第5話 カミサマ

「ねぇ、大丈夫?」


 急に声をかけられ遥はびくりと肩を揺らした。

 顔を上げると、自分と同じくらいの年の女の子が立っていた。

 赤いワンピース姿で、花のブローチを付けている。


「あなた、はるちゃんね」


 にこりと笑う。肩までの黒髪が軽く揺れた。


「こ、こんにちは……。わたしを知ってるの?」


「もちろん知ってるわ、わたしはカミサマだから」


「えっ……?」


「この商店街のカミサマなの」


 遥は目をパチパチさせる。

 聞き間違いだろうか。自分のことをカミサマだなんて、変な子だ。


「カ、カミサマ?」


「あなたのこと、全部知ってるわ。小学四年で、クラスは二組。算数が苦手で、前髪が変って言ってくる吉原くんが嫌いなんでしょ?」


 次々に言い当てられて自分の顔がカーッと赤くなるのが分かる。

 思わず前髪に触れる。


「もうやめて」


 耳を塞ぐようにその場にしゃがみ込んだ。


「キンモクの居場所も知ってるわ」


 遥はバネ人形のように跳ね起きた。


「本当!? 本当にキンモクの居場所を知ってるの!?」


「もちろん知ってるわ」少女は、ひらりと身を翻した。


「こっちよ、ついてきて」


 少女が駆け出す。

 その姿を見失うまいと必死で追いかけた。


 少女は、シャッターが続く通りを、迷いなく走り進んだ。

 やがて、一つの脇道を勢いよく曲がる。

 遥も急いで追いかけると、急に視界が開け、横断歩道が目の前に現れた。

 少女はその前で立ち止まり、こちらを振り返った。

 遥は息を整える。


「ここは……」


 道の向こうには大きな鳥居が見える。


「はるちゃん」少女がニコリと笑う。


「横断歩道を渡って、あの鳥居の下をくぐれば、その先にキンモクがいるの」


「本当?」


「どうする? 行く?」


 答えるまでもなかった。

 だけど歩行者用信号機を見て、眉をひそめる。

 本来なら縦に二つ並ぶはずの表示灯が一つしかない。

 止まれを示す赤い男が光っているだけだ。青がない。


 少女が、トントントンとスキップしながら渡っていく。

 赤なのに危ない、と遥は思った。


「大丈夫よ。車なんて通らないから」少女が笑う。


「渡れば、キンモクに会えるわ」


 遥は道の先を見つめる。

 かすみの向こうに、茶色い影が揺れているのが見える。


(キンモク……?)


 遥は恐る恐る道の左右を確かめる。確かに車は見えない。エンジンの音も聞こえない。

 横断歩道の距離は、せいぜい数メートル。走ればすぐだ。


 一歩を踏み出しかけた時、遥の頭に、あの事故の光景が走った。

 轟音。悲鳴。

 遥は足を止めた。


「どうしたの?」


「だって、赤信号だよ」


「はるちゃん」少女の声が優しく響く。


「信号なんて、もう関係ないのよ」


 遥の動揺を見透かしたように、少女は続ける。


「キンモクに会いたいんでしょう? ほら、向こうで待ってるわ」


 霞の中に、キンモクが尻尾を振る姿が見えるような気がした。


(会いたい……)


 遥が一歩を踏み出した時だった。


「グゥッ!」


 背後から思いきり袖を引っ張られた。振り返ると、茶色い犬が必死の形相で袖を咥えていた。

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