5th
その後彼女とは多少の打ち合わせをして別れた。これが最後だと思うと、後ろ髪を引かれる思いだけど、どうしようもない。自分で決めた道だから、変えるのは容易いけれど、変えられない。変えるわけにはいかない。
それに、後一カ所行くべき場所がある。私を買ったご主人様、すなわちおばあちゃんのところだ。買われた時にはおじいちゃんも生きていたのだが、その四年後に亡くなった。
当時はまだ五十歳ぐらいだったけど、今は髪も白くなってしまって、顔にはしわがある立派なおばあさんだ。奴隷だったけれど、なぜか娘として育ててもらった。奴隷商にいた頃はろくな生活ができなかったけれど、あそこはかなり良い場所だった。
人を買うというのはかなり金額がかかるもので、買うことができたのは私だけだったらしい。彼らにお願いして兄の行方を捜してもらったけれど、今はどこにいるのかわからないそうだ。
「懐かしいなあ」
比較的大きな家。さすがにプロディーツオ商会とは比べものにならないけれど、それでもかなり大きな屋敷だ。ここが私の実家とも言える場所。生家を実家と認めるのは心理的抵抗がかなりあるのでそうとは見なさない。
前に帰ってきたのは確か私が商会の近くに借りていた貸家を引き払った時だったから五年前だ。使用人の腕が良いのもあって、家の見た目はそこまで変わっていない。それに少し安堵している自分に気づき苦笑して自分に言い聞かせる。
安心しろ、もう私の中でこの景色が変わることはない。変わるとしたら背景の色だけだ。
事前に来ると通告していたのもあって、すんなり通してもらえる。私が住んでいた頃からの顔なじみの使用人さんが元気そうなのに心が温かくなる。懐かしい思いとともに少し手を振ると会釈してくれる。
「奥様、ベネフェクト様をお連れいたしました」
私をおばあちゃんのところまで連れてきてくれた若い使用人が扉をノックする。
「開けてくださいね」
「はい」
そこにはとても懐かしい人がいた。
「ただいま、おばあちゃん」
「お帰りなさい、ベナ」
「いやー、懐かしいね。あんまり変わってないね」
「そういうあなたは変わりましたね」
さすが、おばあちゃん。鋭さにかけては私が知る人の中でも最上位集団に入る。人は死を悟ると少し変わると聞いたことがあるけれど、案外本当かもしれない。良い方に変わったのかは、わからないけれど。
「ま、いろいろあったからかな?」
「いろいろあるから、ですよね?」
深い悲しみと怒りを隠しているその雰囲気。家族が自分に何も相談してくれないことへの悲しみだろう。それなのに丁寧な口調を保っていることに敬意を表する。それでも、道は変わらない。
「報告をしようと思って。多分会えるのはこれが最後になるはずだから」
「死ぬのですか」
「商会の不祥事を世間に知らせる。その責任を私も取る。それだけ」
エーテ様のことは彼女に伝えない。おばあちゃんは忌み子の言い伝えを信じている、ルークス教徒だから。絶対に止められる。だから、理由はぼかす。薄々感づいているとは思うけど、私から答えを与えるつもりはない。
「考え直すつもりは?」
「ないよ。もう既に決めたことだから」
「・・・・・・残される人の気持ちは考えましたか」
何も言えない。考えた。考えて、悩んで、それでも私はエーテ様を優先した。薄情な人間だ。その彼女には自分が死ぬというのを伝えないんだから。
「そう」
おばあちゃんは少しため息をつく。
「考えて、選んだのですね・・・・・・」
沈痛な面持ちに何か言葉をかけなくてはならない。でも、渇いた喉からは何も言葉が漏れてこない。
「あなたが死ぬと悲しむ人は私以外にもたくさんいます。だから、あなたを止めます。軟禁してでも」
「おばあちゃんには無理だよ」
「ッ。・・・・・・主としての命令です。ベネフェクト、その計画をやめなさいっ」
「ごめん。それだけは聞けないや。私はもう奴隷じゃない。解放してくれたのはおばあちゃんだよ」
立ち上がってドアを開ける。おばあちゃんが椅子から立ち上がるけれど、素の身体能力が衰えたおばあちゃんでは私の足には追いつかない。
「私を買って、孫として育ててくれてありがとう」
涙を流すおばあちゃんを二度とは振り返らず歩き出す。使用人の皆にあいさつして屋敷から出る。当時から付き合いのあった使用人に健康にとの小言を戴いたけれど、もう気にすることはないと思う。
若い頃は帝都でも有数の商会の若奥様としてその敏腕をするったおばあちゃんも今ではただの老人。時の流れからは誰も逃れられない。ある意味、死というのは時間から解放される物なのかもしれない。
もし、幻想郷なんて場所が存在するなら、おばあちゃんの死後、彼女に謝りたい。恩を仇で返したとみられて、会ってもらえなくても不思議ではないけれど、しっかり謝らないと。
商会にある自室に向かって大通りを歩く。
あなたが死ぬと悲しむ人は私以外にもたくさんいます、か。
おばあちゃんに言われた言葉はぐるぐると私の頭を巡る。
エーテ様はどう思うのだろう。
・・・・・・意味のない話か。私の計画が成功すれば彼女は私が死ぬことを知らない。彼女は西職紹に行くはずだから南地区寄りの処刑台にいるはずがない。
でも、まずは困惑すると思う。今まで一度も家から出たことがないのだから当然だろう。外の世界は彼女にとって初めてのものだから。普通に生きていれば見慣れるはずの全ての物が彼女の目には新鮮な物として映り、彼女の好奇心を刺激するのだろう。
そして、彼女の心は少しずつ癒えて、この12年の記憶は日に日に風化していつの日かほとんど思い出されることもなくなるのだろう。
もちろん、そう簡単に消える傷ではない。でもいつか愛する人ができれば変わるだろう。私は恋愛なんてしたことはないけれど、ここに勤め始めた時にいた先輩は様相いっていた。恋は人を変える、と。彼女にもお世話になったけれど、今どこにいるのかはよくわからない。
恋。言葉で知ってはいても、実際にしたことがないからどんな感情なのかは理解できない。もし、エーテ様がするとすれば、彼女が忌み子であると知りながら一生をともに過ごしてくれる人だろう。
子どもを産んでたくさんの笑顔が溢れる幸せな家庭を気づくかもしれないし、二人で支え合いながら生きていくのかもしれない。
でも、そんな人はほとんどいない。
ルークス教が忌み子差別を奨励しているから、この国ではどうしようもない。エーテ様はルークス教徒じゃないし、私やアミもそうだけど、おばあちゃんは違う。
実際、この国では私みたいに信仰していない人が少数派で、月初めの礼拝にいかないと白い目で見られる。それが現状だ。西の方には西方神教と呼ばれる宗教があるらしいけれど、あまりこちらには関係ない。
でも、もし私たちみたいな例外がいたら変わるかもしれない。
彼女が生まれ持った性質なんか気にしないで一緒にいてくれる人。そういう人と巡り会えて、ともに暮らせたら彼女の傷は間違いなく癒やされるだろう。そして、彼女は幸せになる。
でも、そこに私はいない。
私は会長らとともに死ぬのが確定している。彼女のそばにずっといられるわけではない。
私も、きっと彼女の中でつらく苦しい日々の一部になっていくのだろう。誰よりも、きっとエーテ様自身よりも彼女の幸せを願う、私が。
実際はだからどうした、と問われるような小さい不満だろう。それでも、それは大きすぎる穴なのだ。私は死の瞬間まで彼女のことを思い続ける。でも、エーテ様は?
最初から覚悟はしていたけれど、やっぱりその時が来ると辛い。
ああ、醜い感情が鎌首をもたげているのがわかる。その意味も、解き放てばどこに向かっていくのかも理解できる。
覚えていて欲しい。
忘れないで欲しい。
起き上がる怪物を押し殺して自室の扉を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます