第10話 千紗の後悔

それから暫くとしないうちに、今度は忠平が訪ねて来る。



「お呼びでしょうか、帝?」


「ち……父上っ……」



久しぶりに見る父の姿に、千紗は御簾をくぐると、幼子のように父の胸へと抱きついた。



「ど、どうした千紗? ……いや、皇后様。何があったのですか?」


「父上……秋成を……秋成を助けてやって下さいませ」


「秋成を?どう言う事ですか?」



娘の言葉の意味が分からず聞き返す。

だが千紗はただ泣きじゃくるだけで、いくら待っても疑問の答えは返ってこなくて



「忠平。お主、元千紗の護衛である秋成の噂は存じておるな? 朱雀門に張り付いて離れないと言う」



見かねた朱雀帝が千紗に変わって話し出した。




「はい、存じております」


「ならば話は早い。早くあやつを朱雀門から解き放ってやれ。千紗姫の護衛の任から解いてやるのだ」


「勿論です。そのように秋成には話しました。何度も説得して、あの場から離れるようにと伝えました。ですが……」


「聞かぬと申すのか?」


「……はい。あの子は、私の話には耳を貸そうとはせず、ただ黙ってあの場に立ち続けるばかり。私もどうしたら良いのかと思案していた所です」



忠平の話に、千紗は驚いた顔で父を見上げる。



「何故だ!何故そうまでしてあの男は大内裏の前に立ち続ける?」



千紗と同様、朱雀帝も驚いたらしく、千紗が聞くより先に朱雀帝が忠平に問うた。



「………約束したからと。娘と約束したから、約束を果たす為にあの場に留まるのだと……」


「約束?」


「はい。秋成は、そう申しておりました」



忠平と朱雀帝、二人の視線が千紗に注がれる。


だが千紗は、二人の視線にも気付かずに、何かを考え込んでいる様子。


そんな娘の姿に、忠平は躊躇い気味にある提案を口にした。



「帝、これは提案なのですが、一度千紗を秋成に会わせてやってはくださいませんか?」


「……何?」



忠平の提案に、朱雀帝が不機嫌そうに聞き返す。



「情けない話、私の言葉では秋成には届きません。この子の……千紗の言葉しか、きっと今の秋成には届かない。お願いします。今一度、秋成とこの子に会わせる機会を……」


「ならん!それはならん!」


「ですが、このまま秋成があの場に立ち続けたら、いつ体を壊すともしれません。あの子は寝食もろくにとらぬまま、ずっと主の帰りを待って、あの場所に立ち続けているのです。見ているこっちが辛くなるほど一途に、千紗と会える日を待ち望んでいるのです。どうか、どうか帝のお慈悲を……」



忠平が語る秋成の姿に、千紗の頬には大粒の涙がつたう。


雨の日も、風の強い日も、日射しの強い日にも、昼夜を問わず、ただじっと待ち続けている秋成の姿を想像すると、後から後からポロポロと涙がこぼれ落ちていく。


秋成を何とかしてやりたいのに、何もしてやれない今の自分がもどかしくて。


どうして、何も言わずに彼の元を離れてしまったのだろう。


一言別れの言葉を伝えていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。


己の勝手さが招いた結果に、千紗はただただ涙を流す事しか出来なかった。



そんな彼女の姿に、朱雀帝の胸は心臓を鷲掴みされたかのように、きつくきつく締め付けられていた。


やっと彼女を手に入れられたと思ったのに、彼女の目には今も昔も小次郎や秋成、従者だった二人の男の姿しか映ってはいない。


今一番側にいるのは自分のはずなのに、彼女の心が自分に向けられる事は、たとえ結婚しようともただの一度だってありはしないのかと。



「駄目だ! どんなに頼まれてもそれはならん!忠平、あの男はお主の飼い犬であろう。ならば飼い犬の躾はお主の力で何とかしろ!」



膨れ上がる嫉妬心から、朱雀帝は堅くなに忠平の申し出を拒み続けた。




「話は以上だ。今日はもう帰って良いぞ」


「お待ちください帝! ですが……」


「さぁ千紗姫、私達も部屋へ戻ろう」



忠平の呼び止めも虚しく、朱雀帝は乱暴に千紗の腕を掴むと、強引に引っ張って忠平の元から連れ去って行ってしまう。



「帝っ、帝っっ!!」



誰もいなくなった広く薄暗い部屋の中、忠平の声だけが虚しく響いていた。

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