第2話 やっちゃった②


 「どーいうことだよ!」


 ユウヤさんがジョッキをテーブルに叩きつけると、わたしたちの席はシーンと静まり返った。この大衆居酒屋の二階の座敷席はわたしたちのサークルの特等席だ。普通だったら大勢の他の客で賑わって、隣の人の声すら大きくないと聞こえないはずなのに、わたしたちの席だけ防音室の中にいるみたいだ。


 「お前ハカゼとヤッたのかよ! ふざけんな!」


 ユウヤくんの怒りの矛先は、隣にいるコウキくん。ちなみにハカゼとは、わたしのことだ。胸倉を掴まれたコウキくんは目にかかった前髪を払いのけ、ユウヤくんを睨みつけた。


 「なに? ユウヤさんってハカゼの彼氏なの?」

 「そうだよ!」

 「え、そうなの……?」


 不味い、口が滑っちゃった。テーブル中の視線がわたしに向いてきた。コウキくんは「はっ」と鼻で笑った。


 「ちげぇってよ。一回ヤッたくらいで彼氏面しないでくださいよ、きしぇーな」

 「一回じゃねぇよ! なぁ、う、嘘だったの? ハカゼ、おれ、お前に告ったよな?」

 「え、あーそうでしたかね? あはは……」


 そういえば、ヤッてる時にそれっぽいことは言われた気がしなくもないけど、セフレって話だったし、デートしたことなかったし、まぁ気にしなくていいやってスルーした記憶がある。


 「落ち着けよ、お前ら。ここ一応、公衆の面前だぞ」


 サークルの部長であるタクミさんが二人を叱り飛ばす。


 「何か認識の行き違いがあったんだろ。ハカゼはそんなことしない。そうだよな?」


 タクミさんがわたしを見つめる。整えられた太い眉毛が歪んでいる。その理由は、わたしには分かってしまう。


 「おれ、見ましたよ。タクミさんがハカゼとホテル入ってくとこ」


 コウキくんがぼそりと言った。小さな声でも同席しているサークルの部員全員に届いてしまうほど、わたしたちは静まり返っていた。タクミさんは顔を真っ赤にさせた。髪が短く揃えられていたからよく分かった。

 ははは……とユウヤさんが力ない笑い声を上げた。


 「それ、ほんとかよタクミ……お前もハカゼとヤッたの?」

 「ちっ、ちがっ! 俺はただ、ハカゼに相談があるって言われて、終電が無くなったから、向こうから家飲みに誘われて……」

 「結局手ぇ出したのはそっちだろうがっ!」


 ユウヤさんがテーブルの上にあった料理をなぎ倒した。タクミさんは額に青筋を立てながら立ち上がる。


 「やめろ、みっともねぇ! サークルの責任になるだろ!」

 「てめぇいっつもそうだな! お前が責任負いたくねぇからっていっつも誰かのせいにしやがって! 今回もあれか? ハカゼのせいってか!? だせぇな!」

 「関係ねーこと持ち出して喚く方がだせぇよ!」

 「だせぇだろ、みんな」


 二人の言い争いにコウキくんが割り込んだ。彼は光の無い瞳でわたしを見た。


 「お前のせいだぞ。おれはこのサークル、居心地よかったのに……」

 「え、わ、わたし?」

 「そうだ……」


 ユウヤさんがゆらりと動き、無事だったジョッキを掴んだ。


 「お前がビッチなせいで、こんなこと……」


 わたしの眼前に来て、彼は、ジョッキを傾ける。


 「全部お前のせいだ、どうしてくれんだ!」

 「ひっ」


 ハイボールがわたし目掛けて降り注ぐ。わたしは反射的に目を瞑り────


 「…………え?」


 いつまで経っても構えていた冷たさは無くて、目を開けたら服はそのままだった。

 気付けば、わたしとユウヤさんの間に、スキニージーンズに包まれた細い足が立っていた。


 「みっともないなァ、どいつもこいつも」


 同期の叢雲イツキさんがユウヤさんに立ちはだかり、わたしの代わりにハイボールを頭から浴びていた。耳にいくつも空けたピアスが濡れて銀色に輝いていた。彼女は顔面が濡れているにもかかわらず、瞬きもせず、狼のような鋭い目つきで彼を睨みつけていた。


 「は────」


 バチン! という乾いた音が短く鳴った。叢雲さんがユウヤさんにビンタを炸裂させたのだ。ぶたれた彼は頬に手を当てながら、へなへなと座り込んだ。座席には今度こそ完全な静寂が訪れた。


 「女ひとりにぎゃーぎゃー騒いで、他の人の迷惑も考えられず、挙句の果てに暴力まで振るいやがって。男の風上にも置けない。下半身でしかモノ考えられないの? だっさ」


 叢雲さんは冷たい目でユウヤさんを見下ろし、コウキくんとタクミさんにも厳しい視線を送った。


 「クソどもが。頭冷やせタコ。ゴミクズらしく河川敷で殴り合いでもしてこい」


 喧嘩をしていた三人は言葉も出ない、といった様子で、口をパクパクさせては叢雲さんをただ見上げることしかできなかった。


 「行くよ」

 「えっ、ちょ」


 叢雲さんはため息を吐くと、わたしの手を引いて立ち上がらせた。そして財布を取り出し、五千円札をテーブルに叩きつけた。


 「ごちそうさま」


 わたしは彼女に連れ出され、店を後にした。

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