第23話 お前を許さない④
「イツキ、この後授業ないよね? 一緒に帰ったり……する?」
「あー、うん……そうしたい、けど」
ゼミ見学という名の顔合わせが終わり、冬馬さんと露草さんと会釈した後、わたしはイツキに話しかける。イツキはちらりと良海先生と話している河津さんを見た。
「あー、だよね! 河津さんと帰りたいよね!」
「えぁっ、でも」
「わたしならもう大丈夫! 一人でも帰れるし! いつまでもイツキと一緒に帰ってたらこのままなし崩し的に結婚しちゃうしな! なんて! じゃあね!」
「え、ちょっと!」
と、まくし立てるだけまくし立てて、逃げるように一人で教室を出た。そして急いで手近なトイレに駆け込んで(女子の避難先といえばトイレだ)避難してやろうと目を動かし────
「あっ、いた」
「え?」
冬馬さんと目が合った。ドアの近くで突っ立っていた。どうやらわたしとイツキが話している間に教室を出ていたらしい。ポッケに手を突っ込んでわたしの前に仁王立ちをしている。うわ……絶対ナチュラルだ、手と足が長くて羨ましいな……。
数秒間お互いを見つめ合ったと思えば、彼女は急に、にかっと笑った。細い目が糸みたいになる様子がニコちゃんマークみたいで可愛い。
「ちょうどよかった。探してたんよ」
「え? 誰を?」
「え? 花村さんを」
冬馬さんにキョトンとされる。そして彼女はわたしの手を掴み、「モユー。花村さんゲットしたよー」と大声を出した。すると、別の方を探していたらしい露草さんはわたしたちに向かって振り向き、
「あっ、ごめんね! 花村さん!」
と、トコトコ駆け寄ってきた。背が低いからいちいち動作が小動物っぽくて可愛い。ウェーブがかったロングヘアが歩く度にふわふわ揺れるのが尻尾みたいだ。
「あの、今から時間ある? もし暇だったらさ、ちょっとお茶でもしていかない? これからウチら、一緒のゼミなんだしさ」
どうかな? と上目遣いで頼まれた。
なるほど、上目遣いってたしかに威力高いんだな。今まで男にやってきてやけに嬉しそうだった理由が分かる、と思った。否応なく心臓が掴まれた。
「う、うん。もちろん。行こ、ぜひ!」
と、気づいたら頷いているわたしがいた。
そして、わたしたちは併設されているコンビニで飲み物を購入し(わたしはカフェラテを買った)、一階にある学生ラウンジに集合した。
「でさぁ……なに? 喧嘩してんの? あの、河津さんだっけ? と」
「はぇ?」
椅子に座った瞬間、冬馬さんが心なしかニヤニヤしながら、そう切り出した。わたしのお尻がまだ着地する前だった。「シぃちゃん……もうちょっと話の流れとか考えたりしようよ……」と隣の露草さんが呆れていた。
「な、何が?」
「いや、めちゃくちゃ喧嘩してたじゃん。お前を絶対許さないー、って。アタシらが教室入る時にさぁ」
一応しらばっくれてみたけれど、どうやらしっかり聞かれていたらしい。わたしは観念してため息を吐いた。
「あー……喧嘩? っていうか……分かんない。あの人、わたしのこと、なんか気に食わないっぽいんだよね。理由は分かんないんだけど。なんかごめんね? 初対面なのに変な空気にしちゃって……」
「初対面? アタシが? マジで言ってる?」
「え、うそ」
冬馬さんは形の良い輪郭を傾けてわたしを見つめた。もしかしてやらかした? わたし、今日は厄日かもしれない。彼女も眉を顰めつつ、「もしかしてアタシやらかしてる?」と隣の露草さんに話しかけた。露草さんも目を真ん丸にさせながらわたしを見つめていた。
「えーっと……?」
わたしは冬馬さんと露草さんを交互に見つめた。冬馬さんは「あ、ごめん」とわたしに手のひらを翳す。
「ちょ、確認させて。アタシらのこと覚えてない?」
「……うん?」
「一年の時、第二外国語のクラス一緒だったじゃん。韓国語の。モユもだよ。中間発表した班も一緒だったし、覚えてない? 席も近かった覚えがあんだけど」
「……あー、と」
「初めて話した時さ、アタシが『同い年ですか?』って聞いたの覚えてない? 『すごい大人っぽいっすね』って……」
「…………あー! 覚えて……覚えてる! うん!」
「ははは! うそつけ! ピンと来てない顔しすぎだって!」
正直者めー、と冬馬さんは手を叩いて笑った。
わたしたちの通う大学ではクラスというものは基本なく、春と秋の授業ごとに顔を合わせる人間が違う。が、一年生の第二外国語の授業だけ一年間を通してクラスとして扱われるのだ。冬馬さんはその時の話をしている。
今、必死に脳みそを回転させて顔を思い出そうとしているが、全く心当たりがなかった。一年間も毎週会っていて思い出せないことなんてあるのか?
「まー、ほら。アタシらガキみたいなもんだったから。そん時は全然垢抜けなくてさ、高校卒業したばっかで。特に女子高出身だったからひどかったよな、この世の半分が男子って高校卒業してから気づいたんだよ。モユなんかおのぼりさん感丸出しでなー? 初めて東京来た時都会が怖くてトイレでさぁ……」
「も、もういいって。その話やめて」
「なぁんでよ、可愛かったって。今ちょっとあれだな、東京に染まろうとしすぎだな。さみしいなぁ」
「今モユの話かんけーないじゃん、花村さんでしょ!」
くすくす笑いながら冬馬さんは露草さんを見て、露草さんは恥ずかしそうに肘で彼女を突っつく。隙あらば二人の世界に入るようだ、この人たちは。
「そうそう。だけどさ、花村さんは一年の時からめちゃんこ美人でびっくりしたんだよ。スタイルいいし、服もどこで買ってんの? って感じだった。同い年なのに、うわ、都会の子だなーって。名古屋は都会じゃん? 都会の子って高校生の時から垢抜けてんだなーって思った記憶あったわ」
「そ、そう? なんかありがと……茨城県出身だっけ」
「うん、でも全然有名なとこじゃないよ。結城っていう、なんていうか、地方都市ーっていうか、田舎ーってとこで育ったの。言っても伝わんないような。検索してもピンと来ないだろうし」
と、露草さんがはにかみながら言う。次に冬馬さんが再び口を開く。
「花村さん、アタシらみたいな子どものことなんか眼中なかったっぽいし? 覚えてなくてもしゃーないよな」
「そ、それは流石に言いがかりすぎじゃない!? そんなことないから! 覚えてないのは……まぁ、あの、ホントにごめんなさいだけど……」
「でしょ? 今日からはちゃんと覚えてよー?」
ははは、と冬馬さんは今度は穏やかに笑った。いきなりイジってきた。すごい、この人たぶん真の陽キャだ。絶妙にムカつかないラインを攻めてくる。
わたしが彼女たちを覚えていなかったのは、今から考えると、自分のことなんてどうでもよかったからだ。「どうせわたしなんて」と思ってしまっていたから、周囲の人たちもどうでもいいとしか思えなかったんだ。
おのぼりさんと言えば、そういえばツッキーも北名古屋市出身だったな。いなたいツッキーはわたしが色々教えてあげる度にはしゃいでたっけ……可愛かったなぁ……。
「いやー、びっくり。久々に話したらまさかの覚えてないオチて。めちゃくちゃ友達、みたいな感覚で話しかけちゃったよ。ごめんね?」
「いやいや! 覚えてないわたしが悪いから! これから毎週一緒なんだし、次はわたしから話しかけるからね!」
「あはは、どうも。よろしくね、これから」
と、冬馬さんから手を差し出された。わたしもおずおずと手を伸ばすと、捕まえられて握手させられた。「へへ」とはにかむ冬馬さんの顔は幼い印象を受けた。
「懐かしいな、一年の時さ、花村さんバリ綺麗だったからモテんだろうな、ってモユと話してたんだよね。実際モテたっしょ? ほら、付き合ってたって噂あったじゃん、あのモデルの人と」
「……あー、ね。実は付き合ってなかったんだけどね、全然。これっぽっちも」
「あ、そうなの? やっぱ噂ってアテにならないな」
あの人……最近見ないけどどこ行ったんだろうね、と冬馬さんは続けるが、わたしは曖昧にしか返事できなかった。
「それより……う、噂になってた?」
「まぁね。一年の時同じクラスだったからさ、あー、花村さんじゃん、って。別に、それ以上も以下もないけどさ」
たぶん、最後の言葉はフォローだ。わたしが色んな人とセックスしていたことを、別に何とも思っていないよって。おそらく、そこまで知られているんだろう。
ただ、わたしはそのこと自体を悪いと思っているわけじゃない。悪かったのはわたしの行動で誰かを傷つけたかもしれないことと、それを理解できたはずなのに見て見ぬフリをしていたわたしの性格と視界の狭さについての話であって……気を遣われると逆に「おまえのしてきたことは全て悪いことなんだぞ」と後ろ指を指されている気分になる。いや、倫理観として間違っているんだろうけどさぁ……。
「……花村さん?」
黙ってしまったわたしの顔を、露草さんが心配そうに覗き込んでくる。
「ご、ごめん。もしかして言われたくないことだったり……?」
「え、うそ! ごめん! アタシ、馴れ馴れしかった?」
「い、いや! そうじゃない! 急に脳がフリーズしただけだから! たぶん寝不足かなっ? 気にしてないし、もう、バンバン言っちゃって! バッチこいだから!」
二人に申し訳なさそうな顔をされて、わたしは慌てて我に返った。なんとか場の空気を取り返そうとするけれど、
「そうだよね……恋愛話って色々デリケートだよね……複雑な話だったら特に……」
と、なぜか露草さんの方が落ち込んでしまった。わたしと例のモデルの人が泥沼の恋愛をした、とでも勘違いしているんだろうか。隣に座る冬馬さんも「そうだね、ごめん」と神妙な顔をしている。もはや誤解を解くのが面倒になってきたし、そのままにしておくのも詮索されないからいいかもしれない……。
「じゃあ……河津さんがわたしのこと気に食わないのって、もしかして、わたしのソウイウ噂が原因なのかな」
わたしはとりあえず話を戻すことにした。冬馬さんは「うーん」と首を捻る。
「どうだろ……アタシ、河津さんって人あんまり知らないからなー」
「……あの、じゃあ、もう一人は? イツキのことは? 知ってたりする?」
意を決して聞いてみるも、二人は首を横に振った。
「初めてだよ。むしろ花村さんの方が知ってるんじゃない? 叢雲さん経由でゼミ入ったんしょ?」
「ああ、うん……そうなんだけど……」
イツキ経由と言っても、わたしは同郷ということも知らなかったし、サークルが同じになってもロクに話すようになったのは最近からだし、イツキのことに関して知っているという自信がない。
どうしよう、また落ち込んできてしまった。
「あっ」
そこで、急に露草さんが声を上げた。
「どした? モユ。もしかしてなんか心当たりあんの?」
「いや、直接は関係ないことなんだけど、河津さんって……あ、ごめん、これも噂なんだけど……」
露草さんは周囲をちらりと見渡し、声のボリュームを落とした。
「河津さんって……女の子が好き、みたいなの」
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