狼の住む町

横浜大輔

第一話 喧嘩

「……お母さんが悪いだもん」


 私は流れる川を見ながらそう呟きます。溜まった感情を独り言として発散しても、自分の行動と言動に後悔が募ります。でもお母さんが悪いんです。テストの点が悪かったからって私を駄目な子供のように叱るのです。私はまだ小学三年生で幼いですけど、子供だってプライドはあります。確かにテストの点が悪いことはダメなことなのでしょう。しかし次頑張れば良いんです。なのにお母さんは私を凄く叱りました。――色々な感情が脳内を錯綜します。まだ十歳にも満たない人生経験ではこの感情を言語化するのは叶わないでしょう。ただ苦しいという言葉しか思い浮かびません。


 ずっと河川敷で流れる川を見ているといつのまにか夜が暗くなっていました。お母さんが言ってました。夜は子供にとって危ない時間だと。


「家に帰らなくちゃ――」


 体育座りしていた体を起こし、家に向けて歩を進めようとし、立ち止まります。忘れていました。私は家出をしている最中なのです。お母さんに酷い事を言った手前、家に帰るわけには行きません。しかし他に帰る場所もありません。


「……夜も暗くなってきました」


 今日は満月でした。真ん丸なお月様が綺麗です。


「お嬢ちゃん、何をしているんだい」

「――!?」


 急に後ろから話し掛けられて体が跳ねました。もしかして不審者!? 恐る恐る振り向くとそこには警察のお姉さんがいました。瞳は私を心配している風でしたがこのままでは家に帰されてしまいます。それは嫌です。


 私は警察のお姉さんから逃げるようにして走ります。呼吸が苦しいのも忘れるくらいに走って走って走ります。


「――ここどこだろう?」


 気が付くと、見知らぬ場所に来ていました。人気のない公園です。近くには住宅街があります。


「ブランコしかない……」


 遊具はブランコのみ。ベンチがありますが遊具と呼べるものは他に何もないです。とりあえず私はブランコに座ります。それに使われている金具が錆びていてかなり昔に作られたものだと理解しました。満月を見ながら私はブランコを漕ぎます。一回、二回、三回、四回――やることもなく途方に暮れて漕ぎます。


「寒い……」


 春とはいえ、夜は肌寒いです。半袖の服を着ている私は体を震わせます。家に帰りたい。ふとそんな考えが脳内に浮かびます。きっとお母さんは温かいご飯を作って待っているのでしょう。お父さんだってお仕事から帰っている時間です。その時、私は家族が大好きなことを知ります。しかし、やはりお母さんと喧嘩した手前、帰り辛いです。どうしたらいいんでしょうか。


「時を戻せたらいいのに……」


 そうです。時間を巻き戻せればいいんです。しかし私にそんな超能力はありません。そんな時、視界が歪みます。恐怖で立ち上がりますが、まともに歩けません。あれ、私もしかして死ぬ――




「留理帰って来ないわね……」


 娘の留理るりが家出してから数時間立ったけどまだ帰ってこない。その事実に私は焦りが生じた。せっかく彼女のために作ったシチューも冷めてしまった。


「……私ったらほんと大人げない。親失格ね」


 私は自分の娘だからこそ期待してしまうのだ――やれば出来る子だと思いたい。きっとそれは良くないことなのだろう。欲望の押し付けが一番良くないと分かっていてもやってしまう自分に辟易する。


「どうかしたのかい? 何か悩み事?」


 早々と仕事から帰ってきてリビングでダラダラと寛いでいた夫に事の顛末を話す。


「留理がまだ帰ってきていない!? 今すぐ探しに行かないと!!!!」


「ちょっと待ちなさい」


「うげっ」


 ワイシャツの襟を掴み、慌てている夫を止める。本当は私だって留理を探しに行きたい。でも——、


「あなた、今日が何の日か忘れたの?」


「……満月の日か?」


 私は不満げに頷く。満月の日の意味とはどういう事なのか。


「満月の日は安易に人間が外に出ると狼に攫われてしまうのよ」


「だったら尚更っ!」


 この町には言い伝えがあって、満月の日の夜に人間が出歩くと攫われてしまうのだ。そういう迷信がある。


「私だって探したいたい、探したいけれど――」


 苦渋に満ちた表情を浮かべる。ぎゅっと右の拳を握った。


「私たちまで攫われたら誰があの子を迎えるの? だから、やるべきことは待つことだけなのよ」


「……そんな」


 夫は膝から崩れ落ちる。それもその筈で。今まで攫われた人間が帰ってきた例がないからだ。


 だからこそ、私たちが出来ることは待つことだけ。


「留理……」


 私は空に浮かぶ満月を見上げ、そう呟く。どうか留理が、無事に帰って来ますように、と。

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