二人の逃避行

山野エル

二人の逃避行

 山肌から突き出る岩棚の上に二つの人影がある。


 一方は困惑を滲ませる厳しい表情のうら若き女性、しかし、もう一方の青年はヘラヘラと岩棚の縁に座って足をブラブラさせている。


「あの祠を壊したの?!」


 やまびこになりそうな大声だった。


「うるせーなー。もう壊れちまったもんは仕方ねーだろ」


「だ……だって、あなたが壊したのがなんなんのか知ってるの?」


 女性の声は怒りを押し殺すように震えている。だが、返ってくる答えは能天気なものだった。


「祠だろ」


「ただの祠じゃない……! クビカリ様が祀ってあったんだよ!」


「ハハ、なんだその名前」


 女性は泣きそうな顔でその場をグルグルと歩き回る。


「今から200年ほど前、この村ですごく昔の遺跡が発掘された。地中に埋まった石室が暴かれた後から、村では首のない死体が相次いで発見されたの。犯人は見つからず、村人たちは祟りだと恐れた。そして、その祟りを起こした存在をクビカリ様と名付けて祠に祀ったのよ」


「首のない死体が見つかったからクビカリ様って、ネーミングセンス死んでるな」


「そういう問題じゃない! それ以来、祠に悪戯をした者が出るたびに、村では首のない死体が見つかるようになった。悪戯をした者やその関係者がいつも亡くなってるんだよ」


 それでも青年は岩棚の縁で足をブラブラさせるのをやめない。


 岩棚からは村が一望できる。


 大自然に囲まれた山間の集落だ。岩棚からはクビカリ様が祀られていたという祠の場所も見下ろすことができた。


 こんもりと茂る森の中程にぽっかりと穴が空いたような空間がある。祠はそこにある。


 石を積み上げた腰高の台座の上に木造の祠が建てられていたはずだが、今では見る影もない。


 台座となった石積みはバラバラに散らばり、祠は屋根がどこかに消えて、土台となる木の壁はささくれ立って折れ曲がっている。


「壊すつもりはなかったんだよ」


 青年は母親に怒られたかのように言い訳じみた言葉を返した。


「ウソ! あなたは都会から逃げて来て、ずっとストレスが溜まってた。鬱憤晴らしにやったに決まってる!」


「うるせーなー。いちいちヒステリー起こすなよ……」


 空を埋め尽くす厚い灰色の雲の向こうでゴロゴロと遠雷が鳴り響いた。もうすぐ雨が降ってくる。


「あなたのせいでまた誰かが死ぬ……。なんとも思わないの?!」


「人は必ずどこかで毎日死んでるんだぜ」


「そういう問題じゃない!」


 青年はため息をついて頭をポリポリと掻く。また「うるせーな」と言わんばかりだ。


「そういう姉ちゃんだって人のこと言えないだろ」


「……どういう意味?」


 ここで初めて青年は振り返った。琥珀のような澄んだ瞳を向けられて、姉と呼ばれた女性はそれだけで少したじろいでしまう。


「姉ちゃんだって、殺してるだろ」


 雷轟が村の上空を駆け抜けて、ビリビリと空気を震わす。


「俺たちは都会にいるべきじゃない。こんな大自然の中にいるべきなんだ。そのことは姉ちゃんだって自覚してるだろ? 自分の中の衝動に抗えないって思ってるはずだ。だからこうしてここにやって来た」


 姉は肩を震わせる。


「それとあなたが祠を壊したのは関係ないでしょ……! 結局また人が死ぬかも──」


「だーかーらー、姉ちゃんは人が死ぬことに怯えすぎなんだよ。人は毎日死んでる。それ以上でも以下でもない。抱え込みすぎるなよ」


「でも、だからといって……」


「姉ちゃんは悪くないよ。人は簡単に死ぬ。そんなことは姉ちゃんだって知ってるだろ。その過程なんてどうでもいいんだよ」


「でも私は……もうこれ以上……」


 姉は膝を突いて顔を覆った。呼応するかのように稲光が雲の中を駆け巡った。


 青年は立ち上がって姉のそばに寄り添った。


「姉ちゃんは優しすぎるんだよ。気に病まなくていい。俺がそばにいるからさ」


 岩棚に滴の当たる音が広がっていく。姉弟を包む雨のベールが二人の表情を隠す。


 やがて二人は立ち上がった。


「それに……」


 弟が祠の方へ鈍く光る目を向ける。


「たかが伝承の存在だろ」


 祠の周囲の森は木が薙ぎ倒されている。凄まじい破壊の力が土も石も木々も、そして、祠も引き裂いたのだ。


 弟の声は力強い。


「なんだったら、クビカリ様とやらも殺して、ここの人々の神にでもなればいい」


 黒い雲の中から一筋の雷光が放たれる。落雷の轟音が山間を支配した。


 姉の表情にももう迷いはないようだった。


「そうね。この地は私たちのものよ」


「行こう、雷神姉さん」


「ええ、風神」

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