第5話 セフレになろっか
「……しちゃった……女の子と……」
コトが終わって、私は毛布を胸に抱きながらぼうっと天井を見つめていた。今までこのベッドの上で何人もの男と共に過ごしてきたけど、女の子と、なんて初めてだ。
「んだよ、終わったらそっこータバコかい……」
ベッドのすぐそばにあるベランダでは、服をしっかり着直したイツキがタバコを吸っていた。ほんの5分前とかにセックスが終わったのに。わたしはピロートークのゆったりと流れる時間が好きなのに。
この狭いシングルベッドでお互い寄り添いながら、裸の暖かさを感じて、ありがとう、気持ちよかったよ、なんて囁かれて、頭を撫でられて……。
そんなこと随分されてないな……。
────上手じゃん。
セックスの時、イツキに頭を撫でられて嬉しかった。褒められて嬉しかった。
細くて滑らかな指が、わたしの髪を通り抜けて、甘い匂いが身体の中を巡って、抱きしめられて、柔らかいおっぱいに顔を埋めて、心臓の音を聴いて……。
────ネイルしてるから中に挿れられないの、いい?
むしろそっちの方がいい。中はあんまり感じないから。
────そんなおっぱい好き? 自分の吸ってろよ、ヘンタイ。
なんでだろ。わたし、そんなにおっぱい大きくないからかな。
────とろとろしちゃって。そんなにいいの?
────サークルの奴らと私、どっちがいい?
「…………」
わたしはベッドから抜け出し、クローゼットからジャージを取り出し、裸の上から着た。さっきまで着ていた下着はもうぐちゃぐちゃでダメになったから。
「ん、なに」
窓を開けて、ベランダに出た。2本目のタバコに口を付けようとしていたイツキがわたしに振り向いた。
「一本ちょうだい」
「は? 自分の吸ってよ」
「やだ。イツキのがいい」
あのキスの味が、なんとなく、まだ口の中に残っている気がする。
「いつの間に名前呼びだよ」
「さっきまで呼び合ってたじゃん、イツキー、ハカゼー、って。あんなに盛り上がったのに終わったら苗字に戻るとか寂しくね?」
そう言うと、イツキは頬を赤くしてそっぽを向いた。今日は晴れて月が明るいから、その様がよく見えた。
「なぁに、あんな激しいことしてたのに今更照れんなよなー」
「うっさい、もう。はいこれ。後悔すんなよ」
イツキが箱から取り出したタバコを差し出した。普通のタバコに比べて短いけれど、わたしのタバコよりかは太い。短くて太いなんて。
「ふは……」
「なに一人で笑ってんの? きも」
「ひどくない? 気にしないでよ。それより火ちょうだい」
「ん」
点火したジッポライターを近づけてくるイツキに、わたしは首を横に振った。
「いや、それじゃない」
「は?」
「あれやってよ。ちゅーして」
わたしは咥えたタバコをイツキに近づける。
「さっきやってくれたやつ、好き」
「……しょうがねーな」
イツキは火のついたタバコの先っちょをわたしに向け、わたしのタバコにくっつけた。
「吸って、タバコ」
「すううう」
彼女のタバコから火が燃え移って、毒煙がわたしの中に入ってくる。
どギヅいのが。
「ぶえっほ!? げほっ、がはっ! うえ、まずっ! ぺっぺっ! なんか、ミッ、ってなった、ミッ、って」
「あははは! ほれ見たことか! だから言ったのに!」
タール14ミリの煙は、一瞬で喉が焼けそうなくらい濃くてざらざらしていた。こんなのを涼しい顔して吸うなんて。イツキはわたしと同い年で20歳のはずなのに……。
「うし、もう時間だな」
スマホを確認したイツキがタバコを携帯灰皿に突っ込んで、窓を開けた。
「私の洗濯物乾いてるよなー? どこにある?」
「えー? ん、乾燥させっぱだから多分。洗濯機の中にある」
「おっけ、ありがと」
「んー」
イツキは部屋の中に戻っていく。わたしは重いタバコを苦労しながら少し白んだ街を見下ろす。少し青みがかったフィルターがかかっているように見える。夜を経て世界の空気が入れ替わったのか、なんとなく、酸素が冷たかった。タバコの熱さと、臭さと、空気の冷たさと、そよぐ風。
髪が靡いて、灰が舞う。白んだ空に黒点が散る。
そっか、もう夜明けか。
家に帰って来たのが夜の11時くらいだったから、長い間ヤッてたんだな……すごいな、男だったら一発出して終わりだもんな……いや、男女関係ないか、性欲やば……。
……ん? 夜明け?
「ちょーっと待ったぁー!」
「……やべ」
わたしが慌てて窓を開けると、着替えて荷物を纏めたイツキが、扉を開けて玄関から出ようとする姿が目に入った。
「な、なんで!? ヤリ捨て!? お前もその類いだったの!?」
「ちょ、声が大きい」
急いで彼女を部屋の中に連れ戻す。なぜか鬱陶しそうな顔をされる。
「だって始発出てるし。今日も大学なんだよ、帰って寝たいよ」
「寝てけばいいじゃん! うちから大学行けばいいじゃん!」
「やだよ。部屋はワンルームで狭いし、ベッドはシングルで狭いし」
「う」
それを言われると反論ができない。
「じゃあ! ……じゃあ、連絡先教えてよ」
「え、サークルのグループLINEあんじゃん。そっからてきとーに友達追加……」
「退会してた! 酔った勢いで!」
「あー……」
しょうがないなぁ、とイツキはスマホを取り出し、QRコードを表示させた。
「あんた、これからどうすんの? 新しいサークル入って男漁んの?」
友達登録を済ませた後、そんなことを訊かれた。なんだか、これはわたしの想像を超えた邪推だけど、イツキの表情は投げやりで、何かの諦めを包含しているようだった。
「なにそれ、人聞き悪っ」
「今までそうだったんでしょ。色々噂聞いてるから」
「噂だけで量んな人を。わたしは、そんなん……」
「セックスなんてそれ以上でも以下でもないもんね」
その言葉には、わたしを見下したような意味が含まれている気がした。
いや、違う。見下しているのはわたしじゃない。
見下されているのは、先ほどの『行為』だ。
わたしたちを確かめ合った数時間を、自分から軽んじている。
「んだ、てめぇ」
「は────」
わたしはイツキの胸倉を掴み、扉に彼女を叩きつけた。
彼女とのセックスが、彼女自身によって軽んじられている。その事実にわたしはなぜか無性に腹が立った。
「バカにしてんのか!? あんなに気持ちよさそうな顔してたのに!」
「は!?」
わたしの方が背が低い分、下から思い切り迫り、首に手を押し当てる。イツキは少し苦しそうな表情をした。
「なに『私が全部してあげましたけど?』みたいな顔してんだ! バレてんだよ、濡れてたろお前も! いっぱいしてあげただろ!」
「ちょ、声大きい!」
「むかつく! すげーむかつくんですけど! わたし、なんでそんな風に言われなきゃいけないの!? さっきまであんなに……」
あんなに、なんだ?
こんな風に扱われることなんて、初めてじゃなかったはずなのに。
『こう』なったら、もうこいつないわ、ってブロックして、一晩寝たら忘れてたはずなのに。
「……わたし、女の人が好きなんて言ったことない」
わたしはイツキから手を離した。
「は? 知ってるよ、そんなこと……」
イツキは乱れた服を直しながら、わたしに怪訝そうな視線を向けてくる。
「なのに襲ってきやがって。溜まってんでしょ。彼女、いないんでしょ」
「……いたら大問題だろ」
気まずそうにそっぽを向いたイツキは、「もしかして」とわたしに再び目を合わせた。
「一回ヤッたからって彼女面────」
「いいよ、上等だよ。セックスなんて所詮セックスでしかない。好きな人相手じゃなくてもいい」
わたしはイツキの鼻先に、人差し指を突きつけた。
「分かってるからな」
「だから、なにが? もういい加減帰ら────」
「お前、さっきイッてなかっただろ、一回も」
「せ、て……」
イツキはわたしを見つめ返して、口をパクパクさせ、やがてその白い肌を真っ赤に染めた。わたしはにやけ面が止まらなかった。
「当たりだ。ってことはお前、家帰ってオナニーしたいんだろ。だからそんな早く帰りたがってるんだろ。怪奇・欲求不満女め」
「ばっ、違うわ! 言いがかりも大概にして!」
「いーや、わたしには分かる! なぜなら、わたしは女とヤッたことがなくて経験不足だったから! そもそもイツキの性感帯知らないし!」
「も、もおおおお! いいって、なんなんだよお!」
うわああ、とイツキは顔を真っ赤にさせて蹲ってしまった。あんなに攻めっけがあったのに、こういう日常の猥談には弱いのか。なんかギャップだな。
「わたしの何がイツキの気に障るか知らんけど、少なくともわたしに性的魅力は感じてるわけでしょ? ちょっと好きだったんだもんね?」
わたしは身を屈ませて、彼女と目を合わせた。
「だからセフレになろっか」
「……はぁ!?」
「イツキ彼女いないんでしょ。わたしそこそこ可愛いからさぁ、そこそこ可愛い女好き勝手抱けるなんていい提案じゃない?」
顔色をコロコロ変えるイツキが面白くて、わたしはなんでこんな提案をしているのかなんてどうでもよくなっていた。
自分が分からない。一回だけヤッてばいばい、なんてしょっちゅうあったのにな。
「あ、あんたに、なんのメリットが……」
「わたしは、ただ」
わたしは動揺しているイツキの手を握って、指を絡み合わせた。
「あんたの顔と身体に興味があるだけ」
「……またゆる」
「知ってる」
必死に顔を逸らそうとするイツキは、とても可愛かった。
「も、もう! 話終わり!?」
イツキはわたしを振り払って立ち上がり、扉を開けた。
「じゃあね、ばいばい!」
そしてバタン、と扉が閉められた。外から走り去っていく足音が聞こえる。遠ざかっていく。
「……ふわーあ」
急に眠気が来て、大きな欠伸をしてしまった。
寝るか。
廊下を戻って、部屋に戻る。
六畳のワンルーム。家具は、本棚と、カラーボックスと、ローテーブルと、ベッドだけ。
寂しい部屋だな。なんか。
静けさがキンと耳に届いた。
「ふわー」
わたしはベッドに入って、毛布に包まって、目を瞑った。
まだそこには、イツキの匂いが残っていた。
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