。発想もそうだが、文章力も並大抵な能力ではない。ただ、2作目以降はその影は薄くなり、並みの作家にはなったように思う。一作目ほどの切れがないのだ。それでもやはり読者の興味をひくものを的確に書いており、彼の作品は矢継ぎ早に出版されていく。そういうところはやはり天才というべきだろう。
昴とは顔だけでなく、身体的な特徴もよく似ていて、身長172㎝、体重60㎏とまったく同じだ。俺のメディアへの露出はほとんどないし、昴も出演した媒体は、新人賞の授賞式の後に小さいポートレートが載ったぐらいだ。もっと露出があっていいように思うが、本人の意向でメディアを避けているらしい。理由については作家業に専念したいからだそうだが、その割に飲み会だとか遊びには興じているのが不可思議だ。辻褄が合っていない気はする。
滝のように流れる雨の中、車窓からの風景は森ばかりである。山か樹しか見えない。時々、思い出したように民家があるがそれは単発で集落といったものでもない。今は6月でもあるし観光シーズンでもないので、車内にいるのは仕事をリタイヤした年配の登山家か、買い物帰りの老人のみだ。それも徐々に降りていき、終着駅を迎える頃には車内には俺一人になった。
電車は駅に着く。俺は傘を差してホームに降りる。
相変わらず雨は降り続いており、閑散としたコンクリート製のホームには屋根もない。周囲を見ると同じように降り立つ人間は数人しかいない。恐らくこの地域の人間たちなのだろう。ほとんどが年配者で普段着である。彼らは買い出しにでも行ったのだろうか、みな結構な荷物を抱えている。
駅舎は木製の歴史を感じさせる建物で、改札口も木枠で作られた質素なものだ。そこに暇そうな駅員が改札をしている。自動改札などありえないようだ。そんなことすれば年寄りの地域住民が暴動を起こすのだろう。
ふと気づくと改札口を出たところに、この田舎にはふさわしくない美女がいるではないか。見るからに洗練された今風の女性である。身長も俺と同じかそれ以上はありそうで、背中まである長い髪、さらにスタイルもいい。モデルか、もしくはその系統だろう。ひょっとすると彼女も今回の集まりに参加する人間なのだろうか。迎えの車を待っているようだ。
するとその女性が俺に気づいて親しげに近づいてくるではないか。もしや昴の知り合いか、それなら話を合わせないとまずいことになる。全身から冷や汗が出る。
目の前に来るとさらに美形であるのがわかる。多分女優なのだろうか、これからの日本を変える50人にはそういった芸能人もいたように記憶している。ただ名前までは憶えていなかった。
「君も百瀬さんのところに行くの?」
「はい、そうです」
それを聞いてにこりと微笑む。
「そう、うちは中村知里(なかむらちり)、よろしくね」
中村知里って誰だっけ。どんな映画に出てたんだっけと考えをめぐらすが、そういったものをあまり見ていないので、思い出せるはずもない。
「昴皇子と申します。よろしくお願いします」
「ああ、作家の昴さん?」
「ええ、そうです」偽物だけど、あまり突っ込まれると困るが。
「中村さんも祭典に参加するんですか?」
「そう選ばれたみたい」
何を話せばいいのかもじもじしていると、それに気づいたのか「うちは美術部門で選ばれたんよ。まだ世間的には売れていないけど、個展なんかもやってるの」
「え、芸術家なんですか?」
「そう、見えない?」
「すみません。そういった分野には疎いもんで、てっきり女優さんかと思ってました」
「まさか女優さんはないな。ああ、それとうちは顔出ししてないから、メディアにも出てないの」自分のことをうちというひとを久々に見た気がする。
「昴皇子さんってミステリー作家だよね」
「そうです」
「結構売れてるよね」
「ああ、いえ、そこそこです」
「いやいや、そこそこって印税もすごいんじゃないの?」
長谷川真治の印税はそれこそバイト料よりも少ないのだが、昴はあれだけ売れてるんだから、それこそ億なんだろうな。
「普通です」
「そうなの、うちら美術家はそれこそスポンサーがあってなんぼのもんだから、昴さんにも応援してほしいな」そういうときらりと白い歯を見せる。笑顔がきれいだ。
「はい、わかりました」とは言うものの俺は昴じゃないし、応援なんてできない。それこそ言葉通りの応援しかできない。ふれーふれーな、か、む、ら。
「それにしても生憎の雨だね」
「今年はよく降りますね」
「地球温暖化の影響かな。最近は梅雨も集中豪雨になって災害も多いから」
駅舎から見る景色も雨で煙っている。
さすがにここはど田舎で、駅前といっても店舗が軒を連ねているようなことはない。周辺を説明したようなさび付いた地図看板があり、食堂らしい店が一軒、あとは食料品か何かを売っているような、昔で言う万事屋(よろずや)といった店がある。それ以外は民家が数軒あるだけだ。
「ここは集落と言っても農家か、酪農家がいるぐらいで、地場産業もないらしいよ」
「そうなんですか?」
「昔は何かの鉱石が出たらしいけど、それも廃坑になったって聞いた。まさに過疎地だね。百瀬氏も反ってそういうところが気に入ったみたい」
「百瀬氏とはお知り合いですか?」
「いや、面識はないよ。うちはあの式典やパーティにも参加してないからね。選ばれはしたけど、昔からそういった集まりには参加しないんだ」
「そうなんですか?」でもこの祭典には参加するんだ。やっぱりお金が欲しいのか。
「ああ、それなのに祭典に参加した理由だね」思わずぎょっとする。この人は人の心が読めるのだろうか。
「はっきり言うとお金だね。何せ資産1兆円以上あるらしいから。それはとっても魅力的だよ」やっぱりそうだった。
「そうですね。ああ、でもパーティに参加した人間に百瀬氏が直接声掛けしたって聞きましたよ。不参加者にも声をかけたんですか?」
「その辺はよくわからないな。ただ、連絡は来たよ」
なるほど、百瀬氏側に選考理由があって声掛けをしたということなのだろうか、昴はパーティ参加者に声掛けしたと言っていたが違うパターンもあるということか。ひょっとすると50名すべてに声を掛けたのかもしれない。
しばらくして駅前に何やら黒塗りの高級車が顔を出す。よく見るとあのエンブレムはベンツだ。駅舎の前に止まり、中から男が出てくる。ベンツの運転手には似つかわしくない格好をしている。つなぎのようなベージュ色の作業服である。30歳は越えているだろうか。こっちに寄ってきて、「中村さんと昴さんですか?」と尋ねる。
中村が「そうです」と返答する。
「百瀬氏の運転手をしています出洞(でぼら)といいます。こんな雨の中、ご苦労さんです。さあ、乗ってください」
男は我々の荷物をトランクに入れ、後部ドアを開けると俺たちを促す。さっそくその高級車に乗り込む。座席もふかふかだ。
「じゃあ、出発します」そういうと車は走りだす。
ワイパーが引っ切り無しに動いている。
「遅れてすみません。雨で思ったより走りづらくて」
「ここからはどのくらいかかるんですか?」中村が聞く。
「晴れてると30分ぐらいでは行けるんですけど、今日は50分ぐらいかかったかな。道も狭いしね。見ればわかりますがガードレールも無い、崖なんですわ」何やら恐ろしいことを言っているではないか。
「名前はでぼらさんでいいんですか?」不思議な名前なので聞いてみる。
「はい。ああ、日本人ですよ。出るに洞穴のほらで出洞です。この地方にはある名前なんですよ。私は百瀬さんがこちらに越してきてから働いてます」
「現地採用なんですね」
「そうです。若い頃は東京で働いていましたが、田舎に戻ってきました。こっちの方が気楽ですから。ちょうど百瀬さんの募集がありましてね。条件も良かったしね」
「どういった仕事をなさってるんですか?」
「山荘はまさに陸の孤島です。買い出しもありますから、こういった運転手とか色々ですね。それと山荘の工事関係全般ですかね。電気工事士の資格も持ってるんでね」
「そうですか。買い出しはどのくらいのペースでやられるんですか?」
「週一回ぐらいですか。食料は業者が運んでくれますから、私は主にみんなから頼まれたものを買い出しに行ってます」
「従業員は何名ぐらいおられるんですか?」
「全部で7人ですね」
「けっこういるんですね」
「そうですね。まあ、色々やることもありますし、それなりに快適に暮らすためには、それぐらいの人数がいると考えたようです」
さすがは百瀬氏だ。7人の従業員を養いながらの終活とは羨ましくもある。
出洞が言うように車は狭い道を走っていく。いわゆる林道である。一応、舗装はされているようだが、対向車が来ればすれ違うことは無理だ。もっともここで対向車はありえないようだ。
鬱蒼とした森の中を走るのだが、所々開けて川沿いの道に出る。山側は崖で反対側は川となり、川底に向けて断崖絶壁が見える。俺は怖いもの見たさで、車から乗り出すようにして恐る恐る川を見る。なんと川底までは50メートル以上はある。間違いなく落ちたら死ぬ高さである。
そんな俺の様子をミラー越しで見たのか、出洞が話す。「落ちたら死にますよ。昔、そういうこともあったみたいです。引き上げるのも大変だったらしくてね。結局死体は腐ってたみたいです」いやいや、そういう話は止めてくれないか。
すると突然、強烈に押される。今にもドアが開いて落ちる勢いだ。
「きゃあああ!」俺は少女のような悲鳴をあげてしまう。
「きゃはははは、昴はこわがりだな」中村がさもおかしそうに笑っている。なんと中村が押したのだ。
「や、止めてくださいよ。俺、高所恐怖症なんです」
「そうなの、それは失礼しました」いや、満面の笑みで全然すまないって顔じゃないぞ。
中村は俺を飛び越えるようにして、窓から崖下をのぞく。なんかいい匂いがして、女の色香をもろに感じてしまう。
「確かに落ちたら死ぬな」
俺は別の意味で呼吸を整えるのに必死だ。すみませんが、高所恐怖症だけじゃなく、女性の経験もないんですが。
「これだけ雨が降れば、がけ崩れとかないんですかね?」再び中村が気になることを言う。この人は恐怖心を持ち合わせていないのだろうか。
「ありますよ」え、あるの。「実は今のホテルが廃業になったのもがけ崩れが原因なんです」
「へー」
「あのホテル、昔はそれなりに登山客から人気があったんですよ。あそこを起点として山に登るルートがあったんです。山登りとしても割と険しいコースだということもあって、ベテランの登山客には好評でした。それが10年前の大雨でがけ崩れが起きましてね。登山道はおろか、周辺の地形が変わるぐらいになりまして、残念ながら登山禁止となりました」
「なるほど、それで百瀬さんが購入されたんですね」
「そうなんです。でも住むにあたって手は入れましたよ。外観は昔のままですが、中は新装です。ホテルにすればけっこう人が集まると思いますよ」
「でも、基本はお一人で住むだけなんでしょ」
「そうなんですよ。でも客間も手を入れてましてね。今も掃除が大変です。今回ほど大人数ではないですが、たまにお客さんを呼ぶんですよ」
いいタイミングだと思い、聞きたかったことを聞いてみる。「今回の招待客は何名なんですか?」
「えーと、当初は9名でしたが、来れない方も出たみたいで、結局、貴方たちを入れて6名になりました。ああ、皆さんもうお着きになってますよ」
参加者は相続意欲満々というところなのだろうか。でも3名も欠員が出たとはどういうことだろう。お金が要らないのか。
「他にはどんな方が来られてるんですか?」
「どうかな。私も名簿は見たんですけど、著名人ばかりですが詳しいことは知らないので、あ、そうだ。鳳ヘブンさんが来てますよ」
「え、まじですか?」
「まじです」
鳳ヘブンはスーパーアイドルである。人気女性グループのセンターを務めており、昨年、そのグループを卒業、ソロ活動を始めた。俺でも知ってるのだから、相当な有名人と言える。アイドルにしては美形の上に頭が良く、なんでも知能指数が桁外れで、メンサにも入っていると評判になっている。クイズ番組でも優勝することが多く、インタビューなどでも、知性があふれ出ている印象がある。
「彼女も50人に選ばれたんですね」
「昴は知らないようだから教えるけど、鳳さんは単なるアイドルじゃないぞ。芸能活動はもちろんだが、絵画も嗜むし、デザインのセンスもあるんだよ。美術展にも何回か入選してる」
「そうなんですか、すいません知りませんでした」
ヘブンが美術分野でも有名だとは知らなかった。
「あとの参加者は着いてからのお楽しみということで」出洞が笑顔で言う。なるほど、それなりの人が選出されたということか、昴もそういう意味ではある種の天才だしな。
「あと、お聞きとは思いますが、ネット環境がありません。さっきの駅まではかろうじて携帯は使えますが、ここまで来ると何も入りません」
「それは百瀬さんの意向なんですよね」
「そうです。今時、どうしてと思われるでしょうが、そういった文明から離れたいという百瀬さんの希望でして、我々も従うしかありません」
「そうですか、でも困ることは無いですか?」
「慣れれば、それはそれで苦にならないもんです。昭和の時代はそんな感じだったんでしょ。無くても困ることは無いですね」
「そんなもんですかね」
「ええ、有線電話だけがあります。ただ、それもほとんど使わないですね」
これからの五日間は文明からは一切、切り離されるということだ。まあ、東京にいても極貧だったからあまり文明の良さを味わってはこなかった。俺にとっては同じことか。
一向に降りやまない雨の中をベンツは進んでいく。
2
車は安全運転のせいか、ゆっくりと走っていた。たしかに50分近く走ったのだろうか、鬱蒼とした森を抜けると一気に広々とした景観が広がった。雨で煙る周囲を無視するかのように巨大な黒い洋館がその存在を誇示する。
目的の山荘が見えた。
山荘は燻製木材なのか全体が黒い。3階建てで学校ぐらいの大きさである。周囲には草原が広がり山荘前方には庭園が見える。薔薇などの花々が雨に濡れて少しかわいそうである。さらに山荘の裏側には大きな湖が広がっている。それは人工的な池ではない。自然の湖だ。遠方は煙っておりそこには幻想的な光景が広がっている。
思わず何か夢の世界に紛れ込んだような錯覚を覚える。子供の頃に読んだおとぎ話に出てくるような、そういった山荘である。
すると隣から何やら不可思議な音が聞こえる。いったいこれは何の音だ。見ると中村が口を開けて鼾をかいている。なんとまあ、あの恐ろしい山道でよく眠れたな。あきれて彼女を起こす。
「中村さん着きましたよ」
寝ぼけ眼で、「え、どこに着いた」と周囲を見回している。
それを無視して出洞に話す。「さすがに大きな山荘ですね」
「ええ、麗美(れび)山荘にようこそ」
入口に麗美山荘と書かれた看板が見える。あれで『れび』と読むのか、れいびだと思っていた。
「昔からそういう名前だったんですか?」
「いえ、百瀬さんがそう名付けました。普通は美麗と書くべきだと思うんですけど、語呂がいいとかで逆にしたようです。ああ、意味は同じだと思いますよ」
美麗はとてつもなく美しいということか、確かにそう思えなくもない。ただ、個人的にはここは荘厳という表現がしっくりくる気がする。厳かでいて何か重みを感じる。
「何か真っ黒だな」ようやく覚醒した中村が言う。
「そうですね。でも外観は昔のままなんですよ。山には黒い建物が映えるでしょう」確かにそうかもしれない。
「あれ?」中村が何かに気づく。「建物の奥に何か十字架みたいなものがないか?」
「はい、教会もあるんです」
確かに奥に別棟になった尖塔が見える。その上には十字架が載っている。
「昔はホテルで結婚式もやれますよと言った売りだったようです。山間の厳かな教会で結婚式なんてロマンチックでしょ」
そんなものなのだろうか、確かにホテルによっては、そういった取って付けたような教会が建っているのをみたことはある。ホテル時代はそういった目論見だったのかもしれない。
ベンツは山荘入り口に到着する。
入口はロータリーになっており、ホテル時代そのままのようだ。大きなガラス張りの玄関があり、従業員がそこに数名待機している。ツナギの出洞とは異なり、全員スーツの正装だ。
ベンツが停車すると同時に、若い男性従業員がドアを開ける。
「ようこそおいでくださいました」
俺たちはそのまま、山荘の中に入って行く。
従業員をざっと観察すると、先ほど案内をした若い男と同年代の女性がおり、その奥に女性と白衣を着た医師風の老人がいる。
そしてその女性が前に出てくる。黒縁眼鏡を掛け、いかにも切れそうな美人である。
「ようこそ、おいでくださいました。私はここで執事をしております与那(よな)と申します。これからしばらくの間、皆様のお世話をさせていただきます」といいながら慇懃にお辞儀をする。どこか敏腕秘書を思わせる動きである。
「皆様がその先のロビーに集合なさっています。そこまでご案内いたします」そう言うと与那は歩き出す。
俺は荷物を持とうとする若者を制して付いていく。中村はその男に荷物を預けている。
館内は外観と同様に燻製した木をふんだんに使い、内部も黒々としている。
ホテル時代はフロントがあった部分なのだろうか、そういった施設は無く、入り口付近には空間が出来ている。その先に大広間のようなロビーが見える。
ふと右奥を見るとエレベータがある。与那がそれを指さし、「こちらのエレベータは現在修理中です。ご迷惑をおかけします。まもなく直るとは思いますが、それまではその先の階段をご使用ください」
確かにエレベータには修理中という看板がかかっている。
ロビーに行く。そこはホテルの待合所よろしく、大型のソファーが置いてあり、外に向かって全面ガラス張りとなっている。雨でなければそこから湖がきれいに見えるのだろうが、今は霧で煙っている。
今回の参加者一同が思い思いにソファーに座っている。
中年男性が二人と、それよりは若いが立派な体格をしている男性が一人。鳳ヘブンを探すと、離れた窓際に湖を見るように立っていた。おお、確かに鳳ヘブンだ。実物はテレビで見るよりもはるかにかわいらしい。そしてやはりオーラを感じる。さすがは一流芸能人だ。
執事の与那が来客者全員に向けて挨拶を始める。
「本日はお忙しい中、当家百瀬の呼びかけに応じ、祭典に御参加頂き、誠にありがとうございます。これから五日間の間、皆様のお世話をさせていただきます、与那と申します」そういってお辞儀をする。「さて、お集まりいただきました皆様、早速ですがまずは部屋割りをさせていただきます」
ソファーに座っていた連中を含め、全員が興味深そうに与那を見守る。
「今回の祭典の主旨に関しては、後程百瀬のほうから説明させていただきますが、ひとまずお部屋でくつろいでいただくための措置でございます」与那は全員を見渡すように話を進める。はて、措置とはなんだろう。
「今後はすべての行動に対して、お客様自身で選択をおこなっていただきます。それにより対応が変わってくるといった趣向になっております。よって部屋割りについても、同じように選択の機会を提供させていただきます」
選択?対応?さっぱり意味が分からない。
「それではまずは、こちらの箱から部屋の鍵を選んでいただきます」
与那の後ろに先ほどの若者が抽選箱のような木箱を持って待機している。なるほど、抽選で部屋を選ぶということか。
するとソファーに座っていた中年の男が質問する。彼は名簿で見た覚えがある。たしか実業家だった気がする。
「抽選するのに順番はあるのかな?」
「いえ、ございません。ご自由に選んでいただきます」
「そうか、じゃあ、私から選ばせてもらおう」
そういってその男が立ち上がる。するとその前にいたがっちりとしたスポーツマンがクレームをつける。
「ちょっと待った。俺が一番に引きたい」
実業家は少しびっくりしている。いやいや子供の競争じゃないんだから、大人げないぞ。実業家は仕方ないといった様子で、「そうですか、じゃあお先にどうぞ」とその場を譲る。
「悪いな」スポーツ男はおもむろに立ち上がって木箱の前に来る。
「ここから鍵を取るんだな」
与那がうなずく。男は木箱の口に手を突っ込んで何やら探す。そして手を出すと、確かに鍵のようなものを掴んでいる。
与那が話す。「鍵に番号が彫ってあると思います。それが梅沢様の部屋番号になります」
なるほど、梅沢か、確か障がい者スポーツの普及に貢献した人物だと記憶している。梅沢が鍵を見る。「5とあるな」
「5号室が梅沢様のお部屋になります。2階が客室となっております」
「もう部屋に行っていいのかな?」
「はい、お部屋でおくつろぎいただき、19時になりましたら、こちらの一階にありますレストランにお集まりください。食事の前に百瀬から挨拶がございます」
「レストランはこの奥になるのか?」
「はい、このロビーを抜けるとレストランがございます」
与那がそう言うと、梅沢は了解とでもいうように片手をあげて、階段のほうに向かっていく。
以降は実業家が次に引き、各自が順番に鍵を取っていく。俺はこういった時には大抵、最後まで待つことが多い。ただ、鈍いからといった理由だけでなく、何故か我先にと言った行動ができないのだ。ほぼ全員が鍵を取り、最後に中村と俺が残った。
「昴、うちが先でいいか?」
「どうぞ」気が付いたら俺は呼び捨てにされている。いつからそういう仲になったのだろうか。中村が鍵を引く。
「7番だ」
確かまだ出ていない番号は4と6のはずだ。じゃあそうなのかと一応、引いてみる。すると出て来た鍵に彫ってある番号はなんと『9』だった。
「あれ、9もあるんですか?」
一瞬、与那がきょとんとした顔をしてから、俺が言ったことに気づく。
「ああ、そうです。実は9名参加の予定でしたので、鍵は9個用意されておりました」
「なるほど、そういうことですか」
「ええ、そういうことです。それでは中村様、昴様、のちほどレストランまでおいでください」
与那と他の従業員たちは深々とお辞儀をして、そこから去っていく。
ちょっと館内を見たくなって周囲を見回す。その様子を中村が見て、「昴、どこか行きたいのか?」と言う。
「ええ、館内を見てみたいと思いまして」
「そうか、じゃあうちもそうしよう」
あらら、中村に懐かれてしまったのか。まあ美人に懐かれるのは嫌な気はしない。ちょっと変わった美人だが。
「どのくらい広いのか、見学したかったんですよ」
「なるほどな。うちもそうだ」
そう言うと後ろをついてくる。そのまま二人で行動することになり、まずは奥に向かう。右側には客間に続く階段があるが、そこは素通りする。
「ここを上に行くと客間になるのか」中村が階段を見上げる。
「そうですね。この階段とエレベータしか上に行く方法はないんですかね」
「そうだと思う。そこまで広い山荘じゃないからな」
さらにその先には与那が言う通りにレストランがあった。
ここはホテル時代のレストランそのままのようだ。結婚式の披露宴も想定していたのだろうか、講演会でもできるぐらいに広い。レストランとしても10組程度が食事できそうな広さである。百瀬氏が一人で食事するには十分すぎる。
元々は小さなテーブルを数台設置してあったと思われるが、今は長テーブルが部屋の中央に鎮座している。本日からの祭典のために設置したのだろう、5名ずつ10名程度が両側に座れるようになっている。
そのレストランの右奥が厨房のようだ。ステンレス製の扉もあるが中を伺い知ることはできない。忙しそうな料理の音だけが漏れ聞こえてくる。いまや夕食の準備に大わらわといったところだろうか。
さらに奥に進む。
そこには扉のない入口がある。ホテル時代には扉があったのかもしれない。そこに入ると若干薄暗い部屋になる。
思わず声が漏れるほど、そこは広い部屋だった。体育館並みに広い。そしてそこには図書室のように書棚が連なっている。なんと部屋中が本に囲まれている。どこかの大型図書館を思わせるほどの蔵書の量である。通路を中心として左右に3m近い書棚が何段も連なっており、壮観ですらある。
「図書館みたいですね」
「なるほど、メディアの類が何もないが、本だけはあるということなんだな。この書棚は特注で作られているな。金に糸目は付けずに樹木をふんだんに使っている」
中村は棚を触りながら感想を述べる。なるほど芸術家だけあってみるところが違う。確かに書棚は市販の本棚といったものではなく、特注品なのだろう、木を使い、しっかりと部屋と調和している。
「昴の本もあるのかな」
「どうですかね。文庫本はないと思いますよ。ここにある本の装丁はしっかりしているようです」書棚にある本を見るとそんな感じだ。
「これは百瀬氏が所有していた本なのかな」
「そうですね。でも個人所有でこれだけの量となると、よほど本が好きなんでしょうね」
本の量に圧倒されながら歩いて行くと、図書室の先に再び出口となるのか、また扉のない出入口が見える。
「この奥は例の教会になるんですかね」
「そうだな。外から見た感じだとそうなるな。ただ、今は使われてないんだろう?」
「そう言ってましたね」
その入口に来る。山荘本館と教会は別棟となり少し離れている。ところがその短い渡り廊下は囲われており、そこから外に出ることはできなくなっている。そしてその先に教会の重々しい扉が見える。
「ここから教会ですね」
扉は観音開きになっており、両方の扉には長めの金属製取手が付いている。そして片側の扉に鍵穴が見える。取手を引いてみるがびくともしない。
「鍵がかかってますね」
中村も扉を開けようとするが、同じく開くことは無い。
「昴が非力だということでもないようだ」この人は俺の力を疑っているのか。
「部屋に戻りますか」
「そうだな」
先程の階段まで戻って2階に向かう。さらに上にも階段は続いている。
「三階は従業員の部屋になるんですかね」
「そうだな。7名と言っていたから、3階には従業員と百瀬さんの部屋があるんだろうな」
「そこも見てみますか?」
「そうしよう」
そのまま3階まで上がっていく。階段は木製だが相当手を入れたのか、のしのし歩いても軋みなどは全くない。実にしっかりと作られている。
階段から3階の各部屋を見渡す。
「作り自体は2階と同じですね」
真ん中の通路を基準として両側に部屋が続いている。2階と違っているのは、部屋数が少ないことと、その突き当りに大きめの部屋が存在していることになる。そこには扉があり、そこが主の部屋だと思われる。
「ここまでですかね。あまりうろうろするのも変ですよね」
「そうだな」
探検を終了し、自分の部屋に行くことにする。
2階は3階と同じく通路を挟んで両側に5部屋ずつ、10部屋ある。俺の9号室は最も奥の部屋になる。3階と違っているのはここの突き当りが非常口になっている点だ。緊急時にはそこから外に脱出できるようだ。今は扉が開かないように金具で固定されていた。
部屋の鍵はディンプル錠で、それに番号が彫ってあることから、特注で作ったと思われる。金メッキだろうか、黄金に輝いており、なかなかに見栄えがいい。
部屋に入る。実に大きな部屋だ。ここも黒の板材で覆われた落ち着いた洋間で10畳はありそうだ。当然、テレビなどの電気機器はない。部屋を見回すも通信機器や電化製品はまったくない。電気は来ているが、それは明かりぐらいにしか使い道は無いようだ。文明から切り離したい主人の意向が垣間見える。
左側には大きめのベッドがある。自宅のベッドの倍はありそうな大きさだ。中央にはテーブルとソファーが置かれている。そして右の壁には立派な洋画が掛けられている。よくわからないが何かの宗教画のように見える。大きさは50号ぐらいだろう。高さが70㎝で幅は1mを少し超えるぐらいだ。こういった絵画が各部屋に設けられているのだろうか。
入り口わきに洗面所があり、その奥にはバスルームが装備されている。ドアを開けると新規に設置されたようで、光り輝く新品である。自宅アパートのユニットバスと比較すると、ここの風呂はありえないほど広く高級ホテル並みである。白いホーロー式の大型の風呂桶があり、それだけで8畳はありそうだ。洗い場も半端なく広い。これだと風呂に入るのが楽しみになる。
さて、祭典に備えて予習をすることにする。何せ俺は昴皇子なのだ。こっちは知らなくとも向こうに面識がある人間がいないとも限らない。まずは参加者をおさらいすることにする。
先程の記憶を頼りに名簿を見直す。これは昴が渡してくれたもので、式典の際に受賞者全員に配られたそうだ。受賞者の経歴とプロフィール、作品、さらには授賞理由などが記載されている。50名分もあるので厚みも相当なものになる。顔を思い出しながら、今日出会った人たちの経歴を参照してみる。
まずは先ほど出会った実業家。
松井公彦40歳。
キャラクタ事業で先進的な活動をしている。ユーザーが独自のキャラクタを作ることができるアプリを提供し、自由な発想で好きなキャラクタ設定を可能とした。製品は圧倒的に支持され、事業を大幅に拡大している。
松井と鍵の順番で揉めた、がっちりとした体格のスポーツマン。
梅沢義文28歳。
水泳選手。自らも障がいを持っている。生まれつき右耳の聴力が無く、右目もほとんど見えていない。しかしそのハンデを乗り越えて、水泳自由形でパラではないオリンピックに出場し、入賞を果たす。障がい者に対しても積極的な支援活動を行っており、その貢献が高く評価された。
紳士然とした男性。彼は物理学者だった。
横井敏海45歳。
大学教授の肩書を持つ。物理学の分野でも様々な論文を発表し世界的にも一目置かれている。さらに学内で企業活動をおこない、学生に対しても学内起業を支援している。彼の活動から新たな事業が次々と生み出されており、かつ学生からも事業成功者が多数生まれている。カリスマ的存在でもある。
無駄に美人な中村は32歳なのか、もっと若く見えるな。やはり顔写真はない。覆面芸術家らしい。
中村知里32歳。
彫刻家でもあるが、むしろ造形の分野で秀でている。学生時代から世界で活躍し、芸術のみならず、アーティスティックなパフォーマーとしても活動している。彼女の生き方そのものが芸術でもあり、個展も展示という形態をとらずに映像や音楽、自然を使った新たな世界観を作り出している。
何かすごいことが書いてあるぞ。とてもそんな芸術家には見えない。
誰もが認めるスーパーアイドル。
鳳ヘブン22歳。
14歳でアイドルグループ『ウェヌス』に参加する。すぐに頭角を現し、グループセンターに抜擢される。圧倒的なカリスマ性と独特の雰囲気で大人気となる。俳優業では主演作が軒並み映画賞を獲得する。歌だけでなくダンスやパフォーマンスにも優れ、自身で振り付けまでおこなう。さらには芸能活動のみならずアート分野でも非凡な才能を発揮している。
一応、昴も確認してみる。顔写真はなんだか遠景ではっきりしない。これは昴からの提供らしい。
昴皇子25歳
大学在学中の21歳で応募した新人文学賞にて、審査員から圧倒的な支持を受け、文壇デビューを果たす。デビュー作はミリオンセラーとなる。以降の作品も軒並み大ベストセラーを記録する。ミステリ―の枠を飛び越えた斬新な表現方法が、老若男女を問わず読者を掴む。
紹介文でもあるが、ここまで書くと嘘っぽい気もする。確かに文才はあるし、発表される作品はどれもが斬新ではある。ただ、ここまでの秀逸さは無い気がする。まあ、多少のおべんちゃらはあるのだろう。俺の場合はネットでの評価すらない。
なるほど、各々がスーパースターであることは間違いがないわけだ。はたしてこの中で対等に渡り合って行けるのだろうか、まあ、単純に考えるとどう考えても無理な話ではある。それと執事の与那が言っていた話はどういうことなのだろうか、選択と対応、いったいどんな方法で最優秀者を決めていくのかがよくわからない。
相変わらず雨は降り続いており、窓に雨粒が滝のように流れている。何か言いようのない不安にかられる。
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