第11話 過去編③ だから、わたしは月山にキスをした

 「なーんでわたしが怒られなきゃいけないんだよー」

 「いや、私は巻き込まれただけなんだけど……」

 「あんだよ、逃げたから追っただけだろー」

 「逃げたからって追わなくてもいいじゃん!」

 「あんな風に逃げた方が悪いだ、ろ!」

 「わぷっ」


 わたしがホースを持って水をぶっかけると、月山は頭から水浸しになった。


 「やーい、ざまみろー」

 「も、もう! 花村さんなんか知らない!」

 「あはは、怒んなよー。体操服じゃん」

 「そういうことじゃない!」


 もう! と月山は持っていたデッキブラシをプールサイドに置いて、タオルで顔を拭いた。髪をぐしゃぐしゃとタオルドライして、そしてかき上げた。

 ……やっぱり、顔が出てた方がいいな。わたしは密かにそう思った。

 わたしたちは罰としてプール掃除をさせられていた。わたしがトイレの扉をよじ登った時変な風に体重がかかったのか蝶番が損傷してしまったのだ。二学期に入って秋の香りが混じり始めてきた空気に晒されながら、体操服を着て水浸しになりながら掃除するのは少し肌寒かった。


 「ねー。ごめんて。髪拭いたげるから許して」

 「もう拭いたけど」

 「そんなんじゃ拭いたってうちに入らない! もっと丁寧にやんないと」


 ほら、貸して。と月山からタオルを奪い取って、彼女をプールサイドに座らせた。わたしは背後に膝立ちになって、もう一度彼女の髪をわしゃわしゃと拭いた。「うー」と唸りながらもされるがままになる月山は犬みたいで可愛かった。


 「帰ってお風呂入ったら、ちゃんとクリーム塗んなよ。せっかく髪質いいんだから」

 「水ぶっかけてきた人に言われても……」

 「だからごめんて。あと、睨んでないけど、それもごめん」


 月山の唸りが止まった。緊張で身体に力が入っているのがタオル越しに伝わってきた。


 「本当にそんなつもりなかった。んだけど、月山からそう見えてたなら仕方ないよね。マジごめん」

 「……私も……逃げて悪かった、と思ってる……。私が逃げなきゃ、花村さん、追ってこなかっただろうし」

 「だよなー。ほんとそれ」

 「手のひら返すの早いって!」

 「あははっ」


 わたしが笑って、そして、無言になった。わしゃわしゃとタオルが髪を擦る音だけが聞こえる。


 「も、もういいでしょ」


 月山はするりとわたしの手から抜け出した。「続きやろ」とデッキブラシを持って、再びプールの底を擦り始める。もう、そこに汚れなんかないのに。


 「ねぇ」


 わたしはプールサイドに腰かけたまま、声をかけた。


 「わたしのこと、好きなの?」


 月山の手が止まった。完全に固まって、首の歯車が壊れたみたいに、不自然な動きでわたしを見つめ返してきた。


 「…………」


 その表情は、問いに対する答えを何よりも雄弁に語っていた。


 「噂で聞いたんだ。くだらねー噂? それともマジ?」

 「……くだらない噂だよ。なんで、ロクに話したこともない人を、しかも女の子を、好きにならなきゃいけないの?」

 「そういう好きなの? わたし、友達としての好き、のつもりで訊いてたんだけど」

 「あっ」


 カラン。デッキブラシが月山の手から零れて、プールの底にカラカラと沈んだ。はぁ、はぁ、と彼女は息を荒げて、ブラシを取ろうと身を屈ませた。そして、そのまましゃがみこんでしまった。


 「……だましたな」


 わたしに背を向けてちっちゃくなったまま、恨めしそうな声音で言われる。


 「うん。だました。だって月山さぁ、ずっと取り繕ってばっかじゃん。つまんねーって、そんなの」


 わたしはプールに降りて、一歩、二歩と歩みを進める。ぺた、ぺた、と水が少し残るプールは、やけにわたしの足音を増幅させた。


 「ホントは担任へのプレゼント代、払いたくないんでしょ」

 「…………」

 「ホントはわたしのこと、好きなんでしょ」

 「…………」

 「ホントはわたしが男と付き合ってるの、気に食わないんでしょ」


 ばっ、と首が痛くなりそうな速度で、月山はわたしを振り返った。案の定バランスが崩れて。彼女は再び尻餅をついた。ぱしゃっ、と水が跳ねて、水滴がわたしの足にかかった。


 「……なんで……」

 「前、言われた。すれ違う時。『好きでもないのにバカみたい』って。あれ、なに? てかあれ、わたしに言ったやつ?」


 月山は真っ赤な顔をして、口をパクパクさせるだけだ。


 「ご、ごめんなさい……」


 やっと彼女が絞り出した言葉は、それだけだった。


 「ごめ、ご、ごめんなさい。調子に乗ってた。わ、私が、花村さんに、き、傷つけたいわけじゃなかった。困らせるつもりじゃなかった。き、聞こえてると思ってなくて、私、わた、私────」


 月山はそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。わたしがビンタする勢いで彼女の頬を両手で挟んだからだ。


 「うぜぇ」

 「ふぇ……?」

 「それ、質問の答えになってない。聞かれたことに答えて」


 わたしは月山に迫った。互いの息がかかりそうなほどの近距離まで。

 彼女の瞳にわたしが映った。

 わたしはやけにキラキラしていた。そこに映るわたしは、どんなフィルターに通したわたしよりも可愛かった。

 わたしの瞳に映った月山は、どんな顔をしているんだろう。


 「あんたは、わたしのこと、どう思ってんの」

 「……私、は……」


 月山は唾を飲み込んで、はぁ、と息を吐いた。吐息はわたしの頬に当たって、それはとても生温かくて、生きているんだな、と思った。


 「花村ハカゼさんが、好き……」

 「そう」


 だから、わたしは月山にキスをした。

 初めて女の子とするキスの味は、人間の味がした。

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