第4話

 スタジオハウスに戻った挽地は、陰鬱な声で波田に言った。

「いろいろ調べることがありますが、その前に、ゴム持ってませんか」

「はい? ありますよ!」

 波田は快活な笑顔で財布を探る。差し出されたのは、ラブポーションと書かれたピンク色の小さな正方形の袋だった。


「ヘアゴムです……」

「そっちか。すみませんけど、そっちはないですね」

「そうですか。まあいいや」

 挽地は肩にだらりと落ちた長い黒髪を払う。

「波田さんに頼みがあります。ここで撮られたAVを片っ端から検索してください。鈴江、この家を調べるよ。元の家主が置いていったものがないか探すんだ」



 言うが早いか、挽地は焦げたサンダルを鳴らして庭へと向かった。鈴江が慌てて後を追う。

「ひとに物を頼むときは理由を説明しましょうよ。呪いの元凶を探すんですか?」

「呪いがない照明を探すんだよ」


 枯れた芝生を踏み分けながら進むと、一箇所だけ楕円状に雑草が除去された盛土がある。

「ここが祠のあった場所でしょうか」

「違うと思うよ。本当に祟り神なら家の敷地なんかじゃなく、ちゃんとした神社を建てて祀るはずだ。鈴江も覚えがあるだろ?」

「確かに……この規模ならせいぜい商家がお稲荷さんを祀るくらいですね」

 挽地はサンダルの底で土を踏み締めて奥へと向かった。


 木造家屋の裏は資材置き場だった。

 木目の色を写した渋茶色の影の中に、壊れた照明器具や何かの撮影に使ったと思しき自転車などが積み上げられている。


 ガラクタの山に紛れるように、四脚の椅子が置かれていた。

「挽地さん、これ……」

「あの写真の椅子だね」

 鈴江は裏返った椅子の脚に触れる。ささくれだった木のスツールの裏には家具屋のシールが貼られていた。

「やっぱり四人家族だったんでしょうか」

「椅子が四脚あったとこで四人家族って証明にはならないよ。だいたいこういう家具は偶数のセットで売られるだろ」


 挽地は煙草に火をつけ、閑散とした庭木を見回す。

「鈴江、祠破壊ブームって知ってる?」

「何ですか、その罰当たりなブームは」

「実際に壊すんじゃないよ。SNSの流行でさ。ホラー映画や怪談の冒頭で、何かを封印している祠を馬鹿な若者が壊して祟られるって話ありそうだろ」

「具体例はパッと浮かびませんけど」

「そういう話をネタにした創作が一時期流行ったんだ。でも、ある事例を境に風向きが変わった。それが、段ボールで自作した祠を破壊してみせる動画だったんだ」

「段ボールの……」


 鈴江は屋敷の中で散乱する祠を幻視するように窓を見つめた。

「ただ話題にあげるのと違って、実体を破壊するのは不謹慎な感じがしますよね」

「ただの段ボールなのに? 誰にも迷惑をかけてないんだよ。虚構のものを破壊するのが問題なら、物語の中で破壊するのだって起こらなきゃおかしい」

「でも、形式だけとはいえ神を祀るものを作って壊したんですよ。祠に導かれて取り憑いた低級な霊の怒りに触れることも……」

「勘違いで招かれような馬鹿なら殴って追い返せばいいのさ」


 呆れて首を振る鈴江を横目に、挽地は煙を吐く。

「でも、鈴江の観点は正しい。人間は目に見えるものだと事の次第を大袈裟に捉えるんだ。呪いにはその思い込みを使う」

「何が言いたいんですか」

「スタジオハウスを呪物に変えたい人間にとって、あのパッケージの写真は好都合だったんだよ。三人家族なのに椅子が四脚ある。もうひとりいたんじゃないかって疑念を煽るんだ」


 鈴江は何か言いたげに俯いたが、すぐに顔を上げた。

「錯覚を打ち破るには確かな物証が必要ですね。不動産屋のツテを使って、この家の前の所有者を調べます」

「やっと俺たちの仕事のやり方がわかってきたね」

「私は挽地さんみたいな捻くれ者とは違いますよ。ただ、呪いからひとりでも多く救えるなら手段は選びません」

 挽地は肩を竦めた。


 ふと、紙が擦れ合うような音がした。振り返ると、資材置き場のガラクタに押し潰された、一枚の画用紙が風にそよいでいた。

 挽地はしばらく注視していたが、やがて踵を返した。



 家の中に入ると、畳の隅に女優の丈晴イズミが膝を抱えて座っていた。

 挽地は鈴江の肩を押す。

「イズミさんに状況説明しておいて。俺は家探しするから」

「面倒だからって押しつけないでくださいよ」


 鈴江は渋々イズミの隣に座る。

 帯川から聞いた話をかいつまんで語ると、イズミは表情を曇らせた。

「蛇に、首を吊った女の子ですか……」

「まだそうと決まった訳ではありません。我々が反証を見つけ出しますから」

 イズミは首の赤い痕に触れながら頷く。



 挽地は壊れた祠の残骸を押し退けながら、家中の襖を開けたり、柱を眺めたりと動き回っていた。

 鈴江は苦笑した。

「変なひとですよね、すみません」

「いえ、真剣に調べてくださって……そういえば、波田監督は何を?」

「挽地さんに言われてここで撮影したAVを片っ端から調べているとか。訳のわからないことさせますよね」

「挽地さんは詳しくなさそうですもんね」

「わかります。そういう目的のものは観ないと思います。観たとしても、蛇がハムスターを丸呑みにする動画とかだと思います」


 挽地が背を向けたまま言う。

「鈴江、訴訟起こすよ」

「聞こえてたんですか。すみません……」

 イズミは口元を押さえて小さく笑った。



 挽地は柱と壁の僅かな隙間に身体を割り込ませ、腕だけ伸ばして手招きした。

「あったよ。鈴江、おいで」

「何してるんですかまったく……」

 鈴江が近寄ると、挽地は極限まで身を反らして空間を作る。

「見てごらん」


 太い木の表面にはカッターナイフで切り付けたような傷と掠れたマジックペンの文字が残っていた。

「モモカ、平成二十六年……身長を測ってるんでしょうか」

「そうだ。書かれてる名前はひとり分しかない。姉妹ならもうひとりの名前がなきゃおかしい」

「じゃあ、本当に三人家族だったんですね?」

「たぶん」


 ちょうど、廊下から波田が顔を覗かせた。

「リストアップできましたよ。ここで撮られたAV全部!」

「助かります」

 挽地はずるりと這い出し、木屑を髪に乗せたまま波田のスマートフォンを見つめた。

「スクロールしていいですか?」

「どうぞ」


 挽地の指が素早く画面をなぞり、胡乱なパッケージが次々と左右に流れる。 一枚の写真を見て、挽地は指を止めた。

「これだ」

 彼はスマートフォンを奪い取り、画面を掲げる。

「皆さん、見てください。この『緊縛愛好倶楽部、豊満未亡人の熟肉に食い込む赤縄』を」

「タイトルは読み上げなくていいですよ」


 鈴江がうんざりした顔で画面を覗く。

 写真には赤い縄でこの和室の中央に吊るされた喪服姿の女が写っていた。

「何で見せたんですか。セクハラですか?」

「違うよ。彼女が吊るされてる縄はどこにかかってる」


 鈴江は視線を上げた。

 太い天井の梁の中央、擦ったような黒い痕がある。

「これ……」

「そう。これは撮影時についた痕だ。豊満っていうくらいだから、彼女はそれなりの体重があるはずだ。重みに耐えかねて縄が擦れたんだよ」


 蹲っていたイズミが目を輝かせた。

「首吊りの痕じゃないんですね?」

「その通りだ。家中を見て回ったけど、他に首を吊れる場所はない。洋式の家ならドアノブにタオルをかければできるけど、ここは全部和室で襖しかなかった」

 挽地は廊下の隅を指す。

「唯一トイレはドアノブがあったけど、廊下が狭すぎて、あそこで首を吊ったら自分の身体が邪魔になって死ねない」

「じゃあ、ここで首を吊ったひとは……」

「いないってことだ。これで証明されたね。呪いはでっち上げだ」

 安堵の溜息が全員から漏れた。



 玄関まで挽地と鈴江を見送りに来たイズミが、深々と腰を折った。

「おふたりとも本当にありがとうございました」

 鈴江は元気よく拳を握る。

「我々の仕事ですから。また困ったことがあったら相談してください」

「あとは帯川をもうちょっと締め上げないとね」

「挽地さん、よしてください」

「そういえば、波田さんは?」


 イズミは目を泳がせた。

「それが……まだ仕事があるみたいで」

「撮影は終わったのに?」

「はい。『形があるならそういうことにしないと、辻褄が合わないんじゃないか』とか呟いてました」

 挽地が眉を顰める。



 そのとき、屋敷を揺らすような轟音が響いた。

 襖が倒れる音、紙が裂ける音。

 少し遅れて、縄の軋む音が聞こえた。

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