第6話 一簣之功

「なるほどお前かクソボウズ」


 曲がり角で誰かにぶつかって、よろけた少年から別の人に抱え上げられた。

 人の手から人の手に移動するなんて、子供の時以来で頭がクラクラする。


「……誰?」


 少年が訝し気に尋ねる声がする。

 私は廊下に下ろされて、ベージュの背中に庇われた。


「……おじさん!」

「おじさん? 小夜子さんの?」

「あほか」


 冷たく言い放つと、おじさんはいきなり少年に足払いをかけた。


「えっ」


 バランスを崩す身体を引き寄せるように掴んで、そのまま床に押し倒す。うつぶせにして背中で両手を結束バンドで拘束してしまうまで一瞬だった。

 呆気にとられている少年を担ぎ上げて、おじさんは振り返った。ちょいちょいと指先で呼ばれる。近づけば、少し屈んで顔に手を伸ばされた。


「怪我はないか?」


 頬を掠めた指先がサイドの髪を耳にかけ、くすぐったいような感覚に頬が熱くなる。近くで見れば、確かにそこまでおじさんではないのかもしれない。

 ……無精なヒゲがなければ。

 指先はまだ耳を撫でていて、少し顔が近くなる。

 え。なになになに!?

 気持ちは焦るのに、身体は動かなかった。目が離せなくなった風見さんの眉間に皺が寄る。

 とたんに、耳の圧迫感が無くなった。

 体を起こした風見さんの指先にはイヤホンが。


「くそったれ! なんで女子高生未成年を巻き込んでんだよ!!」

『あはは。無事で何より。なんでって言われても、時渡りミグレーターは貴重だよ? 他の支部から呼んだら何日かかると思ってるの。素早い解決に感謝してほしいな』


 大きな舌打ちで会話を切ると、イヤホンを自分の耳にねじ込んで、風見さんは踵を返した。


「場所移すぞ。ついてこい」

「……ねえ、どういうこと? みぐれーたーって何? 小夜子さんは……」

「うるせぇ! お前は黙ってろ。なんだよこの町。ガキがほいほい時を渡りやがって……あ? わかってるよ!」


 最後は佐伯さんへの言葉なのか、不機嫌に眉を寄せたまま、風見さんは講堂へと向かった。

 誰もいない講堂には、まだ来賓用の椅子が並んでいた。それを横目にステージ横から放送室へと上がっていく。鍵は風見さんが持っていた。

 少年は無造作に下ろされて、少々顔を顰めている。


「よし。ひとまず確認だ。ケースから媒体を盗み出したのはお前だな?」


 少年は答えずに肩をすくめた。


「じゃあ、身体検査だな」


 わざとらしく腕まくりをして、風見さんは少年の体中をまさぐり始めた。


「なっ……ちょ、ど、どこ触ってんだよ!」


 身を捩る少年に頓着せずに頭の先からズボンの中まで手を突っ込んでいる。結局、ズボンのポケットから黄色いチョークを取り出すと、それを台の上に無造作に置いた。


「よし。後は戻ってから聞くか。女子高生、佐伯にアレ持たされただろ」

「……月果です」

「え? 小夜子さんじゃないの?」


 風見さんは面倒そうにひとつ息をついて、首筋を撫でた。

 どんぐりの入ったケースを差し出すと、ふと思いついたように少年に顔を向ける。


「そういや、あんたはどうやって戻るつもりだったんだ?」

「戻る? いや。やりたいことやれたら、勝手に何とかなるんじゃないかって」


 深くて長いため息が風見さんの口から洩れて、なんだか一気に老け込んだ気がした。


「……よかったな。佐伯が予備も持たせてくれて。あんた、神隠しに遭うとこだったぞ。これなら、たぶん研究所に出るだろう」


 どんぐりの一つを拘束されている少年の後ろ手に握らせて、一つは私に渡してくれた。


「女子高生は――」

「月果!」

「……月ちゃんは、覚えてるな? 握って砕け。君らが戻ったのを見届けてから、俺は戻る」

「えー。これ外してくれないの? 彼女が小夜子さんじゃないなら、俺、小夜子さんに会いたい」


 ぴきっと風見さんの額に血管が浮いた。


「カエレっつってんだ」


 風見さんは少年の手を上から握りしめた。卵の殻が砕けるような音がして、少年の体が光に包まれる。光の粒が空気に溶けるように広がったかと思うと、少年の姿はどこにも見えなくなった。

 風見さんと目が合う。

 とたんにバツが悪そうに頬を掻いて、ぼそっとその口が告げた。


「……その。来てくれて助かった。礼を言っとく」


 それが意外にもしおらしかったから、私はにんまりと笑った。


「どういたしまして。満月堂のお月見パフェ、奢ってくれてもいいですよ」

「は?」


 却下の声を聴く前に、私はどんぐりを握りしめた。聞きたくない答えは、聞かなければいいのだ。

 まばゆい光が収まると、「お疲れさま」と、佐伯さんの声がした。


 *


 風見さんも戻ってきて、部屋の中がちょっと狭く感じる。きょろきょろと何かを探していた風見さんは、デジタルのカレンダーに目を止めてあんぐりと口を開けた。


「佐伯! 昨日の今日じゃないか! おま……素人を即戦力で使うなよ!」

「でも、深山さん、適正あると思いません? 勝手な動きはしないし、指示にはちゃんと従うし、どこかの誰かさんよりは危なっかしくなかったですよ」

「それは、何も無かったから言えるんだろ! イレギュラーはいくらでも起こりうるんだから……」


 と、そこでイレギュラーの少年に全員の視線が注がれた。

 後ろ手に縛られたまま、彼は椅子に座って辺りを興味深そうに見渡している。

 ひとまず、と、全員がテーブル回りに身を落ち着け、それぞれの前にお茶ペットボトルが置かれる。少年の分にはストローが刺さっていた。


「解いてはもらえないんですか」

「君の回答次第かなぁ」


 佐伯さんは相変わらずにこにことしているけど、それはどこか胡散臭い。


「そうだね。君のこだわる『時山小夜子』さんとはどういう関係かな? 君の名前も一緒に聞きたいね」


 ふっと一息ついて、少年は真面目な顔をした。

 あれ? と、引っかかって、まじまじと少年を見つめてみる。あちらでは印象が違ったけど、こうやって見るとどこかで見たことがあるような……三辻高校うち制服学ランだし、先輩とか?

 その視線に気付いた少年は、私の顔を見て、少し首を傾げた。


「あれ……山で会った人だ」


 その一言で、記憶がざあっと巻き戻った気がした。


「グレーのブレザーの!!」


 指を差し、立ち上がってしまう。


「ああ、昨日の朝はまだ詰襟これが届いてなかったから。え。もしかして、1組の深山さんて君? 小夜子さんのお孫さん?」

「え……なに……」


 一呼吸おいて考えて、私はもう一度彼に指を突きつけた。


「……転校生ーーー!?」


 うん、と軽い調子で頷いて、少年は「烏丸からすま翔琉かける」と名乗ったのだった。

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