過去と方法

過去と方法


正直、私も晋ともう少し一緒にいたかったし、この泣き顔で家に帰るのは嫌だから良いんだけど……


お母さんはいいとして、侑は勘が良いから……私の顔と晋を見て、なんとなくの事の状況を理解されるのは恥ずかしいから。



だから良いんだけど……



晋の部屋で二人黙ってカーペットの上で座った。


晋の部屋は以来だし。


ドキドキがうるさい。



手を伸ばせば届く距離にいる晋だけど、私達の間には人一人は入れる距離。


落ち着かないのを誤魔化したくて咳払いすると、なんだかわざとらしくなった。



「えっと……それで、追試は大丈夫そうなの?」


「それはわかんない。テスト返ってきてないし」


「……だよね」



もしかして緊張しているのは私だけ?


私の気持ちをわかってるのかわかってないのか、晋は体の重心をこっちに寄せて、私の顔を覗き込んだ。



「……比奈子、まだ怒ってる?」


「え!?は?あ、いや!!怒ってない!!」



慌てて首を振ると、晋がニヤッと笑った。



「じゃあもう一回」


「もう一回?何が?」


「さっきの。もっかい言って?」


「……?テスト?」


「世界中で、俺のことが……何?」


「──!?」



晋がキラキラした目で見てくる。



えっ!?


思い切って、ようやくやっと言えたことを、もっかい言わそうとしてるの!?こいつ!!



咄嗟に晋から距離を取った。



「そ…そんな何回も言えるわけ……」


「聞きたい!!言えよケチ!!」


「バッ──ケチとは何!?」


「アンコール!!アンコール!!」



あーもー!!殴りてー!!


吸い込まれそうな、その大きな目から目を反らしたって、頬の熱さは冷めそうにない。



「な?言って」



そんな甘えた声を出されても……


取ったはずの距離も、晋は片手を着いて詰め寄る。



もう一度言おうか迷って口をモゴモゴさせてはみたが、やっぱり恥ずかしい!!


必死で話題を反らそうと思った。



「晋って中学の時、女の子と結構遊んでたって本当!?」


「……」


「……」



だけどギュッと目を瞑りながら言ったその話題が、チョイスミスであることにすぐ気付いた。


目を開けば、晋が本気でビックリしている。



「……はっ!?え!?どっからそれ聞いたの!?」


「……」


「タスク!?……は言わねぇよな。……え!?マジで誰が言った!?」


「……」


「ちょ……聞いてる比奈子!?」



『聞いたら驚くだろうな』とは思ってたけど、あまりにも予想通りの反応に笑ってしまった。


晋の経歴を全部知らなくても、晋がどんな奴かはわかるから。



「え!?なんで笑う!?あっ!もしかしてカマかけだったの!?」


「ははっ、違うって」


「じゃあなんで!?誰!?」


「それは企業秘密です」


「えぇっ!?」



晋の慌てっぷりにクスクスと笑った。


笑う私に今度はムスッと口を尖らした。



「この際もう誰でもいいけどさ……比奈子にとって笑って聞く話なのか?俺が比奈子の聞く側だったら、あんま笑えない」


「ん?」


「比奈子は俺のそういう話……嫌じゃない?」


「……嫌じゃない……ってわけじゃないけど、でも知らないのも嫌っていうか」


「……」


「今回、ちょっと離れてた間……それも不安になってたし」


「それ?」


「小さい時から一緒にいたわりに、晋のこと知らないな……って」



知らないのは、それまで晋に興味がなかったせいだと言ってしまえば、それまでなんだけど……


それでも一緒にいた。


家族ぐるみで遊びに行ったり、私の部屋でゲームをしていたり、私の彼氏の愚痴を聞いてくれて、別れた時は慰めてくれた。



晋がどんな奴かよくわかっているのは、付き合う前からそれなりに長い間一緒にいたから。


私達なりに幼なじみという時間がちゃんと存在している。



だけど私は、それだけじゃ足りなくなってきている。


だから余計に思う。


晋のことをまだまだ知らないって。



「……比奈子」


「なに?」


「……比奈子は中学の時の俺とあんま喋ってないっつったじゃん?」


「え…あー、うん。あんま覚えてない」


「俺も『そうだっけ?』ってとぼけてたけど、実はわかってた」


「え?」


「俺……中学2ぐらいから、比奈子のこと避けてたから」


「はっ!?避けてた!?」



意外な言葉に晋を見たけど、晋は頷くだけ。


晋はベッドの縁を背にもたれ、後頭部をそのまま毛布に預ける形で天井を仰いだ。


遠くの過去を見上げているみたい。



「小学校の時から比奈子のこと好きだったけど、好きだから好きって感じだけだった。それに比奈子は、どの彼氏とも言うほど長続きしてなかったし」


「……うるさいわね」


「まぁともかく彼氏がいようと関係ないっつーか…比奈子が俺のことどう思ってんのか、気に止めてなかったんだけど……」



晋は小さな溜め息を挟んだ。



「中学なってから初めてクラスの女子に告られた」


「……」


「そしたら、まぁそりゃあ……比奈子の顔を思い浮かべるわけだよ。でもその時、なんか知んないけど急に自覚したというか…」


「何を自覚?」


「『あれ?俺はもしかして“叶わない恋”ってのをしてんじゃねぇの?』って」


「……」


「比奈子に相手にされてないのをやっと理解したっつーか、中坊ながらに『このまま好きでいるのはヤバい』って思った」



晋はちょっとだけ笑った。


だけど私はどう反応したらいいのかわからなかった。



「それに周りの友達で彼女出来た奴とか出てきて、付き合うってことをリアルに考えるようになったせいっつーか……」


「……」


「それでも比奈子の傍にいたら、そりゃあ単純にもっと近付きたいってなってくわけで……でも報われない気持ちだってわかるし」


「……」


「──で、どうしたらいいのかわからなくて……避けた」



見上げていた晋は顔を起こし、今度は逆に頭を垂らした。


フワフワな茶髪も一緒になって落ち込んでるように見える。



……そうか。


避けられてたんだ……私。


私の知らない晋の歴史を思うと、なんだか胸が苦しい。



「比奈子が言ってる『女と遊んでた』ってのは、多分そん時らへんのことだと思う。女ってより、ヤローとの喧嘩が多かったけど……彼女作ったりもした。そうやって比奈子から遠ざかろうとしてた」


「……そっか」


「一応俺なりに好きになろうと思って付き合ってみたし、その時はその時で一生懸命彼女を大事にしようとしてたけど……好きじゃないのに付き合ってるのを『遊んでる』って言われたら、そうなんかもしんない」



晋は俯いていた顔を少し上げたけど、視線は下げたまま。


晋とずっと目が合っていない。


私が一人で見つめるだけ。


しばらく無言のあと、晋はちょっとだけ明るい声にして笑った。



「だってさ!!比奈子はずりぃよ!!」


「はっ!?何が!?」


「こっちがやっと諦めかけた時とか決心ついた時とかに限って、比奈子はタイミング良く彼氏にフラれんだよ、いつも。」


「──はっ!?」


「本気で怒ったり本気で泣いたり、そんで最後に大声で笑って……しかも、その度『好きだ』っつっても、比奈子は無視するし。俺のこと、すげぇ振り回してたのわかってた?」


「……あはは」


「避けてても、何故かそこだけはタイミング良く遭遇しちまうんだよ……俺は何かしらの比奈子の呪いにかかってるとマジで悩んだね」


「人を悪霊みたく言わないでよ」



睨みを利かすと晋はゲラゲラ笑う。



「でもいつも全力な比奈子の傍にいたら、誰と付き合ったって気付かされんだよ」


「え…なにが」


「結局は、比奈子が好きだって」



やっと晋が私を見た。



「俺、比奈子といる時がやっぱ一番楽しい」



その笑顔に睨んでいたはずの眉間の力が吸い取られた。


……このタイミングでそれ言うのは反則でしょ。


私は照れを誤魔化そうと、無意味に前髪を引っ張った。



「聞いてる?比奈子」


「き…聞こえました。ちゃんと」


「俺の気持ち、ちゃんとわかってる?」


「うん」


「でも全部伝わってる気がしないんだよな」


「え!?……いや、普通に伝わってるよ?」


「でも多分、比奈子が思ってる更に100倍は比奈子のこと好きだよ……俺」


「えぇっ!?」


「だからすげぇ不安」



晋は自分の頭をガサツに掻いた。



「比奈子がただの幼なじみの姉ちゃんじゃなくて、『彼女』なのがしばらくはマジで信じらんなかったし、やっぱり時々『なんで俺?』ってすごい思う」


「疑うほどっ!?私がさっき言ったの聞いてた!?」


「いやだからマジでビックリした。でも絶対俺のが比奈子のこと好きだし」


「それは違う!!」


「……特に付き合い始めの頃は結構悩んだ。比奈子は俺のことが好きってより、たまたま俺に流されただけかもしんないって」


「……」



……晋って、へらへら笑うこと多いから、そんな風に考えてるなんて……気付かなかった。



「『付き合ってるのに片思い』」


「はっ!?」



それは晋が前に読んでた少女漫画のセリフ。


突然すぎて、ポツンと言われたそれに驚きの声を出した。



「いきなり何!?」


「……俺ばっかり比奈子のこと好きみたいで、嫌なんだ」



晋は一体いつからそんな思いを抱えていたんだろう。


思わず眉をひそめた。



「……晋こそ、私の気持ちちゃんと伝わってる?」


「いや、そりゃ普通には伝わってるけど……」



ムスッとした感情のまま晋の顔を覗き込んだ。


やっぱり私が言ったこと全然伝わってないじゃん。


じゃなきゃなんで『付き合ってるのに片思い』とか思うの?


さっき『世界中で一番、晋が好き』って言ったのに?


じゃあ“宇宙一”って言えば、この想いは伝わるの?


キスが出来そうなこの距離で、晋と目が合った



……あ



見つめ合うだけで、答えは目の前にスッと現れた気がした。



そうか。



いつの間にか大きな育った私の『晋を好き』な気持ちも


晋が言う─『私を好きだ』って気持ちも


お互いに伝えきれないこの歯痒さは目には見えない、形ないものだから……



だから……


胡座の上で軽く握られている晋の拳に手を重ねた。



「……比奈子?」



言葉や時間だけじゃ……物足りないものだから。


だから肌で確かめたいんだ。


晋の手に触れるだけでも、不安な気持ちが薄れる。


晋への好きが溢れる。


もっともっと晋を大事にしたい。


もっともっと伝えたい。


手に力を込めた。



「私は晋が好き!!わかる?」


「……」



晋は少しだけキョトンとした。


だけど力強くもう一度晋の手を握った。



「晋が好き!!」



しばらく私を見つめていた晋は、口元を弛ませてから少し頷いた。


そして触れていた手の甲がクルリと反転し、晋の手も私の手を包んで握り返してくれた。



「俺も比奈子が好きだ」



お互いの手がポカポカになる。


私も微笑みが滲む。


伝わってる?


晋、伝わってる?


晋のことがすごく大事だよ。



「晋、」


「ん?」


「いいよ」


「は?」


「触ってもいいよ」


「…………は?」


「さっきエレベーター前でダメって言ってたけど……もう怒ってないから。だからもう私に触っていいよ」



晋の大きな目は瞬きを繰り返した。


そして不思議そうに握っている手を眺めた。



「これは触っている内に入らないのか?」


「……まぁ、そうなんだけど。そうじゃなくて、私が言いたいのは、」


「うん」


「もっと……いいよっていうか」


「……うん?」



頬が上気していくのが自分でもわかる。


これが今の季節の寒い外なら、きっと湯気が出てる。


晋に触れたい。



「と……とりあえず、抱き付いてもいい?」


「……」


「抱き付きたい…のですが?」


「ダメ」


「えぇっ!?」



まさか断られるとは思ってなかった。


恥ずかしさが2倍となる。


小さなショックを抱えて目を泳がしていると、晋が大きな溜め息を吐いた。



「比奈子に抱き付かれて、今はそこで終われる自信ねぇし」


「……」


「だからダメ」



晋の言葉にドキドキする。



「……いいの」


「……ん?」


「……だからいいって言ってるの」



私もずっとこのままで終わるなんて、無理だ。


晋を知りたい。



「もっと……晋の気持ち、教えてほしい」



晋の目が私を離さない。



「そしたら晋だって、多分わかるよ。私がどれだけ晋のこと……──わっ!?」



立ち上がった晋に、グッと手を引かれた。


立たされた勢いのまま、息が止まりそうなぐらい強く抱き締められた。



伝わる方法、伝える方法の最短距離。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る