ネーフェの憂鬱 

1st

 ようやく完成した。

 ヨスティーツァ様の率いる審判騎士団の本部に送る告発の手紙。そこにはようやく手に入れた星帝札と帝国札が添えてある。ただし、偽札だが。

 帝国札はまだ良かった。偽物を手に入れる機会は大量にあったから。本当にきつかったのは星帝札。100000キュロスもの超高価紙幣を簡単に手に入れられるはずがない。

 この偽札は実によくできていて、偽札の存在と本物との相違点を知らなければ間違いなく気づかれないだろう。

 もちろん、ちゃんと違いもある。例えば、魔力反応。限りなく本物に近くとも、違いは違いだ。本物と見比べれば違いはすぐにわかる。ただどちらが本物かは帝国財局ぐらいでないとわからないし、星帝札を何枚も手に持つ機会なんて一般人にはほとんどないけれど。

 私みたいに運良く大商会で使用人長になった人間でも、生活費以外にほとんどお金を使わず約五年間倹約生活をしなければできない。私の場合は、勤めはじめから十倍以上に給金は増えたけれど、貧乏性だから使おうと思わなかった。

 たまに、ごくたまにエーテ様にプレゼントを買うために1000キュロスぐらい使ったりもした。けれど、アレは年に一、二回だしそこまでの出費ではない。そもそも必要な消費だった。

 確かに私を雇っているのはスケンム会長だ。採用したのは前会長だがよく覚えていない。だけど、主というか、仕えているのはエーテ様だと思っている。

 初めて彼女に会ったのは18歳の時。今から七年前のことだ。当時、エーテ様は五歳だった。私は大規模な人員入れ替えの結果特別使用人という謎の役職になった。今でもあまり理解できていない。

 初めてエーテ様の専属として地下牢に行ったときの衝撃を今でも鮮明に覚えている。まだあのときはエーテ様の名前を教えてもらっていなかったけれど。

 彼女は既に今の美貌の片鱗を魅せていた。白亜の美しい髪。夕焼けの焰を詰め込んだ意志の強い瞳。それを映えさせる雪のような肌。人間らしからぬその大人びた容貌に私は心を奪われた。

 ただ、その身に纏っていた服は古くてほつれが目立っているようなもので、ひどく不釣り合いだったけれど。


「あ・・・・・・はい。ベネフェクトと申します。会長から、お嬢様?のお世話を指示されました。よろしくお願いします」

「あたらしいひと?すぐやめるんでしょ」


 正しいのかよくわからない敬語が慌てる口から飛び出る。

 美しい瞳には諦めがあった。何があればこんなに小さいのにそんな表情ができるのだろう。なぜ、こんなに幼い少女・・・・・・いや、幼女がこんな地下牢にいるのだろう。

 知りたいと思った。その理由を知れば近づけると思った。この美しく・・・・・可愛いというよりも、むしろ儚い幼女に。


「よろしく、お願いします」


 その日から私は特別使用人として働くことになった。異動直後には私の他にも二人いたけれど、数週間後に一人、そのあと一ヶ月後ぐらいにまた一人が辞めて私だけになった。

 特別使用人は特別の名の通り、他の使用人より給料が高い。私はその大半をエーテ様の服やお菓子、時々ご飯などに費やし、献上していた。そんな感じで数ヶ月たったある夜、彼女は私に尋ねた。なぜわたしにかまうの、と。


「うつくしいから?・・・・・・あなたはこわくないの?わたしは、いみこなんだよ?」

「ああ、忌み子。そういうのもありましたね」

「え?」


 なるほど、いわれてみれば忌み子として教会が騒いでいる人々の特徴と合わさっている部分もある。と、いうことは、忌み子だから閉じ込められた?

 これだけは伝えなければならない。私は口を開く。


「今は亡き母が言っていたんです。優しい人になれ、と。生まれで人を差別してはいけません。それに、きっと迷信ですよ、忌み子なんて。呪いなんてあり得ません」

「そうなの?」

「きっと、そうです」

「・・・・・・ありがとう」


 彼女は躊躇いがちに私に微笑んだ。

 私は初めてエーテ様の笑顔を見た。それは年相応の可愛らしい物で、守ってあげたいと思った。彼女は魔力が多いから戦うようなことがあればきっと私よりも強い。

 でも、彼女はまだ子供だ。子供には子供らしく楽しい生活を送って欲しかった。その理由は。今ならわかる。きっと・・・・・・。きっと、私がそんな生活とは無縁だったからだろう。


「こもりうた、うたってくれない?」

「子守歌、ですか?」

「うん。きいてみたいな、って」

「では、そうですね・・・・・・母が歌ってくれた物を歌いましょう」


 母の歌は耳に染みついている。あまり歌が上手ではなく、音程がよく外れていた。それでもその歌を聴けば母に守られていると実感できて、よく眠れた。

 歌の名前は何だっただろうか。

 歌い出す。

 静かに。だけど力強く。繊細に。そして優しく。

 思いを紡ぐ。どうかこの幼気な幼女が安らかに眠れるように。私が彼女の支えになってあげられるように。いくら大人びていても、子供だ。

 包み込んであげたい。彼女がどんな生活をしてきたかはわからない。

 だからこそ一緒にいたい。


「んん・・・・・・おや、すみ」

「おやすみなさいませ、エテルナス様」


 その次の日から私は彼女をエーテ様と呼び、エーテ様は私をネーフェと呼ぶようになり距離が近づいた。・・・・・・お菓子は食べきれないから減らして、ご飯を増やして欲しいと言われたけど。

 それから七年間、彼女のお世話をしてきた。

 地下牢に続く階段の扉のすぐそばに部屋をもらったのが五年前。

 なぜか使用人長になったのが四年前の事。やっている職務は特別使用人の頃から変わっていないから名前だけの立場だと思うことにした。

 ちょうどその頃だった。偽札の製造に関与させられたのは。

 三年前に一度、エーテ様の専属から外されそうになった。ただ、実際には交代したがる人がいなくて、異動を命じられた人が辞めることが何度かあったため私のままだった。

 そういえば、最初の一年ぐらいはエーテ様の食事関係に関わらせてもらえなかったから、彼女の食事の頻度が著しく少ないことに気づけなかった。

 そのことを知ったのは彼女が体調を崩したとき。まだ西地区の四区に家を借りて暮らしていたときのことだ。

 看病のために夜遅くまでエーテ様の部屋にいたのだけれど、一向に食事が運ばれてこなかった。弱っている彼女に聞くのは悪いと思いつつも尋ねたら教えられた。

 信じられなかった。朝早くに米20マスだけ渡されてそれで一日過ごせと。見るからに少食そうな彼女がご飯を持っていくと喜んでいた理由を知って愕然とした。食事が与えられない苦しさは知っている。

 それに気づかなかった自らの愚かさに失望した。

 そのあと、使用人長という立場を最大限に利用してエーテ様の食事を増やしてもらった。ただ、私が料理が上手でないのと材料の質が低いのもあっておいしい食事をあげられなかった。料理を勉強して今では普通の素材であれば普通の味ができるぐらいにはなっている。

 当時の私は商会の傘下の食事処に弁当を作ってもらっていて、たまに彼女にもお裾分けしていた。会長にエーテ様にあげるご飯はしっかり管理するようにきつく言われていたから全部あげることはなかったけれど、彼女は満足していた。・・・・・・私の作ったご飯よりあっちに飛びつかれてショックを受けたことは墓場まで持って行くつもりだった。

 いつだったか、彼女が副会長であるマザ様の娘だと知ったときには納得した。どことなく似ている箇所があったのだ。例えば、目元とか。鼻筋がきれいなところも。それでもエーテ様の方が何千倍、いや何億・・・・・・比べられないほど美しいが。

 ・・・・・・当たり前か、初めて見たときは女神だと思ってしまったほどだ。

 実際彼女は成長するにつれて美しさは磨きを増していき、それに副会長が嫉妬したのか知らないけれど、彼女が七歳になる頃には部屋の姿見は消えていた。

 身だしなみを整えるための小さな手鏡をあげたけれど、アレも一年ぐらい使っていたらマザ様に没収されたらしい。そのあと激しい注意を受けた。懲りずにそのあと何度も渡した。

 けれどそれがついに割られたのを見たときに考えを改めて、一回一回持って帰ることにした。

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