第9話 ハカゼ高校生編① セックスが気持ちよくなかった
「俺、ハカゼのこと一番可愛いと思ってんだよね」
わたしは高校一年生だった。部活が終わって同じサッカー部の先輩と一緒に帰っていた時、そう言われた。カラカラと彼が引く自転車の車輪の音と、ローファーがアスファルトを擦る音が遠くに聞こえた。夕暮れがやけに綺麗で、少し浅黒い肌を陽光が温かく照らしていたことを覚えている。歯がとても白かった。彼は学校で一番かっこいい、と噂の人だった。
「俺ら、付き合わね?」
そこから、なんとなく付き合った。別に好きじゃなかったけど、逆に嫌いでもなかったし、まぁイケメンだったし。マネージャーだったわたしが断ったら部活に行き辛くなるな、と思ったから付き合った。
わたしと先輩が付き合っているという噂は、あっという間に学校中に拡散された。先輩がわたしとのツーショットをインスタに投稿しまくっていたからかもしれない。
そして、驚いた。ただ付き合っているだけなのに。
「ハカゼ、すごいじゃん! あんなイケメンの彼氏がいて!」
と、たくさんの人たちに賞賛された。いいなぁ、ハカゼ可愛いからな、私もあんなイケメンな彼氏がいたらな、ずるいな、私だって先輩好きだったのにな、でもしょうがないな、花村さんって可愛いから。羨ましいな。羨ましいな。羨ましいな。
羨ましいなぁ────。
羨望と、少しの嫉妬が混じった言葉が、視線が、態度が、どうしても、どうしても気持ちよかった。そんな快楽、味わったことがなかった。
「ダチにハカゼの写真見せたらさぁ、皆羨ましがってやんの! やっぱハカゼ可愛いもんな」
「そうなんですか?」
「おん、自慢できて嬉しいわ」
先輩にもそう言われて、頭を撫でてもらえた。嬉しかった。自慢なんだ、そっか、わたしは自慢になるんだ。イケメンな彼氏がいることがいいんだ。皆、そうしたいんだ。だから、わたしは褒められて、羨ましがられるんだ。
わたしは同年代よりも一歩先んじた気がした。
髪型も髪質もスタイルも肌ケアも拘って、だからわたしはいつでも可愛かったし、もっと可愛くなった。先輩からも友達からも知らない人からも、話す時や、インスタの投稿で、時には口よりも雄弁な視線から、可愛いと褒められた。他人からの視線がわたしの基準だった。
だから────セックスが気持ちよくなかったことは、しょうがないことだと思った。
わたしは他の人に無いものを持っているから、その分、セックスをすることで得られる安心とか、愛されている自覚とか、言語を超えたコミュニケーションとか、そういうものが感じられなくても仕方ないと思った。
先輩から求められることは嬉しかったし、イケメンな顔を歪ませながら溢れんばかりの性欲に振り回される先輩は、とてもみっともなくて、惨めでかわいそうで、可愛かったから、もうそれでよかった。
男の扱い方も学んだ気がする。ちんこという分かりやすい指標があるから、何がいいのか、どうしたらいいのかすぐに分かった。涎を垂らしながら焦点しそうな顔をする先輩を見て、セックスって男にとって、そんなにいいものなのか、と勉強になった。
わたしは全能感に満ち溢れていた。この世界の賞賛は全てわたしのもので、道行く人は全員わたしにひれ伏していると思っていた。そう思うことがわたしの自尊心だった。
結局、先輩とは四か月だった。理由は浮気だった。わたし以外の人を可愛いという人はいらないから、全然悲しくなかった。悲しく思ったら終わりだと思った。どうせセックスも気持ちよくなかったし、次の彼氏はきっと気持ちよく思えるはずだと、むしろ未来に希望を持てた。
別れた後は、浮気した先輩の評価が下がっただけで、わたしは相変わらずイケメンな彼氏がいた可愛いすごい子、だった。
だから先輩なんてどうでもよくなった。
次の彼氏は別の高校の先輩だった。その人もサッカー部で、よくうちと練習試合をしていた。前の彼氏と別れたことを知ると速攻口説いてきて、イケメンだったから了承した。インスタに次の彼氏とのツーショットを投稿したらものすごい数のいいねが付いたから、やっぱりいいんだ、と思った。
セックスは、気持ちよくなかったけれど。
キスも、ただ唇を重ね合わせているだけの行為で、手を繋いでもゴツゴツしているだけで掴みにくかったし、頭を撫でてもごわごわしているだけだった。
何かが欠けている代わりに、わたしは無敵だった。
でも。
でも一人だけ、わたしのことなんて眼中にない人がいた。
「好きでもないのにバカみたい」
廊下でわたしとすれ違う時に、彼女はぼそりと呟いた。きっと、わたしには聞こえていないと思っているんだろう。でも、もし聞こえているなら、少しでも傷つけてやろう、というちっぽけな反抗心と悪意が手に取るように分かった。
後に知る。高校二年生に上がって同じクラスになった彼女は月山さん、という。
わたしがキスをした初めての女の子だった。
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