第5話 青天霹靂

「頼もしいなぁ。じゃあ、まずはこれ。今回は多めに渡しておくね」


 佐伯さんはどんぐりが四つ入ったプラスチックケースと、手にしていたワイヤレスイヤホンをテーブルに置いて、黄色いチョークの入ったケースの方へと歩み寄っていく。


「準備ができたら、こちらへどうぞ」

「えっと、このままですか? 動きやすいジャージとかの方がよくないです?」

「着替えちゃうと、前回と違う地点に飛ばされちゃうかも。それに、その制服、その時代のものでしょ? 馴染みがいいんだよね。きっと危険が少なくなるよ」

「あ、おじさんが作業着着てるのは、そういうこともあるんですか?」

「そうそう。形があまり変わらないし、どこにでもいるから目立たない」


 私はどんぐりの入ったケースをポケットに押し込んだ。


「スマホは……」

「保証はできないからなぁ。落としたりしない自信があるならご自由に」


 あまり役には立ちそうにないかと鞄にしまい込む。

 ドキドキしながら機械に囲まれたチョークのある場所への段差に足をかければ、窓もないのにふわりと風が頬を撫でた。


「あ。ストップ、ストップ! ちょっとそこで待って。なるほど。勝手にシンクロしちゃうのか……」


 ぶつぶつ言いながら、佐伯さんが機械とパソコンを操作する。

 ピピピと鳴る機械音が高くなったり、間が開いたり。しばらく格闘して、彼は汗を拭った。


「これでいいかな。ケースの傍までどうぞ。一瞬眩しいと思うから、目は瞑っておいてね。カウントダウンするよ。三……二……いち……!」


 なんだか慌ただしく、心の準備をする間もなく、辺りが眩しい光で満たされた。


 *


 ザザっと耳元で雑音がして目を開けた。

 すぐ目の前に制服を着た長い髪の女性が立っている。前回とは違う場所のようで、私は少し焦って視線だけで辺りを見渡した。

 生徒がずらりと並んでいて、手には何か持っている。マイクでの掛け声に人が動き出した。

 講堂で、卒業式の直後のようだった。

 人の流れについて行くと、イヤホンから声がした。


『深山さん、聞こえる? 話せない状況だったら、イヤホンを爪でコツコツして』


 指示に従えば、ホッとしたように佐伯さんが息をついた。


『よかった。後で隙を見てトイレに行くとか、話せそうな場所に移動してみて。それまでは現地の流れに逆らわないように』


 コツコツと了解を示して、私も気持ちが軽くなった。声だけとはいえ、安心感がすごい。

 講堂に用務員さんもいないものかと、見回せる余裕もできた。残念ながら見当たらなかったけれど。

 このあと、最後のホームルームで、解散した後は教室に残ってみんなで黒板に寄せ書きする。前回も用務員さんが声をかけに来たから、最悪それを待っていればいいはずだ。

 教室で担任がホームルームの開始時間を告げる。十分ばかりあったので、私はトイレへと立ったのだけど、思ったよりも人がいた。そりゃそうかという感じだ。

 隣の音楽室にそっと入り込んでみる。廊下の喧騒から離れて、いい感じだった。


「……佐伯さん?」


 あまり声は張れないので、聞こえるか心配だったのだけど、応答はすぐにあった。


『聞いてるよ。どんな感じ?』

「えっと卒業式直後で、トイレタイムです。前回より少し前の時間帯みたいで……」

『うん。あんまり問題はないよ。そのまま、用務員が呼びに来るまでのんびり待ってもいいし。あんまり動くとすれ違っちゃうかもしれないから、確実に行こう』

「わかりました」


 直後に背後のドアが開いて飛び上がりそうになった。

 振り返れば、男子と目が合った。寄せ書きしているときはみんな友達のイメージがあったけれど、この人は知らない人だ。

 ドキドキしたまま会釈して隣を通り抜けようとして、袖を引かれた。


「時川さん。時川、小夜子さん?」

「え?」


 お婆ちゃんの旧姓、お婆ちゃんの名前だ。


「少し、話したいことがあって」


 廊下では、学年主任の先生の声が響く。


「おーい。そろそろ時間だぞ。教室に戻れよー!」

「校門の前で、待ってるから」

「えぇ?」


 言うだけ言うと、その人は行ってしまった。教室へ向かう生徒は多くて、何組の人だったのかもわからない。


「ど、どうしよう」

『別に、それは過去のことだし、深山さんが心配することはないよ。大事な流れは、よほどじゃないとそういう方向になるから、会うべきものなら貴女がこちらに戻った後にちゃんと会うでしょ』


 そうか、と心を落ち着けて、イヤホンをコツコツ叩く。

 自分の席に座りながら、でもお婆ちゃんならどうしたのだろうと、少しにまにましてしまった。

 担任の話を聞き、花束贈呈で泣かせて、そういうところは今も昔も変わらないんだなと感慨深い。

 最後の挨拶を終えて、廊下でたむろしたり、教室に戻って記念撮影したり、黒板に寄せ書きを残そうって話になっていく。


「サヨコ」


 友人が、黄色いチョークを持って私を振り返った。ここからは知った流れだ。


「時川さん」


 チョークを受け取ろうと踏み出した私の肩を誰かが掴む。


「やっぱり、待ちきれないや」


 そのまま腕を引かれて、教室から連れ出されてしまった。

 えええ!? ナニコレ? 前回と違わない!?

 というか、困る。用務員さんとすれ違うわけにはいかないのに。

 教室からはヒューヒューと下手くそな口笛や、囃子声が聞こえてくるけれど、正直、興味とか以前に焦りが勝っていた。


「ちょ……ちょっと、待って。あの、ここで! ここでお話できませんか!?」


 教室前の廊下なら、誰かが通ればすぐわかる。軽い抵抗に、少年は首を傾げた。


「人が多いところはちょっと……」

「あの、でも、私、教室からあんまり離れたくなくて……」

「そうかぁ。そうしたかったんだもんね」

「……え?」

「でも、それが叶うならさ、海を見に行けてもいいと思うんだ」

「海?」


 ますます力強く引かれる腕が痛い。


「海も見たいって、言ったじゃないか」

「ええ? いつ?」


 つい、言葉が飛び出してしまう。お婆ちゃんは覚えがあるのだろうか。私にはわからない。

 階段を駆け下りるスピードに、足がもつれそうになる。


「待って。危ない。私……」

『深山さん。もし、自分が危ないと思うのなら、どんぐりを使って』


 あ、そうかと通信に気を取られ、こけそうになった私を少年は抱え上げた。そのまま階段を駆け下りる。

 なにが起こっているのかよくわからなくて、玄関に向かっているのであろう少年の背中をこぶしで叩く。


「ちょ……放して! どこに行くの?」

「一緒に海を見よう。それが夢だった」


 息を弾ませ、階段を下りきり、廊下へと角を曲がる。校舎の外に出るようなら使おうと、私はポケットに手を伸ばした。

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