【BL】八千八声を啼き続け
あおい
序
「あれが、
まだ遙か遠くとはいえ、視線を送る先に、たしかに
ここ
森は人の領域ではない。そこは人外魔境である。
獣たちのほか、地を荒し、牛馬や人を襲い、様々な
けれども、人々が門から外へ出ることは、ほとんどないといって過言ではなかった。あったとしても、郭壁からさほど遠くない、草地や灌木地帯までである。妖魔が徘徊する森の中に足を踏み入れるのは、よほど腕に自信のある者に限られていた。
かくして、ごくごく一般の庶民たちは、城郭の中に閉じこめられて暮らしてている。
では、城と城、廬と廬、あるいは城と廬との間を、人はいかにして移動するのか――……こたえは、空である。
詩鸞は青く透き通った大空を遥かに振り仰いだ。
ばさり、と、大きな羽音が響く。風が立つ。
詩鸞の前髪の、つややかな黒髪のなかに一房だけ青銀に輝く前髪が、ふわりと吹きつけた風にゆるく
空を仰いだ詩鸞は、すぅ、と、目を細めた。巨大な鳥の、やわらかそうな羽毛に覆われた白い腹が見えている。
鳥船だ。
巨大な霊鳥が運ぶ船である。
多くの人は――多寡はあれど――体内で
その霊鳥が、人を乗せた船を運ぶ。人々は、定期的に空を駆けるこの鳥船を乗り継いで、郭壁に囲まれた
ばさり、と、また羽音がした。
徐々に高度が下がっていく。もう目的地はすぐそこだ。
「あ!」
そのとき、すぐ隣にいた幼子が声をあげた。
「母さん、
少年は弾んだ声で続ける。その指さす先には、いま詩鸞たちが乗る船を運ぶのよりもふたまわり、みまわりほど小さい、それでも牛馬ほどの大きさはあろうかという
「あれ、ほんとうだねぇ。単騎だから、
母親らしき女は、にこにこしながら、我が子に向かってそんなふうに応じていた。
嶌国において、自ら鳥を駆って空を自由に行き来できる者は限られていた。
ひとつに、将や兵卒だ。彼らは鳥を駆って、時に森から出てきて人馬を襲い、田畠を荒らす妖魔と対峙する。
兵卒でないのならば、その鳥行師は監察使――……城や廬、その周辺の森を巡っては、人々の暮らしぶり、または妖魔の出没状況などを監視する役目を担う、皇帝直属の官吏だった。
軍ならば普通、隊を組んで動く。単騎行であることはまずなかった。
ならばいま空を駆けるのは、ほぼ間違いなく――……。
「……監察使……」
詩鸞は、ほう、と、吐息するようにつぶやいた。
隣では少年が、京城である瑛洛から飛んできたらしい鳶に向けて、大きく手を振っている。鳶を駆って天翔けるのはどうやら女性官吏のようで、彼女はこちらへちらりと視線を送ると、わずかに目を伏せるようにして礼をしてみせた。
前を向き直った彼女が手綱を引くと、大鳶は速度を上げる。
「あれが、監察使……」
鳥船からすこし離れたところを颯爽と飛び過ぎていく影を、詩鸞もまた、視線で追いかけた。思わずうっとりと目を細めている。
詩鸞にとって、監察使というのは、ずっと目指してきた憧れの職種であった。
かつて詩鸞の暮らす
それに、と、詩鸞は思った。
詩鸞には感謝と憧れ以外にも、どうしても監察使になりたい、否、ならなければならない理由があった。
「いよいよ、試験か」
杜《と》
出身は、嶌国の東端。その向こうはもはや未開の地とすれ呼ばれるような、辺境といってよい廬だった。いまはもはや存在していない故郷の廬を思いながら、詩鸞は京城の郭壁へと視線を送る。
片田舎での苦学の末、詩鸞はいままさに、監察使の資格を得るための試験を受けようと、上京してきたところだった。
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