キス



夕方。


帰りの電車に乗る頃には丁度いい疲労感がやってきた。



こんな感じは久々だ。



二人で立ちながら、吊革を持つ。



「晋はいつもあんな感じで友達と遊んでるの?」


「ん?いつもじゃないよ。高校の友達とはゲーセンとかカラオケとか……まぁ、ほとんど友達の家で集まってることが多いかな」


「へー、そう」


「あんな感じなのはホント時々。侑とはガキん頃、しょっちゅう外で走ってたけどな」



晋は思い出し笑いをするようにクククと声を漏らした。



晋に引っ張られて、色々と連れ回される侑を想像して私も笑った。




「晩御飯、どーする?食べて帰る?家に帰ってから食べる?」



晋の質問に「んー…」と迷った。



「どっちでもいいけど…家で食べるなら、うちん家のごはん食べに来る?」


「お!!俺、おばちゃんのメシ好き!!」


「…晋のところのお母さんお父さんは……今日も遅いの?」


「んー…バリバリ働いてるね。まぁ、姉ちゃん二人とも結婚して家出てるから、遅くなろうと何の心配もないしね。俺は放置プレイ!!末っ子あるある」


「だからって、あんまり夜遅くまで遊んじゃダメだよ?」


「…比奈子の説教、ババくせぇ。」


「はあ!?」


「あ…そういえば今度、俺に甥っ子か姪っ子が出来るらしい」


「嘘!?マジで!?おめでとう!!」


「俺もついに叔父さんだ」


「晋がオジサンって似合わないね」


「マジか!?」



なんてことない、いつもの会話を交わしているうちに駅へ着いた。



晋と二人で家路を歩く。



今日は楽しかった。


素直にそう言える。



晋が『デート』なんて言葉を出すから、一体どんな感じにしてくるのかと微妙に身構えていたけど…


いつもと同じで、それらしい雰囲気なんて今日一日なかった。



久々に遊んだって感じだ。



公園の中を横切る。


丁度、公園で遊んだ帰りのような…そんな感覚だ。



じゃあ今日はこのまま家に帰ろう。



…そう思っていたのに、



「ん?」


「…へ?」



歩いてしばらく、『あれ?』と思った頃には遅かった。


頭に感じた違和感はすぐにバカでかくなった。


突然の夕立。



「うわっ!!なにこれ!?」



晋が叫ぶのも無理はない。


突然のどしゃ降りだ。



周りにいた何人かの人達も慌てて走り去っていく。



当たり前だけど、傘も持っていない。



公園の中だから、すぐに逃げ込めるお店も近くにはない。



最悪だ。



「比奈子ー!!駅の方戻った方がいい?それともマンションに戻った方が早いかな?走れる?」


「走るって…サンダルだから無理ー!!」


「えー!?何てー!?」


「サンダルー!!」


「えーっと…とりあえずマンションに走るかー!?」


「ごめん!!聞こえないー!!」



雨が降る音がデカすぎて、会話が成り立たない。


もうとりあえず家へ走るしかないかと思った時、



突然、晋に手を取られて引っ張られた。



「何!?」


「あそこー!!」


「えー!?何ー!?」



晋は構わず、私を引っ張ったまま、走った。



晋が走った先に着いたのは公園の隅にあった公衆電話のボックスだった。




「ふはー!!一時ここで避難!!」


「…まぁ、ここで待とうか。」



ガコンッと滑りが悪い扉を閉めて、晋と電話ボックスの中に入った。



晋は何故かケラケラ笑っている。



「あー、ビビったぁ。なにこれ?スコール?」



溜め息をつきながら、私は服の水気を手で払った。


ずぶ濡れだから、あまり意味がないけど。


そのおかげでなんだか服が重い。



「夕立だから、すぐ止むでしょ。あー、最悪。化粧も絶対落ちた!!」


「別に比奈子のスッピン知ってるから、俺は気にしないけど?」


「あんたに見せるためだけにしてるんじゃないし」


「ひどっ!!」



電話ボックスの屋根を雨が"ダダダダッ"と大きな音で打ち付ける。


夏の風物詩…と言ったら聞こえはいいけど、これは単なる災害だ。


スマホが水没していないことを祈る。



不運さに溜め息が止まらない。



その時、晋が上のTシャツを脱ぎ出した。



「ぎゃっ!!何してんの!?」


「何って…。ビショビショだから絞ろうと思って」


「止めてよ!!こんな狭いところで…」


「いや…だってなんかピタッとしてて気持ち悪いし」



晋は私のことなんか無視して、Tシャツを雑巾絞りし始めた。


大量の雨を含んでいたらしく、大量の水が絞れた。



絞れた水分は狭い電話ボックスの中で、バチャバチャッと地面に跳ねた。


当然、二人の足元がすごく濡れた。



「もー…ほらー!!」


「あー…ごめん」


「私だって濡れてて、気持ち悪いんだから、我慢してよ」


「出来たら、ズボンも絞りたいんだけど」


「……この場でズボン脱いだら、絶交だかんね」


「比奈子も脱いで、絞れば?」


「絶交!!もう絶交!!晋、死ね!!」


「冗談だって」



晋は「大人げないな~」と笑いながら、少し乾いたシャツを着た。



私は水気を含んだ服で軽い身震いをした。


自分の体を自分で抱く。



「…寒い。ホント…最悪」


「そんな薄着でくるから」


「夏だったら普通でしょ?昼間は天気もよかったし…雨が降るとは思わないじゃん!!……寒…」



自分の右手で左腕を擦る。


少しでも暖を作りたい。



「まぁ、確かに俺もこんな雨が降るとは思わなかった」



晋の手が私の左手に触れた。



「…え」


「うわ…比奈子の手、マジで冷たい」


「…そういう晋だって、」



私が話してる途中なのに、晋が私の左手に息を吐いた。


両手に包まれながら、温めようと息を吐く動作が、あまりにもごくごく自然に行われたから、ビックリしたのに、私は何も言えなかった。



やばい…



不意打ちで、ドキドキ……してしまっている。



そう思うと、電話ボックスがより狭く感じる。



髪が濡れて、いつもよりぺしゃんこになっている晋がなんか可愛い…かも。



ハーッと息を吐き続けてくれている晋と目が合った。


私の視線に気付いた晋がいつもの笑顔を向けてくれた。



「ちょっとは温かくなった?」



晋に笑いかけられて、喉から肺までが急に狭くなったように感じた。


ドキドキと心臓がうるさくて、息が…しづらい。



「あ…ありがとう」


「比奈子」


「……何?」


「もしかして照れてる?」



ニヤッと笑う晋に言葉が詰まる。


すごく近いのに、晋の余裕な態度に余計に焦る。



「…………まさか」



精一杯言い返した言葉とは裏腹に、私はシャイな乙女のようにどんどん俯いてしまった。



あぁ、早く雨が止んでほしい。


晋は手を離してくれない。



この状況に色々と何かを通り越して、だんだん笑えてきた。



「ふふ…」


「ん?」


「ホント…晋といたら、大体がハプニングだね」


「そうか?」


「今日の川もビックリしたし、」


「あれはサプライズと呼んでくれ」


「最後の最後で、何この雨!!」


「雨は俺のせいじゃないよ?」


「はは、わかってるっての!!」



なんか…何かを喋り続けないと、ドキドキが誤魔化せない。



なのに晋はジッと目を見て、離さない。



「ハプニングは嫌か?」


「…え?」


「今日のデートは疲れた?」



目を見開いた。


やけに真剣に聞いてくるからビックリしたけど…


今日を思い出して、私は自然と笑顔が作れた。



「今日は楽しかったよ」



それが今日一日を振り返って感じた、素直な感想。



「…え?」


「まぁ疲れたのも久々で、それがまた良いっていうか…こどもの時、みんなで遊んだこととか思い出したし」


「……」


「実は川遊びとか私好きだったしね。楽しかった!!あんな大声出したのも久々!!」


「うん」


「この雨も後々、思い出に残るんじゃない?…まぁ、うん。楽しかったよ」


「そっか」



晋はもう一度笑った。



「俺も楽しかった。今日のデート」


「あはは、今日のはデートって言わないんじゃない?」



笑っていると、晋は珍しく何も言わずに微笑みながら見てくる。


近距離のその目にまたもドキッとして、俯いた。



「晋……手、もう大丈夫だから…離して?」


「……」



晋は離すどころか、ギュッと握る力を強めた。



「だから…」



顔を上げた瞬間



晋の唇が触れた。



ビックリして後ろに引いたけど、狭い箱の中では下がれず逃げ場もない。


そのまま晋にキスをされた。


突然のことに頭がついていかない。



「…ん、」



息苦しさに声を出したら、晋は一瞬離れたが、すぐにまた唇を奪われた。



何度も


何度も



晋にキスをされた。


今までの触れるだけとは違う。



下がれない状況に思わず後ろの壁に手を付けるが、結露で滑ってしまった。



「ー…ひゃっ」



滑って落ちそうになったのを咄嗟に晋の腕で支えられた。


昼間でも感じた、あのしっかりとした身体。



「…比奈子」



晋の瞳が濡れていて、いつもよりも艶っぽく見える。




ドキドキが止まらない。



「晋…あの、」



口を開いた隙に晋のキスが再び降りてきた。


今度は晋の熱が口内に伝わる。



されていることに、全身が火照った。


脳みそがジンジンと痺れる。



…ダメだ



ギュッと目を瞑って、晋の湿ったTシャツをずっと握りしめていた。



晋が顔を離してくれた時には、本当に力が抜けそうだった。



電話ボックスが少し曇っているのを見て、何故か恥ずかしくなった。



外は雨上がりの夕焼けの光と鳥のさえずりが聞こえてくる。



やっと、雨が止んだ。



「比奈子…」


「……」


「帰ろう…か…」


「……うん」



電話ボックスを出て、晋とは人一人分の距離を空けて、二人で家路を歩いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る