第二話 知らない町
目を覚ますと私は江戸の町にいました。祭りでもやっているかのように照明には提灯が使われています。建物も今と違った造りでどこか歴史を感じます。歩いている人を見かけました。ここはどこなのだろうと、もしかして時間が巻き戻ったのかと――そんな勘違いを正すために通りすがりの人に聞いてみます。
「……人間の子供?」
しかし帰ってきたのは困惑。次に安堵の笑み。
「お嬢ちゃん、この町に迷い込んだのが今で良かったな。今じゃなけりゃ、殺されてたかもしれねぇぞ」
「――ころっ!?」
「ははっ、驚くのも無理はない。まぁ、とりあえず族長のところに案内するから付いてきな」
「……ありがとうございます」
お礼は口にするものの、私の興味関心は他のところに移っていました。獣のような耳にふさふさの尻尾。相貌はきりっとしていてまるで狼のよう。彼の後ろを追うようにして歩いていると町行く人が物珍しそうに私を見ています。その視線を辿ると全て狼。つまり、ここは。
「――狼の住む町ってこと?」
私はどうやらそんなところに迷い込んだみたいです。
族長がいると思われる建物に案内されましたが、これは予想外です。どうやらこの立派なお城にいらっしゃるそうで。
「あの、私緊張してて……」
会ったことがないので断定は出来ないですが、族長と呼ばれているのだから強い方なのでしょう。ひ弱な私なんか一撃で倒せるんだと思います。震える足を必死に抑えながら案内役の男性に問い掛けます。
「心配しなくても大丈夫だ。族長はとても優しいお方。もちろん怒ると怖いがそんな機会は滅多にない。安心して俺に付いて来い」
「……は、はい」
お城に案内され、中に入ります。道を進みついに、族長がいる部屋に辿り着きました。
「部屋に入ったら靴を脱げ。あと座り方は正座な、絶対にあぐらをかくなよ。失礼に当たるからな」
男性はノックを二回して扉を開ける。すぐさま視界に入って来たのは圧倒的なオーラを出す存在――族長でしょう。それにあてられた途端、緊張で吐き気を催しますがなんとか堪えて靴を脱ぎ、揃えます。
「族長、迷い人を連れて参りました」
「……」
男性と私は正座をして、族長の言葉を待ちます。しかし沈黙。無言です。彼の視線は私を捉えています。正直、怖いです。
「――これは可愛いお嬢ちゃんがこの町に迷い込んだものじゃ! 名前を教えてはくれぬかのぅ?」
「み、彌園留理です」
「るりちゃんか! 可愛い名前しとるのぉ! 容姿も私の孫に似て綺麗。どうじゃ、今からワシの孫にならんか?」
「す、すみません。私には大切な両親がいますから」
「……気分が上がって調子に乗ってしまったようじゃ。これは失敬」
「族長、大事な話が終わっておりません」
「そうじゃったな。――お嬢ちゃん、単刀直入に書くが何か悩みがあるじゃろ。その悩みをワシに教えてはくれぬか?」
「悩み、ですか」
私の悩み――お母さんと喧嘩したことです。仲直りしたい、したいけどきっと無理なのでしょう。なぜならお母さんは私の事が嫌いだからです。私は家出する前に酷い事を言ったものの、本当はお母さんの事が好き。でも、嫌われているのなら仲直りは不可能です。どうしたものでしょうか。私はそれを族長に話しました。
「なるほどのぉ……、母親と喧嘩して仲直りしたいけど嫌われているから出来ない、か」
「私はどうすればいいんでしょうか」
「うーん、ワシから言えることがあるとすれば、お嬢ちゃんは勘違いをしている」
「勘違いですか?」
「だか、それは自分で答えを見つけないと意味がないのじゃ。そしてそれを見つけた時、お嬢ちゃんは大きく心が成長してると思うぞ。じゃから、ワシが言えることはこれだけ。あとはこの町で答えを見つけるのじゃ」
勘違い? 一体私は何の勘違いをしていると言うのでしょう。お母さんは私の事が嫌いな筈。だって、テストの点が悪いだけであんなに叱られるんです。だから、私の事が嫌いだと思います。
町の宿に無料で泊まらせて貰い、綺麗なベッドから体起こします。木造りの部屋には朝の日差しが差し込んでいて心地良い気分。私は部屋を出て、一階の食堂に顔を出します。すると宿を経営しているおばさんが私に挨拶をしてくれました。
「おはよう、留理ちゃん。昨晩は良く眠れたかい?」
「はい。おかげ様で朝から元気はつらつです!」
「それは良かった。――ご飯出来てるから、食べてね」
「ありがとうございます」
私はカウンター席に座るとすぐに料理運ばれてきました。大きなステーキとキャベツ。狼の主食は肉。毎日、男性の狼が狩りをして獲って来たものを料理として出しているみたいです。本当は朝は白米かパンが良いけど、お肉も大好きなのでおばさんにお礼を言っていただきます。
「……?」
私は出されたお肉を食べていると、奥の方から視線を感じました。そこにはおばあさんの娘さんらしき女の子。五歳くらいでしょうか? 朝から他のお客さんに料理を運んだりして働き者です。まだ五歳なのに私よりもしっかりしている!? ……むむむ、由々しき事態です。女の子は私が気になる様子。人間は珍しいのでしょうか? 手招きをするとテクテクとこちらに歩いて来ます。
「ねぇ、にんげんのおねえちゃん」
「どうしたの?」
「……じつはわたし、おともだちがいないの。だから、――わたしとおともだちになってほしいの」
潤んだ瞳で懇願されれば頷く他ありません。それにこんな可愛い女の子の頼みを無視することなんて私には絶対に出来ないです。
「もちろんだよ。――私はルリ。あなたのお名前は?」
「――アンナっていうの。わたしのおなまえはアンナ」
「アンナちゃんね。これで私達はお友達だよ」
「……ほんとう?」
「本当だよ」
するとアンナはテクテクと店の奥に戻り、
「おかあさん! わたしね、おともだちができたの!」
と自慢していた。
「……可愛すぎて鼻血が出ちゃいそうです」
これは娘を持つ親の気持ちなのでしょうか。
「ご飯美味しかったです。ごちそうさまでした」
私はカウンターにいるおばさんいお礼を言った。
「そう言ってくれて嬉しいわぁ。狼と人間の食文化は違うから口に合わないかもって冷や冷やしてたんだけど問題なさそうね」
「ルリおねえちゃん。いまからわたしとあそんでほしいの」
袖をくいっくいっと引きアンナは私を遊びに誘います。
「いいよ。何して遊ぶ?」
「うーんとね、わたしおうまさんごっこしたいの!」
「じゃあ私がお馬さんね。おばさん、広くて遊べるところはないでしょうか」
「そうねぇ、この店を出て左に進むと草原があるからそこがおすすめよ」
「じゃあアンナちゃん。今からそこに行こうか?」
「うん!」
アンナは天使のような笑みを浮かべたのでした。
アンナとお馬さんごっこをしている最中に気になったことがありました。なので私は彼女に質問してみます。
「アンナちゃんはさ、お母さんのことは好き?」
「――うん、だいすきだよ! おかあさんとおとうさんと、あとるりおねえちゃんがせかいでいちばんすき!」
短時間で随分懐かれたようです。自然と顔が綻びます。
「……でもアンナちゃんだってお母さんに怒られることはあるでしょ? 嫌いにならないの?」
「……うーんとね、たしかにおかあさんはおこるとこわいんだけど、でもそれいじょうにやさしいの。たくさんアンナのことほめてくれるの! だからすきなの!」
私もそんな優しいお母さんだったら家出なんてしなかったでしょう。私のお母さんは叱るばかりで褒めてくれたことなんて最近はほとんどありません。昔は褒めてくれていましたが、学年が上がるに連れて厳しさは増す一方。きっと私に八つ当たりをしているんだと思います。
「いいなぁ~。私のお母さんはさ、とても怖くて厳しいんだ。だから私、お母さんのこと嫌いなの」
「そうなの?」
「うん。だから家出したんだ。……お母さんは私のこと嫌いなんだと思う」
「……そんなことないの」
「ん?」
「アンナはまだおさないからわからないこともおおいけど、これだけはわかるの! こどものことがきらいなおかあさんなんていないの! だからあんしんしてルリおねえちゃんはなかなおりするの!」
「……アンナちゃん」
子供のことが嫌いなお母さんはいない。その言葉が強く胸に響きました。
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