第2話

 辿り着いたのは、枯れた生垣が生い茂る古風な日本家屋だった。

 豪邸というには簡素だが、都会では考えられないほど広々とした庭がある。


 撮影所として買い取る際に改装したのか、屋根も壁も綺麗に塗り直されていた。

 自然に触れながらゆったりと子育てをしたい裕福な家族が移住するのに相応しい家屋だと、鈴江は思う。


「綺麗な家ですけど、AVの撮影場所なんですね……」

 挽地は怪訝な顔で庭先を眺めた。

「挽地さん、どうしたんですか?」

「庭の奥、一部だけ草が生えてない」

 挽地の指した先、雑草の繁る庭の一部が丸く切り取ったように土で覆われていた。

「何か埋めたんでしょうか……」

「井戸かもしれないな。誰か落ちたら危ないから埋めたんだろうね」



 挽地が目を逸らしたとき、ちょうど家の引き戸が開いた。

 雲と雁が彫り抜かれた磨りガラスが退き、現れたのは、和風の家に相応しくない男だった。

 日に焼けたプロレスラーのような体躯の中年だ。冬もほど近いというのに半袖のTシャツで、首にタオルを巻いている。


 男は身構える鈴江に対して、快活な笑顔を浮かべて会釈した。

「どうも、遠くから来てもらっちゃってすみません。自分は監督の波田はだです」

 鈴江が慌てて腰を折った。

「霊媒師の鈴江 りんです」

「挽地 久一きゅういちです。霊媒師じゃなく呪い屋ですが」

「余計なこと言わないでください!」


 波田は困ったように眉を下げる。

「呪いですか。いやあ、そういうの信じてなかったんですけどね。こうなったらもう……」

 鈴江は小さく息を呑んだ。波田がタオルを解くと、首筋にくっきりと縄で絞めたような痕が浮かんでいた。



 石の玄関で靴を脱ぎ、樟脳の匂いがする廊下に上がる。どろりとした黄色の照明がニスの剥げた床板を照らした。


 鈴江はぴったりと閉ざされた襖の数々を見回しながら、前を歩く波田に言った。


「この家に元々住んでたのはどんな方だったかご存知ですか? 不審死や自殺があったりとか」

「いや、全然。普通の三人家族だったそうですよ。娘さんの花粉症がひどくなって引っ越したらしいです。ほら、この辺り杉の木が多いでしょ」

「確かに、花粉症なら辛そうですね。では、撮影現場になってからは?」

「何の問題もありませんよ。今この業界は厳しいですから、女優さんもみんな同意の上で、そこらのブラック企業よりクリーンです」


 挽地はスマートフォンを弄りながら問いかけた。

「ここではどういったものを撮影していたんですか」

「挽地さん、それ聞く意味ありますか」

 波田が苦笑する。

「男なら気になりますよね。だいたいSMとか、熟女ものとか義母とかですね。普通の家で撮るより雰囲気出るでしょう?」

「わざわざこういう家を借りるのはよくあることなんですか」

「だいたいは東京の撮影所で済ませますけど、未だに需要はありますよ。田舎だと周りに音も漏れないし、大型車を停めやすいから機材の搬入も楽ですしね」

「なるほど」

 挽地は素早くスマートフォンに何かを打ち込んだ。



 波田は廊下の最奥で足を止めた。

「イズミちゃん、開けて大丈夫?」

「どうぞ」と、女の弱々しい声が返った。波田は襖を押し開く。


 畳張りの部屋には、異様な光景が広がっていた。

 タートルネックのワンピースを纏った茶髪の若い女が隅に座っている。そこしか座る場所がないからだ。


 畳の上には、完膚なきまでに叩き壊された祠の残骸が散らばっていた。千切れた注連縄が蛇のように横たわり、無数の板が転がっている。


 鈴江は蒼白な顔で祠に駆け寄った。

「何てことを……」

 挽地は平然と首を振る。

「よく見なよ。段ボールだ」

「え?」


 鈴江は屈み込んで無惨に壊された祠の材質を確かめる。木板に見えたものは絵の具で着色した段ボールだった。薄らとスポーツ飲料の広告が透けて見える。


 挽地も隣に並んで注連縄を摘み上げた。

「ティッシュペーパーかな。上手く作ったもんだね」


 波田は曖昧に頷いた。

「美大中退のスタッフが自作した、段ボールの祠ですよ。撮影前に急拵えしたものです」


 鈴江は愕然としながら唇を震わせた。

「でも、何でわざわざ……」

「そういう内容だったんですよね。女子高生がバイトで助勤巫女をやってたら祠を壊しちゃって、神様を鎮める儀式として、その、まあ、村人とそういうことをするっていう……」


 鈴江は明らかに軽蔑の色を浮かべる。波田は取り成すように笑ってから、隅に座る女を示した。

「こっちが女優の丈晴たけはるイズミちゃんです」


 イズミが会釈する。髪を染めて化粧を変えたせいか、別人のようだったが、あどけない顔と大きな瞳は確かに写真の中の巫女と同じだった。

「今売り出し中で結構人気なんですよ。お兄さんなら知ってます?」

「すみません。知りません」


 挽地は淡々と返し、イズミの元に向かった。無遠慮に顔と身体を観察する。イズミが後退ると鈴江が挽地の後頭部を叩いた。

「そういうのよくないですよ」

「勘違いするなよ」


 挽地は後頭部を押さえながら身を退いた。

「丈晴さん、最近寝てないでしょう」

「わかるんですか……?」

「写真ではそんなに化粧してなかったですよね。肌荒れと目の下のクマを隠すためじゃないですか。服もサイズが合ってない。急に痩せたのかな」


 イズミが表情を曇らせる。

「撮影が終わってから、夢を見るんです……」

「夢?」

「この部屋で、女のひとが壊れた祠の周りを蛇みたいに這ってるんです。私に近づいて、恨めしそうな顔で睨みつけて……」

「蛇ですか……」


 顔を強ばらせる鈴江を余所に、挽地はそっけなく返した。

「思い込みだから寝た方がいいですよ」

「挽地さん、他人に寄り添うってことしないんですか?」

「しない。思い込みを助長するのは本人のためにならないから」


 挽地は波田を見上げた。

「丑の刻参り、知ってますか?」

「ああ、頭に蝋燭つけて藁人形に釘を打って、呪いたい相手に見つからないように……っていう」

「半分正解です。丑の刻は呪いたい相手に見つかって初めて効果があるんですよ。呪われてると思い込ませ、偶然の不幸を呪いの効果だと勘違いさせて疲弊させる。そういうものです」


 イズミがおずおずと呟いた。

「じゃあ、どうすればいんですか?」

「病院に行ってください。大きめの。効果ありますよ。俺の友人が昔、妻子が悪霊に取り憑かれておかしくなったっていうんで病院に連れて行ったんです」

「どうなりましたか?」

「そもそも独身だったと判明しました」

「予想してなかった角度の怖い話になりましたね……」

 イズミはやつれた頬にやっと笑みを浮かべた。



 鈴江は困惑気味に部屋を見回した。

「でも、呪いが思い込みなら波田さんたちがこんな目に遭うのはおかしくないですか?」

「何が?」

「だって、AVの撮影で全部でっち上げだってわかってるんですよね? だったら、呪われるって思い込む訳ないでしょう」

「それはそうだね。誰かに何か言われたりした?」


 波田は言いづらそうに唇を舐めた。

「それが……発売前のサンプル動画に変なコメントが付いたんですよね」

「変なコメント、ですか」


 波田はタブレットを傾け、鈴江に謝ってからスクリーンショットを見せた。

「動画は削除したんですが……」


 挽地は画面に顔を近づける。

「制服女子の受難:淫蕩に溺れる助勤巫女ですか」

「読み上げなくていいです」

「制服女子って何ですか」

「今はコンプライアンスがうるさいんで、女子高生って書けないんですよ」

「殺生できない僧侶がマグロを赤豆腐と隠語で呼んだようなものですね。呪術的だ」

「それはいいんで……」


 波田が見せたのは、SNSにアップした動画についた一件のリプライだった。白い画面に簡潔な文字でこう書かれていた。


 "注連縄までつけちゃったなら終わりだな。呼び込んだ上に壊したんだから全員危ないかもしれない"


 鈴江は眉間に皺を寄せる。

「挽地さん、これ祠のことでしょうか」

「そうだね。典型的な詐欺師のやり方だな。罪悪感に漬け込んで不安を煽るだけ煽って、紛い物を本当だと思い込ませる」



 イズミの細い声が割り込んだ。

「それだけじゃないんです……」

 彼女は膝を抱えて項垂れた。

「撮影の後、ここの村のひとに遭遇して、そのとき言われたんです」

「何て?」

「『君たち、何かマズいことした?』って……無精髭を生やした三十代くらいの男のひとでした。派手なシャツで、若い頃は遊んでた感じの。田舎には珍しいなって思って覚えてたんです」


 鈴江は挽地と視線を交わす。

「どう思いますか?」

「まずはそいつを探しに行こう。家のことは後でいいや」

「家のことって?」


 挽地は天井の梁を指さす。

 和室を横断する太い木の梁の中央には、縄で何度も擦ったような黒い痕があった。

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祠に金槌、蛇に釘 木古おうみ @kipplemaker

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