第27話 死んでも言いたくない③


 現在は15時過ぎ。16時から始まる裁判を良海先生の後輩が担当するらしく、せっかくだから見物に行こう、ということらしい。


 「犯罪者処遇って言っても、まずは犯罪を犯した人がどういう手続きを受けるのか知ることから始めないとよく分かんなくなっちゃうからね」


 先生によると、前提知識を備えるところから始めていく、とのことだった。そういえばわたし今期から刑事訴訟法の授業取ってたや。全然勉強してないからちょうどいいかもしれない。

 裁判ってそんなフラッと雑貨屋みたいな気軽さで行けるの? と思ったけれど、裁判は公開されるのが原則なのでいつでもどの裁判を見てもいいらしい。まぁ、だからと言ってわざわざ見に行きたいか、と聞かれると……。


 「裁判って言っても争いも無くて証拠も確定してる裁判だからパッと終わるよ! その後みんなヒマだったら飲み会しよう!」


 と、どうやら先生は裁判よりも飲み会に行きたくてウズウズしているようだった。

 みんなで地下鉄に乗って、だいたい二十分程度。東京地方裁判所がある霞ヶ関までやってきた。何気に上京して初めてだ。


 「へー、めっちゃ綺麗」


 出口から上がって街を見渡し、最初に抱いた感想としては────整然として静か、だ。流石、日本を動かしている心臓部。漂っている空気には常に緊張感が混じっているような気がする。それに警察官の数が多い。交差点や道端に止っているし歩いているのが目につく。抑止力のつもりなのか、これでは犯罪起こすどころか、妙な思想を抱いただけですぐ捕まりそうだった。何もやましいことはしていないのに、わたしの背筋も正された。


 「あっ、あれ国会議事堂じゃない?」

 「わぁ、本物初めて見たぁ」

 「ちょい、モユ。こっち来て。前、前」

 「え? わっ」


 シノブとモユちゃんが遠くにちょこんと見える国会議事堂に、はしゃいでいる。二人で抱き合って自撮りまで撮り始めた。よくニュースで映る国会議事堂に、わたしも「ほんとにあるんだなぁ」と、政治に興味はないくせにミーハー心がくすぐられた。

 一方、イツキと河津さんは落ち着いている。河津さんは東京出身らしいし、嬉しそうに先生と喋っているから眼中に無いんだろう。わたしはイツキに話しかけた。


 「イツキ、ここに来たことあるの?」

 「え……何で?」

 「いや見てよ、あの子達。めちゃくちゃ楽しそう」


 シノブとモユちゃんは国会議事堂とのスリーショットが上手くいかないらしく、スマホのカメラと自分たちを上下左右に動かしてウンウン唸っていた。


 「わたしも国会議事堂見て、おおー、って思ったもん。イツキはそーいうのないんかなって」


 そう尋ねると、イツキは目を伏せて頬を掻いた。


 「あー……まぁ、ね。前に何度か、ここら辺に来たことがあるから……」

 「え、そうなの? イツキって……愛知出身じゃなかった?」


 わたしと同じだね、というニュアンスを含んでみた。


 「うん、でも……」


 しかしイツキは黙り込んだ。何かを考えているように眼球が細かく動く。何を考えることがあるんだ? 普通の会話のはずなのに。


 「イツキ?」

 「……出身は愛知だけど、途中で東京に引っ越したから。それで、ちょくちょく……ね」

 「へー、そうなんだ」

 「それじゃ行くよ、みんなー」


 良海先生が声をかけてきたたことで、わたしたちの会話は強制的に終了となった。イツキも改めて続きを話す気はないらしく、「行こ」とわたしの手を引いて先生たちについていく。

 手、握ってくれた? あれ、そういえばイツキから手を繋いでくれたの初めてだっけ?

 今までちょっとしたじゃれ合いはあっても、こんながっつりとしたものは無かったはずだ。

 ……もう、何でもいいか。別に。

 わたしはイツキの手を握り返し、よく手入れされたすべすべな指と手の甲をもみもみと堪能することと引き換えに思考を放棄した。彼女の手のひらは少ししっとりとしていた。

 裁判所の中へ向かう。エントランスに入るとこれまた綺麗でイメージとしてはオフィスビルに近い。何階に何の法廷があって、どこの事務所があって……と書かれた大きな案内ボードが壁にあった。

 ゲート式の金属探知機をくぐり、はずした時計やベルトを付け直す。


 「あ、これだね。3階だ」


 良海先生が裁判の予定表(タブレット式だった! デジタル化進んでるじゃん!)を見て法廷の場所を確認し、エレベーターに乗り込む。


 「それじゃ、みんな。一応裁判なので私語は慎むように。裁判はだいたい5時に終わるので、何か分からないことがあったら終わってから質問してね」


 先生の注意事項に皆ではーいと返し、いざ法廷に入る。あ、すごい。ニュースで見る絵のやつと同じだ。傍聴席に人は全然いなくて、わたしたち以外にはおばさん……本当にそこらにいるようなおばさんが隅っこに座っているだけだった。

 6人で横並びに座る。小さな法廷だ。来る途中廊下からちらりと見えた法廷は20人くらい横並びになれるくらい傍聴席の数が多かったのに、ここはその半分程度だった。

 そういえば、この裁判は一体何の事件を扱うんだろう。先生からは何も聞いてなかったけれど、やっぱり刑事事件だよね……?

 しばらくすると、法廷の横にある扉が開いて(たぶん控え室か何かだ)、パンツスーツをビシッと着こなしたお姉さんが席に座った。「冂」の上側が裁判官が座るところだとすると、お姉さんは左側に座った。

 あのお姉さんに、どこかで見覚えがあった。


 「ああっ!」


 思わず声を上げてしまった。お姉さんは声に反応してわたしをちらりと見て、目を逸らし、びっくりしたように二度見してきた。

 あの人、事件の時に話を聞いてくれた検事のお姉さんだ!


 「どうした?」


と、良海先生が小声で話しかけてくる。


 「あ、あの、あの検事のお姉さん」

 「おっ、よくわかったね。そう、あの人が検事……ここでは検察官と呼ぶ方が適切だね。彼女、私の後輩なの」

 「マジで!?」


 驚いてタメ口になってしまい、先生の奥に座る河津さんからすぐさま厳しく鋭い視線が向けられた。


 「ご、ごめんなさい。あの、わたしあの検察官の方とお会いしたことがあって」

 「へぇ、そんな偶然あるんだ。そういえば高校に法律のスピーチする仕事もやってたとか言ってたな」

 「いや、そういうのじゃなくて……」


 あれ、これ言っていいやつなのかな。わたしは誰かに軽く言えるほどあの事件を落とし込めているのかな。なんか最近は気が楽になっているけれど、それは当時の恐怖や羞恥や嫌悪から目を逸らしているだけで……。

 あの、感触が。胸に、足に、触られた、ゴツい手のひらが。

 ぞく。


 「大丈夫? 顔色が悪いけど……」

 「え」


 先生の言葉で我に帰った。頭皮に汗がびっしり浮き出て、なのに震えるほど寒くて目がチカチカした。身体の内側が芯から冷えている気がした。


 「だ、大丈夫です。ちょっと、お、お腹空いたのかな……? 早くご飯食べに行きたいですね……」

 「お、いいねぇ。前向きになってくれて嬉しい」


 先生はニコニコしてくれたから、何とか乗り越えることができたようだ。


 「……本当に大丈夫? こういうところは、その……センシティブでしょ、色々」


 隣に座るイツキが耳元で囁いてくる。わたしは生唾を飲むと同時に頷いた。


 「いつまでもびくびくしてたら日常生活、送れなくなっちゃうでしょ。ちょっと無理にでも身体を慣れさせなきゃ。わたし、わたしのこと可哀想って思いたくないから。そんなことしたら全部に言い訳できちゃうじゃん。そんな卑怯な奴になりたくない」

 「……そっか」


 イツキは穏やかに呟くと、わたしの手を取って、強く握って、自分の膝の上に乗せた。

 わたしから一瞬、汗と寒さが引いた。

 え!? 何してんの!? そんな大胆なこと今までしてたっけ!? イツキってそういうキャラだっけ!? いや女の子同士なら手を繋ぐくらい普通か、いやわたしたちセックスしちゃった仲なんですけど!?

 ただ手を繋がれたという事実だけで頭の中がこんなに騒がしくなれるなら、なんかもう本当に大丈夫な気がした。

 はぁ、と肺から空気を抜いて背もたれに身体を預け、裁判の開始を待つ。

 もうすぐ開廷────16時になる。弁護人側の扉が開いた。弁護士の初老の男性が入廷し、席につく。

 続いて、傍聴席近くの扉が開いた。そこから警察官みたいな制服を着たおじさん二人(後に聞いたところ刑務官という人たちらしい)が入ってきた。何か、ロープみたいなものを握っている。そのロープを引っ張ると、扉から被告人が姿を現した。


 「え……」


 ロープは手錠に繋がっている、手錠は腰縄に繋がっている。どこからどう見ても犯罪者、という出立ちをした被告人だった。

 それはユウヤだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る