第8話 どうせこういうわたしだもんな③

 「イツキー! マジでさっきは助かった! ありがとう!」


 授業が終わって、すぐイツキに話しかける。パソコンや教科書を詰めるリュックから視線を外さず、彼女は口を開く。


 「ちゃんと予習しときなよ。あの教授、第一回で当てるかもって言ってたじゃん」

 「う、でも、まさかあんなに大勢がいてわたしが当たると思わないっていうか……」

 「今日まさに当たったくせに」

 「ちくちく言葉やめてくれるかなー?」


 肘でうりうり突っつくと、イツキは「や、やめてよ」と照れ臭そうにわたしを振りほどいた。もしかしてボディタッチに照れてるのか。女子はベタベタしがちだけど、イツキに限ってはそれに反応しちゃうのかな……。


 「んじゃ、次の教室行こうぜー。学校終わったらセフレの話しよーね」

 「分かったから、こんな公共の場所でその単語出さないで……」

 「もー。ふはは、純情ぶっちゃってぇ」


 そんな軽口を叩きながら、わたしもパソコンと教科書をカバンに突っ込んで立ち上がった。すると、カバンからスマホが落ちてしまった。授業中に雑にカバンに入れていたから、弾みでするっと滑ってしまったのだろう。


 「あちゃー。萎えー」


 スマホはパタンとイツキの足元に転がった。


 「ごめん、足、失礼しちゃった」

 「いいよ、取る」


 イツキがスマホに手を翳した。スマホの液晶が点いた。


 『さっきはごめん。おれも言い過ぎた。もう会えないのかな、おれたち』

 『おれ、ハカゼが忘れられないんだよ』

 『おれのこと特別って言ってくれたもんな』


 必然的に通知が液晶に表示され、わたしはスマホがロックされている時に通知の内容が隠される設定にしていなかったから、拾おうとしたイツキにも通知が────ユウヤさんのラインが見えてしまった。


 「なに、これ」


 イツキの動きが止まった。そしてスマホを拾い上げ、何度も何度も目を往復させる。


 「まだ繋がってたの? あのだせぇ奴と」

 「えっ、いや……」


 空気が、変わった。

 先ほどまでの、友達を少し超えた気の置けない軽やかな空気が────完全にリセットされた。眉間に皺を寄せ、狼のような鋭い目つきがわたしを睨みつけた。

 昨日、わたしを守ってくれたはずの牙が、わたしに向けて剥かれた。


 「わたしにセフレになろうだのあーだのこーだの言ってたくせに、ちゃっかり男とはヨリを戻してたんだ?」

 「ちょ、ちょっと待ってよ。ヨリとか、戻すものも無いわ。付きまとわれてんの!」


 どうした? わたし。焦って語気が荒くなってるぞ。こういうのはめんどくさい女だって嫌われるって分かってるよな。


 「今日だって学校の前に電車でたまたま会っちゃって、わたしは嫌ってちゃんと言ったのにまだうじうじメッセージなんて送ってきて、困ってんのわたしなんだよ!」


 わたしの気持ちなんてどうせ理解されることは無いんだから、割り切って次、がわたしだったじゃんか。


 「ブロックだってしようとしてたよ、だけど、ほら、昨日はいろいろあったじゃん。あのあと二度寝して起きたのもギリギリだったからさ、する暇なくて。あ、今日ね、電車早めに乗ったのはイツキに会いたかったからなんだよ! 授業始まる前にわたしたちのことについて話したかったし、イツキの顔、見たかったし────」

 「うそつき」


 息が、止まった気がした。

 授業終わりでガヤガヤと他の学生が話したり移動したりしてうるさいはずの教室を、わたしの耳は拒絶して、わたしの目はイツキしか映さなかった。そのイツキは、瞳に失望の色を浮かべていた。


 「なに? 浮かれてたのは私だけってか」

 「そ、そんなこと、ない。わたし、イツキに会いたくて、大学に……」

 「ま、そうか。所詮遊びだよな、女なんてさ。またゆるの花村さんにとっちゃあ」


 はっ、とイツキは鼻で笑った。


 「 そもそも、私らそういうんじゃなかったか。変に期待した私がバカだった。ごめん。そういえば私、あんたみたいな奴、嫌いだったし」

 「い、イツキ────」

 「一夜の関係だもんね。ありがと、昨日は気持ちよかったよ」


 イツキはリュックから財布を取り出し、そこからお札をテーブルに叩きつけた。五万円だ。


 「なに、これ」


 そう聞くと、イツキは舌打ちして、お札をぐしゃぐしゃに掴んで、スマホと一緒にわたしの胸に押し付けた。


 「相場はこのくらいでしょ。それとももっと高い?」

 「……なんでこんなひどいことするの」


 わたしにはもう耐えられなかった。涙が溢れ出て止まらなかった。せっかく、ちょっとでもイツキに会えることを楽しみにしてきたメイクが台無しだ。


 「わたし、あんたに何かしたかな……」

 「……知らなくていい。一生そのままでいればいいんだ、お前なんか」


 イツキは静かに泣くわたしを置き去りにし、大教室から出て行った。


 「はは……」


 悲しいというより、虚しかった。せっかくできたかもしれない、久々の女友達をわたしは失くしてしまった。

 思い返してみれば、イツキの態度の変貌は自分勝手かもしれない。だけど、なぜかわたしはその原因はわたしに在る気がしていた。

 わたしが悪いんだ、全部。

 わたしの生き方も、姿勢も、発言も、呼吸の仕方も全部間違っているから、その報いを受けているんだ。好き勝手に生きてきた反動だ。

 スマホが震えた。見ると、わたしが利用しているギャラ飲み募集のマッチングアプリからだった。

 今日の五時から、新宿でギャラ飲み。こういうアプリには珍しく、わたしが指名されている。前のパパのご指名かな、仕事仲間との飲み会とか。それともリピーターができたのかな。わたし、結構ギャラ飲み向いてるらしいからな……。


 「……わたし、必要とされてるのかな……」


 わたしは震える手でスマホを操作した。


 『行きます』

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