第4話 有為転変

 研究所に着くと、受付のお姉さんがいち早く気付いて「ちょっと待ってね」と受話器を取り上げた。

 誰かの名前を呼んだと思ったら、「お願いします」とだけ言って受話器を置いてしまう。ベンチに座って待つべきなのかちょっと迷ったのだけど、迷っているうちに受付横のドアが開いた。


深山みやまさん?」


 頷けば、白衣を着て、眼鏡をかけたそのお兄さんはドアを押さえたまま、少しだけ口角を上げた。


「こちらにどうぞ。お呼び立てして申し訳ございません」

「あ、いえ……」


 ちら、と女性を確認すれば、にこりと微笑まれた。彼女は受付から離れないのかもしれない。

 意を決して(半分は好奇心もあったのだけど)ドアの中へと踏み込めば、ドアを閉めたお兄さんが少し先を行く。


「僕は佐伯さえき風見かざみさんの誘導員……まあ、仕事のパートナーだと思ってくれればいいかな」

「……風見さん……?」

「深山さんの言う、おじさんのことだよ」

「あ! あの、名前とか、聞いてなくて……」


 なんだかおじさんを連呼していたのがちょっと恥ずかしくなって、語尾がしぼんでいく。佐伯さんは、あははと笑ってくれたのだけど。


「女子高生から見れば、確かにおじさんだろうからね。僕が言うと角が立つけど。彼も、四十にはまだなってなかったはずだよ」


 角を一つ曲がってから、並んだドアの一つにカードキーをかざして開ける。廊下には窓もないので、どれが何のドアなのかわからなくならないのか不思議だった。

 部屋の中には、透明ケースの中に黄色のチョークが入ったものが小さな丸テーブルに置かれていて、何かの機械がそれに向けて置いてある。手前に四人掛けのイスとテーブルがあって、佐伯さんは椅子の一つを引いてくれた。


「とりあえず、座って。荷物は隣に置いちゃっていいから」


 荷物を下ろして腰を落ち着ける間に、佐伯さんは冷蔵庫からお茶のペットボトルを出している。


「こんなのしかないけど」

「いえ。ありがとうございます」


 彼は向かいの席に座ると、名刺を二枚テーブルに置いた。一枚は佐伯さんのもの。もう一枚は風見と書いてあるので、おじさんのものなのだろう。


「名刺だけ見ても、よくわからないと思うんだけど、うち、一応国の機関だから渡しておくね。正式名称は『特殊時空干渉管理研究所』といいます。で、なんとなく察すると思うんだけど、一般的には知られておりません。防衛省のごく末端に置かれてはいますけど、公にはならない訳ありの機関です」

「特殊時空……?」

「『特殊時空干渉管理研究所』。看板は『時管研究所』になってるね。まあ、ともかく、うちに関わると守秘義務が課されます。話しちゃダメってことね」


 話が大きくなってきたなぁ、と思いながら頷く。


「本来、一般の目撃者には別の処置があるんだけど、深山さんは特殊レアケースなので……ご協力いただけないかと」

「私にできることがあるんですか?」

「それを、調べたいと思います」


 佐伯さんはにこりと笑ったのだけど、眼鏡の奥の細めた瞳は少々不穏な光を抱いているようにも見えた。

 少し身構えたのが伝わったのか、彼はその笑みを苦笑に変える。


「ああ、いや。まずは、昨日の話をちゃんと聞かせてもらいたい。風見さんとは連絡もつかない状態で……僕らも、藁にもすがりたいというのが本音なんだ」

「え……」

「彼のメモでは細部がさっぱりわからない。貴女があそこに踏み込んだ経緯から、詳しく話してくれないか」


 録音することを承諾して、テーブルに置かれたICレコーダーをちらちら見ながら話していく。

 佐伯さんは聞き上手で、足りないところは合いの手を入れてくれた。一通り話したところでレコーダーは止められ、私も、彼も、息をついた。


「深山さんが会ったという少年、ちょっと気になるね。とはいえ、風見さんの安否の方が優先だ」

「何か無くなったみたいな雰囲気だったんですけど、いいんですか?」

「よくはないんだけど、風見さんが貴女に持たせてくれたから、繋がりは維持されてるんだよね。一般の人が持っていてもあんまりどうこうはないから」


 持たされた、というと、チョークのことだろうか。

 ケースに入った黄色いチョークに目をやれば、佐伯さんはまた少し不穏な目つきで微笑んだ。


「じゃあ、この先は他言無用ということになるけど、ざっとこちらのことを説明するね」


 ざっと、と言ったけれど、興が乗った佐伯さんはだんだん専門用語が増えて熱く語りだしたので、実は半分くらいしか理解できなかった。

 数式を呪文のように暗唱されても困るのですが。あの目つきはマッドというほどではないけど、科学者サイエンティストなんだろうなと解ってきた。

 たぶん、必要そうな情報はこうだ。


・時間情報の密度の濃い物品(TIMと呼ばれてる?)がある。

・時間情報とは過去のある時点の記憶(あるいは記録)ともいえる。

・その記憶にアクセスできる方法があるらしい。

・そこから戻るのに戻る地点の時間情報が必要(それがあのどんぐり)。

・どんぐりの形なのは過去に残骸が残ってもできるだけ不自然さがないように。


 帽子部分は本物のどんぐりのもの……ということは、山にどんぐり拾いに行くのか、この人たち……

 情報量に少しくらくらしながら、小学生のように白衣のポケットを膨らませているおじさんたちを想像していたら、佐伯さんが立ち上がった。


「情報にアクセスして、そこに跳べる人間は少ない。一種の才能か、体質か……まだ研究段階でね。風見さんは数少ない協力者なんだ。こちらとしても失いたくない。で、結論から言うと貴女に協力してほしい。もし、また跳べたなら、風見さんを見つけて連れ戻してくれないか」

「え……でも、跳ぶって? 見つけるって、難しいの?」

「推測だけど、跳ぶのは問題ないと思う。貴女はその場所に繋がりが強そうだ。ただ、風見さんは違う。過去の情報は大きく書き換えられないから――これは、時間自体が流れた道筋を戻そうとするからだけど、その情報にない人物としては長く存在できないんだ。その場に必要な情報に置き換えるために、元の意識が薄くなっていく、という症状が出やすくなる。深山さんの話からいくと、今回は用務員をトレスしてくれてると思うんだけど、確証はなくて。あまり長くそうしてると自我が混ざって戻ってこられなくなることもあるらしいし……だから、早めに手を打ちたいというのもある」


 自我が混ざるというのは、あの夢心地のような、自分が自分じゃないけどその場に相応しい役で存在している感覚のことだろうか。知らない生徒たちが仲間だと感じたり、自分が「サヨコ」だと受け入れてしまうのを思い出して、鳥肌が立ちそうな両腕をさすった。


「怖がらせたかな。行ってくれるなら、今回はちゃんと僕が誘導ナビゲートするから大丈夫だよ。これをつけてもらって、通信ができる」

「え!? 繋がるんですか?」

「ふふん。電波はねー、時を超えるんだよ」


 ホントに?

 私はしげしげと、その指先でつままれたワイヤレスイヤホンを眺める。胡散臭いけれど、実績があるから自信があるのだろう。


「貴女たちが跳んだ時に通信できなくなったのは、たぶん、プロセスが違ったからだと思うんだよね。それも調べたいところだけど……まあ、風見さんを連れ戻したら、かなぁ。どうだろう。お願いできないだろうか」


 期待の眼差しがちょっと怖くて、私は身を引いた。

 とは言うものの、おじさんは、何も知らない私を助けるために、迷いもせずにどんぐりを渡してくれた……妙に急いで、説明も省いた理由がじわじわと身に染みてくる。


「……やります」


 佐伯さんの言ってることはよく解らないし不安もあるけれど、時間旅行という非日常に好奇心が勝った。過去とはいえ学校というよく知る場所だし、用務員さんならすぐに見つけられるだろう。

 こんな素人に頼むのだ。本当に切羽詰まっているに違いない。託されたなら、やってやろうじゃない!

 イヤホンを耳に突っ込んだら、佐伯さんはにやりと笑って頷いた。

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