第三話 お母さんのいない世界

 結局、日が暮れるまでアンナと遊びました。おばさんには娘と遊んでくれたお礼として飴玉をくれたんです。夕食を食べ、町を観光しているとポツンと奇妙な建物を見つけました。町の外れにある木造りの建物。私は気になって中へ入ることにします。


「お邪魔します……――ひっ」


 扉がキッーと車がスリップしたような音を立てたので恐怖から声が漏れましたが、建てつけが悪いだけみたいです。


「時計が一杯だ……、時計屋さんかな?」


 中へ入ると壁一面に時計が並んでいました。あらゆる種類の掛け時計。カチコチという音が何十にも重なって聞こえてます。


「あれ、珍しいお客さんだな」


 私が店内を物色していると奥から綺麗な狼の女性が現れました。着物を着ていて口にはパイプのたばこを咥えています。ふぅ~と口から白い煙を吐くと、「何の用だ?」と私に問いかけます。


「えっと、……ここは時計が売ってるお店なんですか?」


「違うぞ。それらは売り物じゃない――生物の一生を表しているのさ」


「一生? どういうことですか?」


「簡単に言うと代償を払った生物の一生だ。生物といっても、未だお客は狼と人間だけなんだけどね」


 店主はすっと目を細めて私を射抜きます。ぞわりとした悪寒。私を獲物として見ているのでしょうか。

 

 怖さのあまり視線を彼女から逸らしました。――ふと、私は針が止まっている時計があることに気付きます。


「針が止まっている時計は死んだという証。先程も言ったように、それらの時計は生物の一生を表している。つまり、――死なんだよ」


「……死」


 私の知らない誰かが死んだという事実に恐怖します。そうです、生物はいつか死ぬんです。


「そう怖がることはないよ、人はいつか死に行くもの。そして輪廻転生を繰り返す、……そういう風に出来ているのさ」


 そう言って店主はタバコを吹かしました。




 暫くの間、店主と会話に花を咲かせていると重要なことを聞き忘れていたことに気付きました。


「あの、このお店では何が買えるんですか?」


 時計が売ってないんですから、何か別の物が売っているのでしょう。私はそう考えます。


「そう言えば答えてなかったね。――ここは願いを叶えるお店なんだよ」


「願い?」


「そう。この店ではある物を代償とすることでどんな願いも叶えることができるんだ」


「……代償ってお金じゃないんですか?」


「お金ともう一つあるんだ。――寿命だよ」


 店主の人差し指は私の心臓に向きます。現在ドクンドクンと動いているそれがドキン!と跳ねました。


「寿命を代償にして願いを叶えることが出来るお店なんだよ。小さな願い事なら少ない寿命で済むけど大きな願い事ならその分支払う寿命も多くなるわけだ」


「……なんか怖いです」


「はは、そう思うのも仕方ないかもしれないね。だって寿命とは人の生涯。――つまり時間を支払うと同義なんだから」


 その時、脳内に浮かんだのは私の願い事でした。しかしそれに寿命を払ってもいいのでしょうか。せっかく両親がくれた命を安易に散らしても良いのか――いや、いいんです。お母さんはきっと私の事が嫌いなんです。だってテストの点が悪いくらいで叱るのですから。人間の指標は学力ではない筈なのに。そんな反骨精神から思ってもない願い事を口にします。


「お嬢ちゃん、もしかしてだけど叶えたい願いがあるのかい?」


 私はそれにうんと頷く。


「――私とお母さんが出会わない世界線に行きたいんです」


「……なるほど。お嬢ちゃんはお母さんの事が嫌いなのかい? 喧嘩でもしたの?」


「大嫌いです。お母さんだって私の事嫌いなんです。だから、――出会わなければ良かった」


「……」


 店主は私の言葉に苦笑。「……若いって素晴らしいねぇ」と小さな独り言が聞こえてきた。


「意志は固いのかい? 願い事を告げれば本当にお母さんと会えなくなるんだよ?」


「構わないです。お母さんなんて、お母さんなんて大嫌いなんです」


「……そうかい。なら、こうしよう――」


 ――一度だけ代償無しで願い事を叶えてあげる。


「……良いんですか?」


 私が問いかけると店主はにこやかな笑みを浮かべました。


「特別だよ。本来こういうことはしない主義なんだけどね、さすがに困っている子供を放っておけないというかなんというか。私にも子供がいるからさ、所謂良心だ。小さい子供には良い未来を歩んで欲しいだろ?」


「……ありがとうございます」


「それで、もう一度聞くけど本当に母親と会わない世界線に行きたいんだね?」


「はい、お願いします」


「分かった。じゃあ、一週間だけ母親がいない世界が体験出来るようにする。それが終わったら、本当に自分の母親と決別するのか判断してくれ。決めるのはお嬢ちゃんだよ」


 まるでSFの世界に紛れ込んだようだ。別の世界線――お母さんと会わない世界。どんな世界なのだろうか。


「まぁ、二児の母親である私から言わせて貰えば一週間、お嬢ちゃんは辛い経験になるだろう。でも知っておく必要がある。子供が嫌いな親なんていないということを――」


 子供が嫌いな親なんていない――アンナからも言われた言葉が脳内を反芻しました。




 気が付くと、私は家の前に佇んでいました。ランドセルを背負っていることから今は小学校のからの帰りだと推察出来ます。私は玄関を恐る恐る開けて、「ただいま~」と家にいる筈のお母さんに呼び掛けます。しかし、おかしいです。いつも帰ってくる返事が帰って来ません。


「お母さん?」


 小学校から帰ってくるとリビングでテレビを見ているお母さんの姿がありません。


「あ、そうか。ここはお母さんのいない世界」


 これは私が望んだこと。お母さんに会えないからって寂しくないんです。ランドセルの中を漁るとテストが入っていました。どれも平均点より下回っています。私は両親のように頭の出来がよくありません。きっと叱られるのでしょう。――しかし、この世界なら問題ありません。だって、


「お母さんがいないんだもん」


 お母さんがいない。その事実だけで高揚感に溢れます。テストの点が悪いというだけで怒られることはもうありません。ゲームだってし放題。私はお父さんが帰ってくる間、テレビゲームをします。サバイバルゲームです。めちゃくちゃ楽しい! お母さんにゲームばかりしないで勉強しないと言われません。ゲームをして数時間経ち、夜になりました。


「……お腹が空いたな」


 この時間帯になるといつもお母さんが料理を作っています。私はお母さんの料理を食べるために食卓に視線を向けます――、


「……いない」


 当然、お母さんはいません。だってここはお母さんがいない世界なんですから。するとガチャリと玄関の扉が空きました。きっとお父さんが帰ってきたのでしょう。


「お父さん!」


「ただいま留理。お父さん帰って来たぞ」


「お仕事お疲れ様、お父さん。――私、お腹空いた」


「大丈夫だ。留理がお腹空かせてると思って、コンビニ弁当買って来たぞ。留理の好きなハンバーグ弁当だ!」


「お父さんありがとう!」


 お父さんがビニール袋から弁当を取り出します。私の好物はハンバーグ。コンビニの弁当なので野菜はほんの少し。――やっぱりお母さんなんていなくて良いんだ。私は心からそう思いました。貰った後弁当をレンジで温めて食べます。一人は寂しいのでお父さんと一緒に食べます。対面にいるお父さんが「美味しいか?」と笑みを浮かべて聞きます。確かに美味しいです。美味しいですけど何か物足りません。何が足りないのでしょう……?


「美味しいよお父さんっ!」


 偽りの笑みを浮かべて答えました。


 三日後――私は足りないものに気付きました。それは想いです。愛情とも呼べるかもしれません。毎日お仕事から疲れて帰ってくるお父さんが買ってくるコンビニ弁当――それには愛情と呼べる物が入っていないのです。だから、物足りない。それにお母さんのハンバーグの方が美味しいです。箸が止まっている私に気付いたお父さんが首を傾げています。


「食欲ないなら残していいぞ。明日食べればいいからな」


「……私、お母さんのご飯が食べたい」


 この三日間、毎日コンビニ弁当を食べて不満が溜まっていたのでしょう。そんな呟きが漏れました。


「……だよな。俺もそう思ってた」


「お父さんも?」


千穂ちほが死んでからもうすぐ一年経つが、恋しいんだよ。彼女の作る料理ってコンビニ弁当と圧倒的に違う部分があるんだ。もちろんコンビニ弁当も美味しんだけど、人の温かみがないんだよな。だから当然、機械で作ってる弁当より千穂の作った料理が美味しい……」


 同感でした。私はお母さんの作る料理の方が圧倒的に好みです。私はこの瞬間、学びました。生きるにはお母さんの想いが必要なんだと。いつも私に口煩く言ってるけれど、その奥には私を想っている愛情があることを学びました。私は、三日目にしてお母さんの大切さを知ることができました。




 次の日、私は小学校の教室にいました。休み時間なので男子達が煩くお喋りをし、女子達が鬱陶しそうに眉間に皺を寄せています。ある男子がこんなことを言いました。


「俺、母ちゃん嫌いだわ」


「分かるわ〜、うぜぇよなほんと」


 友達らしき男子が賛同します。私はそれを椅子に座って聞いていました。


「勉強しろ、勉強しろ煩くてさ。少しはゲームさせろよな」


「俺も同じ。あぁ、母親とはまじでいらねぇ――」


 私はその言葉に反応するように立ち上がりました。そして二人組の男子の元にズカズカと歩み寄ります。


「本当にお母さんがいらないと思ってるんですか?」


 私の剣幕に物怖じする男子達。


「な、なんだよ彌園みその。いつもは大人しく癖に今日は元気だな」


「あなた達が馬鹿なこと言ってるから正そうと思っただけです。――もう一度聞きます、本当にお母さんがいらないと思ってるんですか?」


「じゃあ逆に聞くけど、お前は母親が必要なわけ? そんなことないよなぁ?」


 二人組の男子が嘲るように嗤います。この二人は知らないから平然としてられるんです。お母さんがいなくなった世界――それは悲しみに溢れている世界。


「お母さんが作る料理、毎日食べますよね?」


「食べてるけど? それがどうしたんだよ」


「美味しいですよね、お母さんの料理」


「ま、まぁ確かに母ちゃんの料理は美味いけどそれだけだろ。というか別にご飯はコンビニで買えば良くないか?」


「……コンビニ弁当が不味いとは言わないです。でも、お母さんの料理に入っている想いが、どれだけ日々の活力になっているか。料理だけじゃないです。口煩く勉強しろと言うのだって、子供が好きだからなんです。そこに含まれる愛情が、日々好きだと言外に行ってくれる存在がなくなったら、――耐えられないんですよ絶対に」


「「……」」


 どこか現実味を帯びた言葉に男子達は押し黙ります。


「だから、死んでもお母さんがいなくなったらとか言っちゃダメです。分かりましたか?」


「「……はい、分かりました」」


 男子達はその日、お母さんに感謝を述べたそうですよ。

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