海渡る素戔嗚尊と聖なる人
645年 大化の改新
中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿の殺害。
日本の悪政に幕を閉じ激しくも斬新な政権交代が行われた頃。
新羅の侵攻により百済は窮貧する。
前述通り、素戔嗚尊が天照大神と月読尊の実弟でなく他国から海を渡りやって来た王族とすれば、百済王と考え身分優先で神格化されクシナダヒメ(伽耶国の姫君)と婚姻をし血族を遺したと推察される。
更に富山県の蜃気楼と神通川。
西国では神の食物であるジンザイ(甘く煮た小豆に白玉餅を入れるぜんざい)が出雲大社や伊勢神宮の境内側で振る舞われ、小豆を使った日本の伝統料理に代表される一品である。
ジンの撥音と神渡る川に加え、小高い山岳が周囲と都を隔てる長岡の立地。丁度、長岡京と似たような地形だった。
長岡と言えば日本一の花火大会。
完全に思い付きの憶測で至らぬこと申し訳無いが、川辺や海辺で花火を打ち上げると水面に映る火花が、松明を灯して移動する船や鵜飼い漁からの漁火を連想させ、夜の暗がりに何かを迎え入れた際の名残を思わせる。
当然、相手が百済の王族なら一大事。
国譲りの大国主を祀る出雲大社の壮健は600年以降と(聖徳太子の法隆寺を参考に御柱と巨大建造物であることを踏まえる)考えられるため、百済の王を大国主とし国土一の神として西を向いて座し西方からの侵略を監視したものと断定して良いだろう。
加えてイエス・キリストの聖骸布。
キリストの棺から発見された亡き聖人の姿。
不思議なことに遺骨は見当たらない。
神の子の痕跡を辿れば紫音が響き、海渡る王族よりも早く聖人が此の国へ渡来した事実が浮彫りとなる。
現代に残る大和民族の末裔達は、近代科学に染められ時間を費やすことに耽り、疑問を抱かず鵜呑みにし本国の始祖を辿ることもない。
極めて安全な国民性なのである。
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