キックとガム

キック


電話に出た時、



『元気か?』



開口一番の芳行はやっぱり何事もなかったかのようなサッパリとした口調で、



『暇ならどっか遊びに行こう』



そうやって誘う芳行の意図が私にはやっぱり理解出来なかった。



だけど気付いたら私はYESという答えを出していた。


今はどこかで気分転換がしたい。


その相手が芳行である必要はないけど、私は別にそれでもいいかという心境だった。



土曜日、芳行と会うことになった。



◇◇◇◇



芳行とは駅で待ち合わせした。


待ち合わせなんて久々だ。



晋はいつも元気に家まで来てくれたから。


お隣なんだから当たり前か…



芳行とどこかへ出掛けるのも久しぶり。



付き合う前や付き合いたての時はデートを楽しんだりもしたけど、3ヶ月もすれば大学で顔を合わせるだけで十分になって、なんとなくメールと電話だけで済んでいたような気もする。



……そうやって私達を振り返れば、浮気されて当たり前だったのかも。



「比奈子」



名前を呼ばれて、ふと声の主を見た。


芳行が来たのだ。



スラッとした背丈にオシャレな着こなし。


あぁ、そういや芳行はこんなんだったっけ……って感じ。



深い溜め息をついた。



「あ?なんだよ。いきなり人の顔を見るなり溜め息ついて」


「え?溜め息ついた?」


「うん。思いっきり」


「……」



なんでかわからないけど、一瞬……『比奈子』という少年の声が聞こえた気がしたんだ。



誰の声かは考えないことにする。



「それよりお前、どっか行きたいところとかある?」


「行きたいところ?」


「あぁ」


「……別に。特に」


「は?なんだよそれ?」


「……へ?」


「…ったくよ」



『は』も『なんだ』もない。


そもそも誘ったのは芳行の方なのに、なんで若干責められなきゃならないのか。



「まぁ、いいや。じゃあカラオケでも行くか」



芳行の提案にただ一言「うん」とだけ言った。



バンドではベース担当の芳行だけど、歌うことも好きだから、付き合っていた時から度々カラオケには行っていた。



懐かしい。



芳行は受付を済ませ、部屋に入って手慣れた感じで曲目を入力する。



歌うのは私も好き。



芳行が歌う間に私も入力する。


少しでもモヤモヤをここで発散できるのなら、させたい。



……


『高校の友達とはゲーセンとかカラオケとか……』




タッチパネルへの手が止まってしまった。



晋の声がやまないのだ。



「……比奈子?」



マイクで反響した声で芳行に呼ばれた。


歌が終わったらしい。



「え……あー、まだ決めてない。ちょっと待ってて」


「比奈子、なんか変わったな?」


「へ?」


「なんかテンション低いし……冷たくなった」


「……」



変わった……のか?




『比奈子は冷てぇなー……』




違う。


私はもとからこんなんだ。


芳行が知らなかっただけ。



だって晋は知っている。



黙って俯いていたら、芳行が隣に座ってきた。



「何?なんか落ち込んでんの?」


「……別にそんなんじゃないけど」



芳行に背を向けて、曲を送信した。



「……ごめん…な」



芳行に後ろからソッと抱き締められた。



イントロが流れ出したけど、動けなかった。



なんで謝られた?



全身、鳥肌が立った。



仮にも付き合っていた相手に、そう思うのはおかしいのかもしれない。


だけどゾッとした。



私の思考は拒否しか働かなかった。


だって謝られる意味がわからなかった。



抱き締められているその腕が怖かった。


体が微かに震えた。



それに落ち込んでることに芳行は関係ないのに……。



「芳行、あのね」


「何?」


「私、今好きな人いるから」


「……え?」


「だから本当に気にしてないから」



だから離してと言おうかどうか迷っていたら芳行が「へぇー?」と言った。



「そっかそっかー」


「……」



芳行が抱き締めたまま、ポンポンと頭を撫でた。



「上手く行くといいな」



上手くいく?



晋と女の子が並んで歩く背中が思い出した。



わからない。


付き合えたって上手くいかないかもしれないし


晋がもっと辛くなったり


晋が別の子を好きになっちゃうかもしれないし……


自信がない。



じゃあこのまま晋が誰か別の子と上手くいくことを願うのが……恋なの?



それが恋に恋しないってこと?



相手の幸せを願う。


そういうことなのかな…



囁くように芳行が言った。



「そいつに幸せにしてもらえよ?」



耳元で言われたことに深呼吸をした。



とりあえずひとつだけ決まったことがある。



「芳行……」


「うん?」



こいつ、シバく。



すぐ後ろにいる芳行にエルボーをくらわした。



腹にくらった芳行が「ぐっ」と呻いた瞬間、腕が緩まったのを見計らって立ち上がった。



芳行の腕から逃れた私はそのまま振り向きざまに芳行の顔にキックも入れた。


少林寺拳法の黄色帯なめんな。


ソファーから落ちて呆然としている芳行の顔を見下ろした。



「どの口が利いてんの!?はあ?アンタが!?誰に向かって!?あぁ!?芳行から別れ告げたんでしょ!?」


「ひな……」


「どっから沸き出てくるのよ、その神経!!そのナルシスト!!言われなくたって、気を付けるわよ!!上手くするわよ!!」


「はぁ!?てめぇ、なん」


「浮気したお前は喋んな!!反抗すんな!!口答えすんなっ!!」



何にもせずに幸せを待ってるだけが恋だっていうのなら、願い下げだ。



相手が幸せでも自分が幸せになれないのが恋だっていうのなら、願い下げだ!!



ましてや…



「あんたみたいな浮気男はこっちから願い下げだっつーの!!!!


「はあ?」


「今さら良い男ぶったって、感じの悪い別れもなかったことにはなんないからね!!辻褄合わせにも程があるわ!!意味がわかんねぇっつーの!!」



久々に大爆発だ。


カバンを引っ付かんでサイフを取り出し、五百円玉を投げつけた。



「痛ッッ……」


「芳行!!」


「……な」


「幸せはしてもらうんじゃなくて、幸せになるんだよ!!」



自分で叫んで、自分でハッと気付いた。



幸せになる。


今の私が幸せになるには晋が必要だ。



どこに居たって、晋のことしか考えられないのだから。


未来はわからなくても『今』はそうなんだ。



それで私は幸せになる。


もしそれで晋が幸せになれないなら、私が幸せにしてやるまでだ。



杏里の言う通り、私らしくなかった。



今まで暴走してた時も、一人だった。


黙って悩むのも一人で出来る。



自己完結の世界は意味がない。



一人じゃ恋は出来ない。



晋も一緒に巻き込まないといけない。



少なくとも、今一緒にいるべき相手は芳行じゃないんだ。



私が今すべきことは動くことだ。


すぐにスマホを取り出した。



晋の番号。



発信音が耳に入った時、我が返ったように緊張し始めてしまった。



勢いで電話してるけど、大丈夫?


私、喋れる?


晋は出てくれる?



私は……



「……好き勝手に言いたい放題してんじゃねぇぞ?」



芳行に肩を掴まれた。



ゾッとした。


……まずい。



どうしよ……


私、殴られちゃう?




『……比奈子?』




電話越しで声が聞こえた。



ずっとずっと聞きたかった声だ。



それだけで全てが吹っ切れた気がした。



「晋!!助けてっ!!!!」


『え?』


「襲われる!!迎えにきて!!」


『えぇっ!?何それ!?』



晋の慌てた声が聞こえたところで、肩に置いてある手がさらに力を強めた。



「ふざけんー…」



鼻から深く息を吸い込んで、足を踏ん張った。



躊躇ちゅうちょなく、蹴りを入れた


男の急所に。



「ーッッだ」



崩れ落ちる芳行から離れ、個室だった扉を開けた。


出る直前に一瞬だけ振り返った。



「ーっバイバイ!!」



芳行、バイバイ。



そのままカラオケボックスを出て走り出した。



ヒールが走り辛くて、転けそうになっても、そのまま速度を落とさず走り続けた。


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