獣の角

馬村 ありん

獣の角

 さびしげな光を宿した青い瞳が向けられると、私はたまらなく愛しくなって、その純白の被毛ひもうにおおわれた背中をなでた。柔らかな毛並みが手のひらに心地いい。一角獣からやわらかなため息が聞こえ、私たちの心のつながりを実感した。


 一角獣と初めて出会ったのは、五年前のことだった。夕ご飯にきのこをつんでいたとき、深い木々の向こうから、がさがさと音がした。

 熊か狼かと警戒していると、木々の合間から顔を突き出したのは別の生き物だった。ハッと息をのんだ。雪のように白い毛並みに、ひたいから伸びる鋭く長い角。一角獣だ。

 一角獣は木々の間を抜けて、開けた場所へと姿を現した。なんと美しい生き物なのだろう。四つの足は鹿のように細長く、小さな頭部は仔馬のようだった。


 地面の枯れ枝を踏みしめながら、彼は私に近づいてきた。ブルルルル。馬のようで、それより優しげないななき。角を地面へと下げ、その長い首を私のお腹のあたりにこすりつけてきた。

 一角獣に近づいてはいけないと母には言われていた。危険な生き物なのだと。だけど、実際に目の前にした一角獣は、愛らしく、人懐っこく、神聖な雰囲気に満ちあふれていた。


 その首に触れると、一角獣はため息を漏らした。猫が喉を鳴らすような、甘えた声。私は首を、お腹をなで下ろした。

 私が地面に腰を下ろすと、麻のスカートに包まれた膝に、一角獣があごをのせてきた。膝の上にぬくもりが広がった。安らかな吐息が、その鼻先からもれはじめた。眠っているのだ。その呼吸に耳をすませていると、私も眠りへといざなわれた。


 目が覚めると、空はだいだい色に変わっていた。そろそろ戻らなくては。私は立ち上がった。

 さようなら。また明日来るからね。

 茸を積んだカゴを手に、私は元の道を引き返した。振り返ると一角獣はまだそこにいて私を見つめていた。

 元いた場所へおかえり。

 そう言っても、一角獣はまだそこにいた。

 私は名残惜しく、進んでは振り返り、進んでは振り返った。


 友達も少なかった私は、ほぼ毎日のように森に通いつめた。となりの意地悪な男の子のショウが私のおかっぱの髪をからかい、どこに行くんだと聞いてきたが答えてはやらなかった。

 森の中へ行くと、一角獣が待っていてくれた。私は木の実をつんで食べ、一角獣は大地の草をはんだ。

 そして大樹にもたれて二人で眠り、夕方ごろまで過ごすのだった。


 ある時、ここではない東の森で、猟師のお爺さんが一角獣に刺されて死んだという話を聞いた。一角獣は乱暴な生き物ではないと知っていたので、私はその猟師が悪いのだと思った。


 それから、月日が経ち、自分が子どもとは呼べない年まで私は成長した。母からは縁談の話があり、時計職人の男や菓子職人の男と結婚するよう勧めてきた。気が乗らず断ると、いつまでもそうしていられないのよと母は言った。

 その後、森の方へ向かうとショウが待ち構えていた。無視すると、ショウは私の腕を捕まえてきた。どこに行くのか教えろと言った。私が痛いと言っても彼は離してくれなかった。

 やめなさいと大きな声を張り上げて、男の人が現れた。鉄砲を担いでいて、一目で猟師だと分かった。ショウは逃げ出した。わたしが感謝すると、猟師は立ち去った。彼が一角獣を狙わなければといいなと祈った。


 一角獣は私の膝の上に頭を乗せて眠っていた。その角に私はふれた。私の指先から肘までの長さがあり、馬のひづめのように固い。先端は鋭く、剣のようだった。

 一説によると、一角獣の角はせんじて飲めばあらゆる毒が浄化され、永遠の命が得られるのだという。だけど、それは迷信だろう。永遠に生きている人を見たことがないからだ。

 あの猟師。彼は一角獣を狙っているのだろうか?

 大丈夫よ。

 あんたのことは私が守ってあげるからね。私はその毛並みの豊かな背をなでた。


 雨が降り続いて、しばらく森に行けなかった。待ちに待った太陽が顔を出した。しつこく迫るのに根負けして、今や恋人となったショウの寝室を、私は飛び出した。スカートに染みついたタバコの臭いを一角獣が嫌がらないか心配しながら、私は森へとやってきた。

 一角獣は様子が違った。背を低くかがめ、鋭い角の先端を私に向けてきた。

 一体どうしたの?

 何を怒っているの?

 一角獣は鼻息を荒くし、ブルルといななきをあげた。前足を踏ん張り、私へと飛びかかってきた。


 手のひらがその角に貫かれた。鋭い痛み。おびただしい血がどくどく吹き出し、私の腕をつたい落ちた。

 どうして?

 どうしてこんなことをするの?

 私は叫んだ。

 なおも一角獣は角を突き立て、私へと突進してきた。

 

 銃声が鳴った。

 一角獣は悲鳴を上げると、きびすを返し、森の奥へと走っていった。

 大丈夫か⁉︎

 あの猟師だった。

 猟師は銃を構え、一角獣を見据える。

 やめて! 私は叫んだ。

 猟師は撃たなかった。わたしの手の傷を見て、すぐに手当てをしてくれた。


 手に包帯をまかれながら、私は泣いた。

 それきり二度と一角獣の姿を見ることはなかった。


終わり

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