第5話:チュートリアル


 発売前のゲーム【天使と珈琲を】には、まだ攻略本などは出ていない。

 でも公式ガイドブックというのが、先行して販売されている。

 ガイドブックは攻略本ほど詳しくはないけれど、ゲームの進め方のコツが書いてあり、序盤はかなり役に立つ。

 そんなガイドブックに書いてない情報を、関係者である僕は持っていた。


 キャラクターの台詞や状況が書いてある、アフレコ用の台本。

 攻略対象キャラを演じる声優たちには、担当キャラクターに関するエピソードのみ書かれた台本が渡されていた。

 でも、主人公キャラやガイド音声を担当した僕の台本には、全てのエピソードが書いてある。

 その情報を頼りに、ルウ攻略を進めよう。



『チュートリアルを開始します。まずは村長に会いに行きましょう』


 ってガイド音声(僕の声)は言う。

 村長がいる方角を示す矢印が空中に表示される。


 が、村長は後回しだ。


 チュートリアルフィールドに移動した僕は、台本の内容を思い出しながら、とある場所に向かう。

 隠しキャラ、ルウ・シフェルの攻略ルートに入る第1エピソードが、このチュートリアルフィールドで発生するからね。

 しかも、そのエピソードをクリアしなければ、エンディングには進めないくらい重要だったりする。

 多分こんなの初回プレイでは見つけられないよ。

 チュートリアルなんてガイド音声に従ってササッと済ませてフィールドを出ちゃうだろうからね。



 村のすぐ外にある、森の中。

 村長との会話の前にそこへ行くと、傷だらけで血を流して倒れている少年がいる。

 着ている白いチュニックはあちこち切り裂かれていて、背中には引き裂いたような傷が2つあった。

 夢の中に出てきたルウ(ケイ)よりも幼くて、小柄で華奢な身体の子。

 その少年が、人間に姿を変えているルウ・シフェルだ。


『ケイ、そこにいるの?』


 僕は左手に装備している2人プレイ用の指輪に念話を送ってみた。

 通常なら、2人がゲームにログインしていれば、指輪を通して話ができる。

 でも、ケイが入っている筈のルウは目の前にいるのに、返事は無かった。


 キャラクターが気絶しているからかな?


 僕はうつ伏せに倒れているルウの上半身に腕を回して抱き起すと、顔がこちらを向くように仰向けにした。

 目を閉じているルウは意識が無く、細い身体は弛緩していて、全く動かない。

 睫毛が長くて整った顔は、女の子みたいに可愛かった。

 全身切り傷だらけなのに、顔に傷が無いのはファンサービスだろうか?

 ルウはゲーム発売前から人気のキャラクターだから、天使のような(というか天使なんだけど)ショタバージョンを見たら、ファンは泣いて喜ぶかもしれない。


『ケイ、起きて』


 僕はルウに顔を寄せて、ログイン前にケイにしたように唇を重ねた。

 ルウの唇と身体は、ベッドで寝ているケイよりも冷えている。

 僕は自分の身体でルウを包むように抱き締めて温めつつ、唇を重ねたまま治癒を願った。


 このゲームの天使たちや主人公は、キスをしたり身体に触れたりすることで、相手を回復させる力を持っている。

 相手への愛情が強いほど、その効力は高くなるらしい。

 その説明が聞けるのはチュートリアル後半だけど、力そのものは最初から使えるんだ。

 僕はケイへの愛情をルウに注ぎ、重傷を負っている彼の治療に使った。


「ん……」


 喉の奥から小さな呻き声を漏らし、ルウが意識を取り戻し始める。

 僕はルウの意識が完全に戻るまで、そのまま抱き締めてキスを捧げた。


 やがて目を開けたルウは、驚いたように一瞬ビクッと身体を震わせる。

 でも僕を押し退けようとはせず、キスに抵抗する様子も無く身体の力を抜いた。

 その様子は、僕の身体の温もりや口付けを、心地よいと感じているように見える。

 キスが大きな回復効果をもつことは勿論知っているだろう。

 ルゥは僕に身を委ねて大人しくしている。


 台本に書いてあるのと同じ反応だ。


 僕はルウの背中をそっと撫でて、一番酷かった傷が消えたのを確認して、重ねていた唇を離した。

 すると、会話の選択肢が出る。

「大丈夫?」と聞くか、「怖がらないで、敵じゃないよ」と話すか。

 どちらを選んでもルウの好感度が上がる。


 僕はどちらも選ばずに、フリートークモードに切り替えた。

 フリートークモードは、プレイヤーが話す言葉に、NPCのAIが受け答えするシステムだ。


「ケイ、迎えに来たよ」

「『ケイ』……?」


 僕の言葉に、ルウはキョトンと首を傾げる。

 その反応を見て、僕は会話をしている相手がケイではなくAIだと把握した。

 ケイがログアウトできない理由も、なんとなく分かった。

 多分、NPCのルウは、ケイの意思で動かすことが不可能なんだろう。

 NPCにログアウトは無いから、ケイは自力でゲームから出られないんだ。


「君は僕の大切な人の心を宿す者、僕は君を助ける為にここへ来たんだ」

「……」


 僕の言葉の意味を、AIは理解できなかったんだろう。

 黙って僕を見つめるルウに顔を近付けて、僕はもう一度キスをした。


「今は分からなくていい。ただ、僕は君が好きだってことを忘れないで」


 短いキスをした後に、僕は囁く。

 顔を離して見ると、ルウは少しポーッとしたような顔で頬が赤かった。

 それは、攻略キャラの好感度が大幅に上昇したことを意味する。

 主人公は攻略対象にキスをすることで、好感度を少し上げられるけど、その前に相手の心に響く言葉をかければ、好感度の上昇値が増えるらしい。


 ルウの背中に、6対の白い翼が現れる。

 ルウの身体が、少年の姿から神々しい天使長の姿に変わった。

 さっきのキスで、天使の力が完全回復したんだろう。


 チュートリアルフィールドで逢う彼は、人間界の視察中に魔族の襲撃を受けた後で、プレイヤーが見つけなかった場合は、部下の四大天使たちが探しに来て救出されるシナリオだ。


「覚えておこう。君の名前は?」

「ヒロ。貴方を愛する者だよ」


 天使長が問い、僕が答えると彼は微笑んで空へと飛び去っていく。

 これで、隠し攻略対象ルウのエピソード1はクリアだ。


 僕は好感度を確認するため、指輪に意識を向けて「ステータス」と念じる。

 すると、空中にホログラフのようなパネルが現れた。

 ステータスパネルには、自分のレベルや能力値の他に、出会った攻略対象の名前と好感度を示すハートが表示される。

 現在、僕が出会った攻略対象キャラはルウだけど、彼は名乗らずに去っていったので「???」になっていた。

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