第3話
鈴江は息を切らせて山道を登りながら、少し後ろを歩く挽地を睨んだ。
「スマホばっか弄ってないでちゃんと歩いてくださいよ。さっきから何見てるんですか」
挽地は煙草を歯に挟んだまま答える。
「AVのサイト」
「一回死んでください」
「あのスタジオハウスを使って撮られたものがないか調べてるんだよ。他の撮影者が無事なら呪いが嘘だって証拠になるだろ」
鈴江は不満げに息を吐く。
「確かにそうですけど……収穫はあったんですか?」
「これかな。淫乱美女三人家族の不埒な日常」
「タイトルは読み上げなくていいですから」
「これ、見てごらん」
嫌々薄目を開けて眺める鈴江に、挽地はパッケージの背景を指し示す。
「この庭、三人家族なのに椅子が四脚ある」
「だから何ですか」
「三人家族なのに椅子が四脚あるなって……」
「知りませんよ。住民が置いて行ったものじゃないですか? それよりイズミさんが言ってたひとを探さないと!」
「そうだね」
そう言うと、挽地は吸殻を茂みに放り投げた。
「ちょっと、何してるんですか! 山火事になりますよ!」
「火は消えてるよ」
「そうじゃなくてもマナー違反ですよ!」
「これはね、でっち上げの神域を穢してるんだ」
怪訝に眉を顰める鈴江に、挽地は虚な微笑を返す。
「よく悪霊でも一旦神として招き入れるお祓いがあるけどね。あんなのは馬鹿な悪ガキをつけ上がらせるだけだ。『お前如き脅威でも何でもない』って示すのが大事なんだよ」
「でも、祟りが起こってるのはあのスタジオハウスですよ? 山道は関係ないんじゃ……」
しゅるりと、帯を解くような音がした。
茂みの下から、西陣織の錦に似た光沢の細長いものが忍び出してくる。一匹の蛇だった。
粘質な光を帯びた頭部から舌をちらつかせる。ヘビは挽地が捨てたばかりの吸殻を咥えていた。
ふたりは同時期に息を呑む。
背後から足音が響き、次いで間伸びした男の声が響いた。
「あーあ、駄目だよ。お兄さん、ポイ捨てなんてしたら」
挽地が咄嗟に振り返る。険しい傾斜の山道に、顎に無精髭を生やした三十代ほど男が立っていた。
花札を散りばめた派手な赤いシャツ、蛇のようにうねった髪。黒い煙草を歯に挟んでいた。
一目でイズミが言った例の男だとわかる。
目を細める挽地に対して、男はポケットから携帯灰皿を取り出した。
「山火事になっちゃうからね。そうじゃなくても、こんな田舎だと悪い噂はすぐ広まるから。居づらくなっちゃうでしょ?」
蛇がしゅるりと茂みに逃げ込んだ。男は挽地が捨てた吸殻を携帯灰皿に放り込む。挽地は男から目を離さず会釈した。
鈴江が囁く。
「このひとって……」
挽地が答えるより早く、男が言った。
「ふたりとも、この辺のひとじゃないでしょ」
鈴江が頰を強張らせる。
「わかるんですね」
「そりゃこんな美人が村に来たら一瞬で覚えるはずだからね。でも、そっちのお兄さんは見たことあるなあ」
「貞子ですか、円山応挙の幽霊ですか」
無表情に応える挽地に、男は軽薄な笑みを浮かべた。
「僕は
「撮影スタッフです。あのスタジオハウスを使ってます」
「ああ、お兄さんたちもあそこに……」
「悪いことは言わない。やめた方がいいよ」
「あそこに何かがあるんですか?」
帯川は芝居がかった仕草で目を丸め、表情を曇らせた。
「何も知らずに買っちゃったひとは気の毒だけどね。あの家は村の人間なら近づかない、危ないところなんだよ」
「以前は三人家族が普通に暮らしていたと聞きましたが」
「三人じゃない、四人だったんだよ」
鈴江が驚きの声を上げる。
「……挽地さん、さっきパッケージの写真に椅子が四脚あるって言ってましたよね」
挽地は答えず、帯川を見つめたまま尋ねた。
「その四人目はどうしたんですか」
「あんまり言いふらすようなことじゃないんだけどね。亡くなったよ。自殺だ」
「自殺ですか」
「天井の梁に縄をかけて首を吊ったんだ。確か女子高生だったな。あの家の長女さんだよ」
スタジオハウスを横断する木の梁に染みついた、擦ったような黒い痕が蘇る。
帯川は煙草を咥え直し、携帯灰皿に長くなった灰を落とした。
「受験のストレスだってことになってるけど、村の人間なら知ってる。蛇の呪いだよ」
「蛇の呪い?」
「そう。あの家の土地には昔、地主さんが住んでたお屋敷があってね。村の水源を守る蛇神様の祠があったんだが、放蕩人の三代目が邪魔だって潰しちゃったんだ。そこから、あの家に住んだ人間は呪われるようになった」
「如何にもな話ですね」
「都会のひとは信じないだろうね。でも、本当だよ。あそこに住んだ人間は蛇みたいに這いずる女のひとの悪夢を見るようになって、首に縄に似た痕ができる。その痕をなぞるように自分で……」
帯川は首の周りに円を描く仕草をした。
鈴江は青ざめて挽地の袖を引いた。
「曰くがないなんて嘘だったじゃないですか。呪いですよ。祠を壊して祟られた家で同じことをするなんて……」
「鈴江、うるさいよ。霊媒師が先入観に捉われるもんじゃない」
挽地は早くも踵を返す。帯川が歩み寄った。
「もう帰るのかい?」
「お話をどうも。あとは自分で調べます。本当にそうなら告知義務があるはずですからね」
「そう……」
帯川が左手を伸ばした。紫煙が糸を引くように流れる。帯川の指先が挽地の髪に触れ、安いヘアゴムが弾けた。黒い髪がだらりと肩に落ちた。
「やっぱり見覚えがあると思った。髪を下ろしてるとお母さんそっくりだ」
挽地は不快そうに睨む。
「俺の母親は登山の趣味なんてなかったよ。こんなところには来ない」
「仕事ならどこでも行っただろう? どんな山奥の最果ての村でも、呪われたひとがいれば駆けつけた。あんなに綺麗でいいひとの最後があれとは……」
帯川は目を細めた。逆光で暗く翳る瞳が底なし沼のように黒かった。
帯川が去り、落ち葉を踏み締める音だけが響いた。
鈴江はやっと口を開く。
「挽地さんのお母さんって……」
「さあね」
挽地は素早く煙草に火をつけ、一口も吸わずに足元に捨てる。サンダルで吸殻を踏むと、真新しい火がビニールを焼く焦げくさい匂いが漂った。
「よくわかった。あのクソ野郎が元凶で間違いない。後はでっち上げの呪いを解体するだけだ」
溶けたサンダルが黒く変色するのも構わず、挽地は吸殻をすりつぶし続けた。
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