第2話 吾輩と飼い主ニャコの出会い

 吾輩とニャコが住む建物は『プリンセスマンション』と呼ばれるレディースマンションらしい。

 都内十階建て。

 メス限定の住まいだ。

 当然ながら吾輩もメスである。


 一階はエントランスと中庭。

 二階には住人専用のジムや多目的スタジオ。

 三階から人間が住む場所となる。


 たまにニャコもジムとやらに走りに行っている。

 けれど長続きせず習慣化には失敗していた。

 その度に「今度こそ!」と意気込んでいる。

 どうせ次も失敗するだろう。

 けれど何度も挑戦しようとする涙ぐましい努力を飼い猫として認めてやっている。

 部屋の狭さの割に家賃とやらはかなり高いらしい。


『でもレディースだし、ペット可だし、プリンセスだし』


 などとニャコがわびしい晩御飯を前に、現実から目を背けていた。

 物欲しそうだったので吾輩のご飯をわけてあげたこともある。

 あまり美味しそうな顔をしなかった。

 ニャコは吾輩やらプリンセスやら氷帝やら、無闇矢鱈と高貴なモノに憧れを抱く傾向にあるのに味音痴かもしれない。

 ちゅーとろの美味しさがわからないとは人間は不憫である。


 飛び出した窓から左手。

 誰もいないマンションの廊下を歩くと、両開きの重厚な金属の門が現れる。

 えれべーたーと呼ばれるカラクリだ。

 吾輩はジャンプして、猫パンチで下矢印ボタンを光らせる。

 すると光っていた『1』が消えて『2』が光った。

 このまま待っていれば吾輩とニャコが住む『5』の位置が光り、ドアが開くのだ。


 そう思っていたら『5』で開かず『6』に進んでしまった。

 通り過ぎてしまった。

 そのまま光は最上階の『10』まで光っていく。

 下矢印の光はついたままだ。

 えれべーたーと呼ばれる人間のカラクリには、こうした理不尽な挙動をすることがある。

 どうもタイミングとやらが悪いらしい。

 以前ニャコがえれべーたーの前でそんなことを悲しげに呟いていた記憶がある。


 十階には吾輩の知り合いが住んでいる。

 奴とは現在絶賛喧嘩中だ。

 乗っていたら華麗にスルーすることにしよう。


 これほど吾輩が人間について博識なのは賢猫だから。

 ……ではない。

 ニャコの出会いが最悪だったからだ。


 警戒心マックス。

 ニャコが飼い主となった当初はいつでも逃げられるように備えていた。

 ペットショップとやらからこのマンションに連れ去られる間も、ケージの中から人間の行動をつぶさに眺めていた結果である。

 幸いなことに全ては杞憂に終わったが。


 (◯◯) (◯◯) (◯◯)


 ニャコとの出会いの日は嵐だった。


 吾輩の世話係だったペットショップの店員も「あんな予報だと、台風が大したことなくてもお客さんは来ないよね」と暇そうだったことを覚えている。

 本当はもっと暴風雨が吹き荒れる強い嵐のはずで、店長と呼ばれる人間が前日に店を開くか迷っていたのを記憶している。

 けれど当日は小雨がぱらつき少し風が強い程度にとどまったのだとか。

 なんにせよ店内に人間の姿は少なかった。

 開店休業中ともいう。


 がらんとした店内。

 まだ身体が小さく子猫風情を醸し出していた吾輩はいつものように白いお椀で丸まっていた。

 レンジでチンが可能な多用茶碗という寝床だ。

 身体がすっぽり収まるジャストフィットな寝心地なうえに、レンジでチンなど様々な機能を持っているらしい。


 寝床として素晴らしい一品だ。

 このような寝床を売っている百均とやらはさぞかし高級な猫用寝具店だろう。

 ニャコと共に生活するようになり、身体が大きくなった現在も、メイドイン百均製の白い寝床を愛用している。

 サラダボウルというらしい。


 いつものように愛用の寝床で丸まっていた吾輩の前で、その日もまた一人の人間が足を止めた。

 当時から吾輩のケージに吸い寄せられる人間は多くいた。

 店内に人が少なかろうと吾輩の魅力は健在だ。

 珍しいことではない。

 どうせ「わぁー可愛い」などと猫なで声を発するのだろう。

 高貴な猫を撫でたいときに人間が発する声を猫なで声というのだ。

 当時から博識だった吾輩は人間の生態についても詳しい。

 いつものように人間の気が済むまで寝た振りをしておこうと決めていた。

 たまにもぞもぞ動くことをふぁんさという。


 けれどその日は違った。

 ニャコは違ったのだ。

 スーツ姿に少し疲れた表情の人間のメス。

 このペットショップでは珍しくもないその他大勢の風情である。

 そのはすだったのに。


「雪見大福……食べたい」


 その一言で吾輩は己が存在を雪見大福だと認識した。


 向けられたのは純然たる食欲。

 生命の危機である。

 吾輩はニャコと戦うべく飛び上がり、必死で自慢の猫パンチを繰り出した。

 連続で放ち続けた。

 全てケージの透明な壁に阻まれたが、この人間だけは今ここで倒さねばならぬと抗い続けた。


「可愛い」


「この子がこんなに懐くなんて珍しいですね。普段は大人しい子なのに」


「そうなんですか?」


「みゃーっ! みゃーっ!」


 懐いてなどおらぬ!

 食べられる運命に抗っているのだ!

 必死に訴えかける。

 しかし人間とは意思疎通に難のある生き物である。


「どうなさいますか? いつもは本当にお椀の中でじっとしている子なんですよ」


「大人しい子なんですね。でもお高い。実は今日この近くに引っ越したばかりで余裕はあまりないんですけどね」


「そうなのですか。この子ほど綺麗な白色は珍しいですよ。それにまだ生まれて間もないから小さいからすぐに買い手はつくかも。ただメインクーンだから心配もあって」


「心配?」


「一年くらいですぐに大きくなるんです」


「そんなに大きくなるのですか?」


「メインクーンは猫の巨人とも呼ばれる品種ですからね。家猫の大きさでギネス記録を持っています」


「猫の巨人!」


 吾輩を育ててから食べるつもりか!?


「だから他の品種よりも食費などもかかりますし、長毛種ですから毛の処理も大変です。売る側と致しましても責任感ある飼い主様に飼っていただきたい品種ですね。こんなに懐いているならばお客様に買っていただきたい気持ちは大いにありますけれど」


「大変なんですね」


「やはり実際に飼うとなると、人気のスコティッシュフォールドなど小型の品種を選ぶ方が多いかと。あちらのケージにいますよ」


 ナイスだ店員!

 吾輩を食べようとするそやつを遠ざけるのだ!


「でも憧れだったんです。純白の長毛種の猫を飼うの。気品が溢れている感じがして。こんな子が側にいてくれたら私も理想に近づけるかなって」


 むっ?

 こやつ見る目があるではないか。

 吾輩を食おうとするところは気に食わんが見どころのあるぞ。


「わかります! 飼いやすい。可愛い。そういう理由で小型の品種に人気が集まるのは理解できます。けれど、どの品種の猫も個性がある。佇まいに趣きがあります。この子だから家に迎えたいという気持ちで向き合ってほしいのが本音ですね」


「ですよね!」


「特に成長したメインクーンの長い毛の巨体は高貴さに溢れてます!」


「本当にそう! そういう子を迎え入れるためにペット可のマンションに引っ越して、今日下見に来たんです!」


 スーツ姿のメスはケージの中の吾輩をじっと見つめてくる。

 発せられていた食欲は薄れ、捕食者の目はしていない。

 だが油断することはできない。

 吾輩を育ててから食べる方針転換したのかもしれないからだ。

 高貴な猫としてこの視線に負けてはならぬ。

 ねこパンチをやめて、じっと見つめ返す。

 しばし視線が交錯する。

 不思議と火花は飛ばず、穏やかな様子だった。


「本当は今日はただの下見のつもりだった。でもこれは運命の出会いだから」


 吾輩の鋭い眼力に圧されたのか、スーツ姿のメスがコテンと首を傾げて笑った。

 勝った!

 そのまま逃げるようにスーツ姿のメスは立ち上がり、店員に向けて宣言する。


「この子をください!」


「みゃっ!?」


「わかりました!」


「みゃっみゃっ!?」


 どうしてそうなるのだ!


 (◯●) (◯●) (◯●)


 これが吾輩とニャコの出会いだった。

 そのあと吾輩はいつでもニャコの魔の手から逃げられるように部屋の構造を熟知し、窓の開け方を学び、マンションの出入り方法を調べた。

 けれど逃げる準備が万端になった頃、吾輩の疑念が晴れる事件が起こる。


 ちゅーとろである。

 初ちゅーとろである。


 これほど美味しいモノを吾輩に与えるニャコが悪い飼い主であろうはずがない。

 吾輩を食べるくらいならばちゅーとろを食べる。

 聡明な頭脳で吾輩はそう判断したのだ。


 そうしてニャコに飼われる一年間。

 色々なことがあった。

 そんな過去を思い返していると、えれべーたーの光が『10』から『5』まで降りてきているではないか。

 のんびり待つのは得意である。

 えれべーたーの金属の扉が開く。


「えっ? 猫の出待ち!?」


 人間の先客がいた。


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カクヨムコン10

100%趣味で書かれた猫視点の猫小説です。

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