第17話 どうせこういうわたしだもんな⑤
おじさんと女の人含め、個室には七人がいた。わたしを入れて、男性五人、女性三人だ。個室にはL字型の大きなソファがあって、みんなはそこに座っている。真ん中にはガラス製のローテーブルがあり、お通しだろうか、いくつか料理とお酒が置かれていた。
つまり、ソファの真ん中に座っていたリーダーっぽいこのおじさんは、人に見られながらフェラされていたというわけだ。……うわ……。
「えっ、ちょっと……」
バタン、と背後で扉が閉められた。飲食店の個室でおじさんがフェラされているという状況で何も言わない店員────つまり、グルか。
これでは、簡単には逃げ出せない。
「あ、花村ハカゼちゃん? かわいいじゃーん」
フェラされているおじさんが当然のように話しかけてきた。後退ったけれど、扉にぶつかっただけだった。
「あー、はい……」
「ありがとね、来てくれて! 僕が東條です」
「あはは、どうも……」
東條さんがわたしに気さくな感じで手を振ってくる。浅黒い肌には皺が刻み込まれてはいるものの若々しいハリがある。三十代では確実にないが、四十代とも言い切れない雰囲気だ。口ひげと顎ひげを剃らずに整えていて、薄いシャツの上にジャケットを羽織っていた。服では隠し切れないほど筋肉が透けている。
結論、若い女のワンチャンを狙って若作りをしているキモいおじさんだ。これは偏見だけれど、四十半ばを過ぎているのに結婚していないおじさんは総じて生理的に受け付けない。
「もういいよ」
東條さんがフェラしていたお姉さんの肩を叩くと、彼女は「はぁい」なんて甘ったるい返事をして、口を拭いながら東條さんの隣に座った。めちゃくちゃバキバキに勃起したちんこが見えて、わたしは慌てて目を逸らした。
「それじゃ、みんな揃ったし始めようか! ハカゼちゃん、飲み物は?」
「え、ソフドリ……」
「ん?」
ギラついた眼光で射抜かれる。アルコールじゃないと許されない雰囲気だった。何か付け入る隙を与えることが怖かったから、「じゃあ、ビール……」と言うしかなかった。
「へー! 女の子なのにビール! かっこいいねぇ」
目を逸らしている間に、ちんこは仕舞われていた。よかった。どこに座ろうか……なんてキョロキョロしていたら、「ハカゼ」と声をかけられる。
「……ユウヤさん?」
「座れよ……」
まさかと思って二度見した。ソファの端にはユウヤさんが座っている。今日、わたしが会った時の恰好のままだ。変わっているのは、どこか覇気が無いところと頬に痣があることくらい。
あれは────殴られた痕?
さーっ、と体温が頭から無くなっていく感覚がわたしを襲った。
ここ、本当にいよいよヤバいかもしれない。いかにもやりチンそうな東條さんと、その取り巻きの三十代っぽい人たちと、殴られた後っぽいユウヤさん。二人の綺麗なお姉さんのうち一人はこんなところでフェラをして、もう一人は別の男の人に寄り添っている。極めつけに、店全体がおそらくグル。
かもしれない、じゃない。どう考えてもヤバい。
「どうしたの、ハカゼちゃん」
東條さんが足を組んで、わたしを見つめる。
「座りなよ」
「ごめんなさい、急用を思い出したので失礼します」
こうなったら強行突破だ。走って振り払ってでも逃げるしかない。わたしはカバンから財布を取り出して、一万円をテーブルに置いて踵を返そうとした。
「待てよ……っ」
腕を掴まれた。ユウヤさんだった。振り返ると、真っ青な顔中に脂汗を浮かべ、悲痛そうに口元を歪ませていた。
「頼む、ハカゼ……っ。居てくれ、お願いだから!」
血が止まるくらい力を強められる。振り払おうとしても、男性の力には敵わない。
「な、なんですか!? だから急用あるって言ってんでしょ!」
「うるっ、せぇなぁ!」
「きゃあっ!?」
ユウヤさんに腕を力強く引っ張られて、無理矢理抱きしめられてしまった。そのまま彼の腕の中で藻掻くも、がっちり腰をホールドされているから自由に動けなくなった。
「ちょ、どこ触ってんだ、ヘンタイ! やめて! 離して!」
「うるさい、うるさい! くそっ、お前がさっさとあの時付いて来ればこんなことにならなかったんだ! 全部お前のせいだぞ! 全部!」
なぜかユウヤさんが恨み節を耳元で叫んでくる。耳がキンとなりながら、わたしも叫ぶ。
「何の話だよっ! わけわかんない!」
「まぁまぁ、ユウヤくん。そんな女の子を手荒に扱っちゃダメだよ。ねぇ?」
東條さんの言葉に「そうですね」なんて言ってクスクス笑うお姉さんの声で、心に悪寒が走った。
「ほら、ユウヤくん。顔抑えて。歯が当たっちゃ痛いだろうから」
「は、はい」
「え、なに、なになになに、止めて、うぶ────」
顎を東條さんにがしりと掴まれた。すごい力だ。あっという間に喋れなくなって、強制的に口を開けられてしまった。
「はい、かんぱーい」
「うぶっ、ごぼぼぉ」
そして、瓶からビールを口の中に流し込まれた。ごぶん、と大きな塊を飲んで、当然のように変なところに入って咽る。わたしは拘束から解放され、四つん這いになって何度も何度も咳をする。
「かはっ、ぇえっほ!? がはっ、おえ、がっ、げっ、は、は、げぇほっ!」
首の違和感がある程度消えると、同時にすごく身体がぼんやりしてきた。手足の感覚が鈍い。まるで自分の身体が透明な膜に覆われ、それ越しの感覚を味わっているような。
わたしは膝を立てていられなくて、店の床に倒れた。何とか起き上がろうとしたけれど、俯せから仰向けに寝がえりを打っただけで終わった。
酔った? いや、ビール一口二口程度じゃ酔わない。そもそもこんなに早くアルコールが回るわけがないし、わたしはそこそこお酒が強い。ということは────
「くすり、か……ひきょうものぉ……」
「君だって分かってたでしょ? ギャラ飲みってこういう場所じゃないか」
東條さんが身体を屈ませ、わたしの頭を撫でる。ごつごつした手がわたしの髪を無遠慮にかき分け、わたしの頭の形を手のひらで確かめるように何度も何度も往復する。
「ふ、つうの、は、こんなんじゃ、ない……」
「そう? じゃあ、今までが幸運だったんねェ」
ははは、と乾いた笑みを浮かべる東條さんはわたしの身体を舐めるようにじろりと見る。上から下、下から上に目が動く。わたしの足と顔で視線が止まって、明らかに喜びの色が瞳に溢れる。
ゴミが。
悪態を吐きたいけれど、身体が自由に動かない。意識はハッキリしているのに。
「いいねぇ、ユウヤくん。やっぱりユウヤくんに女の子を頼んで正解だったよ。これでお昼の分はチャラにしてあげよう」
「あ、ありがとう、ございます……」
視界の端でぺこぺこ頭を下げるユウヤさんが見える。そうか。お昼にやたらわたしをカフェとやらに誘っていたのは、この東條とかいうキモクソゴミおじさんにわたしを献上するためだったのか。どうしてわたしのギャラ飲みのアカウントを知っていたのかは、彼が付き合っていたとかいう時期にわたしのスマホを盗み見れば済む話だろう。
「ははは……最高だ。こんな美人な子、久しぶりに見た……」
じゅるり、と生唾を啜る音が聞こえてきそうな声だった。内臓の内側から鳥肌が立った。あのごつい手でスカートが少しめくられ、太ももが撫でられた。声を上げたかった。キモい、やめて、誰か助けて、警察、ゴミ、しね────
「ぁん……っ」
なのに漏れた声が何かを押し殺したようなもので、我ながらエロい声を出してしまって、これじゃあ望んでるみたいじゃないか、と愕然とした。いや、違う。耐えようとしたらクスリで身体の自由が利かないから変な風に出力されてしまったんだ。
「あはは、そうか、足が弱いの?」
東條の嬉しそうな声を聞いて、全然わたしの意図が伝わっていない、と怒りで視界が歪んだ。
せめて逃れようと身をよじる。けれど両腕をユウヤに押さえられているせいで、まるでよがっているように感じられなくて自分が嫌になった。せめて蹴り飛ばしてその若作りしたキモい笑みをぐちゃぐちゃにしてやりたかったけれど、上手く身体がコントロールできなくなっていた。
「ふふふ……」
ワンピースのボタンが一個ずつ、舌なめずりするように外されていく。肌がすーすーして、わたしのキャミソールが露出したことが分かった。
「ぅん、ふ……やめ……」
「なんだ、すぐにブラじゃないのか」
当たり前だろ! そんなのAVだけだ! 舐めんな!
「まぁ、これを上げれば────」
キャミが乱暴に捲られる。
わたしのブラが露わになった。
「あぁ……」
その時、わたしの心が折れる音がした。
お気に入りの、勝負下着。黒色のレースも、ちょっと透けているデザインも、高級感があって肌触りが良い生地も、お前なんかに見せるために着けてきたわけじゃない。わたしが勇気を出して、背筋を伸ばして、最強になるための装備だったのに。
お前なんかに……ッ!
「ほぉ。これはこれは……おあつらえ向きじゃないか。誘っているのかな?」
東條の人差し指がわたしのブラの表面を滑り、わたしの胸に迫る。
「はぁ、は、ぁ、う……」
「ふふ、そんな急かさなくても。すぐ直接触ってあげるからね」
ああ、クソ、クソ、クソ、クソが。
しね、しね、しね、しねよ。
歯を食いしばっても、いくら睨もうとしても、何もできない。いじらしく泣くことしかできない。悔しい。悔しい。悔しい。
「く、そ……」
「ん?」
わたしは渾身の力を振り絞って首を持ち上げ、東條に歯を剥いた。
「くたばれ……ゴミクズが……」
「…………そうか」
東條は急に無表情になり、わたしの足を無理矢理に広げた。股関節が痛かった。
「ぅあ……っ」
「そんなにしてほしいなら、さっさと言えよ! すぐそんな口きけなくなるからなぁ!」
スカートに手を突っ込まれて、ショーツを引っ張られる。ああ、高かったのに。大切に扱え。ランジェリーは高いんだよ。お前らは安物で良いんだろうけどよ。
カチャカチャと乱雑な音がして、ズボンが下ろされる。勃起したちんこが見える。わたしの大事なところをまっすぐに狙っている。真っ黒の中にピンク色。ああ、きしょい。もうやだ。やだよ。こんなところで、こんな人とセックスなんかしたくないよ。
「いやだ……」
なんでこんなことになったんだろ。
全部がおかしくなった気がする。
大学に入ってから? 色んな人とセックスしてきたから? 人の気持ちを蔑ろにしたから? 自分を蔑ろにしたから?
自分を蔑ろにするということは、自分を大事に想ってくれている人のことも蔑ろにする、ということなんだ。
なんとなく、滲んだ天井のシャンデリアを見つめながら、そんなことを思った。
今まで自分がしてきた全ての不義理に土下座したくなった。
不義理……今までの彼氏たちにはだいたい浮気されてきたし、わたしのことが好きじゃなくて、わたしの顔と身体が好きだっただけみたいだし。ユウヤだって今回の件でわたしのことを本気で好きじゃなかったことが分かった。誰かに本気で、一途に好かれたことがない。
わたしが好いたことがなかったから。
いや、一人いる。
ツッキーだ。
ツッキー。
あの時、電話で喧嘩して、それから本当に会えなくなった。おそらく、東京に行ったんだろう。二度と顔を見せるな、が本当になってしまった。本当に別れるなら、せめて顔を見ながらさよならをしたかった。
あんなに好きと言ってくれていたのに。
たぶん、あの人だけだった。本気でわたしのことを好きになってくれたのは。
そして、わたしは、たぶん、ツッキーが好きだった。
ごめんね、ツッキー。
わたしはただ、怖かったの。
だって、セックスは気持ちよくなかったんだもん。
大切だと思っていたものは大切にされないから、いまさら大切にすることが怖かったの。
あの罵倒は、暴言は、わたしの弱さの裏返しだった。期待することの恐怖と、そのしっぺ返しへの恐怖だった。
ツッキーだけは、今までのその他大勢と一緒に扱いたくなかった。特別だと思っていたかった。
でも、ごめんね。間違っているのはわたしだった。本当は、何時間でも待ってあげたかった。一日だって一週間だって一年だって待ってあげたかった。そうするべきだった。本当に好きだというのなら。
あの時、ちゃんとあなたの気持ちに応えてあげればよかったね。
ごめんね。
これは報いなんだね。
どうせ、こういうわたしだもんな。
「そら、挿入れるぞ、中に────」
「いやだ、誰か、助けて……」
「ツッキー────」
バンッ! と扉が乱暴に開いた音がした。
まるで、蹴破られたかのような。
「ハカゼッ!」
個室に飛び込んできて、汗だくの顔をわたしに向けてきたのは────
「イツキ……?」
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