28

 一旦駅で荷物を預けて、タクシー2メーターほど走ってもらい国道沿いのムラタ皇路オウジ本店へと我々は初上陸した。


「昨日の店より大きいね」

「ここらでは一番の大型店みたい」

「どこら辺だろ…PCコーナー…あっちか、」

「うん…どうしよ源ちゃん、緊張してきちゃった」

私は源ちゃんの後ろに立ち人目を避けるように通路を進む。

「なんで?」

「なんでだろ…ねェ、お化粧変じゃない?可愛い?」

「可愛いよ、髪はハネてるけど」

「もォ……あ、あ、居た」

 壁沿いのカウンター内で他のスタッフと談笑する母は、久々に見る制服姿がよく似合っていた。春から比べて少し痩せたように見えるが気のせいか、相変わらず大きな胸とよく動く表情筋は健在で元気そうに見える。


 私達は死角からゆっくりと近付き、驚かさないよう小さな声で

「お母さん、」

と声を掛けた。

「?…あ、桃!源ちゃんも!よく来たわね、いらっしゃい♡」

「久しぶり」

 ただでさえ主張の強い顔がぱあと華やいで、周囲にキラキラと明るいオーラを撒いてはさらに母を輝かせる。母も恋をして綺麗になったのかな、幸せなのかな、カウンターを出て目の前に立つその端麗さには娘の私でさえ知らない迫力があった。


 入り口近くにあるカフェスペースで私達はジュースを買ってもらい、ベストを脱いで膝に抱えた母と3人でテーブルを囲む。休憩の前借りというか、「娘が来てて」と伝えると上司が融通してくれたようだった。

「しっかり観光できた?よく焼けたじゃない、歩いたのね」

「うん、神戸も大橋も見たよ。今日は昼を食べてから帰るつもり」

「そう…明日だったら私休みだったのに…残念ね、また改めてゆっくり案内したいわ」

「うん…」

 前に張り出した胸をテーブルに置いて、母は私の前髪を摘んで目を細める。ヒールパンプスの脚を揃えて斜めに立てて、ちびちびジュースを飲む私と目を合わせては小首を傾げて子供扱いした。


「源ちゃんも、桃のお世話してくれてありがとうね、悦っちゃんにもよろしく伝えておいて、」

「ハイ……お母さん、数ヶ月ぶりですけどますますおキレイになられましたね」

昔はタメ口だったのだが、ここ数年の源ちゃんは母へしっかり敬語を使うようになっている。

「え、何よもう…あ、なんか好みのタイプに私を挙げてくれてたんですって?若いのにお世辞が過ぎるわよ」

「いえ、本音です。年々…モモちゃんはお母さんに似てきてて、僕はモモちゃんが好きだから…だからお母さんのお顔もタイプです」

「はァ…え?」

誰に対しての何の告白かしら、母は戸惑ったように彼と私の顔を交互に見た。


「源ちゃん、いきなり何言ってんの……あの…お母さん、わ、私達ね、つ、付き合うことになったの…」

「え、そうなの?え、その報告でわざわざ来たの?」

母は身体を起こし椅子の背に貼り付いて、また私達を交互に見て反応を窺う。

「いえ、告白したのはこの旅行に来てからです。お出かけ着のモモちゃんが可愛くて、僕もらしくなく開放的になっちゃって」

「はァ、」

「それで昨日の夜、モモちゃんも僕のことが好きだと自覚してくれたみたいで、両想いとなりました」

「え?」

「あ、ホテルの部屋は別々に取ってありますから。必要なら予約画面をお見せします」

「……はァ、はァ、」

 随分とフレッシュで初々しくて、微笑ましい報告…しかし

「………源ちゃんが桃のこと気に入ってくれてるのは知ってたけど…大丈夫?幼馴染みから恋人のラブな感じになれるの?」

私の普段の様子からは恋愛の空気が見受けられなかったのだろう、母はなあなあにカップルになることを心配しているようだった。

 それは言わずもがなのいつもの母の言付け、「なんとなく」や勢いで人生を決めてしまうのは得策ではないからである。

 まぁ交際程度で人生が決まるものでもないのだろうが、いかんせん私達は家が隣同士だ。深い関係になってから万一別れでもしたら両家総出で気まずさと闘わねばならない。

 でも源ちゃんも初恋ドリームにただ浸っている訳ではなかったようで、

「それはやってみないことには。でもご安心を、成人するまでは清い関係でいますから」

と改めて方針を語った。

「それはご丁寧にどうも」

「でもキスはしてしまいまして、こう…口先だけの事故的なやつなんですが。事後報告ですけどすみません…えへ」


 さすがにそこは照れる源ちゃんを見れば私もじわじわと頬が熱く紅くなってきて、

「源ちゃん‼︎やだもォ、ばか!」

「ほんとのことじゃん、包み隠さず伝えなきゃ信用が得られないよ」

と痴話喧嘩が始まると母はぶふと吹き出して笑う。

「あはは♡うん、睦じいのね、わざわざ教えてくれてありがとう♡……源ちゃんのことは信用してるから…成人までって…あなたのその宣言も信じるわよ、いいのね?…我慢できるのね?」

「はい、なるべく密室で二人きりにはなりません。触りたくなっちゃうので」

「あっはっは♡いやァね、正直者……桃、しっかり考えて…自分のことは自分でね、」

 長いまつ毛が揺れる優雅なウインク、「自分の体は自分で守ります」と私は両目を閉じて無言で応えた。


「そっかァ……そう…お隣同士で…これ以上ない良縁ね…嬉しいわ、長く続いて欲しい」

「モモちゃんも、お母さんも、おじいさんとおばあさんも大切にします」

「ふふっ……あなたも青臭いのね……でもいいわ、また数年後…あなたが改めて挨拶に来てくれることを願ってるわ」

 そう言った母の耳のイヤホンから少し音が漏れたと同時に面持ちが変わって、

「はい、何?………お名前は?………あァ、戻るわ、今カフェだから、待ってて」

と襟元のマイクに声を吹き込む。

「ごめんね、お得意様に呼ばれちゃった。…桃、源ちゃん、ゆっくりして行って、またね♡」

「またね」

「桃、気を付けて帰りなさい、」

「うん、」


 ベストを着てトランシーバーを挿し直す母の後ろ姿は凛々しくて、挟んだ髪をスッと引き抜く手の仕草も麗しくて、歩き出して人混みに消えていくまで目が離せない。

「カッコいいね、」

「うん…自慢のお母さんだよ」

「…モモちゃん、混んできたから飲み終わったら出よう」

「うん…またタクシー?」

「歩いてもいいよ、昼ごはん買ってもいいし」

「じゃあ…歩こうか」

レジ横のゴミ箱へカップを捨てて、私達は夏空の下を駅へと歩き始めた。

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