第10話 過去編② ビアンちゃん
「ねぇ、月山さん」
「…………」
「あのぉ」
「…………」
「失礼」
「うぉわっ」
椅子に座っている彼女の髪をかき分け、ワイヤレスイヤホンを耳から引っこ抜くと変な声を出された。びくっ、と肩を震わせて、キョロキョロ周囲を見渡し、怯えるような目つきでわたしを見上げた。
「花村……さん……」
急に顔を赤くさせ、熱っぽく、彼女はわたしの名前を呼んだ。その声音に、わたしはどこか聞き覚えがある気がした。
彼女はクラスメートの月山さん。名前は忘れた。前髪が長くて、隠れている目が合わなくて、他の人と話している姿を見たことがない。ようは、そんな子だ。
今、わたしは教室で彼女に話しかけていた。
「なっ、な、なに」
「クラスラインの話、見てる? 担任に結婚祝いのプレゼントするってやつ」
「あー……うん」
前髪に紛れている瞳の中に「めんどくせぇな」の色が確実に見えた。気にせず、わたしは進める。
「結局さぁ、カタログ送ろうぜって話になってぇ。ちょっといいやつ買いたいから一人頭1500円、協力金徴収してんの。いい?」
「あー、はーい……」
億劫そうに月山さんは財布を取り出し、1500円を机に置いた。
「これでいい?」
「うん! あんがとぉ」
わたしはスマホのメモに『月山さん 済』と打ち込み、ジップロックにお金を詰め込んだ。これで全員分のお金を受け取れたはずだ。
「はぁ……貯めてたのになぁ……」
「……?」
ぼそり、とため息交じりに呟かれた言葉がわたしの耳に届いた。
「なに、貯金してたん?」
「ふぇあっ!? な、なに!?」
「いや、なんか言ってたじゃん。貯めてたって」
「ま、まさか声に出て……!?」
「いやいや、んなアホな。めっちゃちゃんと喋ってたって」
「ふぐああああああ」
突然、月山さんが机に突っ伏して悶え始めた。なんだこいつ。おもれぇ。
「わ、忘れて……ください……」
「なんでぇ? 別にいいじゃん。貯金なんて全然悪いことじゃないじゃん」
わたしはしゃがみこんで、机に肘をついて彼女と目を合わせようとした。
「もしかして嫌だった? プレゼント」
「いや……じゃ、ないけど……別に……」
「嘘こけー。ぜんぜん納得してなさそうな顔してるくせに」
「……ここまで話が進んでるものに水を差せるほど、私、空気読めない人じゃない」
月山さんはついに、わたしと目を合わせてくれなかった。
「プレゼントはするべきだし、私も先生にお世話になってるから、いいよ。幹事になってくれてありがとね」
まったく気持ちの籠っていないプログラミングされたような言葉だった。
────好きでもないのにバカみたい。
廊下ですれ違った時、耳に届いたあの時の言葉は、もっと重いドロドロした情念が籠っていたのに。怨念が、怒りが、エゴが、憎しみが────独占欲が。
なに、つまんねーこと言ってんだよ。
「……な、なに? さっきから」
月山さんがわたしから離れるように身を縮こませてわたしを見つめた。
「あ? なにが」
「私、何かした……?」
「だから何がって……!」
「なんでそんなに睨んでるの!?」
そこで、わたしは初めて自分の眉間がピクピクと痙攣していることに気づいた。歯を駆使いばって、眼球に力が入っていることに気づいた。
「……え」
「ご、ごめんなさい!」
「あっ、ちょ」
わたしが呆気に取られている間に、月山さんは激しく椅子を引いて教室から飛び出してしまった。引き留める暇も無かった。
「あー……」
彼女が走っていった軌跡を辿るように視線を惑わせる。激しい音を立てて教室の引き戸が開けられたから、雑談をしていたクラスメートは一瞬、彼女に注目したけれど、すぐさま自分たちの世界に引きこもっていった。彼女のことなど眼中にないように。
「なに、どしたんハカゼ」
「いや……なんか、分かんね。急に出てっちゃった」
騒ぎを聞きつけたのか、友達がわたしに話しかけてくる。彼女は「あー、月山さんでしょ」と肩を竦める。対して、わたしは肩を落とした。
「なんかしちゃったんかな。睨んでるつもりはなかったんだけど……」
「喧嘩?」
「いや、別に。向こうが睨んでるって言ってきて……」
すると、友達はけらけら笑いだした。笑うような話題じゃないと思っていたから、わたしは正気か? と今度は自覚的に眉間に皺を寄せて彼女を見つめた。
「いやいや、ごめんごめん。ただ、あの子、ハカゼのこと好きらしいからさー」
「はぁ? 好きだったら逃げないでしょ」
「違う違う、そういう意味じゃなくて、ラブの方」
「はぁー?」
ぷくくっ、と彼女は吹き出しながらわたしの肩に肘を乗せてくる。
「そりゃーねー。好きな子と見つめあっちゃったら逃げたくなっちゃうんじゃない? 月山さんって、ほら。引っ込み思案というか、ねぇ」
「いや待ってよ。好きって。女の子じゃん。向こうも」
「だーかーらー。ビアンちゃんなの、あの子」
わたしは頭から雷を受けたような衝撃が迸った。ビアン。レズビアンのことか? つまり、同性愛者? うそ、実在したんだ。ニュースで報道されるだけの存在だと思ってた。
「……マジ?」
「らしいよ。噂だけど。で、ハカゼのことがソウイウ意味で好きなんだって。彼氏持ちの女の子に報われない恋をしてる、かわいそうな女の子なのよ」
彼女は大げさな口ぶりで告げる。まるで物語のあらすじを語るような口ぶりだ。
「それ、本人が言ってた?」
「いや、知らね。でも、だいたい皆知ってるよ。身分違いの恋だって」
「……ふーん」
わたしは彼女から離れて教室の引き戸を引いた。
「あれ、どこ行くん?」
足を止めて、彼女を振り返った。
「噂で人語んの、好きじゃねーわ」
「えっ? どういう……あ、待ってよ」
彼女の言葉の続きを聞き届けるわけもなく、わたしは扉を閉めて廊下に出た。
さて、どこに行ったのかな。そろそろ昼休み終わって授業始まるけど。わざわざ探しに行くまでもなく、待ってれば現れるだろうか……。
「いいや。サボっちまうべ」
五限は古典でダルいから、サボる口実が出来たと思おう。わたしは意気揚々と人が少なくなった廊下を歩いた。なんとなくいる場所は分かる気がした。ああやって逃げ出した人は一人になりたいはずだ。学校で完全に一人になれる場所は、一つ……というか、一か所しかない。
なんか、もう、月山『さん』って感じじゃないな。
「ほら、いた」
わたしは扉を叩いた。「えっ」と息を飲む声が聞こえて、それはたしかに月山のものだった。
「ここにいると思った。もう逃げ場はねーぞー。観念して出てこいや」
「な、なんで場所が……」
月山がいたのは、教室近くのトイレだ。その一番奥の個室が思った通りに閉まっていたので、ノックしてみたらビンゴだった。
「月山ぁ。もう少しで授業始まっちゃうけど、戻らんの?」
「……花村さんがどっか行ったら、行く……」
「うっそー。サボるつもりだろ。こんな臭いところでさー」
「な、なんなの!? 放っておいてよ、私なんか────」
「一緒に授業サボろ。お話しよーよ、月山ぁ」
ものの見事に黙ってしまった。「私なんか」なんて言葉は聞きたくなかったけど、別に黙らせるつもりはなかった。
どうしたもんかな、と個室の扉に耳をくっつける。すると中から、微かな、震えた声が聞こえてきた。
「人の気持ちも知らずに……」
「知ってる」
「はっ!?」
わたしは飛び上がって、扉の上に手をかけた。個室の壁が天井とくっついていないタイプのトイレで助かった。
「ふぎぎぎぎ……」
「な、なにするつもり!?」
扉の上に肘をかけ、身体を持ち上げる。見下ろすと、中に入っていた月山と目が合った。前髪が崩れて、初めてしっかりと目が合った。あんぐり口を開けて、瞳はおろおろと動き、トイレに座りながら小さく足を抱えていた。
「あははっ、可愛いじゃん」
「な────」
「何をやってるんですか!?」
やば、この声は……。
声のした方を向こうとしたら、力が抜けて、わたしはトイレの床にお尻から激突した。
「いでぇ!」
「……花村さん、何をしてたんですか?」
古典の先生(女性)がわたしを見下ろしていた。眼鏡の奥に見えるこめかみがピクピクと動いている。彼女は生活指導の先生でもあったことを、わたしは今さら思い出した。
「えーっと……月山が籠城しちゃって……あはは……」
「今日は花村さんに問題を解いてもらいましょうね」
「……ひゃい……」
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