涙と本心

涙と本心


すぐに服を着替えて、コートを引っ掴む。



病院


金木病院



頭の中でぐるぐると晋がいる場所を呟く。


晋の声も響く。




『じゃあまた明日な!!』




なんで?


晋に何があったの!?



完全に大パニック。



ダメ


ダメだ



私に出来ることはいち早く晋のところへ!!



慌てて出た。


リビングから「休日の朝から何なの!?」とお母さんの声が聞こえた気がするけど、無視して飛び出た。




晋…!!



エレベーターも待ってられない……いや、冷静になれ!!私!!


バタバタと階段降りても急いだ気になるだけで、エレベーターのが早いって!!


でも居ても立ってもいられない。



エレベーターに乗って降りたら、ひとまずタクシー捕まえて……



それから、それから!!



ダメだ!!全然冷静になれない!!


晋!!



私は──っっ



エレベーターがようやく開いた。



「あ、比奈子。おはよう!!ん?どっか出掛けんの?」


「病院に!!」


「え?病院!?」


「晋が!!晋が今、病院に!!」


「えぇっ!?今!?」


「……うん」


「……へぇー……」


「だから……その、急いで……迎えに……」


「え……そう…なんだ?」


「……うん」


「……いってらっしゃい?」


「……」


「……」


「……おはよう、晋」


「……おはようございます」


「……」


「……えーっと?ツッコミ必要?」


「……いや、ボケじゃないわよ?」



目の前に晋がいる。



ダウンを身に纏い、私服の晋はポカンとした顔で私を見下ろしたけど、私も同じ表情をしていると思う。



「えっと、ごめん。もう一回教えて。俺が何?」


「病院に」


「なんで?」


「さっき携帯に電話したら……」


「スマホ!?え…あれ!?ホントだ!!スマホがねぇ!!」



晋は慌ててダウンやズボンのポケットをまさぐるが、スマホが出てくる様子もない。



「あれ…おっかしーな。電源つけた時はあったのに…いつ落としたんだ?病院出る前かな?」


「え?」


「ごめん、比奈子。スマホ貸して」



言われるがまま晋に渡すと、晋はすぐに自分の番号に掛けた。



「もしもし……あ、はい。あ……俺です、はい」



晋は笑いながら「そうだったんすねー」とアハハと電話をした。



待て


待て待て待て



どういうこと?



晋は「後で取りに行きます」と言うのを最後に電話を切って、私に携帯を返した。



「なんかテル婆ちゃんが俺が落としたの見たんだけど、俺がサッサと行っちゃったからとりあえずナースステーションに届けてくれてたみたい。」


「テル婆ちゃん?」


「そう、テル婆ちゃんが。俺のってわかってたから、あとで姉ちゃんの部屋に持ってこうかって看護師さんが悩んでるところで、比奈子の着信を間違って押して取っちゃったんだって。」



テル婆ちゃんって誰!?と言いたいところだけど、それよりも……



「……病院いたの?」


「うん、昨日から」



ポカンとなる私に晋はあっさりと答える。


エレベーターは勝手に閉まった。



「晋……どこか怪我したの?」


「俺じゃなくて姉ちゃん」


「へ?」


「姉ちゃんが下痢止まんないっつって」


「下痢!?」


「いやー妊婦の下痢はマジで危険なんだぜ?」



危険と言うわりに、晋はお軽くアハハと笑った。



「テスト終わったあとに姉ちゃんから電話入って」


「え?えぇ?」


「旦那とはすぐに連絡つかないわ、親は出張中ですぐ来れないやらで、姉ちゃんもちょっとパニックになってたし」



話がわかるようで着いていけてない。



「昨日の遅くに一旦家に帰ったんだけど……テストで泊まり続きだったし、その上マタニティーブルーでパニックの姉ちゃんの相手して……さすがに疲れて爆睡だったね。しかも今日の朝イチも呼び出されたし」



テスト?


マタニティー?



私のがパニックだ。



「朝行ったら行ったで、義兄ちゃんもやっと来れたから『晋、あんたはもう帰っていいわよ』って……ひどくねぇ!?」


「……」


「まぁ、そんな感じ。俺は怪我してねぇよ?」


「……」


「昨日は電話出来なくてごめんな」


「……」


「比奈子、ただいま」



晋が私の顔を覗き込んで、お得意の八重歯を見せて笑った。



私の中で……


司令官が叫んだ。



暴走モードを許可する



言われるまでもねぇ。


即座に晋の胸ぐらを掴んで引き寄せた。



「わっ!!ちょ、ひな──」


「全部言え」


「へ?」


「1から100まで全部言え。この3日間何だったの?何時何分何秒何曜日であんたはしてたの?」


「いや…、え……」


「今日は誤魔化しナシだから!!!!」



すっげぇ睨んでやった。


晋はビックリして目を見開いている。



「何してたって……」


「なんで電源切ってたの!?」


「昨日は……病院にいて。ギリギリまで、姉ちゃん看てて……電源付け直すの忘れてた」


「なんでマンションに帰ってこないで泊まってたの!?どこ泊まってたの!?」


「だから……友達の」


「誰!?」


「え……いや、マジで浮気とかそんなんじゃなくて」


「じゃあ何してたの!?」


「……」


「晋!!」



胸ぐら捕まれて至近距離だけど、少し目を反らす晋がポツリと言った。



「……勉強」


「は!?」


「昨日まで期末テストがあったから……友達に頼んで勉強合宿つーの?……みたいなのしてた」


「勉強?晋が?」


「……笑うなよ?」


「いや、笑うというか……合宿…してまで、テスト勉強?」


「だからな、」



晋は溜め息をついた。


それに合わせて、私は晋の胸ぐらを離した。



「今回の期末で赤点だと追試やら補習が冬休みに入るから」


「……うん」


「そうなんのは嫌だ。でも俺、バカだし。だけどやっぱ俺的には比奈子と1日過ごしたいって思うわけ!!」


「……ん?」


「冬休みの……クリスマス」



単語だけ口にする晋に首を傾げていると、晋は自分の頭を掻いた。



「だから!!比奈子と付き合って初めてのクリスマスだから、どうしても頑張りたかったんだ!!」


「……え」


「笑うなよ!?笑うんじゃねぇぞ、ぜってぇ!!」



少し声を張った晋は、耳まで真っ赤だ。



笑うも何も……呆気。


普段『好き』とか『可愛い』とかは笑顔で言うくせに、晋の恥ずかしがるポイントがわからない。


多分…晋的には影の努力とかは知られたくないんだと思う。



……だとしても、



「い……言ってよ、それぐらい」


「嫌だし」


「は?」


「そこは言いたくない男心をわかれよ」


「わけわかんないし!!そんな男心!!」



今度は私が深い深い溜め息を吐いた。


溜め息と共に俯いた私の顔を晋が覗き込んできた。



「比奈子?」


「……」


「あ……」


「え?」


「もしかして比奈子、実は寂しかったりした?」



照れが引いたらしい晋は笑って、からかう感じで言ってきた。


多分、いつもの調子で言ったつもりだったんだろうけど…


私もいつもなら『バカじゃないの?』と返すのだけど……


涙腺は崩壊した。



「え……ひな──」



晋に名前を呼ばれる前に拳を振り下ろした。


晋の胸に入って、晋は「うっ」と痛みを言葉に漏らした。


もう片方の手も振り下ろして、もう一度晋を殴った。



ポカポカとか可愛い効果音なんてもんじゃない。


だいぶ本気で殴った。



「ちょ…、比奈子痛い!!ひなっ……」



泣きながら殴ったら、晋に両手を捕られて、動きを止められた。



「比奈子!?一体な──」


「ここは怒っていい所だよね!?」


「え?」


「私は晋の彼女なんじゃないの!?」


「う……うん」


「じゃあ怒っていいよね!?これは我が儘じゃないよね!?つーかむしろ怒って当たり前でしょ!?」


「なにが…」


「すっごい……」



そこで言葉を詰まらせた。


泣きながら怒りながら、叫んでいた勢いが萎んでいく。



だから余計に涙がボタボタに落ちた。


化粧する余裕もなく飛び出したから、スッピンの睫毛と頬をただ濡らしていった。



「すっごい心配したのに……」


「……」



私の手を掴んでいた晋の両手がゆっくりと私を解放した。



「晋が離れたらどうしようとか……」


「……」


「晋の食べ物の好き嫌いも全部わかってないし、晋が元カノとどんな感じの付き合いだったのかも全然知らないし……」


「……」


「すっごい不安で……しかも晋が病院いるって聞いた時……すっごく怖かったのに」


「……」


「どうしようって……晋がいなくなったらどうしようってすごく怖かった」


「……うん」


「私は晋の彼女なんだよね?……間違ってないよね?」


「うん」


「じゃあっ……」



晋の顔を見ても、まだ涙は止まらなかった。



「じゃあ……何も言わないでどこかへ行かないでよ!!」



会いたかった。



たまらずその懐へ入り、抱き締めた。



手に触れたダウンはヒヤリと冷たかったが、顔を寄せる襟元や喉元は熱くて、晋が傍にいる事実にまた涙が流れた。



「笑わないから……隠さないで晋のこと全部教えてよっ」


「……」



そこからはもう嗚咽だけ。


これ以上言葉を続けられなかった。


鼻を啜っては、せいぜい唸って泣くことしか出来なかった。



私は一体、何回晋の胸で泣けば気が済むんだろう。



私の背中にソッと優しい掌が触れるのを感じた。


でも、



「触らないで」


「へ?」


「私、まだっ、怒ってるから。……触らないで」


「え……比奈子は抱き付いてんのに!?」


「晋は触っちゃダメ」


「えぇっ!?」


「こんな怖い思いしたのは、晋が変に隠してたせい……なんだから」


「いや、病院のは比奈子が早とちりしないで電話を最後まで聞いてたら、ちゃんと…」


「うるさい。反省して」


「…………はい」



棒立ちの晋をもう一度ギュッと抱き締め直して、肩に頬を寄せた。



目を閉じて、ただただ晋の温度を感じた。



晋が帰ってきてくれたことが、嬉しい。



「……あのさ、」



少し俯いて喋る晋の言葉は、ちょうど私の耳に近い距離でボソリと聞こえた。


いつから晋の身長は私の抜かしたんだろう。



「もしかして比奈子、」


「……」


「俺が思ってるよりも、実は結構……俺のこと、好きだったりする?」


「……」



少し遠慮がちな声が耳に届いた。


だけど晋はすぐに「ははっ」と短く笑った。



「な……なんつって──」


「そうだよ」


「………………え、」



ハッキリと言ったことに晋は戸惑いの声を出す。


だからもう一度言ってやった。



「晋のことで、こんなに怒るのも泣くのも……世界中で私しかいないよ」



付き合う前から……晋にキスしてしまった日から、私も懲りずに同じことを繰り返してるんだろうけど、それでも結局はココが一番なんだ。



晋がいるココで泣かなきゃ、そのあと笑うことだって出来ない。



何度繰り返したって、結局は晋が好き。



好きだ。



「世界中で一番、晋が好き」



リサにだって元カノにだって、負けたくない。


譲れない。



好き。



晋を強く抱き締めた。



ハッキリと言ったのに、晋から全然反応が返ってこない。



え?


まさかの無視!?


ちょっとだけムッとして、勢い良く顔を上げた。



「ちょっと!!こんだけ言ってもまだ──」



わからないの!?


と言うはずだった言葉は、晋の顔を見て止まった。



「晋」



晋は真っ赤の顔で固まっていた。


それは、けして寒さのせいではなく



「……朝から心臓に悪いよ、比奈子さん」



そして少し泣いて笑っていた。



「あーごめん、俺ダセェ……」



笑いながら晋は掌で自分の涙を拭う。


ほんのちょっぴりの涙だったけど、私は驚いて言葉が思い付かなかった。


晋は私を見つめては、フッと息をもらして笑った。



「なぁ比奈子、まだ?」


「え?」


「俺はまだ比奈子に触っちゃダメ?反省するから」


「……え、いや、その」


「抱き締めたいんだけど」



気温とは関係なく、私の頬も火照る。


触らないでと怒ったものの、抱き締めて……ほしいかも。


おそるおそる頷きかけた時……


エレベーターが"ゴゥン"とワイヤーが回り出した音を立てた。


思わず晋と顔を見合わせた。


エレベーターの表示はカウントを上げていく。


それでハッと気付く。


この階に来るかはわからないけど、この現場をマンションの人に見られるのは……恥ずかしすぎる!!



てかよくさっきまで誰もココを通らなかったね!!


休日の早朝だから?


危なかった!!


朝から何してんだ私達!!



狼狽えると、その思いは晋も同じだったようで、少し慌てていた。



「お、…と、とりあえず家に戻るか?」



晋の提案に何度も頷いて、その場を離れた。



家の前まで早歩き。


でも自分の家に入る前に止まった。


正しくは晋に腕を捕られて、阻まれた。



「え、晋?」


「比奈子ん家に帰るのはまだダメ」


「え──」


「もう少し俺と居て」


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