第2話 ウチの妹は俺をお兄と呼ぶ

「今日のうちに帰れてよかったね、お兄」

愛菜あいな、自分の荷物くらいは持つって」

「だーめっ。お兄は病み上がりなんだから大人しくあたしに甘えてて」


 俺が目を覚ました話はすぐに家に伝わり、家の中で唯一動ける妹の刈麻愛菜あいなが迎えにやってきたのだ。

 彼女は身一つでやってきてサッと病院の会計を済ませ、スマホでタクシーを手配しさらに兄の荷物を持つという異様な手際の良さを見せていた。

 昔から要領の良い子ではあったがこの動作は出来過ぎである。どこか無理をさせているようにも思える。


 そしてその直観は正しく、愛菜の表情が曇る。


「学校はさ、やめちゃいなよ。お兄をあんな目に遭わせて謝りにも来ないやつらが威張ってるところなんている意味ないよ」


 あんな目……?

 俺がなにか加害を受けていて入院していたということか。地球での最後の記憶は妹と喧嘩別れをしたことくらいで、それ以降は異世界でのものしかない。

 まさかと思いペタペタと自分の身体を触って、腕を伸ばしてみる。


 ……身体が縮んでいる。


 俺が異世界で旅をした期間は五年。

 魔王を倒した時点では21歳。高校入学と同時に異世界に召喚されたことを覚えている。


 しかし……この身体は十五歳かそこらのものだ。


 不思議に思っていると、こちらの疑問に答える声が脳裏を過る。

 あの胡散臭い天使のものだ。


『君のいる時間軸は高校入学から一ヶ月ほどのものだ。ただし、この世界に居る何者かの介入によって送ってきた人生が多少変わっているようだ』

『最初に教えてくれよ、そういうのは』

『いっぺんに知っていることを教えても理解できないだろう? 老婆心ながら、一ヶ月の間意識を失ったことで記憶が混濁していることにしてはどうかな?』


 こいつの提案に乗るのはシャクだがいまは良い方法が思い浮かばない。悔しいが使わせて貰う。

 俺は不思議そうな顔をしてこちらを見る妹の頭をポンポンと撫でてなんでも内容に笑う。


「大丈夫だ。ちょっと記憶がない部分もあるけどアイナが心配することじゃない。支援してくれてるタツロー叔父さんに申し訳ないし、高校はやめないよ」

「……本当に記憶がないんだね。お兄、成績優秀者には学費免除どころかお金がもらえる学校に行ってるじゃない」

「……知らんけど?」


 呆れたようにため息をつく愛菜。そんなことも覚えてないのか……と言わんばかりである。

 マジでこれまでの人生が変わってるんだな、という実感が早速湧いてくる。


「十六年前に現れるようになったダンジョン。富や名声、力を得られるそこに挑むのが探索者って言われる人たち。で、そういう人を優遇する学校に通ってるんだよ、お兄は」

「へー……そうだったのか」

「でもお兄は……学校で悪い人に目をつけられて……」


 ダンジョンには魔物がいて、そういうのと戦う職業だから乱暴な人がいるのは普通なんだろうけれど、と愛菜は悔しそうに呟いた。

 で、俺は意識を失うほどのなにかをされて一ヶ月ほど入院、か。どうも穏やかではないな。

 モンスターもいる。ダンジョンもある。それを討伐して富を得る探索者もいる。


 どうやらクソ天使の言う通り何者かによって人生が変わっているらしいが、その規模はなかなかに大きい。

 というかこれは世界改変レベルで……『なんでも願いを叶える』という奇跡よりも強いものだ。

 

 どういった理由でそれが起こったのかは分からない。情報も足りないしこういうときはあまり考えすぎないようにした方がいいのだろう。


 キッと唇を強く結んだ妹は語気を荒げて憤慨する。


「あたしが探索者だったら星杯せいはいにお兄をいじめるやつらが舌を引っこ抜かれるように叶えて貰うのに!」

「あんまりカッカするなよ。俺はもう大丈夫だから」

「あたしが悔しいのっ!」

「さいですか……」


 こういうところは本当に子供なんだよな……。

 病院の会計からタクシーの手配まで見事な手際でやってしまうから気遣いができる立派な大人として見てしまうんだけれど。


 ……世界が変わっても俺が苦労させてるんだろうな。


「ほら、お兄。タクシーが来てるよ」


 じゃあ帰るか、そう言いかけた瞬間。

 異世界で鍛えた危機察知能力が急激に警鐘を鳴らす。

 その直後、上空から影が差し込み――巨体がアスファルトの地面を踏み砕く!


 砂煙が舞い……巨体の影だけが目に映る。

 身長は2メートル50センチほどはある巨漢のシルエット。大剣を担いだそれは大きくそれを振りかぶり――妹をめがけて振り下ろす。


 ぶわっ、と砂煙が舞い起こり視界が晴れる。

 いま愛菜に向けて凶刃を振り下ろそうとしていた下手人は豚の頭部と人の肉体を持つ、いわゆるオークと言われるモンスターだ。


 きょとんと目をまん丸にしている妹。自分に死が迫っていることなどまだ認知できていないのだ。

 俺はオークが大剣を振り下ろす速度を超えた手刀をオークに向かって放つ。


 闘気を込めた一撃は羽金の剣をバターのように切り裂き――斬撃となった衝撃波はオークの頭部を綺麗に切断。ずる……り、とオークの巨体は崩れ落ちる。


「妹に手を出すやつは絶対に許さん」

「……お兄?」


 あんぐりと口を開けた妹、そしてタクシーの運転手。

 俺はどう言い訳をしたものか悩み頭を掻く。


 どうして逃げなかったのかって? 人間って意識を割いてないと適当な行動をしちゃうものなんだよ。知らんけどさ。


 俺は呆然としている愛菜に語りかける。


「大丈夫か、愛菜」

「今のは……。って、お兄、モンスターハザードの警報が鳴ってる! 避難所に……って分からないか! ついてきて!」


 こちらの手を引っ張って病院へと戻ろうとする愛菜。

 今は妹に従うのが今後ふつうの人間として活動する分にはいいはずだ。


 だが――



「誰か、助けてっ」

「ママ、ママはどこ?」


 サイレンの鳴る地方都市の繁華街。

 そこをダンジョンから溢れたであろうモンスターから逃げている人々を見て、俺の足は自然と止まった。


 切羽詰まった愛菜は強くこちらの手を握って甲高い声で激しく言葉を発する。


「逃げないと! お兄までいなくなったらあたしは……!」


 親父は行方不明で母さんは意識不明。

 そんな人生だけは相変わらずだということを察してしまう。


 そんなクソみたいな家庭環境のなかで愛菜が頼れるのが俺だけなのだ。

 だから、その俺がいなくなった一ヶ月でこの子は部分的に大人にならざるを得なかった。


 生きていると言える唯一の肉親を失いたくないことは、ありありと伝わってくる。


 だから逃げようと言うのだ。


 けど、その提案は呑めない。

 空いた片手で愛菜の頭をぽんと撫で、できるだけ優しい声音で告げる。


「愛菜、お前のお兄ちゃんはな……最強だ。力を持った人間は自分を守れない人を守らなくちゃいけない」


 それが勇者だから。

 勇者の立場がなくなっても、勇者の心を捨ててしまえばティアナには顔向けできない。

 だから俺は行かなくてはならない。


 少しのやりとりでなにかが伝わったのか愛菜はなにかをグッと堪えて……握りこぶしを向ける。


「負けないでよね」

「ああ、絶対負けない」


 こつん、と拳をぶつけて笑う。

 納得できない中でもそれを呑み込んだであろう愛菜は避難先の病院へと走って行く。


 彼女が走り出したのを見て俺は深呼吸をする。


「強化術式解放――〈烈風〉」



氷室天音ひむろあまね、現着しました……が」

『さすがS級。予測できないモンスターハザードであっても対応が早いのは流石だな』


 天傘あまかさ市の繁華街。そのビルの屋上から私、氷室天音ひむろあまねは街を見下ろす。

 そこら中がモンスターたちによって破壊された街中ではあるがこれは協会のインフラ班が数日で直してくれるため気にはしない。

 街中には逃げ遅れた市民がいるというのに、モンスターによる怪我をした人は目視する限り一人もいない。


 突発的な災害が起きたというのに怪我人はゼロ。探索者協会からの連絡でも死者はひとりも居ないというらしい。


 それ以上に不可解なことと言えば――


「現地に居た下級の探索者が対応している間に全てが終わったんですよね?」

『ああ、不思議なことにな。……〈白雪姫〉しらゆきひめ、君じゃないんだろう?』

「その二つ名は恥ずかしいからやめてください」


 ダンジョンのモンスターが地上にあふれ出てくるモンスターハザードは起きてしまえばすぐに鎮めることは難しい。

 ましてやB級探索者だけでなんとかなるような優しいものではないのだ。

 だからこそ、この奇跡を誰が起こしたのかが気になって仕方がない。


 オペレーターはうろんなものを見ているような声で、ジョークを言うようにこちらに話を投げかける。


『見慣れない魔力波形の痕跡があるんだけどね。まさか国が管理してない探索者が街中で魔法をぶっぱするわけが……ないよねえ!』

「そもそもハザードを鎮圧できるくらいの戦力があればどんな集団でも国が放っておきませんよ」

『いや、波形はひとり分。ま、魔力の量はちょっと尋常じゃないんだけどさ』

「タチの悪い冗談ですね。切りますよ」


 通信を切って事後処理をするために街へと降りようとして――とある人を発見する。

 黒髪黒目、背はやや高くてよく笑う私の幼馴染、刈麻仁かるまじんの姿だ。


 彼を見るだけで、ふ、と自然と笑顔が浮かんでしまう。


「仁くん、起きたんだ……」


 じゃあ学校で会えるかな、とそこまで考えて頭を振ってよこしまな妄想を打ち切る。

 仁くんとはまだなんでもないのだ。ただの幼馴染なのだ。


 ほころんだ口元をきゅっと引き締めて、私は街へと降りていくのだった。

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