第8話 商店街と地域野良猫①
今は昔。
商店街は歩けば餌をくれる野良猫の楽園だった。
けれど餌やり禁止に不妊手術に去勢。
人間の断固として野良猫の繁殖を許さない取り決めにより、楽園は崩壊したのだ。
この商店街は昼に空いている店が少ない。
俗にいうシャッター街と呼ばれるような寂れ方ではない。
ビジネス街が近く、年々夜から開くお店が多くなってきているのだとか。
そのようなことを今さっき案内役の地域猫から説明された。
人間に捕まり大事な物を失った耳欠けの桜猫だ。
吾輩のような世間知らずの家猫が、縄張りから遠く離れた商店街に許可なく踏み入ったのだ。
地域猫が派遣されて、この地域のヌシに顔見せの挨拶を促されるのも当然であろう。
この桜猫はただの案内役ではない。
監視役も兼ねている。
いきなり攻撃されないだけ理性的で穏当な対応である。
猫社会は縦や横の関係に厳しいのだ。
『汚え路地だけど入るのが嫌だとか言わねえよな。小綺麗な嬢ちゃん』
『そんなことは言わぬ。けれど路地裏の裏町とやらは確かに汚くて我輩の趣味には合わぬな』
『ふっ……正直なこった』
『けれど陽の光の当たり方や穏やかに抜けていく風は心地よい。軒下や屋根の上で昼寝するのは心地良かろう』
『嬢ちゃんのくせにわかった口を聞きやがる。悪くねえ返しだ。そろそろトラさんのところに着くぜ。足元に気いつけな』
促されるまま短い石階段を登る。
登った先は草が生い茂った寂れた神社だった。
その賽銭箱のこの地域の主はいた。
品種はおそらく雑種。
猫にとって人間が決めた分類など些細なことだが、それでも自分と近しいかの判断材料にはなる。
この地域の主は吾輩と同じメインクーンの血が入っているのかもしれない。
歳を重ねたでっぶりとした体躯。
獅子の鬣を彷彿とさせる茶色い長毛。
全てを見透かすような鋭い眼光。
さすが地域のヌシである。
その貫禄に吾輩も自然と頭を垂れた。
『ピエールよご苦労だった』
『ピエール!?』
『フロイラインの案内役は野良猫紳士の誉れ。苦労どころか褒美ですぜトラさん』
『江戸っ子ではなく野良猫紳士!?』
吾輩の驚愕を無視して野良猫紳士ピエールは颯爽と去っていった。
貫禄のある髭だと思っていたが、まさか紳士だった。
口調はともかくその後ろ姿には品があり、ピエールと言われればピエールな感じがする。
商店街の地域猫侮り難し。
『さてよくぞ参った雪見大福よ。まずは歓迎しよう』
『吾輩の名前を知っておいでかトラ殿』
『トラさんでよい。フーテンのトラジロウ呼びもポイントが高いが、やはりトラさんと呼ばれるのがしっくりくる』
『ではトラさんと』
『うむ。してワシが主の名前を知っていたのは、つい先ほどまで猫神殿にいたからだ』
猫神殿は日本中の猫が王に会うため訪れる場所だ。
遠く離れた場所で暮らしていても、猫は猫神殿ではつながっている。
故に猫神殿でお立ち台に上がれば名前を知られていてもおかしくはない。
『つまりあのプレゼンの聴衆の中にいたのであるか?』
『ワシは暇だからな。この時期は憎きカラス共も山から降りて来ぬし、人間の手により世話せねば生き残れぬ野良の子猫は格段に減った。最近は猫神殿に入り浸っておるよ。お主がこの街に来たのも猫婚とやらの関係だろう』
『そうである。飼い主のニャコの職場がこの辺りにあるのでな』
『ふむ。猫の王の勅令じゃし好きにせよ。この辺りの地域猫にはワシから一切邪魔せぬよう言い聞かせておく』
『ありがたい』
『ただ一切協力もせぬがな』
穏やかな口調。
けれど言葉にトゲがあった。
これはトラさんからよく思われていない。
……いや違う。トラさんは地域猫を邪魔しないように抑えると言った。
吾輩が地域猫の反感を買っているため警告してくれているのだ。
案内猫のピエールに敵意がなかったから気づかなかった。
おそらくピエールは名乗り通りの紳士なのだ。
信用されているから吾輩の案内猫を任されたのであろう。
最初から地域猫の協力が得られるとは思っていない。
けれど嫌われているとなると意味が異なってくる。
縄張り荒らし認定されて警戒されたにしては対応が早い。
しかし一体なぜ?
『なぜ悪く思われているのかわからないか?』
『う……うむ』
『ではあのプレゼンで多くの猫が途中で寝てしまった。その理由はわかるか?』
『それは吾輩の説明が難解で理解できなかったから』
『つまり理解できない方が悪いと?』
そのように取られてしまうのか。
吾輩は慌てて否定する。
『違うのである。吾輩がわかりやすく伝えることができなかった。全ては吾輩の未熟さのせいである』
『自分の非を認められる殊勝さは褒めよう。けれど視野が狭い。どれだけわかりやすく明瞭に説明できていたとしても、あのプレゼンでは聴衆猫の反応は変わらなかったであろう。お主の答えは見当違いじゃ』
『見当違い?』
『猫神殿にワシのような野良猫も多くいる。半分以上が野良であろう。さてお主がプレゼンした猫婚は野良猫に関係あるのかの?』
『あっ』
吾輩は大きく目を見開いた。
人間の慣用句で目から鱗が落ちたというやつだ。
存在しない鱗がどうやって目から落ちるのか興味深いが、おそらく人間の目にはどこかに鱗が隠れているのだろう。
人体の神秘である。
『猫婚は家猫にしか関係ない。しかも未婚の飼い主を持つ家猫のみ』
『さよう。どんな猫も自分と関係ない話題には乗らぬ。それなのにわぁーわぁーと大々的に騒がれれば反感も買う』
『……それはよくわかる』
吾輩がブラックサンダーと喧嘩したのもそのような理由であった。
自分と関わることがない話題で話しかけられてもウザいだけである。
『猫は基本的に話を聞かん。自分と関係ない話はなおさら聞かん。そして周りの猫が聞かないのであれば、話の内容が自分と関係あっても聞かん』
『つまり吾輩のプレゼンは誰にも届かなかったのか』
吾輩は真剣に猫婚を推進したいわけではなかった。
他の猫を焚きつけて、そういう空気を醸成できればいいと思っただけ。
今動いているのも猫の王の勅令だからだ。
プレゼンが失敗だったとしても気にする必要はない。
そのはずなのにやはり虚しさは隠せない。
『なに言っておる。少なくとも二匹には確実に届いていたであろう。お主の目の前で真剣に聞いておったのを覚えてないのか?』
『二匹? ブラックサンダーとキャラメルマキアートのことか。しかし奴らは吾輩の友達で』
『友達けっこう。それでいいのじゃよ。あの二匹がいたから、その周りにはそれなり聴衆猫がいたであろう。熱心に聞く猫がいれば興味を持つ猫も出てくる』
『……うむ』
思い返せばブラックサンダーとキャラメルマキアートの周りの猫は寝ていなかった。
だから吾輩も最後までプレゼンできたのだ。
友は大事にせねばならぬな。
『昔から言われているが大事なのは「なにを言ったか」ではなく「誰が言ったか」じゃ』
『大事なのは誰が言ったか』
『崇高な理念や筋の通った説明は大事じゃ。考えなしのバカに従おうとは誰も思わん。けれど理屈だけでは誰も興味を持たん』
『であるな』
『賢いバカになれ雪見大福よ。政治とはまつりごと。つまりお祭りじゃ。猫を動かしたければお主があとについて行きたいと思わせる神輿にならねばならぬ』
『そうか……吾輩は賢いバカの神輿に……んっ!? 吾輩は別に政治がやりたいわけではないが!』
トラさんの雰囲気と含蓄ある言葉に呑まれて、流されかけた。
しかし吾輩は政治家を目指しているわけではなかった。
いつの間にそんな話になったのだ。
驚くべきはトラさんの話術か。
『ちっ……気づきおったか』
『トラさん今器用に舌打ちしなかったか!?』
『無駄に偉ぶった演出したのに無駄になったわい。ちょいと失礼。あーどっこいしょ』
トラさんは賽銭箱の上でどでんと仰向けになった。
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カクヨムコン10
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