第15話

 シユとリスナーの二人はお母さんの部屋へと足を踏み入れる。


 結論として、ノートパソコンはお母さんの言葉通りあった。

 部屋自体も壁にびっしりシユの写真が貼られている以外は特段、変わったところはなかった。

 びっしりといってもただ乱雑に貼ってあるわけではない。律儀に喜怒哀楽にグルーピングされており、シユは少し引いていた。


「それじゃあ、お母さん、パソコン借りるよ」


 シユはノートパソコンを持ち帰ろうとする。


「あ、シユ! 一応、そのノートパソコンに例のパスワードで本当に入れるか確認してからにしよう」


「あ、確かにそうですね」


「えーと……」


【Tjps92#jd98f$daS】


「あ、ありがとうございます。それじゃあ入れていきますね……それにしても長いなぁ。こういうのって普通、意味があるパスワードで感動! みたいなところですよね。普通にがちがちにセキュリティ意識高いパスワードってどうなんですか? お母さん……!」


 シユはそんな風に愚痴を言いながらも、長めのパスワードを入力していく。


「あ、入れました!! 入れましたよ! リスナーさん!」


「お、よかった……」


 リスナーは一安心する。


「それじゃあ、シユ、ノートパソコンはシユが持ってくれ」


「あ、はい」


 シユはノートパソコンをケースに入れて、背負う。


「軽っ!」


 シユはノートパソコンの軽さに驚く。


「最近のノートパソコンってこんなに軽いんですね。ひょっとしてこれもサイバードリーム社製……」


「いや、それはF○JITSUだ」


「え……?」


「だから、F○JITSUだ。シユ、知らないのか? 軽いノートパソコンといえば、そりゃあ、F○JITSUよ」


「す、すみません……知りませんでした」


「F○JITSUのノートPCはな、軽いのに、キー配置に妥協がなく、キーピッチが広いんだよ!」


「き、キーピッチ?」


「とにかくな、日本は衰退しているとはいえ、国産の技術力なめんなよ」


 リスナーは、いつになく力説する。


「あ、はい……そうですね……サイバードリーム社は外資ですもんね……」


「まぁ、本当は中国に半分くらい……」


「え……? なんですか?」


「いや、なんでもない!」


「というかリスナーさん、日本は衰退どころか滅亡してますけど……」


「…………うむ。で、シユ、なるべくではあるけど、精密機械だからあまり衝撃を与えないようにな」


「う……わかりました……」


 シユは少し緊張した顔つきになる。


「だから、天使との戦いは俺が担う」


「っ……! なるほど……リスナーさん、ずるいですよ?」


「ん……?」


「……それで私に背負わせたわけですね?」


「どうだか……」


 リスナーは少し照れくさそうにそっぽを向く。


 そうして、二人はノートパソコンを持って、シユの家を後にする。


 その後はまた階段を下り、エントランスホールからマンションの外へ出る。


「ふぅ……無事にマンションの外に出れましたね、リスナーさん」


「そうだな」


 マンション内は拍子抜けというと変な話ではあるが、ほとんど天使と遭遇することもなかった。

 そして、目的通り、無事にノートパソコンを回収することができた。


「それじゃあ、リスナーさん、さっさと……」


 その時であった。


「シユ、静かに……」


「……?」


 突然、リスナーがシユに静寂を求める。

 そしてリスナーは小さな声で呟くように言う。


「後方……マンションの方から索敵レーダーが反応してる……こいつは……」


「だ、大丈夫ですか?」


 シユも小さな声でリスナーに尋ねる。


「まだ距離がある。急いでここを離れよう」


「わかりました」


 そうして二人は足早にマンションを離れるのであった。


 ◇


「ラミちゃんさん! ラミちゃんさん!」


「ん……? あ……?」


「ラミちゃんさん!」


「あ、おう……シユっこか……」


 ラミエルは目を覚ます。

 どうやら横たわっているところを上体だけシユに支えられるように起こされていた。


「わぁあああ! よかったぁああ! ラミちゃんさん、生きてますよね!?」


 ラミエルは涙目のシユに抱き付かれ、


「シユっこ、痛いて……」


 ゴリラ天使との戦いで負った傷が痛む。

 だが、不思議と嫌な気分はしなかった。


「ノートパソコンは無事に入手できたのか?」


「はい、おかげ様でこの様に!」


 シユはノートパソコンは背負っている背中をラミエルに見せる。


「シユ、それにラミエル、負傷中のところ悪いけど、急いだ方がいいかもしれない」


「あ、はい……そうですね」


「どうかしたか……? リスナー」


「いや、まぁ、後で話す」


「そうか……」


 そうして三人はまずは東雲と豊洲をつなぐ橋を目指す。

 ラミエルの負傷は大きく、歩くのにも一苦労という状況であった。

 そのためシユが肩を貸していた。

 一方、リスナーは索敵を継続し、二人の前を歩いていた。


 と、移動を再開してすぐにリスナーの足が止まる。

 リスナーは後方の二人にも制止のサインを出している。


「……? どうかしましたか? リスナーさん」


「あぁ……あまり嬉しくない来客だ」


「え……?」


 シユにはリスナーの言葉の意味がすぐには理解できなかった。


 なにせ進行方向には何もいなかったからだ。


「まさか……!」


 だが、シユは気がつく。

 何もいないように見える……それが意味することに。


「家事スキル:キャンピング機能【薪割りアックス】」


 リスナーが手にしていたロッドが変形を始める。


 持ち手は長くなり、先端からは水平方向に、青白く光る平たい刃が出現する。

 光の斧である。


 そして、光の刃で地面を削るように斧を振り、前方へ石つぶてを飛ばす。


 すると、擬態により姿をくらませていた〝来客〟がその姿を露わにする。


「っ……!」


 その姿を見たシユは表情を歪ませる。


「こいつは……!」


 それは1年前、シユを逃がすためにお母さんが戦った上位天使。

 蛸のような触手を持つ天使であった。


「なんで……なんで…………こいつが生きてるの……?」


 シユはうつむき、こぶしには力が入る。


 さらに……、


「っ……! それは……お母さんの……刀……」


 蛸天使の触手のうちの一本には、刀が握られていた。

 それが意味するところは推測に難くなかった。


「こ、この……こいつぅうう!!」


 シユは表情を歪ませて、蛸天使に向かって駆け出す。


 蛸天使も迎撃姿勢に入り、リスナーとシユに向けて、触手を伸ばす。

 二人はそれぞれ応戦する。


「っ……シユ……」


 合理性で言うならば、リスナーはあまりシユに前線に出てほしくなかった。

 シユはノートパソコンを背負っていたからだ。

 しかし、シユの心情を考えると、合理的な意見を述べるのははばかられた。


 だが、その時であった。


「っ……!?」


 シユを後衛へ下がらせるのに、理由が生じる。

 その事象は、確かに、シユを後衛へ下がらせるのには都合がよかった。だが、状況としては極めて不可解な事象である。


 リスナーは蛸天使の触手の一本を斧で切断した。

 その一本の触手が不可解な動きをしたのである。

 その触手は自分リスナーを飛び越えて、その先のターゲットラミエルへの攻撃を仕掛けようとしたように見えたのだ。


「し、シユ……! こいつ、今、ラミエルを狙ったぞ!」


「え……? 嘘……!?」


 シユは困惑する。

 本来であれば、ラミエルは天使には狙われないはずだからである。


「シユ……! 悪いが、シユは下がってラミエルの護衛を……!」


「……え!?」


「そんなもんいら……、……っ!?」


 そんなものはいらないと言いかけたラミエルは途中で言葉を止める。

 リスナーが物凄い形相でラミエルを睨みつけていたからである。


 ラミエルは察する。

 これは私のためだけではない、と。


「シユ……ラミエルの護衛を頼む」


 ノートパソコンのために下がれとは言えない。

 だが、ラミエルのためならば言える。

 リスナーにとってもそれは打算だけの話ではなかった。


「……わかった」


 シユも素直に従う。


「ありがとう……ここは俺に任せてくれ」


「っ……」


 シユは珍しく返事をしてくれなかった。


「それじゃあ、GO!」


 その掛け声と共に、リスナーは一気に前へ駆ける。

 現在、シユとラミエルに向かっている触手を自分へと向かわせるために。


 その意図通りに、ことは運ぶ。


 蛸天使の八本の触手全てがリスナーへと集中する。


 リスナーは光の斧を巧みに振り回し、触手を切断しながら蛸天使との距離を詰めていく。


「……すごい……リスナーさん、お母さんでも近づくこともできなかったのに……」


 後方からその様子を見ていたシユは思わず、そうつぶやく。


 リスナーは更に蛸天使との距離を縮め、その距離は斧のリーチ、二本分。

 気づけば、あと数歩で斧が直接、身体に届く距離まで来ていた。


 だが、その時であった。


「っ……!」


 蛸天使の身体に突如、拳程の大きさの突起物が大量に発生する。

 そして、その突起物が前方へ五月雨さみだれのように放たれる。


「ぐあっ……!」


 すんでのところで異変に気付いたリスナーは後方へバックステップする。

 それでも至近距離から蛸天使が放った弾丸の雨がリスナーを容赦なく襲う。


「リスナーさんっ……!」


「っ……大丈夫だ」


 心配するシユにリスナーは背中越しに、自身が戦闘継続可能であることを伝える。

 それを聞き、シユはほっとする。


 しかし、シユから見えないリスナーの前面には、いくつかの弾丸が痛々しく食い込んでいる。


「……こいつ……骨を飛ばしてきやがったのか……飛び道具まで使ってくるとは……」


 食い込んだ弾丸の一つをむしり取り、確認しながら、リスナーは呟く。


「だったら、こっちもお前を見習ってやるよ……! 家事スキル:セキュリティ機能(シークレット)【排除エリミネイト】」


 リスナーがそう宣言すると、斧となっていたロッドが銃に変形を始める。


 そして……、


「くらえ……!」


 リスナーは蛸天使へ弾丸を放つ。

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