行進曲
宵町いつか
第一話
ため息。
暖房の効いた図書室にはページをめくる音と、息遣い、布擦れの音がかすかに響いている。外から元気よく遊ぶ男子たちの声が聞こえた。目を瞬いて、真広は疲れた目で時計に視線を向ける。昼休みが終わる時間が近づき、あと五分もすれば掃除の時間がやってくる。辺りを見渡すと皆一様に本に視線を向けていた。本に視線を落としていないのは真広くらいのものでわずかに寂しさを覚える。
こみ上げる睡魔から逃げるように大きな欠伸をする。腕に立てた爪が白い肌に三日月型の痕を作った。
「結香」
真広は目の前にいる友人に控えめな声をかける。真広の目の前で本に視線を落としていた友人は一瞬本から視線を外して疲れをにじませた声を小さく漏らした。
「なに?」
真広が時計を指さすとつられるように結香は時計を見つめた。すぐに時間が少ないことに気がつき、本を借りるために席を立つ。その後ろに真広は着いていく。もっとも本を借りないが。
カウンターで貸し出し作業をしている結香を見つめながら、真広はまたため息をついた。疲れからくるものではない。感情からくるものではなく無意識的に行われた生理的反応だった。
「お待たせ」
貸し出し作業が終わって小走りで真広の元に戻ってきた結香は手の中に青い背表紙の小学生高学年向けの小説を持っていた。表紙には制服姿の男女が写っており、両者とも笑っている。手には楽器を持っている。楽器のことを知らない真広でも分かる、フルートとトランペットだった。
真広たちは図書室から出て、掃除場所である自分たちの教室へ向かう。談笑する女子たちの間を縫いながら歩いていると、ふと結香が口を開いた。真広にとっては唐突で、結香にとっては当然のことだった。
「アタシ、吹奏楽部に入る」
昔から結香は影響されやすかった。それは物語であったり、人間であったり、細かなことにさえ影響を受け、すぐに冷めていった。一時の熱のようだった。真広はその性格をよく知っていたから、曖昧に「へー」というような返事で誤魔化した。誤魔化されてほしかった。
結香が物事に飛びつき、誰かを率いるタイプだとするならば真広は水に流される葉だ。そんな自分の性格を理解していたから、結香の言葉をあまり深く考えたくなかった。もし彼女に誘われたら断れる自信が無かったのだ。彼女の事に従うことは自分の行える自衛行為の一つだったから。
結香は一言でいえばまだ子供で、わがままだった。自分を貫き通すことを怖いと思わない性格で、真広とは正反対だった。けれど真広は大人ではない。わがままでないという部分や意見がない、荒波を立てないというだけで真広を大人たらしめるものにはならなかった。
「真広も、入らない? 吹奏楽部」
結香は静かに言った。結香とは家族ぐるみで仲が良い。その事もあって、一緒なことが多かった。あと少しで中学校という新天地に向かう結香にとって真広という存在がどれほど大きなものなのかは考える必要のない、当然なものだった。
真広は一瞬考えて、結局もう少し先の自分に全て任せる選択をした。
「――考えとく」
「そっか」
そっと目を細め、結香は無意識のうちに力の入っていた体を弛緩させる。しかしそれも無意識のことで、彼女がそれを知ることは無く。同時に真広もそのことを知る事は無かった。
「じゃあ、もし吹奏楽入ったら、一緒にコンクールで勝とうね」
あっけからんと結香は言い放った。当たり前のように言い放たれた、勝つという言葉に一瞬真広は戸惑いながらも曖昧に頷いた。音楽なのに勝つって変な話だと、頭の中で思った。いやに彼女の言葉が頭に染みついた。
吹奏楽部。
真広はその言葉を聞くたびに言い様もない焦燥に駆られ、結香の言い放った言葉を思い出す。それはわずかながら痛みを伴い、意識を混濁させる。それだから真広は吹奏楽部という言葉を聞くたびに、その場から、夏のようなじめったさから、結香の声から、無性に逃げ出したくなるのだ。
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