第28話 死んでも言いたくない④

 「ひっ……」


 心臓が素手で掴まれたような感覚だった。鼓動が早くなって、血液は全身隅々まで行き渡っているはずなのに、息が苦しくなって手足が先から冷えていくのを感じた。

 間違いない。髪を下ろしているし無精ひげも生えているけれど、間違いなくユウヤだ。わたしを、自分のことだけ考えて、あの事件に巻き込んだ張本人だ。

 気付けばイツキの手を力いっぱい握りしめていた。


 「あっ、ごめん────」


 痛くなかったかな、とイツキを向く。しかし彼女はわたしと目が合って、小さく首を横に振った。そしてわたしの手を同じくらいの力で握り返してくれた。


 「出るなら、良かったら付き合うよ」


 そうした方がいいよ、というニュアンスを込めて小声で言ってくる。他の人に気づかれないよう配慮してくれているのかもしれない。


 「……どうしよう……」


 どうやらユウヤはわたしに気づいていないようだ。そもそも入廷してから傍聴席を一瞥もしていない。ここでもし動いて物音でも出したら、こっちを見られてわたしだと気づかれるかもしれない。わたしは無意識に息を顰めて身体に力を込めていた。

 そうやって悩んでいるうちに、ぞろぞろと黒いローブのような服を着た人たちが入ってきて、法廷内の人たちが起立した。あの人たちが裁判官と裁判員だ。裁判が始まってしまって、タイミングを逸してしまった。


 「開廷します。被告人は証言台に立ってください」

 「……はい」


 真ん中に座った裁判長の呼びかけで、弁護人席の前のベンチに座っていたユウヤが証言台に立った。


 「最初に、あなたが起訴された人と同じ人かどうかを確認する質問をします。まず、名前を教えてください」

 「伊藤ユウヤです」

 「生年月日はいつですか」

 「2003年6月20日です」

 「本籍はどこですか」

 「東京都○○区××町△-□-◇です」

 「住居はどこですか」

 「長野県☆市▽町◎-◇です」

 「職業はなんですか」

 「学生と……モデルを、やっていました」


 わたしたちに向けている背中が小さく見える。痩せているし、顔色も悪かった気がする。声色も弱々しく嗄れていて、あんなにイケイケで肩を風を切っていた頃とはひどい違いだ。


 「それでは、不同意性交等被告事件について、審理を行います。あなたは、令和7年10月15日に不同意性交等罪という罪で起訴されています。この起訴状を受け取っていますか?」

 「はい……」

 「はじめに、なぜあなたが刑事裁判を受けることになったのか、その理由について、検察官からあなたに対する起訴状の朗読をしてもらいますから、そこで聞いていてください。検察官、起訴状を朗読してください」

 「承知しました」


 検察官のお姉さんが立ち上がって起訴状を読み上げた。


 「被告人は東田モトヒデと共謀して、被害者に対し、性交等をしようと企て、令和7年10月15日午後5時30分ごろ、東京都新宿区新宿3丁目○番○号レストラン××店内において、被害者に酒を飲ませ同意しない意思を形成できない状態にあることに乗じて性交しようとし、その目的を遂げなかったものである。罪名及び罰条 不同意性交未遂 刑法第177条、180条」


 あ、あれ未遂だったんだ。既遂じゃなかったんだ。まぁ入れられてなかったしな、そこはイツキに感謝かもしれない。

 こうしてユウヤが裁判を受けているを目の当たりにすると、事件を思い出して嫌な思いをするのと同時に、しっかり国がわたしを救おうとして、悪い奴を罰しようとしてくれているんだ、と実感できた。だからこの時点で、わたしはこの裁判を途中で退室しようとは思わなくなっていた。


 「今、検察官が読んだ内容について審理を始めますが、審理を進める前に説明しておくことがあります。あなたには黙秘権という権利があります。最初から最後まで黙っていることもできます。答えたくない質問に答えないこともできます。質問に答えないとか黙っていたりしたとしても、それだけで不利益に取り扱われることはありません。ただし、この法廷であなたが話したことは、有利不利を問わず、あなたの裁判の証拠になります。裁判官から質問されることもありますし、弁護人や検察官から質問されることもあります。その質問に対するあなたの答えはすべてあなたの裁判の証拠になるということです。わかりましたか」

 「分かりました」

 「それでは、最初に私から質問があります。先ほど検察官が読んだ起訴状の内容について、どこか違うところはありますか」

 「……ありません」


 ないんだ。

 そっか。

 ユウヤが否認していないことは検察官のお姉さんから聞いていたけれど、それでも実際に聞くと、反省しているのかもしれない、と希望を持てた。わたしの尊厳を傷つけたことを、ちゃんと悪いことだと思ってくれているんだ。当たり前のことだけれど、少し救われた。


 「主任弁護人のご意見はいかがですか?」


 弁護士の初老の男性が立ち上がり「被告人と同様です」とだけ言って座った。どうやら本当に争う気が無いようだ。


 「それでは、検察官の冒頭陳述をお願いします……」


 その後は、いかにユウヤがわたしに対して悪質なことをしたか、そして弁護人がいかにユウヤがわたしに対してしたことが悪質で、それを反省しているかを主張した。

 つつがなく、あまりにもつつながく進んでいく。まるで初めから台本があるかのように淀みがない。

 被告人質問に入ってもそうだった。検察官のお姉さんの質問にユウヤは全て肯定していた。


 「本当に申し訳ないと思っています。彼女の気持ちを何も考えず、東田さんの恐ろしさを言い訳にして……自分の将来と見得を言い訳にして……なんて……」


 ユウヤは証言台の上で崩れ落ちた。


 「おれはなんてことを……っ」


 泣いてしまい、しどろもどろになって、挙句の果てには証言台の上で崩れ落ちて、検察側からの被告人質問は終了した。


 「…………」


 そっかぁ。

 そこまで反省しているのか。

 だったらしっかり罰を受けて、それでも人生を数年棒に振るわけだから……ちゃんと社会復帰をして、今度は人のために生きてほしい。

 わたしにはもう二度と関わってほしくないけれど。


 「ユウヤ……」


 ぐすっ、と涙声が聞こえる。ちらりと見ると、端っこに座っていたおばさんだった。ハンカチを鼻に押し付けすすり泣いている。

 たぶん、お母さんだ。なぜか分かった。

 あんなにどこにでもいそうなおばさんがお母さんだったんだ。

 わたしを傷つけて、母親を傷つけて、本人はその罪の重さを分かっている。

 だったらもう、わたしからは何も言うことはない。


 「イツキ。わたし、もう大丈夫だよ」


 わたしは力を抜き、イツキの手を柔く握り返した。やっとあの事件に区切りを付けられそうな気持ちになった。

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