第2話 キンモクとの出会い

 会場に到着した遥は、鉄製のケージが並ぶ様子を見て立ち尽くしていた。

 どのケージも空っぽだった。


「犬、見に来たの?」


 振り返ると、作業服を着たおじさんが立っていた。職員さんのようだった。


「あ……」


「悪いね。もう引き取られたあとなんだ」


 遥が答えるよりも先にそう言う。


 ひざから力が抜けていくのを感じた。


『引き取られたあと』


 その言葉が頭の中で何度も響いた――。


 遥には夢があった。

 それは犬と一緒に眠ること。自分と一緒の布団で眠る。

 一緒に散歩に行くこと。コースだって決めてある。街を抜けた川沿いの道だ。絶対楽しいに決まっている。

 ごはんをあげるのはもちろん自分。

 お小遣いでかわいい器まで買ったのだ。お茶碗みたいな器。


 そして今日。

 いよいよ犬を迎えられると胸を高鳴らせていたのに。

 気を抜くとへたり込んでしまいそうになる。


 絶望的な気分であたりを見渡した時、会場の隅っこ、狭いケージの中に何か茶色い固まりが見えた。

 遥がゆっくり近づいていく。


 それは犬だった。

 大きくて茶色い犬。


「ああ、その子、唯一残ったオス犬だよ。雑種の成犬だとなかなかねぇ……」


 諦めたような口調だった。

 犬は悲しそうにうつむいていた。まるで人間の言葉が分かったように。


 遥がケージに近づくと、ムッとケモノの臭いがした。

 犬はむくりと起き上がり、やせた尻尾を振った。

 真っ黒な目をキラキラさせて、こちらを見上げる。

 ケージの隙間から手を差し出すと、犬は愛おしそうに頭をすりつけてきた。


 年齢は、大体5~6歳ぐらいだろうということだった。

 毛並みは見るからにガサガサしていて、臭いもひどい。

 これまで、あまりいい環境にいたとは思えなかった。


 遥は、その姿に心を奪われた。


「お母さん……! この子!」


 お母さんは犬を見て、最初はびっくりしたような顔をしたが、やがてにっこり笑って「かわいい子ね」と言った。


 一週間後、遥たちは正式に犬を引き取るため、再度施設を訪れた。

 犬は遥を見ると、待っていたように大きく尻尾を振った。


 リードをつけて外に出ると、嬉しそうに何度も遥の方を振り返った。

 駐車場の周りに咲いていた金木犀きんもくせいが香った。

 金色の毛並みが夕日を浴びてキラキラと輝いた。


「お母さん」


 遥が振り返る。


「この子の名前ね、決めた。キンモクにする……。金木犀のキンモク」

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