祠に金槌、蛇に釘

木古おうみ

第1話

 時速八十キロメートルの巨大な鉄の塊が、木造の祠を粉砕した。


 乾いた木板がウェハースのように舞い散り、中から飛び出した日本人形が車輪に踏みしだかれて消える。

 東京メトロ東西線は、鼻先に注連縄を絡みつかせたまま駆け去った。


 生温かい風が吹く地下鉄のホームに立ち尽くし、鈴江すずえは溜息を吐いた。

 点字ブロックを汚す黒い水溜まりに反射する彼女の姿は、残業を終えたばかりの会社員に見える。

 たった今、呪物をホームに放り投げて破壊させた霊媒師だとは誰も思わないだろう。


 鈴江はスマートフォンを耳に押し当てた。

挽地ひきじさん、終わりましたよ」

 通話口から葬式を終えたばかりのような男の暗い声が返る。

「どうだった?」

「木っ端微塵ですよ。後で何かあっても知りませんからね」

「よくやったね。大丈夫、終電後にメトロの職員が回収してくれることになってるから」

「そうじゃなくて、祟りですよ。中から日本人形が飛び出したんですよ」


 男は陰鬱な声のまま笑った。

「祟りなんかないよ。あの祠を作って日本人形を突っ込んだのは、引きこもりの中年女だ」

「じゃあ、祠を撤去しようとした人々が七人も死んだのも祟りじゃないって言うんですか」

「言う。あんなのは人間の思い込みだよ」

「だからって、地下鉄に壊させますか普通。人間じゃないならいいってもんじゃないですよ」

「これで、東西線が廃線になったら少しは信じてやってもいいけどね」

 鈴江は疲れ果てた顔で首を振る。


「鈴江、悪いけどまた仕事だよ。早く帰っておいで」

「今度は何ですか」

「詳しく言うとセクハラになりそうだから言わない」

「そんな仕事持ってこないでくださいよ……」

 電話が切れる。鈴江は踵を返す前に、暗いホームの底を一瞥した。

 錆びついた日本人形の首が電光掲示板を見上げていた。



 ***



 無限に続いているような急な傾斜の山道を、傷だらけの白いバンが駆け上がっていた。

 左右の道路から枯木の枝葉が伸び、天蓋のように道を覆っていた。


 ハンドルを握る鈴江は助手席に座る男、挽地を盗み見る。

 百円ショップのヘアゴムで纏めた黒く長い髪が風に靡いていた。死人のように白い顔にはいくつもの黒子が散っている。女性的というより、江戸時代の幽霊画のようだと思う。

 安物の喪服のスーツの下は、古い旅館の厠に置かれるような茶色のサンダルだった。


 挽地が暗い声で呟く。

「この道、キューブリックの映画の出だしみたいだね。何だっけ」

「シャイニングでしょう。これから除霊に行くのにホラー映画の話しないでくださいよ」

「験担ぎなんてやめなよ。初詣帰りの家族が交通事故で全滅なんてよくある話だ。無駄なんだよ」

「本当に捻くれ者ですね」

「事実を述べてるんだからむしろ真っ直ぐだ」


 鈴江は呆れた顔で運転席の窓を少し下げた。

「呪いも幽霊も信じない呪霊媒師なんて挽地さんくらいですよ」

「由緒正しい神主の家系の鈴江はそう思うかもしれないけど、いないんだから仕方ない」


 挽地は落石注意の道路標識を睨む。

「昔は幽霊といえば死装束だったのに、リングが公開されてから白いワンピースが定番になった。落武者や日本兵の怪談はあるのに原始人の幽霊は誰も見たことがない。所詮、想像力の産物だよ」


 バンがカーブを切ると、エンジンから悲鳴のような音が漏れた。枯木の合間から、錆びた赤い鳥居が覗く。山の上に神社があるらしい。


 挽地は煙草を取り出かけたが、鈴江の鋭い視線を受けて箱を胸ポケットに戻した。

「呪いなんてのは信じる奴にだけ通じる茶番だ。恋愛シミュレーションゲームのキャラクターを嫁だと言い張るのと同じだよ。だから、俺は冒涜することにしてる」

「冒涜、ですか」

「そうだよ。カルトの話は真面目に聞いた時点で負けなんだ。非実在の祟りに惑わされないコツは、相手の文脈に乗らないこと」


 鈴江は空のティッシュ箱や数年前の雑誌が転がる足元を見る。

「だから、まともな靴を履かないんですか」

「そう。喪服に革靴なんてちゃんと死者を弔ってるみたいだろ」

「でも、便所サンダルはやめましょうよ。マキシマム・ザ・ホルモンのボーカルじゃないんですから」

「これはギョサンだよ。知らない? 漁師が履くやつ。丈夫なんだ」

「どっちでもいいですよ。私の懸念は霊だけじゃなく依頼人も冒涜してると思われることです。今回は巫女さんからの依頼なんでしょう?」

「違うよ?」



 鈴江は裏返った声を上げて、ブレーキを踏んだ。

 前につんのめったバンが大きく揺れ、挽地が窓ガラスに額を打ち付ける。

「マナーよりも道交法を守ってくれよ」

「そんなことより、巫女さんじゃないってどういうことですか? だから、神主の娘の私を連れて来たんじゃないんですか?」


 鈴江は鞄からタブレットを出し、表示された写真を素早くスライドした。画面に現れたのは、古びた畳張りの和室で微笑む若い女だった。

 巫女装束は肌が透けるほど薄く、艶のある黒髪との対比で眩しかった。


「じゃあ、この写真誰なんですか?」

「女優。それね、AVのパッケージになる予定だった写真だよ」

「AV!?」

 鈴江が目を剥く。

「だから、依頼内容を教えたらセクハラになるかもとか呟いてたんですか?」

「正直に言ったら来てくれないと思ったから……」

 挽地は額を押さえながら顔を背けた。



 鈴江はバンが揺れるほどの大きな溜息を吐き、アクセルを踏んだ。ハンドルが回り、白いバンが悲痛な音を漏らしながら元来た道へと引き返す。

「鈴江、逆だよ」

「帰ります。何で霊媒師がAVの撮影に協力しなきゃいけないんですか」

「仕事内容は除霊だよ。撮影はもう失敗してるんだから」

「いい加減にしてください」

「本当なんだよ。パッケージになる予定だった、って言っただろ。発売前にお蔵入りになったんだ」


 挽地はタブレットの写真を次々表示する。

「ほら見て」

「AVのサンプルなら見ませんからね」

「違うよ。死体の写真だ」

「もっと嫌です」


 鈴江は吐き捨てつつ、再び車を停めて画面を見た。

 仄暗い液晶には、引き伸ばされた古い布のようなものが写っていた。

 目を凝らすと、シミと産毛が見え、人間の首だとわかった。筋張った首には、喉仏の下に縄で絞めたような痕がある。


「何ですかこれ……」

「撮影スタッフのひとりだよ。撮影直後に高熱を出して、三日後に死んだ。死因は絞殺と判断されたって」

 鈴江は絶句する。


「神社で撮影して神の怒りに触れた、ってことですか」

「まさか。撮影場所は何の曰くもない空き家を改造した場所だよ。正当な手続きを踏んで買い取ってる」

「じゃあ、どうして……」

「監督から話を聞いたら、心当たりがあるとすればひとつだけだって」

「それは何ですか?」

「祠を壊したんだってさ」

 挽地は肩を竦めた。

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