第二話
公立白銘中学校入学式。
真広は正門前に置かれただけの白い看板をぼんやりと眺める。視線の先にある看板はいやに白くて綺麗だった。まるで明るい未来がこの先に待っていると伝えているように思えた。
隣からはひっきりなしに車が入っていく。保護者の車だ。まるでパズルみたいに規則正しく入って並んでいく車を見て、車を使わなければいけない状況では無くてよかったと心の底から安心した。車で来ていたらいつ入れるのか、出られるのか分かったものではない。帰りが遅くなるのは嫌だった。家に帰って温かいご飯を食べて、夜にはぐっすり眠りたかった。
強い風が吹いて紺色のスカートが柔らかく揺らめいた。膝下まであるスカートは私服で持っているものよりも高級感とか大人っぽさがあるような気がした。心なしか、成長したような気がする。昨日と何も変わっていないのにどこかへんな感じだった。
なんとなくリボンを弄る。家を出る前に確認したけれど崩れていないか心配だった。赤い、きれいなリボン。紺色のブレザーとよく似合っている。同じく白銘中学に進学する友人はこれをかわいくないだとかダサいだとか言っていたけれど、真広は好きだった。シンプルながら統一感があって、中学生のお姉さんといったイメージと近いものだったから。
ブレザーにひっついていた白い糸を取った。手から離れるとゆっくり揺れながら地面に落ちていく。雪のように揺らめくそれはいつの間にか視界から消えた。
「真広」
真広の母の声が聞こえた。母の隣には父がいる。二人ともスーツ姿だ。いつも私服姿しか見ていないせいでスーツ姿の二人を見るのは何かの漫画を見ている感覚に似ていた。お笑いが滑って読者が置いてかれているギャグ漫画。
「行こうか」
母がそう言って、真広と一緒に並ぶ父を視界に入れた。父は感慨深そうに「真広もついに中学生か」と呟いて、それを聞いて母がこらえきれないといった様子で笑っていた。「子供の成長なんてあっという間ってよく言うでしょ」と真広が誤魔化すように言うと二人とも微笑んだ。
正門のすぐ前には駐車場がある。教師専用のものだろう。煉瓦調のコンクリートの道から左右に広がっている。左手の駐車場とグラウンドを仕切るようにクラブハウスがあり、右手は武道場と校舎、その裏手にテニスコートがあった。
コンクリートを履き慣れない新調した靴で進み校舎に入る。校舎に入ってすぐそばにある下駄箱にはクラスが貼られているらしく、ざわざわと人の声が聞こえてどこからか悲鳴にも似た嬉しそうな声が聞こえた。知り合いと同じクラスにでもなったのだろう。保護者たちは先に体育館で話があるらしく、二人して体育館へ向かっていった。
真広は一人でクラス名簿の紙を見つめる。自分の名前を見つけて一安心して、すぐに見覚えのある名前が同じクラスにいないかを探した。小学校からほとんどの人間がこの中学に上がったのだから、仲の良かった人間の一人や二人はいるのではないかと思った。しかし見つけたのは数人で、どれもあまり関わりの無かった人間だった。それを残念に思いながら真広はクラスへ向かう。
新品の青色のスリッパが情けない音を立てる。
一年の教室は四階にあることは知っていた。小学生のころ、学校行事で中学校へ見学したときに見たからだ。それだけはなぜかはっきり覚えていた。
教室には半分くらいの人がいた。みんな新品の制服を着ている。成長を見越して少し大きめの制服を着ているクラスメイトたちは小学校時代の友人を見つけた人間はささやかに雑談をして、それ以外はただ席に座って緊張しながらそわそわと視線を動かしている。数ヶ月前はまだ私服で学校に来ていたというのに、それが制服になっただけでぐっと大人に近づいたような感覚があった。
時計を見るとまだ入学式まで二十分ほど時間はあった。
今、制服を着ただけの小学生でもない中学生でもない、中途半端な人間がここに集まっている。へんな感じだった。大人になったような、まだ子供みたいな、宙ぶらりん。なんでも出来るような気がするし、友達すら作れないように思えてしまう。体に熱ばかりたまっていく感じがずっとあった。
出席番号で割り振られた席に座る。真広は九番。前後左右ともまだ人は居なかった。
前が埋まったのは真広が席に座ってから五分ほど経ったころで、それからすぐに周囲が埋まっていった。結局話しかけることも、話しかけられることもなく入学式の五分前になった。担任らしきスーツ姿の先生がやってきて、生徒たちを廊下に並ばせる。新品の体育館シューズに履き替えて、へんに背伸びした感覚があった。先生の顔は微笑んでいて、少し嬉しそうに思えた。晴れ舞台なんだと今更思い出した。明るい中学生活があれば良いなと願った。
見慣れない校舎を歩いて、体育館へ向かう。やけに緊張感や気まずさがある雰囲気のまま体育館に着いた。
体育館前の細い渡り廊下には全クラス集まっているようだった。それがぎっしり並ばされている。みんな同じ制服。少し前まで私服姿で通っていたのに、今では制服。いつかこの景色も見慣れるんだろうか。
女生徒たちはその瑞々しい体躯を晒し、入学式の時間を今か今かと待っている。男子生徒らは真っすぐに前をみている人間もいれば、欠伸を噛み殺している人間もおり、千差万別だった。
青空がある。雲が数個浮いている、綺麗な淡い空だ。烏が通り過ぎている。春風が吹いた。爽やかな風だった。整えられた髪がそっと揺れた。
耳の中に音が入り込んだ。華やかな音色。いろいろな名前の知らない音楽が流れてきて、一瞬目の前が暗くなって、明るくなった。未来を虹色に色づけてくれるような曲だった。なんとなく、良いことが起こる気がした。
体育館の扉が開けられた。音がより大きくなった。
真広は中学生になった。
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