2nd

 告発を決意したのは三年前夏の日。エーテ様の専属から外されそうになった事件は私が朝早くエーテ様の部屋に行った日に起きた。

 私は扉の隙間から会長がエーテ様に暴力を振るう姿を見てしまった。

 エーテ様は拳が、足が急所に当たらないように避けていた。それでも何度かは避けられずに当たっていた。

 また一発。当たり所が悪かったのか汚れなき皮膚は切り裂かれ血が出る。大量ではないけれど、それでも血は血。彼女に傷ができた。

 視界が真っ白になった。

 どういうことかわからなかった。

 かろうじて魂が現世に戻ってきたので、いつもより少しだけ大きな声であいさつする。一秒たってから扉を開ける。

 少しエーテ様の服が乱れている。裾のあたりが少しだけ破れている。

 本棚は倒れていて、あたりには数多の本が散乱している。ボロボロのベットには本が四冊ほど置かれている。題名は記憶にないから新品だろう。おそらく、会長がもってきたはずだ。

 でも、この惨状はなんだ?


「あ・・・・・・おなおし、いたします」

「やらなくていい。お前がやれ」

「・・・・・・」


 会長はエーテ様を顎で使う。

 エーテ様は何も言わずただ手慣れた様子で本などの家具を元に戻す。少し違いはあれど、部屋は前日の夜と同じようになっていた。

 思い返せば、数ヶ月に一度ぐらい部屋の配置が微妙に変わっていることがあった。と言っても、そのときは違和感を覚えるだけだったが。


「会長、これはどういうことですか?」

「使用人長、お前は関係ない」

「しかし」

「いいよ、ネーフェ」

「わかり、ました」

「まあいい。わかっているな、忌み子」

「言われなくても」


 そう言って会長は去って行った。

 私は閉まった扉を見た。何をすればいいのかわからず立ち尽くす。一分ほど魂を抜かれたように突っ立っていて、後ろを振り向く。

 エーテ様は、本を読んでいた。


「お、戻ってきたね、ネーフェ」

「エーテ様」

「気にしなくていいよ、と言うか、気にするほどのことじゃない。今日のはまだマシな方だったから」

「マシって・・・・・・」

「関わらない方が良いよ、これ以上。辞められるなら辞めた方が良い、こんな仕事」

「・・・・・・辞めませんよ。エーテ様が自立できるまでは」

「お、言ったな?私からすれば一人暮らしなんか簡単だよ」

「生活必需品が買えないと思いますけれど」

「・・・・・・そっか、忌み子だったね、私」


 空気が淀む。心が沈む。私は何をすれば良いのだろう。

 結局、私はその日ほとんど仕事に集中できなかった。全部が全部ではないけど、いつもなら絶対にしないようなつまらないミスを量産していた。

 朝食は焦がすし、洗濯物は乾燥の段階で失敗して燃やすし。昼食は水浸しになって、掃除中に埃を飛ばすはずが威力を出し過ぎて椅子まで吹き飛びかけた。夕食は塩を入れ忘れたせいで味が全くしなかった。素材の味というやつだ。

 一日中考えていた。

 全てを辞めて逃げるのは論外だ。前任の使用人長が辞めようとして殺されたのは記憶にあたらしい。裏を知った人間を会長は絶対に生きて辞めさせない。私は裏を知ってしまった。もうここからは逃げられない。

 でもこのまま諦めて良いわけがない。

 絶対に、だめだ。子どもが苦しんで良いわけがない。他でもない大人の都合によって。絶対に認められない。

 それは幼い頃から私の中で育まれた絶対的な価値観。


「エーテ様、もし私が。あなた様を外の世界に連れて行くことができると。そう言ったら、どうなさいますか?」

「うーん、わかんないな。でも、ネーフェと一緒なら、楽しいだろうね」


 諦めたように笑う彼女の顔は美しいけれど、同時に触ればすぐ壊れてしまいそうな危うさを、脆さをはらんでいた。

 切なかった。

 唐突に悟る。私では、彼女を癒やすことはできない、と。彼女の心の深い傷を癒やせる人に会わせたい。私はきっと、誰よりも彼女の幸せを願っているから。

 誰なら彼女を癒やせるだろうか。誰か・・・・・・あの人なら伝手があるだろう。帝都の西地区の職業紹介所所長なんだから。あの人にも差別意識はないはずだ。

 自分で道を決めた。私は彼女の中で幼い頃によく関わった使用人程度で終わるだろう。それでもいい。あの作り物めいた少女がせいぜい百年程度の人生を謳歌できるなら。たとえ私が彼女のそばでお仕えできなくとも。私は満足だ。

 そうして始まった私の計画は行き詰まっていた。

 最重要なことはエーテ様に世間の注目が行かないこと。存在を知られればきっと処刑されるし、されなくても忌み子だと明るみになればまともな生活は送ることはできない。だから、彼女の存在を知る人間は少ない方がいい。私を含めて。

 だから私は偽札について告発することにした。この事実は帝国、いや世界有数の紹介を一瞬で崩壊させうる。通貨偽造は帝国の顔に泥を塗る行為だからだ。

 帝国が信用にかけて発行し流通させた物を偽造するなんて帝国が潰さないわけがない。帝国一の商会だからって十分な制裁を加えなければ他国からなめられる。

 だから間違いなく商会は潰される。その混乱に乗じてエーテ様を逃がす。

 けれど、欠陥がいくつかあった。前提条件として私は既に関わっているから死ぬ。間違いなんてあり得ない、決まった未来。

 なぜなら私は告発の時正体を明かしてはいけないから。今の私には情報を審判騎士団に送る理由がない。私が言わなければ通貨偽造の真実には誰も気づかないだろう。だから今の高給取りの状況を変えてまで告発する意味がない。

 世間から見れば変わらない方が良いのだ。私の立場というのは。他人に通報されるぐらいなら・・・・・・なんて考えは起こりえない。

 私がやったと帝国にばれれば捜査が加えられるかもしれない。そうなればエーテ様に繋がることがないとは限らなくなってくる。

 エーテ様に知られてはならない。あの人は優しいから私が死ぬとわかれば絶対にこの計画に賛成しないだろう。どうにかして私を止めてしまう。

 それに、もう一つ。私が悩んでいることがあった。

 それはモメントゥム様。他の関わった大人はともかく、彼女は子どもだ。自分の意思でこのプロディーツオ商会に所属しているわけではないし、通貨偽造に関わりはない。そんなことをしていることさえ知らないだろう。

 でも処分は一族まとめてだ。

 私がこの事実を公にしてしまえば間違いなく彼女は処刑される。運良く逃がせたとしても大商会の一人娘がいなくなったらすぐ気づかれる。帝国は遺恨を残さないためにも捜索して殺す。彼女はエーテ様と違って存在を広く知られている。見た目の情報も出回っているからすぐ捉えられるだろう。

 捕まらなくても、小娘一人で生きられるほどこの世界は甘くない。

 そもそも、私は彼女に信用されていないから逃がすこともできない。モメントゥム様はあの年にしては聡いお方だから私とエーテ様が親しくしていることを知っている。信用される理由がない。

 彼女の中でエーテ様は牢獄に住んでいる咎人なのだ。私はそんな罪人と仲良くしている異常者。頭がおかしいと思われているかもしれない。

 罪のない子どもを大人の都合に巻き込まない。

 私のその信念は何人もの大人と巻き込まれた子どもを犠牲にして大切な主一人を救うか、主が苦しむのをずっと見ているかの間で板挟みになっていた。

 どうしようもなかった。一度気づけば部屋のあちこちに散らばる悪意が浮かんで見えた。こんな牢獄で彼女は暮してきたのかと思うとどうしようもなく胸が痛んだ。それでも、私は最後の一歩を踏み出す勇気がなかった。

 私は見ないふりをするのか。

 やらない理由はいくらでもあった。

 そんなことをすれば多くの人が死ぬ。会長一家で三人、偽造に関わった人たちは私が知る限りでは私を除き二人。きっと多くの人が死ぬだろう。私も、きっと死ぬ。

 エーテ様はモメンタ様やマザ様が亡くなれば悲しむだろう。私を恨むかもしれない。それもまた怖かった。そんなときには私はもう死んでいると言い聞かせても一歩が出なかった。

 そうやって一年ほどうじうじ悩んでいた。そんな時だった。彼女が私に過去を教えてくれたのは。その、凄惨な過去を。

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