第4話 不思議な商店街

 遥は小走りで商店街を駆けていく。

 シャッターが無機質に並ぶ。人の気配がない。

 遥の地面を蹴る足音だけが響く。


(ここ、本当にいつもの商店街……?)


 アーケードから差し込む日の光は弱々しく、憂鬱な雨の日のようだ。


「キンモクー……」


 呟くと、思いがけず声が響く。


(わたしの責任だ。リードを離してしまったから……)


 目の奥がきゅーっと絞られるように熱くなる。

 自然と足を動かす速度が速くなる。


 果てしなく続くシャッターの列。

 不安が募る中、ふいに一筋の光が視界に差し込んだ。

 一軒の店が、扉を開けていた。


「あっ!」


 嬉しさで思わず声を上げたのは、看板に「徳本」と見えたからだ。

 母に連れられてよく行く八百屋さんだ。

 店先には、野菜や果物がズラリと並べられている。

 奥から紺色の帽子をかぶった徳本のおじさんが出てきた。


「よお、はるちゃん!」


 ほうれん草を聖火ランナーのように掲げて笑う。


「どしたの? 今日お母さんは?」


「今日はお母さんはいないの……」


「そうかい。一人?」


「キンモクと一緒に散歩に来てたんだけど……」


 車にはねられそうになったことを説明する。


「本当かい、そりゃ大変だったね……。はるちゃんは大丈夫だったの?」


 こくりと頷く。


「そう、良かった。ああ、そうか、でも犬が逃げちゃったわけか……」


 おじさんは膝を曲げて、遥の顔をのぞき込んだ。


「はるちゃん、でもきっと見つかるよ」


 おじさんは勇気づけるように笑った。


「ありがとう……」


 おじさんと別れ際、ふと妙な違和感を感じる。

 それが何なのか、遥には分からなかった。


 相変わらずシャッターが続く。

 道の先は、霧が深くて見通せない。

 落ち着かない気分だった。


 見上げると、アーケードの穴から鉄塔が見えた。


「あれは……」


 見覚えのない建造物に遥は足を止める。

 と、急に耳の横を、ザアッと風が通り過ぎた。

 振り返ると、いつの間にか多くの人々が商店街一面を埋め尽くしていた。


「えっ……?」


 ザッザッザッザ。

 黙々と歩む人々。否応なくその波に呑まれた。


 カァーーンカァーーン。


 脳の底に直接響くような鐘の音がする。

 見ると、誰かが鉄塔に登って鐘を叩いている。


 この光景を、社会の教科書で見たことがあった。

 あの鉄塔は、やぐらだ。

 そうだ、これは空襲警報だ。


 カァーーンカァーーン。


 音は次第に鋭さを増し、頭の中に直接響いてきた。

 周りの空気が重くなる。

 気づくと、人々の姿は煙のように消えていた。

 頭には鐘の音だけが残っていた。


 遥は急に怖くなった。


「徳本のおじさんのところまで戻ろうかな……」


 そう考えた時、さっき感じた違和感の正体に気が付く。


 どうして今の今までそのことを忘れていたのか。

 おじさんは、


 心臓の病気で急に亡くなったとお母さんから聞かされていた。


(わたし、どうしてそのことを……)


 遥は、急に自分のことが分からなくなってきた。

 振り返っても前を向いても、シャッターが無限に続いている。

 砂漠に一人取り残されたような孤独感が、急激に自分を包み込む。


(でもキンモクはもっと心細いはず……。わたしがそばにいてあげないと……)


「うぁ……」


 喉から声が漏れる。


「うああーーーーー!」

 

 無我夢中で走り出す。


「キンモクーーー!」


 目の前の景色は変わることがない。

 トンネルのように延々と続くシャッター。


 足がどんどん重くなってくる。胸が引き裂かれるように痛む。

 とうとう遥は道の端にへたり込んでしまった。


「キンモク……。どこ……? 一緒に帰ろうよ……」


 膝を抱え込む。

 途切れ途切れの声が、落ちた涙とともに地面に吸い込まれていった。

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