尾行と電話
尾行と電話
◇◇◇◇
結局、晋が部屋に戻ってくることはなかった。
次の日から晋が友達の家に泊まり込みで文化祭の準備をするっていうから、隣の家に帰ってくることもなくなり、パッタリと会えなくなった。
でもどんな顔して会えばいいのかわからなくて
それは幸か不幸か……である。
そうやって週末も休日も過ぎていった。
でもただわかることは、
「調子に乗っちゃった……」
机に突っ伏していないと涙が出そうで、講義中なのに顔を上げられなかった。
隣にいる杏里は私をチラッと見てはノートをとっている。
「私……晋に『好き』って言ってくれることが嬉しくて、余裕こいて……晋を傷付けちゃったよ」
「比奈子……」
「……」
「反省はわかるんだけど、」
「……」
「授業中なんだし……顔上げな?」
「……」
「比奈子」
「……」
「大丈夫?」
「……うん」
「……」
杏里はノートに走らさせているペンを止めた。
「比奈子、抜けよ」
「……え?」
杏里がノートとかを鞄になおし、片付けを始めた。
「教室出て、話しよ?」
杏里からサボリを言い出すのが珍しすぎて、目を見開いた。
「え……でも、授業中…」
「いいから。出るよ」
杏里に引っ張られて、二人で教室を出た。
外に出た途端、ムッとする蒸し暑さが顔を撫でた。
それだけで少し泣きたくなった。
キャンパス内のベンチに私を座らすと、杏里は二人分のジュースを買って、一本渡してくれた。
「もう早いとこ、電話しなよ?」
杏里は私の隣に座り、音を立てて缶ジュースを開けた。
「電話?」
「会えなくても電話は出来るんでしょ?」
「……」
「いつもの比奈子なら、後先考えずに電話してきたじゃん?」
「……うん」
「いつもこっちが『落ち着け』って言ってるのも無視してさ?」
最後の言葉に杏里はケラケラ笑った。
「ねぇ……杏里」
「んー?」
「私は晋に何て電話すればいい?」
「……伝えれば?好きって。それで解決でしょ?」
「そう……なんかな?」
杏里から貰ったジュースを開けることなく握りしめた。
目に浮かぶのは顔を覆って俯く晋。
『比奈子の傍にいるの……辛い』
辛いってなんだろう?
擦れ切れるぐらい何度もその場面が頭の中でリピートされて、すごくお腹が痛くなる。
「私……ただでさえ晋の前じゃ甘えるとか、素直になるってことが出来ない。好きな人である前にずっと一緒にいた幼なじみだから」
「……うん」
「私が晋に告白して…付き合って…それで晋は幸せなんかな?」
「え?」
「私……怖いよ」
自分自身、言葉にして実感した。
私は怖いんだ。
「今ならわかる……杏里が言ってたこと」
「え?何言ったっけ?」
「晋が可哀想……って」
「……」
「だって私は自分のことしか……考えられない。今までだって、そうだった。彼氏がどんなに格好良くても、私が嫌なことはさせたくなかったし、私も自分で嫌なことはしてこなかった。相手が喜ぶとか…って前に」
「……」
「恋することだけが楽しかった」
恋に恋をする。
彼氏がいるってことだけで満足できて、恋人にしか出来ないイベントが楽しかった。
……晋はどうなんだろう?
「ただでさえ晋には素で喋っちゃう……。例え、キツくない言葉を言おうと思ったってムリ。我慢すれば出来るかもだけど……晋に他人行儀なんてこともしたくない」
「比奈子」
「晋に好きって伝えて……晋は嬉しいのかな?瞬間、嬉しくても、次には傷付けて、ガッカリさせるかもしれない。だって…今までも、これからも……私は……素直になれない。可愛くない……。そんなの彼女にしたって……晋が疲れちゃうよ」
「比奈子」
「だったら、別に今まで通り……幼なじみのままの方が…お互い傷付かずプラスマイナスゼロで楽じゃん?」
「……」
「そもそも『好き』の言葉さえ素直になれな──」
「比奈子!!」
杏里の強めの声に顔を上げた。
「他人のネガティブほどウザいものはないね!!」
きっぱりと言い切った杏里に一瞬呆然とした。
てっきり何か良いことを言ってくれると思っていた私はすぐにジワッと泣けた。
「お…落ち込んでのに、そ…そんな言い方…ないじゃんかあぁー……」
「はあ?事実でしょ?」
「友達だったら励ましてよおぉー」
涙が玉となってこぼれた。
杏里の手が頭を撫でてくれた。
「よしよし、今は泣いてしまえ」
「あ…杏里が泣かせたん、でしょ!?ふっ…ふぇ…え、えぇーん!!」
「よしよし、よーしよし!!」
ぐちゃぐちゃに泣く私を杏里はムツゴロウさん並みに抱きしめて撫でてくれた。
ここがキャンパスの真ん中ってことを忘れるぐらい泣いた。
ひとしきりに泣いて、顔を上げたら杏里が「パンダ」って言って、笑った。
……なんという友達だ。
だけど、幾分スッキリした。
「比奈子」
杏里はハンドタオルを差し出してくれた。
遠慮なく顔を拭いた。
「そうやって悩むことは悪くないと思うよ?」
「……うん?」
「むしろ比奈子には良い傾向だ」
「……ホントにそう思ってる?」
「思ってる思ってる」
杏里は空っぽになった缶を足下に置いた。
「比奈子は自分だけじゃなくて、シンくんのことも考えるようになったんでしょ?すごいことだよ!!」
「……」
「ホントに幼なじみのままでいいの?」
何も答えない私に杏里も何も言わなかった。
幼なじみってことは今まで通りで、こうしたしんどいこともなく一緒にいれるってこと。
笑って、バカやって、たまに喧嘩して、侑とも一緒に遊んで……。
楽でいいじゃないか。
十分幸せじゃないか。
晋だってこれ以上『辛い』思いをすることもない……と思う。
タオルを当てて、鼻を啜ると「ねぇ、比奈子」とまた名前を呼ばれた。
「相手のことも考えられるようになっても、それを自己完結にしちゃえば……結局、恋に恋することから何も変わらないよ?」
私はただ黙った。
杏里が言うことはいつも難しい。
◇◇◇◇
化粧を直し、講義に戻ったけど、何も身に入らなかった。
杏里のおかげで多少スッキリして落ち着いたけど、やっぱり晋とどうすればいいかわからない。
早く家に帰ろうと電車に乗っている間も頭から晋が離れない。
上下する電線も虚しく見える。
電車が駅に着いて、止まった。
アナウンスが駅名を告げる。
ふと開いた扉に目を向けた。
ここは前に晋と来た駅。
川で遊んだ場所。
本来降りる駅じゃなかったけど、思わず足を下ろした。
何がどうって…わけじゃないけど。
定期券内の駅だから、普通に改札を抜けた。
改札を出てすぐ商店街に入る。
晋と歩いた道だ。
なんでもない会話をして、歩いたのが一ヶ月前だなんて思えない。
それがすごく前に感じるのか、つい最近に感じるのかはわからないけど。
晋との楽しい思い出が蘇る。
……やっぱり、晋に好きって言ってもらいたいと今も思うし、晋のことが好きで一緒にいたいって思う。
晋に、電話したら……晋は出てくれるかな?
色々なことを歩きながら考えていたら、コンビニから男子高生が出てきた。
茶色の髪に見たことある制服。
ブルーに光るピアスを一瞬見せて、すぐに背中を向けた。
見間違うわけがない。
晋だ。
わからない感情が5つくらい同時に沸き起こった感じ。
晋だ。
久々だ。
5日ぶりぐらい?
胸が締め付けられる。
なんで晋がここに?
突然すぎて混乱する。
そう言えば、ここは晋の通学路って……
「お待たせ!!」
コンビニからもう一人出てきた。
女の子。
夏の制服を身に
息が詰まった。
……同じ学校の子、かな?
目の奥がガツンと響いて、目眩と耳鳴りがした。
「おう、じゃあ学校戻るか」
晋がそう言って歩き出した。
女の子も着いていく。
二人の背中がどんどん離れていく。
カバンをギュッと握りしめた私も一歩一歩進んでいった。
二人から付かず離れずの間隔で、気付かれないようにゆっくりと着いていき……
って、私は何してんだ!?
完全に尾行だし!!
怪しい!!
そしてキモい!!人として!!
これはバレたら気まずすぎる。
ヒヤヒヤする意味でドキドキしながら、それでも尾行を続けた。
だって気になる!!
二人はコンビニの割に大きく膨らんだ袋を手にさげ、そこから飲み物とお菓子がはみ出て見えた。
学校に戻るって言ってたし…
クラスの差し入れかなんかで、文化祭の準備しながら皆で食べるのかな。
晋の背中を見つめて溜め息をついた。
私は一体、何やってるんだろうって我ながら呆れる、改めて。
晋の隣に並んで歩く女の子に視線を移した。
クラスメイト…だよね?
もしかして、あの子が『ナミちゃん』?
茶色いショートカットが揺れている。
華奢で小さい背丈がなんだか可愛い。
彼女の隣だと晋も大きく見える。
男の子なんだって思える。
私と違って、お似合──
直ちに思考をストップさせた。
なんだか虚しかったから。
商店街を抜けて、足取りを弛めた。
このまま学校までついていくわけにもいかないし……自分がバカらしく思えた。
もう帰ろう
ーと思った時、女の子が「うひゃっ」と急に肩をすくめた。
晋が隣を見下ろした。
「何?どした?」
女の子は自分の脳天を
「頭に冷たいものが落ちてきた。多分、電線から雨水が垂れたんだと思う」
「あー…そーいや雨降ってたしな」
少し空を仰いだ晋は女の子に視線を戻し、手を伸ばした。
「カワシロ」
名前を呼んで、女の子の腕を掴んだ。
「こっち来い。こっちなら濡れねぇし」
ごくごく自然に女の子を引っ張った晋を見て、全身がザワッとした。
血の気が引くとか鳥肌とか、そんなんじゃなくて……上手くいえない感じ。
ただ自分の感情ははっきりとわかっていた。
つまりショックなんだ。
触らないで
優しくしないで
そう思ってしまう。
だけど私はもっと衝撃を受けた。
一瞬、きょとんとした女の子は晋を見上げたあと
「ありがとう」
そう言って笑ったのだ。
私には出来ない『素直で可愛い女の子』がそこにいたのだ。
まるで頭を強く殴られたみたいで……
完全に私の足が止まった。
「上村くん、優しいね」
彼女は更に笑顔でサラッと自然に褒める。
自分の可愛げのなさを更に思い知らされているみたいだ。
手を離した晋は女の子を見下ろしてニカッと笑った。
「おーおー!!だろ?もっと褒めてもいいぞ!?」
「いよっ!!男前!!」
「ははっ」
「あはは」
冗談を言い合いながら歩く二人が遠ざかるのを、ただ立ち止まって見ていた。
胸が…ズキズキ痛い。
踵を返して商店街へ戻っていく。
晋が優しいのは知っている。
それが晋の普通だ。
人としての優しさだ。
だから、ただの幼なじみの私がそこに嫉妬するのは可笑しい。
それに対してお礼を言うのも普通の礼儀だ。
だけど、私には考えられないことで……
多分、私だったら
『何!?大丈夫だから。そんなわざわざ……』
って言って、腕を払ってしまいそうだ。
私だったら……晋の優しさが嬉しくて恥ずかしくて……。
さっきの二人の背中が目に焼き付いて離れない。
そして根本的なことだけど、若いな……って思った。
晋は高校生なんだって思った。
子供ってわけじゃないけど、ただ『若い』って思った。
高校生って楽しい時で、それこそ文化祭の準備もあって、テストとか修学旅行とか楽しいイベントもたくさんあって、それをあんな風にクラスメイトと一緒に過ごすのだ。
私には知ることが出来ない晋の楽しい思い出が増えていくのだ。
もしかしたらその中で、恋とかも生まれるのかもしれない。
年相応に笑い合える女の子がいつも晋の傍にいるのかもしれない。
私は…
私はー
晋には釣り合っていない。
性格も…年齢も…身長も…
晋とはお似合いなんかじゃ、ないんだ。
急いで改札を抜けて、駅のホームに着いた時には息が切れた。
"晋と付き合いたい。あとは自分が告白するだけ……"なんて少しでも考えていた自分が恥ずかしい。
私にはこんなにも足りないものが溢れているのに……。
目を瞑ればすぐにでも晋が浮かぶ。
八重歯を見せて笑いながら『比奈子』と呼んでいる。
だけどすぐに『辛い』と暗い顔の晋も過る。
不釣り合いってわかっているのに……
頭から離れないんだ。
私に何の自信もないのに、晋のことが好きなんだって自覚しか出来ない。
そして不釣り合いな私に、晋が冷めていくんじゃないかって……すごく怖い。
電車がやってくる前にスマホが鳴って、我に返った。
しかしそれ以上に、ディスプレイを見て、驚いて目を見張った。
芳行からの電話だったのだ。
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